2009年11月10日、僕らは日雇い労働者の町・山谷へ行った。
午後7時ごろ、南千住の駅へ降り立つ。
どんな地獄が、非日常が、僕らを待っているのだろう。胸が高鳴る。
駅へ降り立ち、ドキドキしながらひっそりとした山谷の町へ歩みを進める。
しかし期待に反して、山谷の町は今では開発が進んでいてきれいなものだった
。
こじゃれた喫茶店もあれば新築のファミリーマンションだってある。それらしいものと言えば多少の簡易旅館くらいか。それだって簡易旅館とは名ばかりでビジネスホテルと言ってもいいようなきれいなものだ。ホームレスもいるにはいるが、よそでみるのと別段変わりないし血色も悪くない。まぁ若干数が多いくらい。
僕の地元である大阪の方がずっとひどいもんだ。
スラムと言えば、何度か大阪の「あいりん地区」へ行ったことがあるが、はるかに劣悪だった。駅を降りるとむっと鼻を突く、すえた酒と小便のにおい。コンビニのトイレでは「注射器を捨てるな」との張り紙があり、便器のそばには白い粉の残ったパケが捨ててある。自販機では缶コーヒーが40円で売られ、数百円で泊まれる簡易旅館が軒を連ねる。ガラクタを売る路上市場のはずれでは老女が道端で座り小便をしている。
なんだ、山谷、大したことないじゃないか。
退屈だな。そう思った。退屈だな、と。
ここまで読まれたら、皆さんはまず違和感を持たれているはずである。
なんだ、こいつは?怖いものみたさだけで山谷に行ったのか?大阪のあいりん地区の方がひどいだ?珍しい体験してるって自己顕示したいだけじゃないか。結局、こいつは日雇い労働者の街・山谷に行ったんだっていう箔を付けたかっただけじゃないのか。
ホームレスの方々へ血色も悪くないだと?なんて言いぐさだ。彼らは人間だぞ。勝手にものみたいに値ぶみじみたマネしやがって。何様のつもりだ。
そう思われたのではないだろうか。
あえて、そういう角が立つ書き方をした。
僕の人間性が疑われるかもしれない。しかし実際、当初の僕の率直な感想は、つまるところ上で書いたようなものだったのである。
つまり、非日常的な刺激、珍しい体験をしたという経験、話題のネタ。そうしたものが欲しくて山谷に行ったのだ。
なんという自己中心的思考!同じ人間である他者の苦境を自己満足・自己顕示の道具として利用する自己中心主義!自分の心ながらおぞましい。
何より最悪なのは、そうしたドロドロした心情を「貧困の現場を直視することで貧困について考えるきっかけ・土台を作る」といったきれいごとのオブラートでつつみこみ、あたかも世のため人のために高尚な活動をしているかのように欺いていたことだ。それも他者をではない。自分自身を、である。
僕は山谷に行って何を得られたのだろうか。
このフィールドワークの数日前、友人に本企画の概要について話すと、「何、その上から目線!?」と軽蔑と困惑が入り混じったような反応をされた。
そういった活動の意図するところは結局、「かわいそうな人に善意で恵んであげる」ことで「慈悲深い自分」に酔うことではないのか、偽善ではないのか、と友人は言った。
この言葉が胸につかえていた。山谷を歩きながら悶々と考えていた。
その晩、ある男性に「青二才が!気安くヤマ来んじゃねぇ!」とどなられた。
愛想よく対応してくれる人がいたので気を良くして彼らの生活について質問していると、そばにいた人に「おめぇ、一体何が言いたいんだ?」とすごまれた。
彼らの顔は怒りで紅潮し、ぶるぶると震えていた。
僕は罪悪感でいっぱいになった。怒鳴られて怖気づいたからではない。自分の自己中心性にようやく気付いたからである。
行動しない善より行動する偽善とはよく言われる。しかし果たして福祉はそうした消極的な偽善に帰着するべきなのだろうか。僕はそうは思わない。
本企画の核には「他者への共感」があるが、福祉も本来、共感に基づくものだろう。
共感を持つことが第一歩なのだ。共感があってこその福祉だ。
動物園でも見るような気分で山谷に行った自分に決定的に欠けていたもの。それは他者へ共感を持とうとする姿勢だったのだ。
それでは、その人と人とを人間的に近づける共感のきっかけになるものとはなんだろう。僕はそれは「対話」だと感じる。
そしてやはり、山谷の福祉センターには「人生、家族、日々の悩み、どんなことでも話聞きます」と書かれた看板があった。
人を救うのは衣食住の支援だけではない。他者に自分を理解してもらい、一人の人間として尊重してもらうことが、必要不可欠だ。
人に興味を持ち、共感すること。独りよがりにならないために、他者といきていくために、必須だろう。無関心が人を殺すのだ。
貧しい人に対して、モノとしてではなく人間として近付く第一歩は対話なのかもしれない。
山谷に行ってそんなことを思った。