NINS取材旅行記0902 松沢哲郎先生@京大霊長類研究所
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9月2日
「天才チンパンジー、アイちゃん」20年も生きていれば一度は耳にしたことがある名前だろう。今日はそのアイちゃんの研究をしている松沢哲郎先生の取材だ。
京都大学霊長類研究所は愛知県犬山市にある。犬山は岐阜県との境界だ。犬山城の現存天守や明治村、リトルワールド、日本モンキーパークなど、愛知県民なら誰でも知っているような場所ではあるが、全国的には知られていないと思う。NINSには関係ないけれども、明治村は一見の価値ありですよ。
愛知県の東の方にある実家を出たのが午前6時30分。JR東海道線、名鉄犬山線を経由して、8時30分には霊長類研究所に到着した。研究所の前で「どうして集合時刻がこんなに早いのだろう」なんて思っていたら、松沢先生がさわやかに現れた。
“天才”チンパンジーアイちゃんとその息子アユムは毎日午前9時に勉強部屋と呼ばれる実験室にやってくる。彼らの勉強風景—実験の様子—を見せてくださるという計らいから、集合時刻が早かったわけだ。
チンパンジーの居住エリアに入るには、体温チェックと消毒、マスクの着用が求められる。いま流行の新型インフルエンザがチンパンジー達に広がらない様にするためだ。履物を換え、勉強部屋に向かう。
勉強部屋で待っていると、まずはアイが入ってきた。興奮しているようで、体毛が逆立っている。鳥肌みたいだ。そこに松沢先生が近寄ってあいさつをすると、アイの鳥肌はおさまり静かになった。
いま「鳥肌みたいだ」と書いたが、アイを初めて生で見て思ったのは「人間みたいだ」ということだ。体毛と色、顔つきが若干異なるが、一見すればヒトとかなり外見的にも似通っている。直立二足歩行だし。いきなり「大きなサル」から「人ならざるヒト」へと私の中のチンパンジー像が変わってしまった。
次にアユムが入ってきて、勉強がスタートする。NHKスペシャルで見た一瞬だけ表示される数字を記憶して、小さい順でタッチパネルを押していくという課題だった。数字が表示されるのはほんの一瞬で、私にはできるかどうか自信がない。実は、すでにこの能力ではヒトよりチンパンジーの方が優れていることが研究で示されている。
人間こそが地球上全ての生物の中で最も高等である。このような考え方がいわゆる文明的な社会では一般的ではないだろうか。他の動物は言葉がしゃべれない、道具を使えない、社会や文化を持たない。実際のところを調べた訳でもないが、自分の知っている光景から都合のいいような言説を生み出し、妄信することで定着してしまったのが、前述の人間中心的自然観だろう。この自己中心的な考え方は、注意深く他者を見つめる科学者たちの突きつける事実の前に崩れ落ちる。
例えば道具の使用。ヒト以外の動物が道具を使うことは小学校の国語の教科書にも載るくらい知られた(そして人々の思い込みに反した)ことである。チンパンジーともなれば、道具を作製して使用することもできる。大き目の石をもうひとつの石を使って叩き割って、手ごろなサイズに直したあとでハンマーとして用いるということもできる。これは打製石器といえるだろう。道具を作れるのはホモ・サピエンスだけではないのだ。また、チンパンジーが棒を使って巣穴の中のアリを釣って食べることが知られているが、違う地域のチンパンジーはアリを捕まえるのに道具を用いなかったりする。また、チンパンジーは音声言語(人間の言語ほど自由度はない)も使っている。取材の最中に松沢先生が遠くの仲間を呼ぶチンパンジー語(?)で叫ぶと、遠くのチンパンジーたちが返答をしていた。アフリカの野生チンパンジーの集団では、その叫び声も集団によって異なるという話だ。遺伝子に規定されていない何かがチンパンジー集団の中で継承されているのではなかろうか。我々は人間の持つそのようなものを文化と呼んでいる。
人間は音声言語を高度に発達させてきた。これを以って高等な動物は音声言語を操れて然るべき、という考え方も前述のジコチュー思考の一部である。チンパンジーに人間の言語を習得させようという試みは多くなされていて、特に手話などの視覚的言語をよく操れることがわかっているそうだ。チンパンジーの視覚処理は、最初に書いた勉強風景でも現れているように、人間とは異なっていて、そのため人間より優れた結果を出すタスクも存在する。
一瞬で目の前に現れたものを認識・記憶して対応するというのが私たちが見たタスクだったが、他人の顔を認識する時間を調べた研究もおもしろい結果が出ている。回転させた顔写真を提示して、その認識にかかる時間を調べるという実験だ。人間にこのタスクをやらせると、回転の角度が増すにつれて認識にかかる時間が増えていき、180度回転、つまり倒立の画像を見たときにもっとも時間がかかることがわかった。一方で、チンパンジーも画像の回転角度が増えるにつれて認識にかかる時間は増大するのだが、一番時間がかかるのは90度回転のときで、そこから認識にかかる時間は減少し、倒立、180度回転では回転していない正立の画像と同じ時間しかかからなかった。つまり、チンパンジーは上下の視覚的認識が人間とまったく異なるのだ!
森の中で樹上から地面まで3次元的に動き回るチンパンジーに対して、森から出て草原で暮らし始めた人間。進化の過程が見えてくるような結果である。
進化の産物としてヒトを見つめようとすれば、どうしても同じ先祖を持つ近縁の種との比較が必要になる。こういう能力はいつ生まれたのか、こういう構造はいつ生まれたのか、ということを探っていけば、ヒトの進化の歴史を見ることができる。数万年前だったらネアンデルタール人がまだいただろうが、絶滅してしまった。すると、次に近い種はチンパンジーやボノボ、次はゴリラ、・・・とヒトに近い霊長類の仲間たちを研究することで、結局ヒトという動物について知ることができるのだ。『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という問いに答えるには、ヒト、現在だけを見ていてはダメなのだ。チンパンジーが道具も使えば直立二足歩行もできることがわかってしまったら、人間の特徴とは何になるのか。
歴史を振り返れば、人間の持つ人間への興味というのは小さくない。チンパンジーなどの他者を知ることで、より自身を知ることが分かったとしたら、人間の興味がそちらに向くことも当然だろう。ただ、その知りたい他者、チンパンジーやボノボ、ゴリラなどのヒトと同じ霊長類の仲間たちは、人間の開発経済によって絶滅の危機に追いやられている。人間は狭い地球上で一人ぼっちになろうとしている。失われたものは二度と蘇らないことを考えると、チンパンジーの生活環境を本気で守らないと、人間は自分自身がわからなくなってしまうかもしれない。けっこう危ないことだと私は思う。
どうしてアイは「”天才”チンパンジー」と呼ばれるのだろうか。アイだけが特別だ、その息子アユムも特別だ。特別な天才だから、あんなヒトの真似事ができるのだ。そういう人間の浅はかな思い込みが、彼女を天才と呼ばせているのだろう。霊長類研究所は何もアイとアユムしか居ないわけじゃない。人間はチンパンジーすべてを天才と呼ぶか、自己中心的思い込みを諦めるか。私は後者を選びたい。