L さっきの話と関係するんですが、権威のある人のところに人が集まってしまうという話なんですが、その方たちはいうなれば偉大な師匠なわけですよね? 先生の著作の中ではその偉大な師匠と出会うということが非常に大事な経験であると書かれていたと思うんです。例えば僕も東大で野矢茂樹先生という人に感銘を受けて学科を選んだりしたんです。その、権威のある人のところに集まるというのも、師匠に出会いに行くという意味では肯定的に捉えることが…
内田 もちろんですよ。師弟関係にしても、どんなものにもいい面と悪い面があるわけでね。
L その人だけを見ていく、ということでもかまわないんですか?
内田 もちろんですよ。なんというか、師匠の機能というのはこちらにやる気を起こさせることで、全然追いつくことのできないとてつもない学識があると思わせることができれば師匠の勝ちなんだよね。やってもやってもおいつけねぇや、と思わせるのが師匠の機能なわけで。基本的には自学自習だから、師匠は本当は何も教えてくれないんだよ。前途遼遠、きみはまだまだだねと(笑) それだけ言われて、ああでもない、こうでもないと自分自身の思いがけない研究スタイルが出来てきて、気が付けば、自分の後に業績ができているということなんですよ。先生がまだまだっていうからやっていたら、気づいたらずいぶん高くまできちゃったな、ということですよ。上昇を誘っていくというか、欲望の最遠点がどんどん遠ざかっていくというのが師匠の機能なんだからさ。
L 抜けない抜けない、という気持ちが
内田 そうそう。だから師匠を追い越したなんて言っちゃったら絶対にいけないんですよ(笑)
L 追い越したいという気持ちがあってのことでは…?
内田 追い越したいなんて普通思わないよね。逆立ちしても追い越せない、というのが極めて健全な弟子のポジションなわけで。師匠も、師匠の師匠に対してそう思っていた。ずっと何十代もそうなんだから、誰も抜けなかったら全員痴呆化してるはずなんだけど、なってないということはある意味全部幻想なんだよね。
X 客観的に見れば。
内田 客観的に見れば、弟子も結構いってるという感じなんだよね。はたから見れば、弟子のほうが凄いということもあるわけ。でもその師弟関係というのはダイナミックに作用しているわけ。先生にはとても追いつけないと。学問の世界でも武道の世界でもよくある話なんだけど、あなたの師匠よりあなたのほうが全然上だよ、と周りは思っても、本人は「先生は凄い」って。その結果はそこからきてるわけで、はたから否定することは無いわけですよ。
G 師匠が弟子に、どう頑張っても追い越せない、と思わせる最大の素質は何だと思われますか?
内田 やっぱり弟子を育てるのが上手い先生というのはいてさ、そういう先生はあまり弟子に関心が無いの。潰し屋先生っていうのがいて、そういう人は弟子に関心があって、ここがだめだとか細かく言って、いつも言ってるだろうと襟首掴んでギャーギャー叫んだりする。本人は指導しているつもりなんだろうけど、大体潰してしまう。
G むしろ放任という感じですか?
内田 放任というか、興味が無いというか。時々、「君、誰だっけ?」って(笑) 「先生、もう三年もいるんですけど。」っていうね(笑) でもそういう先生が結局一番指導力があるよね。自分のしていることに興味があるから、周りの人たちはどうでもいいというか、「それでいいんじゃないの?」というか(笑)この投げやりさが一番いいんじゃないかな。大体見てたらわかるけど、いっぱい人がついてきている先生っていうのは弟子に興味が無い。育てることに興味が無い。「なんだよこいつら、うるさいな」って(笑) 冗談だけどそんな感じなんだよね。弟子が来るのは仕方ないと諦めていて、金貸してくれって言われたら貸すとか、呑ましてくれっていったら呑ますとかそういうことはするけども、細かい面倒は割りと見ないね。
L 弟子は、師匠が格闘している姿を見て、ということですよね。
内田 そうだね、師匠は自分自身の目標が高すぎるので、弟子たちの先輩後輩なんか見たところで、みんな同じで、査定なんかしないもの。弟子たちを見て細かく査定していって、君はここがいい、君はここがだめだ、とか60点だとか90点だとかで点数をつけるような先生はだめだ。先生だったらみんな同じに見えるくらいじゃないとだめだよね。弟子の点数を5点刻みでつけられる先生っていうのは、目線が低いんだよ。上にいる人は、弟子はみんなランクが真っ平らだから分からないの。そういう先生が真についていくに足る先生なんだよ。