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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2009.7.13 | by admin

同じものなのに、人によって違う!?

同じものなのに、人によって違う!?

伊藤さん 例えば、自分なりにコップを頭の中に思い浮かべてください。

僕たちは言われるままに筒状のガラスを思い浮かべた。デザインこそ違えど、それは共通して液体を入れる器だ。

伊藤さん では次に、「自由」を思い描いてみてください。「平等」を描いてみてください。「平和」を描いてください。

なるほど抽象概念を描いてみてもコップや机のように隣の人と同じものには行きつかない。

視覚的にもわかりやすかった。

伊藤さん 「平等な社会を作りましょう」といった時、皆さんの中に違う「平等」が浮かんでしまうかもしれない。こういう目に見えないものをフレーズとしてあるいはキャッチコピーとして投げかけたとき、それぞれ違う受け取り方をしてしまうかもしれない。「平等」という言葉は本当にそうで、モノサシを決めない限り測れないんです。「みんな一律5%の消費税をとりましょう」。これも平等ですし、「いや、お金持ちからは10%、持ってない人からは1%でいいよ」というこれだって平等かもしれない。何かしらその人なりの前提を提示しない限り本来は共有できないんです。言葉というのは、僕らは普段何気なく使っているかもしれないけれど、それをとにかくすり合わせる。もしくは僕の「平等」ってこういう前提でつかっていますよ、ということをちゃんと提示していかないと本当の意味で「伝えたいことが伝わる」ということにはなっていかないんだと思っています。この「言葉に敏感になる」ということが相手と前提を共有していく作業だと思っています。今日まさに僕は「僕にとってのコミュニケーションとは何なのか」ということをこれだけの時間をかけてみなさんに提示しました。おそらく違う考え方もあるでしょうし、もっとこれにプラスできるアイディアもあるかも知れませんが、コミュニケーションという言葉に対する僕の前提というものをみなさんに提示したことになります。

相手と前提を共有するために言葉に敏感になる。それは現代のメディアを読み解くためのヒントでもある。

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