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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2010.3.15 | by admin

5-1.取材◆森見登美彦さん(小説家)◇前編

森見登美彦さん×渡辺真実子さん(祥伝社編集)×立花ゼミ文学企画
2009.11.19
@都内某カフェ

参加ゼミ生:大石蘭、岡田空馬、坪井真ノ介、廣瀬暁春、廣安ゆきみ

【目次】
1◆執筆時に意識していること
2◆書くモチベーション
3◆「売れる」ことへの意識
4◆小説「だから」
5◆「森見ワールド」
6◆小説家はパン屋さん
7◆「エンターテイメント」
8◆腐れ大学生モノin京都、という縛り
9◆『新釈走れメロス』うらばなし等々
10◆表紙・デザインへのこだわり
11◆小説は間にありてつつくもの

 

1◆執筆時に意識していること
大石「小説を書くに当たって、森見さんが一番意識してらっしゃることは何でしょうか?」
森見さん(以下、敬称略)「意識していること…。普通は締切を意識しています」
(一同笑い)
森見「『太陽の塔』を書いていたときは、学生時代の自分の妄想を文章にして書きたい、とか考えていたんですけど、今は机に向かう一番強い動機はまず締切で、それに追われているうちにもやもやと妄想がわいてきて、書くという感じですね」
岡田「やっぱり外部から『書いて』と言われないと、書く気にはならないんですか?」
森見「学生の頃は勝手に書いていたんだけど、締切に合わせて書くのが四、五年続いているので、段々と締切がないと書くのかどうかわからなくなってきました」

 

2◆書くモチベーション
大石「小説を書かれるモチベーションは何ですか?」
森見「締切ですね(笑)。僕の場合兼業(作家)なんで、締切がないとたぶん書かなかっただろうと思うんです。学生の頃は良かったんですけど、働き出すと、仕事が終わると解放されたと思ってそれだけで満足しちゃうんです。もしそこで締切がなかったら、たぶんあんまり書いてなかったでしょうね」

 

3◆「売れる」ことへの意識
大石「プロとして小説を書かれていくに当たって、『売れる』ということはどれくらい意識されているのでしょうか?」
森見「売れてくれなくては困るとは思っています。でも、それは自分でどうこう出来ないことじゃないですか。僕がデビューして本が売れたのも、たまたまそういうものを喜んでくれる人が世の中に一定数いて、ちょうどヒットするところにたまたま僕が出てきて、それで売れたんだろうと思うんです。自分でそこ(ヒットするところ)を狙って球を投げていくことはあんまりできないので、自分でこういう小説なら面白いだろうなぁと思うものを書いたら、たまたまヒットしてしまったというか…、そういう感覚はあります」
廣安「こういう展開にしたら読者は喜ぶかなぁ、とかは意識しますか?」
森見「面白くしようというのはあるけれども、その『面白い』の基準は結局自分なんで、自分が面白いと思うものなら、大勢の人も面白いと思ってくれるんじゃないかな、という期待はしています。僕がもっと難しいことを考える人間で、超難しい小説をガッと書いて、それでベストセラーになれ! って言っても、それは難しいことだと思います。ただ、実際に読んでもらうまでどういう反応になるかはわからないので、自分では結構面白いと思っていたのにそんなに反応が良くない、ということもあるだろうとは思います」
大石「自分が書きたいものを書いて、その結果としてみんなが楽しんでくれる、ということですか?」
森見「そうですね。ただ、だからこそ逆にプロとして心配なこともあるんです。デビューしたころから割合自分の好きなものしか書いていなくて、世の中の流れを読んで『次こういうのを書けば当たるぞ』という書き方をしてきたわけではないので、いざその流れを離れると、もう戻れないんじゃないかと思うんです。それは不安ですね」

 

4◆小説「だから」
大石「先日、森見先生の『四畳半神話大系』がアニメになるという話を聞きました。森見先生の作品は漫画化や舞台化などされていますが、その中で小説でしか表現できないこととは何だと思われますか?」
森見「なかなか難しくて一言では言えないですが…」
渡辺さん(以下、敬称略)「究極の質問のひとつですね(笑)」
森見「もともとは、小説しか書けないから小説を書いていただけなんですよね。漫画を描くのも、映画を撮るのも自分には出来なかったんです。でも、書いているうちにある程度小説でしかできないことも色々あるなぁと。お話の演出の方法とか、細かい語り方のテクニックだったりとか…」
廣安「昨日ゼミ生で舞台『夜は短し歩けよ乙女』のDVDを見たんですけど、感想としては『良かったんだけど、小説とはやっぱ違うよね』って感じで…」
森見「小説で読むことと、それを映像化したものを見ることとは、絶対に違うと感覚的にはわかるじゃないですか。その中で、小説でなければならない理由はなかなか一言では言えないんですが…、だけど、小説は文章だけで出来ているので、その文章が音楽だったり、映像だったり、そういう全てをあらわしていますよね。文章だけで全てを行っているというか…やっぱり、難しいですね(笑)」
大石「やっぱり文章がお好きだから、というのが大きいですか?」
森見「う~ん、最初はお話を作るということが好きだったんですが、大学生くらいからは文章自体を面白がり始めましたね」
岡田「じゃあもし絵がうまかったら、漫画家になっていましたか?」
森見「それはそうかもしれないですね。やっぱり自分に一番向いた、一番使いやすい道具を使うでしょうね」
大石「文章は読者に多くがゆだねられているから、想像の余地が大きいですよね」
森見「都合の悪いところは省けますよね。京都の風景とかも、僕の好きな風景しか書いてないんですよ。小説で読むとなんとなく古風に思える場所でも、その場所をそのまんま写真に撮ったら、結構現在の感じだった、ということもあります。そういうのも結局は『書いてないから』ということなんです」
廣安「森見さんの小説を読むととりあえず京都に行きたくなる、京大に行けばよかった、なんてよく思います(笑)」
森見「だからそれも、僕が好きなもの、好きな部分しか書かないからですよ」
廣安「森見さんの小説を今度漫画化しようとかアニメ化しようとか言われた時に、『俺の書いた世界観は小説でしか表現できないんだから、他のものに変換してくれるな!』とかは思わないんですか?」
森見「自分の小説のことは、自分の小説でしか表現できないとは思いますよ。だから舞台化するときはもう別物、という意識ですね。僕はそういうものに対してああしてくれ、こうしてくれとはあまり言わない方らしいんです。自分の作品と言うのは、完全に自分の書いた文章とイコールなんです。そこから派生するものが何であろうと、もう僕は気にしないんです。もし僕の作品を別の形に置き換えたいという人がいて、それで面白くなれば『僕が原作ですよ』って威張っておけばいいし(笑)。僕の中では、自分の書いたもので満足しているというか、それでオンリーワンだと思うんです」
廣安「最近の小説は『とりあえず映画化しとけばいい』『とりあえずアニメ化しとけばいい』みたいな傾向があるように思えて。作家の人はそれで副次的に収入が入ってくるけど、本当にそれでいいと思ってるのか、疑問だったんですが」
森見「いや、でもそれでもいいんじゃないですかね。映画とかアニメとか他の分野の人がわざわざ自分の小説を読んで何かをしたいと思うのは、人に対して影響を与えたっていうことですし。それは嬉しいことですよね。その人がうまく別の形に置き換えてくれるかどうかはわからないですけど、その人がやってみたいと思ってくれただけでも、それは成功だと思います。ただ、仮に映画化して、その映画が大ヒットして大変な騒ぎになった、っていうことになれば僕も悩むかもしれないですけど(笑)」
渡辺「確かに映画のほうが有名になっちゃって、独り歩きしはじめたら、それはそれで怖いかもしれないですよね」
森見「例えば僕の小説を宮崎駿が映画化するとするじゃないですか。それでスタジオジブリで宮崎駿の新作として取りかかる時には、たぶんもう僕は存在していないですよね(笑)。それだったら複雑な気持ちになるかもしれないけど、そうそうね、そんなことは起きないし(笑)」
坪井「小説というのは、読み手の想像力に任せる部分が多いので、人によってその解釈が違ってくるということが多いと思うんですが、森見さんは『自分が考えたことが伝わってないなぁ』という気持ちになることはないですか?」
森見「気分転換に不気味な話を書いたら、『面白くない』という感想が出たりするんです。そういうときは、いや、もうちょっと違う読み方をしてほしいんだけどなぁ、と思ったりはします。でもどうしようもないことですからね。わざわざ一人一人のところに行って、『これはこう読むんですよ』と解説も出来ないですし。よくよく考えると、僕の小説を『面白い』と言ってくれている人も、読み間違えてそう言っているだけかもしれないし…。なんかプラスマイナスゼロなのかなぁって思います。あまり正確に読まれすぎても困りますし。ある程度いい加減なほうが、いろんな人が読めていいんだろうなと思います。みんなが同じものをぴったりと読みとって、同じ満足を得られるようにするというのは何かヘンです。それよりも、Aさんはここで面白がっているし、Bさんはこっちで面白がっているしという方が、読んでくれる人も増えそうな気がしますしね」

 

5◆「森見ワールド」
大石「それぞれの小説にご自分がこめられた思いというものもある中で、結局は『森見ワールド』として、世界として楽しまれてしまうことに関してはどうお考えですか?」
森見「それはあんまり抵抗がないですね。全部僕が書いているんだから森見ワールドとしか言いようがないし。抵抗があるのは『面白くない』と言われることで。自分が面白いと思って書いたのに、『面白くない』と言われると、いや、事情はわかるんだけど、悔しいなぁと思います。みんなを面白がらせるなんて絶対に無理ですけど、それでもなんというか…悔しいですね」
大石「やっぱり読者には楽しんでもらいたいですか?」
森見「う~ん、褒められたいですね(笑)。頑張ったねって(笑)」
大石「森見さんの小説はよくエンターテイメント小説と呼ばれますが、そのことについてはどうお考えですか?」
森見「いやぁ、エンターテイメントなんだろうなぁ、と」
廣安「エンターテイメントというと、面白いけど、あまり心に残らないというか、読んでいるその時間だけ楽しければいい、みたいな意味も含まれている気がするんですが……」
森見「それは、どういう風に使うのかは使う人次第ですよね。でも、逆に人を楽しませないように書くって難しくないですか? エンターテイメントを書いていると僕は思っていますが、ではいざエンターテイメントを書かないとなったら何を書けばいいのかわからないんです」
大石「自分の影の部分とかは……?」
森見「でもそれをわざわざ人に読ませてもしょうがないじゃないですか。多くの人に分かってもらいたい、ということがあるのかもしれないですが……。たまたま僕はそんな大勢の人に見せられるようなものを持っていないんで、せめて楽しませないと書く意味がないんです。たしかに『捨てられてしまうエンターテイメント』になってしまうのはつらいですけど、『これは読み捨ててもいい小説で、これは読み継がれる小説』というような線引きをするのも、なかなか難しいですよね。他の人は読み捨てているかもしれないけど、こっちの人は大事にしているかもしれないし。たぶん僕の本も、読んだらすぐにBOOK OFFに売りに行く人もいれば、ハードカバーで全部そろえてくれている人もいるだろうし」

 

6◆小説家はパン屋さん
廣安「もともとこの企画を立ち上げたのは、作家の人たちは自分の本が簡単に読み捨てられていることに対して恐怖とか気持ち悪さを感じていないのか、だとか、作家の人たちは自分の作品を残そうという意志を持って書いているのか、っていう疑問からなんです。たしかに読者は自分の作品を読んではくれるけれども、今の時代どんなに頑張って書いても一回読んだらそれっきりになってしまうことがほとんどで、そういうことに対して作家の人たちはむなしさを感じたりしないのか、という……」
森見「あぁ、たぶん僕はそこまで悩まないですね(笑)。僕にとって小説を書くということには、いろんな楽しみがあるんです。究極の目的として、文学史に残るような作品を書く、ということはあるかもしれないですけど、僕にとってそれはあんまり重要じゃないんです。そういう夢も少しはありますけども、本にしていくまでの間にいろんな小さな楽しみがあるんです。それこそ締切を乗り越えたら楽しいし、原稿料が入ってきたり、新しいアイデアが浮かんで来たら楽しいですよね。編集者の人から良い反応が返ってきたときも楽しい。それが段々と一冊の本になっていくことも楽しい。そしてとうとうそれが本屋さんに並んで、読者の人から『面白い』という感想が返ってきたりすれば、それだけでもうかなり元は取れているんです。僕の場合ありがたいことにある程度本も売れるんで、お金もちゃんと入って来るし、もう何を文句を言う必要があろうか、という感じなんです。それは自分の作品が使い捨てになってもいいということではないんだけど、そこまでの間で充分楽しいので、そこから先を図々しく要求する気になれないんです。(渡辺さんの方を向いて)ね?」
渡辺「たしかに森見さんは境遇的にはラッキーというか、本当に素晴らしい状況ですよね」
森見「う~ん、まぁ自分の意に沿わない作品を書かされて、しかも読者からは馬鹿にされて、使い捨てられて、しかもお金が入ってこない、っていう風だったらそれはつらいですよ。それだったら僕ももっとひねくれますよ(笑)。でも幸い、デビューの頃から締切の数以外は自分の好きなように出来ているので。まぁそもそも仕事を引き受けてしまうところに弱点があるんですが、それ以外は自分の方針を曲げてまで強制されて書かされたりすることはしないで済んでいるので。まぁパン屋さんがおいしいパンを作るのと一緒ですよ。(パン屋に)来た人がぱくっと食べたら、あとはもう出ていくだけじゃないですか。そこでそのパン屋さんは、そのパンを家に持って帰ってずっと飾っておいてくれなんて思わないですよね。たぶんパン屋さんはパンを準備してつくって、店に並べて、お客さんがちゃんと買ってくれて、お金が自分のところに入ってきて、しかもお客さんがそれを食べておいしいと言ってくれたらそれだけでもう満足ですよね。そこでこうもっと野望のある人だったら、パンのカリスマみたいに注目されなきゃ嫌だ、とか思うかもしれませんけど、普通にパンを作って売りたい人なら、そこまでいけばまぁだいたい良い感じだなと思いますよね。だからまぁ(それと同じで)読んだ人が良い感じになってくれればいいんです。僕なりに読んでこんな気持ちになってくれたらいいな、という理想があって、なんとなくそれを目指しつつ書いている気がするんで、買った人が僕の本を読んで、そういう気持ちになれば、そこで僕の仕事は終わりですね。あとはもう残らなくても。数年もってくれれば(笑)。文庫本とかね(笑)。僕の本が売れても、僕だけがもうかるわけじゃないですからね」
渡辺「そうですよ。出版社もそれで食べてますから(笑)」
廣安「今の目の前にいる――目の前かわかんないけど――今いる、周りに読者の人に向けて書いているってことですか」
森見「多分そうですね。でもまああんまり読者の人のことほんとはよく知らないので、こっちは知らない。でもまあやっぱりそれに近いんじゃないかなあ」

 

7◆「エンターテイメント」
廣安「『文学』っていうより『文芸』って感じですか」
森見「まあ、『文学』がそもそも僕はあんまりよくわかんなかったので。世の中で一般に『文学』って言われてるものが何なのか結局大学のときよくわかんなかったので、大学生にもなってわかんないってことはつまり『僕はエンターテイメントなんだ』って思ったくらいなので」
大石「カタい文学ではなくエンターテイメントの方だ、と」
森見「それ(カタい文学)じゃないもの、っていうのが全部エンターテイメントだと思ってたので。純文学というふうに言われているもの、芥川賞とか取るような、あの界隈のものじゃないものっていうのは全部エンターテイメントに入るんだろうと僕は思ってたので、だからまあ、エンターテイメントっていうのに抵抗がなかったから。でも『純文学』とかって言われてるものでも、読んで面白いと思ったりするんだけど、その『文学』っていうのは何ですか、って言われると急にわからなくなってしまう。で、なんかこう、普通に読んでても普通に面白いものとして読めているものが芥川賞とか取ったりして、それを『文学』とか『純文学』って言って。それを、じゃあそれはなんで『文学』って言うのか、って言われた時に、それを説明するのは難しいし、しかもめんどくさい。それやったらまあ、エンターテイメントってことにして、好きに書いていこうと」
大石「『太陽の塔』を書かれる前は、でも、ちょっと違った感じの文章を書かれていたんですよね」
森見「うん、でも――」
大石「そのときのモチベーションとは違うんですか」
森見「そのときも、純文学的なものを書いたっていうよりは、まあ青春の悩みをちょっと加えて格好をつけたファンタジーみたいなものを書いていて」
大石「うわあー、読んでみたいです!(笑)」
森見「うーん、いや、ゼッタイ、ゼッタイにあれは…ね」
大石「それもやっぱり人に読んでもらうことを前提にして、人に、楽しんでもらおうっていうスタンスは変わらないんですか」
森見「そうそう。多分人が読んでも面白いだろうと思ってたんだけど、でもやっぱりまだね、客観的になれなくて、自分が面白いと思うものを書いてた。自分が面白いと思うものをそのまんま書けば人が面白いと思うだろうって…。
今も自分が面白いと思うものを書いてることには変わりはないんだけど、なんかそのときはもっとそれが自分に寄り過ぎてる。だから今から振り返ると、他の人が読んでもあんまり面白そうなものではなかったし、あと、なんとなくこう、青春の悩み的なものを入れるとかっこよくなるだろうと思って…で、そういう助平心がすごい恥ずかしい。それ以来、恥ずかしいものはもう書くまいと。自分が恥ずかしいと思いつつ、でも、これかっこいいかもって生半可な感じで書くようなことは決してすまいと」
大石「(笑)。でも、『太陽の塔』みたいな小説は、こういうのは小説とはいわない、と思っていらっしゃったんですよね。てことは、その前に書かれた、そういう青春の悩みを交えたファンタジーみたいなものっていうのは、当時のご自分にとっての理想…」
森見「当時は、理想にいこうと思ってたんだけど、まあ、今から振り返ればそうじゃなかった。当時も、うすうすこれはやばいんじゃないかっていうのは思ってて。だから『太陽の塔』みたいなものをヤケクソで書いたんだけど、やっぱり今から振り返ると、どちらかというと『太陽の塔』のほうがまだ『小説』って感じ。大学のとき書いてたのは小説じゃない。ヒドイ…」
大石「どういう基準でそう思われたんですか」
森見「なんでしょう、なんかこう…なんかこう…、『太陽の塔』は、うーん、なんかちゃんとしてる。ちゃんと…オリジナル、って言うと大げさですけど…そこで一つ、ちゃんとした世界があって、書かれてる内容とか文章とかそういうのが全部絡み合ってて、なんとなく一つのものとなってきゅっとそこにあるっていう感じが、『太陽の塔』はするんやけど、その前のやつは、なんかどっかで見たような場面、なんかこういろいろとまだツギハギな感じで…」
大石「完成度、っていうことですか?」
森見「そう…なのかなあ。『太陽の塔』も、お話としては無茶苦茶ですよ。でも感覚的にもう、なんとなくええ感じにきゅっと収まってる。そう初めて思ったのが『太陽の塔』」

8◆腐れ大学生モノin京都、という縛り
廣瀬「『太陽の塔』でデビューされたじゃないですか。で、パッとしない大学生像、っていうものに結構共感を持ったり、ああいう大学生像が描かれる作品をもっと読みたい、という読者が多く出てきて。あの『太陽の塔』でのデビューによって、その後の森見さんの作品の方向性、どういう期待を読者たちから寄せられるかという方向性を、決められてしまうっていうところはあったと思うんですけれど、いわゆる『森見ワールド』的なものに縛られていることについて、どう考えておられますか」
森見「でもね、今では思うんですけど、最初にそこで縛られないと、多分消えるんですよ(笑)。あのー、すごいもう、身も蓋もない話なんですけど、最初ね、『太陽の塔』が出たときに、『もう大学生の阿呆な話のネタは全部尽きた。もう書けない』と思って、で、次は『きつねのはなし』を出そうと思ってたんです。で、書いてたんですけど、たまたまそれがなかなか出なくて、先に『四畳半(神話大系)』出ちゃいましたけど。そのときに、なんで『四畳半』を書いたかというと、『四畳半神話大系』の出版社の太田出版さんの編集者の方が、『太陽の塔』はすごく良いんだけど、『太陽の塔』を出したからといって、それは届いてない、ごく一部にしか届いてない、と。だから、同じ路線であと何作かやらないと、誰も気付かない、と。で、なるほど、と。しかも、もう全部尽きたと思ったので、なにかしらこう、『太陽の塔』と別のアイディアも出ないと、書けないと思うから、『四畳半神話大系』というのはあんなヘンテコリンな凝った構造にしたんですよ。それで、『四畳半』を書いたんで、意外に書けたと思って、まだ大学生もので行けるわ、と思って、まあそのために、別の…たとえば『メロス』(『新釈 走れメロス 他四篇』)だったら古典を持ってきて大学生とくっつけたり、もうさすがに男だけでは無理やろと思ったので女の子を出してきて、とかっていうふうに、いろんな手を使って少しずつずらして、学生ものでやってきたんだけど。『(夜は短し、歩けよ)乙女』くらいになって、ようやくみんな気付くわけじゃないですか(笑)。なんか腐れ大学生の話を書いてるやつがいる、と世の中の人がようやく気付くので(笑)。最初の一作が出たときに、自分はもう、こう、なんかもう次にまた同じようなの書いたら二番煎じやと思われるとか、思うんですけど、そんなの気にしないで、どうせ多分ほとんどの人気付いてない、そこらへんあんまり気にしないでわかりやすく行ったほうがいい、っていうのは、最初の頃、『四畳半』のときの担当の人が正しい。それはやっぱりそうやと思う。『太陽の塔』の次に、僕が全然違う作品を書いてたら、多分、『この人誰?』、どういうの書く人なのかわからない、だから『きつねのはなし』とかをちょこっと出したって、意外性もないし、そもそも、作風がよくわからない人っていうだけになってしまう。やっぱり読者の人に存在を知ってもらうのは大事。っていうのは今から振り返るとよくわかります。それは、あそこで人の言うこと聞いていてよかったっていう。あそこで『四畳半』を書かないと、自分はまだ腐れ大学生ものを書けるとは思わなかったから。もうちょっとその路線でがんばってみようという気にならなかったので、結局『乙女』も書いてないし…っていうことを考えると、やっぱりあのとき『四畳半』を書いててよかったなあと」
大石「ますますどんどん幅広い層に、今よりもっと知られるようになったら、また新しい境地に入ってみたいと思われますか」
森見「うーん、でもね、もう、腐れ大学生ものが、さすがにそろそろ厳しくなってきて…だから、もーう、そろそろ、もーう、いいかなあと」
大石「たとえば、あのー、京都以外の場所を舞台にするとか、そういう…」
森見「そういうのもあり、ですし、まあでもそこらへんも慎重に…少しずつ少しずつ…。僕はそんなに大胆に、がらっと変えるってことはあんまりしない。『きつね(のはなし)』のときも、結局京都が舞台だったりするので、どっかしら今までのところの片っぽう足を残しつつ、少しずつ移動してて、やっぱり様子を見てる。あんまり自分でもうまくいかんなあと思ったら引っ込められるように、なんとなくこう、用心しながら少しずつ広げるんですけど、まあでもそれで少しずつ移動していって、最終的に全然違うところまでうまく行ける。だから、『太陽の塔』が最初に出たときは、まさかこんな小説を書いた人が、『乙女』みたいな、なんかちょっと可愛らしいものを書くっていうのはあんまり思われなかっただろうし。まあだからそこらへんは、騙し騙し、少しずつ書いていけばいいのかなあー。あんまり急に変えるとまた読んでる人に見捨てられるかもしれないし(笑)まあ、そこらへんは少しずつ」

 

9◆『新釈走れメロス』うらばなし等々
大石「『新釈 走れメロス』の提案をなさったのは渡辺さんなんですよね」
渡辺「それは、そうですね。まあでも、ラインナップとかは森見さんに任せて、ほんとにざっくり、私は、こういうのにしませんか、って言っただけで。なのであとは、どの作品選ぶかとか、どういうふうに変えるかみたいなのは全部森見さんのアイディアです。私がお話させて頂いた時は森見さんの『腐れ大学生』が何作か出たあとで、もう『太陽の塔』も『四畳半』もあったので、+α、なにか要素を入れたいな、と思って、で、まあじゃあこういうのはどうですか、っていう提案を、させてもらった。そしたら私が考えていた以上のものが返ってきたので(笑)素晴らしい…」
大石「そこでどうしてああいう(『新釈 走れメロス 他四篇』のような本を作るという)アイディアを出されたのですか」
渡辺「まあなんとなく森見さんがそういうことをやったら面白いだろうなっていうのはあって。そういう、昔からある作品とかを、書き変えるみたいなことは、文学の世界だったら割とよくある話じゃないですか。それこそ太宰とかもやってるし、いろんな人がやってるんだけど、でもそれですごい成功してるときもあるし、逆に失敗したら目も当てられないだろうし(笑)。だからそんなにおいそれと、頼めるっていうネタではないなって思ってたんですけど、森見さんは本当に個性が強いんで、時を経て古典になっているような強い作品だったり、文豪、みたいな人の作品でも、森見さんくらい個性があれば、絶対、なにか違うものになるなっていう思いが、やっぱりあったので」
岡田「何かマーケティング的な意図があったわけではないんですか」
渡辺「マーケティング的な意図は全くないですね、最初には(笑)。それはないですね。作家さんと同じような感じで、本を作るときの出発点は、自分が読みたいとか、自分が面白いと思う、っていう、その感覚がないと、始められないので。で、まぁそれが大前提で、でもさらに会社の会議で通すには、『いや、あたしがこう思います』ってひとりよがりに言っただけでは、会議には通らないから、じゃあその説得材料として、やっぱりいろんな理由をあとづけでくっつけて。でまぁほんとに誰か一人が面白い、っていうふうに信じていれば、そのうしろに、百万人はなかなか難しいかもしれないけど、一万人くらいは同じこと考える人がいるかもしれない。自分が面白くないと思ってしまったら、そのうしろに誰もいないかもしれないですよね。まあそれはね、最初のスタート地点は、そういう感じ(笑)」
森見「でもまあ、『メロス』とかも、ねえ、『新釈 走れメロス』やから、まあ…引きついてくれますけど、『新釈 山月記』とかやったら(笑)」
(一同笑い)
森見「多分ねー、売れ行きはちょっと…落ちてるかもしれない(笑)」
渡辺「落ちてるかもしれないですね(笑)」
森見「タイトルを決めるとか、中の作品を選ぶときに、やっぱりちょっとは、考えてて、『(新釈)山月記』は絶対やめようと。で、『走れメロス』だって…やっぱり他にも書きなおしてみたい作品はあるんだけども、これはちょっとあまりにマニアックすぎる、自分が好きなだけかもしれない、とか、まあ他の人は知らないとか、いうようなものは、ちょっと遠慮しとこうかな、と、そういうようなことは考えてる。だからそれをマーケティングというんだったら、マーケティングだろうと」
大石「やっぱり根底にあるのは読者の方に楽しんでもらおうっていうことですよね」
森見「あわよくば自分も楽しみつつ読者の人を楽しませる、っていう、両方得することができるラインをうまく探すという。まあ『山月記』とか『メロス』は行けるだろうっていう自信があった…と言うと、あれですけど、なんとなく行けそうだっていう。で、本のタイトルを決めるときには、やっぱり、できるだけみんなが知ってるタイトルを。だから別に中身が全部『メロス』とかそういうわけじゃないけど、誰もが本屋でぱっと見たときに、どういう内容の本かっていうのがすぐわかるには、やっぱり『新釈 走れメロス』というタイトルが一番いい。…そうだ、あれはタイトルがなかなか決められなくて」
渡辺「タイトル決める時は結構な長電話になりましたよね(笑)」
大石「ちなみに、どんな候補があったんですか」
森見「『四畳半日本文学なんたら』とか」
渡辺「そうそうそう!『四畳半近代日本文学案内』(笑)」
森見「絶対、絶対ダメや(笑)」
(一同、爆笑)
森見「結局もう、渡辺さんにおまかせした」
渡辺「いや、最終的に、森見さんにもう何個か案を出してもらって、本当に原題をそのまま使ってやるか、それとも『四畳半近代日本文学案内』的なサブタイトルをつけるか、っていうので…結構、一か月近くくらい悩んだですかね、最初に考え始めてから」
森見「元々ないものにタイトルをつけるのは本当に難しくて、タイトルが先にあれば簡単」
渡辺「ね、そうですね。まあでも確かにあれはマーケティングといえばマーケティングですね(笑)。そう、だからスタート地点は確かに『これやったら面白いだろうな』っていう、個人的な信念からだけど、まぁ、一応、出版社なので、買ってもらって、売り上げ出さないと、私たちもお給料が出ないので(笑)。やっぱりだからこういう面白いテーマを読んでもらいたいなって思ったら、じゃあどうするのか、みたいなところは、みんなで考えて、やっていく」
廣安「実際うちの親も、『新釈 走れメロス』を、よく、わけもわからず、メロスだからいっか、みたいな感じで買ってきてました(笑)」
渡辺「それは…それはすごく嬉しいですけど」
森見「騙し討ちみたいな」
(一同、笑い)

 

10◆表紙・デザインへのこだわり
大石「森見さんの本の表紙が私すごく好きなんですよ。で、私が初めて森見さんの作品に出会ったのも、あの(『夜は短し歩けよ乙女』の)中村佑介さんの表紙で、そういう表紙のデザインに関しても、同じような意図を持っていらっしゃるんですか」
森見「いや、表紙のデザインは僕はノータッチなので何も知らない。こういうふうにしてくださいとも基本言わない」
大石「それはもう、森見さんからなにか要望を出す、ということもないんですか」
森見「まあ、ゲラが終わった段階で僕はもう終わったと思ってるので、あとはもうすくすく育っていく、人の手によって育てられていく。まあ、毎回そうなんですよ、どの本もそう。自分でこういうふうな本にしてください、と言うんじゃなくて、そっから先はもう編集者の方の腕の見せどころなので、あんまり自分は首を突っ込まない」
渡辺「そういう人の方が売れます!(断言)もちろん、今回の作品にはこのイラストしかあり得ない、この写真しかない! と著者の方が考えている場合もあるし、それと作るほう(編集)の意見がたまたま一致すればいいですけど、やっぱり作品が人に読まれるとなったときには、いろんな見方がありますよね。あんまりイメージを固定しすぎちゃうと、ちょっと物事を一面的に見すぎてしまうというか。やっぱりそこで、他の人の客観的な視点をいろいろ入れて…だから私たちも、著者の方に『こんな感じにしようと思ってます』とかいうのももちろんお聞きするし、あとは、営業の担当者とかと社内でもいろいろ話し合うし、それはもう本当に商品を作るのと一緒だから、こっちがいいかあっちがいいかっていうのを徹底的に話し合っている」
森見「僕の専門のお仕事というのは、要するに文章を書いて、話を作る部分までであって、本を作るっていうのは、プロじゃないので、僕はあんまり偉そうなことは言えない(笑)それはもう、そこにくると作ってる側の人間ではなくて僕は本屋さんで本を買う側の人間なので、そこはもう…お任せします(笑)」
大石「こだわりも特に持っていらっしゃらないんですか」
森見「いや、でも、どうだろう。こだわり…あるのかなあ」
大石「たとえば、表紙の絵が、あまりにも細かすぎて作品と喧嘩しちゃってるとか、そういうことがあったら嫌だとか…」
森見「あったら、もしかしたら反対するかもしれないけど、今まであんまりそんなことがなかったので。でもちょっとこれ可愛すぎるんじゃないかとか思うこととか、『乙女』とか」
大石「『宵山万華鏡』とか…」
森見「いや、『宵山万華鏡』はそんなに違和感なかったんですけど、『夜は短し』を最初見たときに、ちょっとお洒落過ぎると思って(笑)。僕…それまで『太陽の塔』とか『四畳半』とか書いてたのに、なんか『夜は短し』はすごいお洒落な表紙で。すごい良いなと思ったんですけど、でも、いやいやこれはちょっとお洒落すぎるやろと思って。でも、お洒落すぎるって言ってNOは出さないので(笑)まあ…いいんじゃないでしょうか! ただ、もしかしたら、戦うべき事態に至ってないだけで、たまたま今まで幸運だっただけかもしれない。まあだからそんなに毎回、失望する、これはまずいと思う、ってことはなぜかなかった。あんまり編集者の人とかと作品に対して具体的に、大きくずれてるってことがないから。単純に僕の担当の方々がみなさん優秀なので…(笑)」
渡辺「(笑)。まあでも確かに、そういうふうに『うわこれで来たか!』っていうのはないですもんね。やっぱりねえ、本によっては、『何だコレは!』っていうのも、もちろん世の中にはあったりはしますけど(笑)森見さんのは幸い、ね、今までそういうケースがなかったっていう」
森見「まあでも僕が小説を書いて装丁まで考えるなんてもうやってられませんよ(笑)。僕にそこまでの能力はない…(笑)」
渡辺「あとは、森見さんの場合は原稿の段階で既に作品の完成度が本当に高い。それに世界観もはっきりしているので、装丁のイメージが膨らませやすいんです。いずれにせよ編集者としては、原稿を書くという作業は著者の方にしかできないことで、そこだけは何をどうしても他の人は引き受けられない部分なので、それぞれ役割分担していい物を作りましょう、という気持ちはあります。編集者は、本作りはお手伝いできても、小説を一から創り上げることはできない」

 

11◆小説は間にありてつつくもの
廣安「話の展開について、編集の方がアイディアを出したりとかはしないんですか」
渡辺「あ、それはもちろんそういうケースもあります」
大石「それに関してはどう思われますか。自分の望んでいない方向に独り歩きしているように思ったりとか」
森見「それはだって、もし自分の望んでいない方向のアイディアが出ても採用しないですからね。でもあんまり、そんなにこう、この先の話がわからないから考えてください、って編集者の人に頼むようなわけではなくて(笑)。僕あんまり相談しないほうだとは思うんですけど、僕の場合はたいていはとりあえず作ってみる。それを見て、相談しましょう、的な感じになってそこから始まる。まあ『メロス』とかにしても、大雑把に『まあこんな感じで行きますわー』と最初決めて、で、とりあえず書いて、で、まあ渡辺さんに見せて、相談する。なんか僕、自分が小説家になる前は、自分の小説を人に読ませるっていうのがすごい恥ずかしくて。しかもその小説について、ここは間違ってますねとか、ここはもうちょっとこうしたほうがいいですよ、なんて言われるなんていうのはスッゴイ恥ずかしいことだと思ってて。でも、小説っていうのは、できてしまった「モノ」なんですよね。こう、自分っていうよりも、もっとなんかこうニュートラルというか。ゴロンとこう、目の前にとりあえず出てきたっていう。それを、編集者の人たちと間に挟んで、いろいろ考えるわけですよ。で、そのときに、編集者の人が、この小説について、ここはこうだとかああだとか言わはっても、それは僕に向かって言われてるんではなくて、二人の間にあるコイツに言ってるっていう。それが、小説家になるまでわかんなかった。人に、編集者の人とかに見せて、なんか言われるっていうのは自分があれこれ言われるんやって思ってたんですよ。だけど、今の僕にとっては、とりあえず作ってみた小説を編集者の人と二人で端から見て、あっちこっちつついてる感じ」
大石「それはもう、『太陽の塔』を出されたときから、そうなんですか」
森見「いや、『太陽の塔』のときはまだそんな感じじゃなかったですね」
大石「ターニングポイントは?」
森見「それはもう、多分『四畳半』ですね。『太陽の塔』は、書いてたときはとにかく一人で書いてて、いきなり編集者にポンと渡す。で、『太陽の塔』についてあれこれ言われるのは恥ずかしくて嫌だったんですけど、『四畳半』のあたりから、もう『四畳半』も結局とりあえずうわーっとこう作って、で、できたので、見てください、って感じで相談して。そういう意味では恥ずかしくなくなったというか。書いてるときは結構いろいろのめり込んでたりするんだけど、いっぺんできてしまうと、もっと客観的になって、ここはああしたほうがいいんじゃないかとか、ここは余計なんじゃないかとか、それができるようになったというか。なかなか、そこは全然、自分が大学生とか高校生とかのときにイメージしてた小説家っていうのとはちょっと違う。そうじゃないと編集者の人と相談するたびに恥ずかしくて仕方がないと思う(笑)」
大石「自分に対して言われているように思う、人格を否定されているように思う、ということですか」
森見「でもね、やっぱりそれは、今でもちょっと余韻で残っていて。やっぱり完璧にニュートラルにはなれないので、読者の人に面白くないって言われたらちょっとビミョーな気持ちになるじゃないですか。やっぱそれは、ある程度は残ってるわけだけど、まあ編集者と相談するときは、あんまりそのあたりは気にならない(笑)」

 

【後編に続く】

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