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2009.5.19 | by admin

『情報都市論』(西垣通ほか NTT出版,2002)

 

 『情報都市論』を読了。
最近、都市論や都市表象分析に興味があるので読んでみた。かなり装丁に金のかかった本だ。オムニバス的に構成されているため、一章ずつ概観する方が良いだろう。
 
 一人目の古谷誠章の「ハイパー・スパイラル」考想には、いきなり圧倒された。
建築を鉛直方向に伸ばすのではなく、斜め上方に延伸できるような構造を取る事で拡張しやすくし、人間の移動にあたっても、鉛直方向ではなく水平方向への移動という性格を強める。地上高くまで展開された二重らせん構造の建築など、考えてみたこともなかった。だが、これは本当に安全なのだろうか。技術的な安全性は専門家に任せよう。問題は、精神的な安全性にある。もし僕がこの建築のユーザーなら、正直恐怖を抱かずにはいられまい。「これで暮らしてみて下さい。」などというテスターのバイトがあったら、相当条件が美味しくても遠慮したいと思う。これは、いわばジェットコースターの路線の上に暮らしているようなものだ。下を支えている柱、下を支える階、下を支える骨組が意識されるからこそ、我々は近代の高層建築に暮らし得たのではないか?とはいえ我々は最初から高層建築に親しんでいたわけではない。ならば同様に、この新しい形に慣れる日がいつか来るのだろうか。
 
 ニ章の松葉一清「ウェブシティーを目指して」ではパサージュからストリップへの流れが示され、「ウェブシティー」という新たな都市にまつわる試論が展開されている。一つだけ言いたいのは、飯田橋のウェブフレーム(大江戸線の緑の配管です)について「自立的に伸長したと一目で分かる」とあるが、少なくとも僕は「自立的に伸長した」ものだとは分からなかった。
 
 三章の山田雅夫は「都市は拡張するのか、それともコンパクト化に向かうのか」で、情報化が都市という空間にどのような影響を及ぼすかを考察しつつ、電子地図やCADの普及によって、「都市を俯瞰する視点」が市民レベルで共有できるようになったことを説く。面白かったのは、東京から見て300キロの円の上(東京から片道ニ時間程度の行動範囲)にこそ立地の優位性が生まれてきており、そこに位置する都市が広域鉄道網の結節点、結節点都市と考えられるということ。このような都市は見方によっては東京の一部と呼んで差支えないと筆者は言う。ちなみに以上に該当するような都市は、具体的には仙台、名古屋、新潟である。
 
 四章の石川英輔は、「江戸の生活と流通・通信事情」で江戸の都市事情を描く。中でも、情報伝達の中心は飛脚であったが情報量が増えると手紙を送るようになった、という指摘は、当たり前ながら見逃せないものである。
 
 五章の北川高嗣は「新世代情報都市のヴィジョン」と題して、今後メディアがもたらす街づくりへの寄与の可能性を考察している。個人的には、その可能性の考察より「コルビュジェの近代建築の五原則」や、ニュートン的世界観に対立する世界観としてのマンデルブローのフラクタル理論、ムーアの法則やメトカーフの法則といった知識事項を吸収するのに良いセクションだったと感じる。著者自身もあとがきで書いているが、文章と文章の繋がりや連関が薄く、幾分箇条書き的である点で、この章はやや読みづらい。
 
 六章の隈研吾は「リアルスペースとサイバースペースの接合に向けて」の中で「建築物を消去した建築」について語っている。ゾーニングでもシルエットでもなく床への書き込みによって、外部を内部へ取り込み内部を外部へ流出させるという試みは、隈研吾の仕事に通底するものだと思う(岩波新書「自然な建築」を読んでもそれが見て取れる)が、これにはいつも興味を惹かれる。何より、隈は文章が上手い。一つ気になったのは「20世紀とは室内の時代でありハコモノの時代であった」のくだり。モード、とりわけ女のモードの歴史について集中的に調べていた時に、「女にとって19世紀は室内の時代であった」というフレーズを見つけたことがあるだけに一瞬違和感を感じた。(確かベンヤミンのテクストか何かだったと思うが)ここで隈が言う「室内の時代」は19世紀、女が社会的に押し込められていたものとはまた異なり、建築されたオブジェクトによる人間の「構造的押し込め」であったと理解するべきであろう。
 
 第七章の若林幹夫「情報都市は存在するか?」は大変参考になるセクションだった。マクルーハンとヴィリリオのテクストを手がかりに情報都市のヴィジョンを双方の視点から議論にかける。議論の過程で取り上げられる首都と都市の違い、電話というメディアの両義的性格(遠さと近さ)などにはハッとさせられた。
 
 西垣通による第八章「ブロードバンド時代の都市空間」は、アクロバティックな芸当が見られる章である。今まで挙げた論者たちの論考・主張を満遍なく用いて本書のまとめを構成している。軸になっているのは「ツリーからリゾームへ/定住からノマドへ」(これはドゥルーズを彷彿とさせる)、「ユビキタスとコンパクト化」の二つである。この本の書き手はみな立場を微妙に(あるいは大きく)異にしているにも関わらず、それら多様な意見を上手く集約させて「まとめ」を書いてしまう筆力は凄い。得る物の多い本であった。

                                              

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