S 大学を卒業された後、翻訳会社をお立ち上げになりましたよね?
内田 ずいぶん飛びましたね(笑) それは27歳の時でしたけどね。
S そこに至るまでの経緯がすごく気になっていまして…そもそも何で会社を立ち上げようと?
内田 それはね、話せば長いことながら、というかですね。大学の3年ぐらいの時に翻訳のバイトをしてたんですよ。その頃は英語ができるという評判だったんで(笑) 色々と仕事をやってました。結構みんな貧乏だったから相互支援のネットワークがありましてですね、あいつ最近食うに困ってるらしいって聞いたらじゃあ何かバイト探してやろうっていうんで、みんな次々に持ってくるんですよ。そのときはいろんなバイトやってました。ラジオ放送の台本書いたりとか、翻訳の下訳やったりとか、出版社いくつも紹介してもらったりして。それで仕事をしてるうちに、友達に翻訳会社でインハウス・トランスレーターをやっている子がいて、その子が自分探しの旅へ出ると言い出しましてね。中近東のほうに行ってパレスチナ・ゲリラに参加しようと思うって言って(笑)。でもやめちゃ困るって言われたらしくて、それで、いい奴がいますから、というわけで「内田、お前俺の代わりに入ってくれ」と頼まれて。割と条件のいい翻訳会社のバイトだった。そこに入ってトランスレーターをやって、それからデリバリーボーイもやって、わりとあれこれやっていた。結構高いペイだったので、ありがとう、って思ってやっていました。
それが1976年、77年くらいだったんですがまだ日本は高度成長期のギュンギュン勢いのある頃で、総合商社っていうところが世界中に事業を展開していた。それでもうとにかく火力発電所とかドックとか地下鉄一式とかね、とんでもないスケールのプロジェクトがじゃんじゃかじゃんじゃか来るわけよ。それでものすごい量のドキュメントが、ダンボール何箱っていう量のドキュメントが発生してて、翻訳をキロでやるっていうような時代だった。もう猫の手も借りたいっていう感じでどんどんやっていって、とにかく人手が足りないからもっと他にいないか、ということで友達を次々紹介して。それで友達が5人も6人も入ってきて会社の規模も大きくなっていく、ということがありました。そのあとしばらくそこから離れていたんだけどね。そのうち僕が紹介した友達たちがその会社から一斉に独立して別の会社を作るっていうことになって、「もとはと言えば内田が紹介してくれた仕事なんだからお前もやらない?」っていってきた。だから、やろうやろうって―何を言われてもすぐやろうやろうって言ってましたが(笑)―それが26の時ですね。
G そこで得られた経験っていうのは、その後の内田先生の人生にどのような影響を与えましたか?
内田 やっぱり、すごくよかったと思いますよ。25、6くらいの若造が自分で会社を始める、なんのバックもない資金力もないネットワークもないコネもないっていう状況で。それがビジネス最前線、最もホットなところに突っ込んでいったわけだから。そこしか仕事がないわけですよね。でもそこではものすごく巨大な仕事が発生している。で、そこに突っ込んでいったので、普通だったらなかなか経験できないような、いろんな商社とかメーカーのアツアツのフロントラインで仕事をするっていうことがありまして。あの、それまでやっぱりサラリーマンっていうのを馬鹿にしてたのね、なんとなく。学生だから。サラリーマンっていうのは組織の歯車だ、っていう見方があるじゃない(一同笑)。定型的なさ。さみしいサラリーマンっていうか、ほら、ダークスーツ着て暗い顔して出勤してるっていうイメージがあったけれども。やっぱり、できる会社のできるサラリーマン、というかビジネスマンって、すごく迫力あるし魅力もあるわけだよね。僕が20いくつの時に40代とか50代の人たちと仕事をしたわけだけども、やっぱり迫力がある。それまでひとくくりにサラリーマンはダメなやつらだ、俺は絶対ならないって思っていたんだけど(笑)、実際見るとすごく頭のいい人とかスケールの大きい人もいて。もちろん下らないやつもいっぱいいるわけだよ、でも本当にピンからキリだよ。
どんな場所に行っても仕事ができる人はできるし、スケールの大きい人はスケール大きいし、人間的に魅力のある人は魅力があるし、そういう人はどこにもいるなあ、と思った。それがすごく大きかったですよ。わりとその、学生の頃って、ドント・トラスト・オーバー30とかいってあいつらみんなダメなんだと思っていた。みんな日和っちゃってて。人間的にもダメになったやつらだ、って思ってたんだけども、全然そうじゃなくてね。それはすごくいい経験だったね。あとやっぱりね、いろんな会社と仕事したので、本当にピンからキリまであるなっていう風に思って。経験的に思ったのはね、優秀な人はダマになってる、固まってるっていうこと。それで、バカも固まってる。できないやつらっていうのは全部固まってできない会社やってて、そういうところは「ああ、もう先がないな」って思ってるうちに潰れちゃう。で、小さい会社、始まったばっかりの会社でも、「ああ、この人たちすごくキラキラしてるな、すごく頭いいな」って思っているとグワーッて大きくなっていく。そういうのを見てて、やっぱりずいぶんダイナミックなものだと思って。
G そういった、優秀な人材とそうでない人材を見極める目というのも、その会社での経験で培ったものですか?
内田 うん、そうだね。やっぱりね、出入り業者の中でも最下層なわけじゃない、簡単に切れちゃうような。いくらでも値切ろうと思えば値切れるし、アゴで使おうと思えばアゴで使える。そういう一番力がない人間として巨大な企業のプロジェクトに参加しているから、ほとんど全部上にいるわけね。僕らより下はいないからさ。そうやってボトムにいるときって、もう上の人たちの人間性ってモロ見えになるんだよね。上にいると分からないんだけど、一番下にいると本当によくわかる。つまりほら、一方でわずかな失敗をとりあげてネチネチいじめたりするやつとか、下請けからキックバックを要求するやつとかね、とにかくわずかな権力の差を利用してそこからセコーく利益をあげようみたいな態度の人間がいる。
でももう一方で、とにかくみんなチームで気持ちよく仕事をしていこうっていう感じでこっちをチアアップしてくれるような人がいて、はっきり違っているわけですよ。やっぱり一番下にいると、わずかな立場の違いで空威張りしたりするやつは本当に人間のクズだなっていうのはね、よーく骨身に染みたね(一同笑)。 人のミスを取り上げて怒鳴るやつとかね。だって怒鳴ったってしょうがないんだよね。結局ミスしちゃったね、っていうことで、次からやめてね、としか言いようがないんだけどもさ、それをネチネチ、ネチネチいじめるやつとかがいて。こういう人間にだけはなるまい、と。それはすごかったね。こういう人間にだけはなるまいっていう例をたくさん見たね。あれはやっぱりいい経験だよ、最下層で関わっていくっていうのはね。
G では、研究者を志すにしてもやっぱり一度は社会経験として会社とかに勤めたほうが…?
内田 ああ、絶対やったほうがいいね。そういうのは、やっぱり絶対必要だと思う。
L 僕は哲学の研究者を目指していて、サラリーマンなんてやりたくないと思っているのですが…?
内田 やっぱり現場に行ったほうがいいよ。修行のつもりで3年くらいやってみると面白いと思う。3年くらいサラリーマンやって、そのあいだ自分には哲学を禁じておくの。読みたいな、と思ってもそれを我慢してみる。そうやって3年我慢したら好き放題勉強していいって決めておく。3年後に読んでみたら全く変わって見えると思うよ。乾いたスポンジが水を吸うようにジャーって入ってくると思う。あと、「あ、こういうことが言いたかったのか」っていうのがわかると思うよ。結局哲学といっても人間社会の仕組みについて語っているのだから、そんなにヨーロッパと日本、古代と現代とで違うわけじゃなくてさ。人間が苦しむことって結構同じなので。現場は絶対必要だよ。哲学をきちんとやろうと思っているなら、とにかくサラリーマンとして人にアゴで使われる経験をする、結婚して子供を育てる、できたら親の介護をするっていう4つくらいをやったらね、深くなると思うよ。
L ありがとうございます。参考にさせていただきます。