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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2009.7.13 | by admin

第2部 コミュニケーションのコトバ


第2部 コミュニケーションのコトバ

日本語なのに読めない?使っているのに意味不明!?

 

人間である以上コミュニケーションは言葉でするし、日本人である以上それはだいたいが日本語だ。つまり言葉とはコミュニケーションにとっての前提なのだ。
スクリーンには二つの言葉が映し出された。是非読んでみてほしい。

1、行火
2、四十八願

答えは「あんか」と「よいなら」。ちなみにゼミ生は両方誰も読めなかった。小型の暖房器具と地名を引いて何が言いたいかと言えば、これらが日本語にも拘らず音として発音することすらできないということだ。アルファベットの言語は基本的に特殊なものを除けば大半が意味を知らずとも音にできる。ここが僕たち日本人の前提となるポイントだ。
もうひとつの問題は母国語なのに意味がわからないということだ。意味がわからない、というか単語の指すニュアンスはわかっているし適当なタイミングで使うこともできるのだが、いざその言葉を説明しようとすると言葉にできない。伊藤さんは「サスペンス」という言葉を例に出した。

【サスペンス】「ドラマとかで人が殺されてキャー」「ハラハラする」「緊迫した事態」
suspense ⇒ suspender(ズボンの吊り) ⇒ 心を中吊りにしてフワフワの状態にする

西洋の言語は割とロジカルにつくられているらしい。僕たちの使っている二字熟語の大半は、明治以降その西洋から輸入されたと言われている。その時代の日本人がわからないなりに無理をして漢字をあてがったのが今の言葉だから、例えば次のような事態が起こることもある。

ループしていく言葉達。

ループしていく言葉達。

伊藤さん 僕たちはこれだけそれぞれの言葉の意味を理解してはいませんが、ポジティブに言えば「それでも僕らはつかいわけてる」んです。使い分けているんですが、ここで大事なのは、特に漢字と言うのは象形文字だったり、日本人は音に非常に敏感だと言われていたりするわけで、僕らは言葉をイメージでとらえているんですね。これはみなさんが自分で理解する分にはそれで構わないんです。けれども、言葉というのはみなさんが「想い」を伝えたい時にも使っているツールなんですね。ここで、まさにミスコミュニケーションが発生する可能性があるわけです。

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