具体的な学長選考過程を考えていく前に、 発端となったと考えられる国立大学法人化がなぜ起こったのか、 について簡単なまとめを書いておきたい。
そもそもの発端は1996年に第二次橋本龍太郎内閣が成立し、 行政改革を提唱したところに始まる。
この行政改革では、肥大化した国家組織の改編による、 効率的な政府の実現が第一に目指された。
「官から民へ」、「国から地方へ」、 「行政機能のアウトソーシングによるスリム化」と などといったスローガンは、政治経済や現代社会、 日本史を選択した受験生ならおなじみの言葉のはずだ。
この行政改革の一環として独立行政法人という法人格が設置された。
この「独立行政法人」というのは、 各府省の行政活動のうちから、国自らがやるまではないまでも、 民間に任せるわけにはいかず、単一の組織で実行すべきものに、 法人格を与えて効率的・効果的に実行させるものである。
たとえばセンター試験を作っている独立行政法人大学入試センターは、 共通第一次学力試験、通称共通一次を実施するために、 1977年文部省に設置された大学入試センターが、 1999年に独立行政法人化されたものだ。
その流れで、文部省の一部門であった国立大学も、 独立行政法人化の対象として議論の俎上に上ることとなった。
この橋本内閣における行政改革の議論の主要な担い手は、 総理大臣直属におかれた行政改革会議であったが、 そこでは、国立大学の民営化まで含めたドラスティックな議論も展開された。
しかし、各国立大学などから反対意見が噴出したため、 行政改革会議は最終報告において、 国立大学の独立行政法人化も選択肢には入るものの、 大学改革は長期的に検討しなければならない問題であるため、 早急な決定は避けるとした。
その後2000年には、文部省に、 「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」が設置された。
その議論の過程で、各大学ごとに法人格を付与すること、 また、国立大学という総称が人口に膾炙しており、 大学教育及び学術研究を主体的に展開する法人としての性格を反映させるため、 「国立大学法人」という独自の法人格を付与することが決定された。
2002年、国立大学法人化を促す閣議決定を経て、 2003年2月には国立大学法人法など関係6法が国会に提出され、 同年7月に成立、10月に施行された。
そして、2004年、全国の国立大学が法人化された。
これが大体のアウトラインである。
もちろんさらに詳しく込み入った議論が、 それぞれの会議や審議会で展開されていたのだが、 それらには個別の事象を語るときに言及することにする。