三鷹国際学生宿舎で行ったアンケートから分かったことは、結局なんだったのか。
ひとつは、経済力が無くとも東京大学に進学は不可能ではないということである。アンケートの回答を見ると、親の収入の中央値が200万円から400万円の間にあった。サラリーマン(若者独身も含む!)の平均年収が400万円台中盤、40代50代の平均年収が500万円台後半であることを考えれば、かなりの低所得であるといえる。そういった家庭から東京大学に進学する学生がいるか、いないかの話で言えば、少なくとも2桁の人数は「居る」ことが明らかになった。
東京大学に進学するということは、入学試験の難易度から大学進学以前の教育費の問題として語られることが多い。しかし、東京で親元を離れて一人暮らしをしながら勉学に励む金銭的コストは莫大である。そのために東京大学で学びたいと考えても、そもそも東京での生活自体ままならないことが考えられる。
しかし、今回のアンケートでかなり親の経済力が弱い学生の存在が認められた。授業料免除や大学の宿舎、奨学金(給与・貸与)、アルバイトなどを駆使することで、親にあまり頼らずに大学生活を送ることができる。これが二つ目にわかったことである。
ただし、個人の努力には限度がある。2008年度から東京大学は授業料免除制度を大幅に拡充した。これの恩恵をかなりの学生が受けていることも分かった。同時に、それでも生活が苦しいと感じている学生が、授業料免除や奨学金の恩恵を受けられない学生が、一定数存在する。生活が苦しいと感じている学生は、セーフティネットが働く超低所得者よりも、むしろ中程度の所得の家庭に多いことがわかった。これが三つ目である。
ここで、2009年7月31日の朝日新聞を引用する。
年収200万円未満の家庭の高校生の4年制大学進学率は3割に満たず、一方で1200万円以上の家庭では倍以上の6割強に――。東京大学の大学経営・政策研究センターが調査したところ、保護者の収入が多くなるほど右肩上がりに大学進学率が高くなることが確認された。国公立大では所得による差はあまりないが、私立大への進学で大きな差がついていた。
子どもの受ける教育や進学率が、親の所得差によって影響され、「教育格差」につながっているとして社会問題化している。調査は、こうした実態を探るためで、05年度に全国の高校3年生約4千人を抽出して3年間追跡した。保護者から聞き取った年収を200万円未満から1200万円以上まで七つに区分し、進路との関係をみた。
それによると、最も低い200万円未満の層の4年制大学への進学率は28.2%。600万円以上800万円未満は49.4%、800万円以上1千万円未満は54.8%、1200万円以上だと62.8%に至った。
進学先をみると、国公立大は年収600万円未満はどの層も10%強、1200万円以上でも12%強と大きな差はない。他方、私大進学の差は顕著で、200万円未満は17.6%、600万円以上800万円未満は36.8%。1200万円以上では50.5%で、200万円未満の2.9倍になった。
現在進行中のいわゆる格差拡大によって、このような教育格差が顕著になり、金持ちの子供は金持ちに、貧乏人の子供は貧乏になる可能性が高まる恐れがある。大学は「受益者負担論」によって金持ちの贅沢のごとく語られるが、大学入試では純粋に能力によって選別が行われるため、基本的には経済的弱者にも開かれたものである。いま引用した記事は親の経済力が大学進学率を大きく左右していることを述べていた。大学を卒業した者とそうでない者の間に生涯に渡って大きな経済格差が生じることが知られている。つまり、十代後半という人生の早い段階で経済格差が固定されることになる。
大卒-高卒間の生涯賃金格差は変わるべくもないだろう。しかし、大学までの教育に必要な個人の支出は社会的な変革により減らすことが可能である。公立高等学校の授業料無償化を公約とした民主党が衆議院選挙で大勝したことは記憶に新しい。義務教育でないからといって見過ごされてきた高校、大学の教育を受ける権利を無視していては、現実に存在する経済格差を克服することはできない。しかし、高校、大学を格差を是正する装置として捉え直したとき、学校教育システムは努力すれば報われる希望の場となり得る。
このレポートでは、現在の制度の下であっても東京大学において少なくとも数十人のレベルで、経済的弱者に分類されうる学生が存在していることを明らかにした。現行制度下でもある程度の人数を親の経済力に依らず大学へ送り込むだけの能力が日本の社会には備わっている。ただし、その数は不足していて、さらに支援制度の存在がほとんど知られていないだけである。