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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2010.3.15 | by admin

5-2.取材◆森見登美彦さん(小説家)◇後編

12◆森見さんの「二十歳のころ」
13◆射撃に鍛えられた腕
14◆リアル中学生日記の効能
15◆「成すべき修行」の結論。
16◆結局は好きでないと。
17◆絵本からの影響
18◆お話から小説へ~小学校~中学校~高校大学
19◆そもそも「何かしら、書くもんだ」
20◆最初の読者のさじ加減
21◆「このままでは小説家になれない……!」
22◆図書館就職の心は
23◆森見さんの恋愛
24◆二十歳の君への宿題
25◆終わりに

 

12◆森見さんの「二十歳のころ」
大石「じゃあ『二十歳のころ』いきますか。森見さんが私たちと同じくらいの年齢だったときのことから、今、それから将来のことについてお聞きしたいと思います。二十歳前後のときに小説家を目指していらっしゃったと思うんですけど、そのときに何か小説家を目指して努力されていたことはありますか」
森見「うーん。いや、でも、あんまり特別に、こういう修行したとかはないです」
大石「心掛けていらっしゃったこととかは」
森見「本を読む。本を読むのを、現代の人のを読んじゃだめっていう。現代の小説を読む権利は自分にない、と。まだ昔のやつを読んでないのに、現代に追いついてないから、それより前にまず昔のやつを読まなきゃ。まあ、だからといって昔のやつ山ほど読んだわけじゃないんだけど、基本的にはちょっと古めの本、近代の前のやつを読むようにはしてた」
大石「いつごろからそんな感じでしたか」
森見「いや…真面目に考えてそういうふうにしてたのが大学入ってから。ドストエフスキーを読まなきゃとか、そういうこと考えて」
大石「読書不足っていうのを感じていらっしゃったんですか」
森見「もう、自分には全然教養がないって思ってて。だからできるだけ高校のときよりは読むようにはしたんですけど…そんな読んでないですよ」
大石「『本好き』でいらっしゃったんですか。ご自分のこと、『本好き』だったと思われますか」
森見「まあ普通の人よりは好きだと思うんですけど、あんまり本が好きとか言うと、さぞかしたくさん読んでるんだろうと思われるので、あんまり言いたくない。気が引ける! そこまで活字中毒というような『本好き』でもないし…。『(新釈)走れメロス(他四篇)』とかああいうの書くと、そういう日本文学とかすっごい徹底的に読んでるように見えてしまう人もいるかもしれない。そこは、すごく、誤解しないでもらいたい。そんなに言うほど読んでない。でも、自分なりには読むように心掛けてたし、まあ一応、小説も書いてるし」

 

13◆射撃に鍛えられた腕
森見「あとはまあ、クラブで――ライフル射撃部だったんですけど――部室に置いてあるノートにいろいろ面白いこと書くんですよ。で、友だちが読んで笑うような…わざとクラブの友だちの悪口書いたりして、すごい面白おかしく書いて、笑わせようとして。……始めのうちは適当にやってたんです。でもだんだんみんな『面白い、面白い』って言うようになって。誰かがライフルの試合をしてるときに、その人が今何点撃ったかっていうのを記録して、構えの乱れなんかをチェックするアシストという仕事――1回生が担当する――があったんですけど、そのメモも何かしら面白いことを書かなきゃいけなくなって。僕がアシストをするってなると、なまじ時々面白いことを書いたもんだから、クラブの人らがみんな見に来るんですよ。そうなると、毎回なんか書かなあかん、と。まともなアシストも何もしてなかったですね。……そういう、クラブに4年間いてて、後半2年くらいはずっと何かしら面白いことを書け、みたいな感じで。クラブのHPとか試合のパンフレットとか。そんな風に、何となく、周りに楽しみにしてもらえるようなところまでいった。修行といえば、それが一番修行でしたね」
大石「そういう(テイストの)小説でデビューされたわけですけど、それとは別に、理想の小説ってのもあったわけですよね。それを目指して、例えば毎日文章書くようにしてたとか、はないんですか?」
森見「いやーそういうストイックなもんは、本読んで気が向いたら書く、だけですよ。そんなに『毎日これをしよう』とかはなく……思いついたアイデアのメモを取るくらいですよ。これは中学校くらいからずっとやっていて、これはまぁ修行だったかもしれないけど…。意外に、『これは修行だ』と思ってやってることよりも、自分が意識してないことが修行になってたりするんで。それは、僕が『太陽の塔』でデビューしたときにすごい思ったんですけど。そもそも『太陽の塔』を書ける能力を、自分で育てる気はなかったのに、勝手に育っていったわけで。自分が『こうあるべき』と思ったものと全然違うものになったんだけど、結局はそっちが良かったってことなんで。何が修行になるかわからない」
大石「心がけて、古典とかを読むようにしていたっていうのも、今につながっているとは思われますか?」
森見「それはそうですね。それと、クラブで馬鹿話を書いて友達を笑わしていたのが、たまたま上手いこと交じり合ったので、今なんとか」

 

14◆リアル中学生日記の効能
大石「小説家を志すにあたって、そういう人に何かアドバイスはありますか? これは最低限必要だ、とかこれはやってた方がいい、とか」
森見「……(思案)。あ、思い出した! 日記を書いてました!」
大石「毎日ですか?」
森見「今は書いてないんですけど、中学一年のときから、大学生まで。その間、一日大学ノート1ページ絶対書く。大学生のときに、大学ノート六十何冊かになってました。それは、修行っぽいですね」
渡辺「ですね、だって大変ですもん、そんなの」
大石「苦痛に感じることはなかったんですか?」
森見「途中で面倒くさくなりましたけど、一日も休まなかったので、途中でやめれないんですよ。今やめると三年の努力が無駄になる、と思うと。ただ、大学入って、いっぺんサボりだすと穴あきが多くなっちゃってダメでしたけど。で、そこでも、日記だから誰も読まないのに、ギャグ書いたりしてた。自分でも、書きながら笑いつつ、これ誰を笑わそうって思って書いてるのか(笑)。それは、結構頑張ってたんですけど、(今となっては)忘れがちになりますね。ワープロとかじゃなくて手書きなんで、シャーペンで大学ノート六十冊分書けって、今言われても、無理です」
廣安「ページみっちり書いてたんですか?」
森見「みっちり。一日、原稿用紙3枚か4枚くらい。いや、あれは今から考えれば、よく頑張ったなぁと」
渡辺「ほんとですね」
森見「いやー日記もね、あんまり書きすぎるといい影響を与えないんじゃないかと。日記を書けば書くほど思いつめて行きそうな気もするんですよね」
渡辺「書くことではっきりしちゃうから」
廣安「内省しすぎちゃうんですかね」
森見「で、悔しいこととかも忘れりゃいいのに、書いてるから、後から読み返してまた……ね(笑)。まぁ自分は割と楽しいことばっかり書いてたんですけど」
大石「そこには妄想も含まれてたんですか?」
森見「入ってたでしょう。やっぱり初恋、も。ちょうど大学ノート二十冊目に当たる(笑)。この二十冊目だけは絶対人に見せたらあかん」
(一同、笑い)
森見「だから、ずーっと面白い日記を書き続けるのが結構大事だったと思うんです。誰でもにおすすめできるかは分からんけど……。僕から言えるのはそれくらいですね」
大石「それは、体裁としては、人に見せられるような形で書いてらっしゃったんですか?」
森見「文章は、ちゃんとしたものでしたね。(当時)どういう感覚やったかよく分かんないんですけど、あとで自分で読み返すときに面白いように、と思ったのかもしれない」
大石「(小説の場合)その対象が自分から他人になった、ってことですかね」
森見「結局、小説だって、一番最初は自分が読む、自分に読ませる。だから自分で読んで満足するようなものを書かないとしょうがないと思うんです。この読者に向けて書くぞって思っても、なかなかそう上手いこといかないんで。だから最初に読む自分のハードルをどこに設定するかで、文章も変わってくるでしょうし。でもやっぱり小説書くときって、何べんも読むんで。最近時間がないときは出来ないんですけど、基本的にはその日に書き始めるときは最初から全部読んで、続きを書くんですよ。だから最初の方は、もう何回も読み返してるんで、最初の一節が一番練られてるんです。前からのリズムを見て、続きの文を書いて、また次の文になったら前の方を読み返して……って。だから、自分は、書いてるんだけど、同時に読んでる。その読んでる自分がOK出さないと、ダメ。読んでる自分が疲れてるときはやや甘くなるけど(笑)、元気なときは、読んでる自分が『こんなのよく書けたな』って感心するようなやつを書けないといけない。『そーいえばこんなん書いたなー』みたいな低いテンションだと、ちょっと寂しい」

 

15◆「成すべき修行」の結論。
森見「あんまり、悩みの日記じゃなくて、もっとカラッとした日記を書いたらいいと思う。で、毎日書く。毎日書き続けて一年経つと、まず一年の重みでやめれなくなる。あと、去年の今日はこんな一日を過ごしたってのが分かるようになる。僕は十年くらい書いたので、十年前まで自分がどうしてたかが、分かる。それは書けば書くほど面白くなってくる。しかもそれが中学高校――まぁ大学もかな――のときだったら、一番面白いと思うんですよね。まぁ、アホなんですけど。で、一時的に恥ずかしくなっても、絶対燃やさない!」
大石「全部取ってあるんですか?」
森見「一応取ってあります、さすがにこれを捨てるのはちょっと…」

 

16◆結局は好きでないと。
渡辺「でも、好きだったんでしょうね、書くのが。小説家になろうと思っても、書くことが実は辛かったりとかしたら、職業としてずっとやっては行けないから。やっぱりもともと書くのが好きで、話を考えるのも好きで、で、楽しくて、なんとなく、『やっぱり将来はこれを仕事にしたいな』という風になるのかなと思うんですけどね。長くやれてる人見ると」
森見「書くこと自体が好きじゃないと、正直やってられなくて。僕ね、大学のとき研究室にいたんですけどね。植物生化学みたいなことやってる実験室で、」
大石「竹林の……?」
森見「まぁ竹だけじゃなくて色々手広くやってて。京大の先生なんてね、普通大きな研究室になると教授が自分から実験なんてしないわけですよ。でも、普通学部生とかがしますよ、っていうような実験を、教授自分でしたがるんですよ。忙しいから、夜遅くに自分の仕事が終った後とかに、ちまちまちまちまやってるわけですよ。自分の秘密の研究を。『ちょっと町工場に頼まれて……』とかいって。僕実験大嫌いで、なんて面白くないんだと思ってたんですけど、その教授は、別にそんな大した――大したことないっていうとダメですけど――そんな大発見が待ってるような実験じゃなくても、自分が手を動かして何かしら結果が出たらすごいテンション上がる人なんです。『この人には、勝てへん』と思って。だからやっぱり、そんだけ目の前の作業がまず好きじゃないと、そっから先はなかなかやっていけない。そっから先に何かしたいことがあっても、目の前のことがなかなかうまいこと自分にフィットしなかったら、キツい。それが好きな人間に勝てない。だから、もう、教授を見て『僕は文章を書くのはある程度は苦にならないので、絶対そっち行ったほうが得や』と」
大石「目の前のものがフィットした、って最初に気づいた瞬間っていうのはいつですか?」
森見「いや、分からないな……中学に入った時点で一日一ページ日記を書いてたんだから、その時点で多分、それは自分にとって好きなことだった。一番最初に僕が作ったお話は、『マドレーヌの冒険』っていう紙芝居で、小学三年生の時友達と一緒に作ったんですけど、以来『お話を書く人になりたい』と。そのすぐあとくらいから原稿用紙に、うにうにうにうに書いてたので、目覚めたっていうよりは、もうすんなりそっち方向に入っていった。だから書くということ自体について、自分が得意なんだとは、小中学校の時から思ってましたけど、自分が人を笑わせる文章を書けるんだって気づいたのは大学入ってからですね。それはすっごい大きなことだった。僕は中学高校のときは人を笑わせるのが得意な方じゃなかったし、そういう雰囲気でもなかったので。……だから、一回目は知らん間にそっちに入っていって、二回目はある時発見した。『あ、こういうこと自分は出来るんだ』って」

 

17◆絵本からの影響
大石「最初の読書の記憶は絵本だ、って伺ったんですけど、絵本を読んだ経験と、ご自分の今の世界観や文章書くっていうこと自体との関係って、何でしょうか」
森見「文章書くっていうことについていうと、そんなに関係があるのかどうか分からないんですけど、自分の好みとかは、その時好きだった絵本なんかにすごくよく表れてる」
大石「森見ワールドの原点、みたいな」
森見「なんとなくこう、シュールな感じというか。その、へんてこな感じ。……上手いこと言えないですけど、そういうものの元は、やはり子供の頃好きだった絵本に雰囲気が一致したりするところがあるので、それはすごい分かりやすいなぁと思う。でも自分が文章書くときに子供の頃の絵本から影響を、っていうのは、どうかな」

 

18◆お話から小説へ〜小学校〜中学校〜高校大学
廣安「高校生くらいの時は、もう小説を書いてたんですか?」
森見「うん、書いてました」
廣安「それは、面白いのを狙ったような話じゃなかったんですか?」
森見「妙なんですけど、小学校のときは、原稿用紙に童話みたいな……自分の妄想の、別の星が舞台で、変なやつが出てきて…みたいなのをよく書いてたんですけど、中学校くらいになると、明確にこういうストーリーにしようって前もって決めるわけではなくて、イメージ――こういう場面を書いてみたいとか――をなんとなく書いてるうちにお話になって、なんとなく終わるっていうようなものを、大学ノート書くようになって。今読むと逆に面白いですよ。余計なことを考えずに書いてるのが。明るい感じで」
(一同笑い)
森見「あんまり、教訓どうこうとか、テーマとかを考えずにただ自分が面白いと思うことを書いてて、それがちょっとシュールな感じで。高校ぐらいになると、色気が出てきて、ちょっと真面目に見えるような、シリアスに見えるような感じにしていこうとして、逆に面白くなくなっている。だから、小学校から中学校にかけてが良かったですね。高校生の時は、なんか中途半端で。それがずっと大学までつづくんですけど」

 

19◆そもそも「何かしら、書くもんだ」
廣安「『(新釈)走れメロス(他四篇)』とかを書いてらっしゃるから、そういう文学史みたいなのに憧れがあって小説を書いてたのかなって思ってたんですが……。それに近づきたいとか、将来太宰的な人になりたいとか……太宰のアンソロジー(『奇想と微笑』)も出されてるし」
森見「いやーでもね、自分でも何で小説家になりたかったのかっていうのは結構曖昧で。最初、なりたいなって思ったのは小学校の時なんで、別にその時に文学者がどうこうとかは思わなかった。ドストエフスキーみたいなものを書いてやろう、なんて思うわけがないので。もっと、なんか、現実的なところから始まってるんです。一番最初は、とにかく自分が字でお話を書いて、母親とかに読んでもらいたい、その延長でそれが仕事になったらそれでいいじゃないかっていう、単純な話だったんです。だから結局今からすると、何でこういう風(作家)になりたいと思ったのかっていうのがそもそも謎に満ちてるんですよ。でも文学史に残りたいとか、あんまりそういうことを思った覚えはない…カッコつけてるわけじゃなくて(笑)。いや、文学史に対して憧れはあるわけですよ、例えば、太宰治が嘗て住んでた家とかに行ったら『おぉ』と思うし、そういう作家がむかし色々いてたっていうことに対する憧れはあるんだけど、自分が小説家になるっていうのが、その人たちの遺志を受け継ぐってことかっていうと、あんまりそっちがメインだった感じはしない。もうちょっと普通に考えてた――自分が得意なことが仕事になったらいい、って。もし僕が、中学とか高校で小説に目覚めた人だったら、もっとね、文学とは何ぞやとか、ややこしいこと考えたと思うんです。それよりもっと前から書いてたので、あんまりそこらへんを悩む必要がなくてですね。そもそも、『何かしら書くもんだ』っていう。いろいろ知恵がついてきて、余計なことを考えるようになってからですよね、『もっと過去のものを読まなきゃいけない』とか思うようになったのは。そんなのは、小賢しくなってから。最初のうちはもっと素直だった。まぁでもね、昔のやつ読むと、それはそれで面白いですよ」
渡辺「それにしても、(森見さんの)中学くらいの作品が読みたいです」
森見「まぁあれだったら、万が一外に漏れても許せる。高校生のやつはダメ。ここに何か秘密がある」
(一同笑い)

 

20◆最初の読者のさじ加減
廣安「私自身も、小学生くらいの時に、作家になりたいと思ってて、(森見さんと)同じように書いたりしてたんですけど、高校生くらいになって、文学的なものを読むと、『こんなんにならないと、書いてる意味はないのかな』って思い始めて。で、『自分はこんな残るような話は書けない、もういいや』って今に至る、という過去があるので、今お話をうかがってて、こういう考え方もあるんだなーと、思いました。『残る』とかいうことに、すごく縛られて、自分はやめてしまったので、やめずに書き続けていられる――しかも小さい頃からずっと――方がどういう気持ちでやってるのか、聞けたので、良かったです」
森見「でも、小説書くのって、一番簡単なことですよ、お金かからないし道具もいらんし、ワープロもあるし。ついつい続いてしまったっていうか。……でも僕も努力はしたんでしょう、努力はしたはずなんですけど……」
渡辺「努力を努力と思ってないんじゃないですか?」
森見「まぁしんどいこともあるし、好きでやってるときもあるし。……うーん、けど大学生のときはあんまり頑張ってなかったですね。ほんとに小説家になりたいんやったらね、大学生のときにもっと……」
渡辺「色々やってる人もいますからね」
森見「経験や見聞を広げたりですね、やってたら良かったんですよ。ほとんど四畳半にいたからね(笑)」
渡辺「いやー、でもさっきの小賢しくなっちゃうって話は結構大きいですよ。やっぱり知識が多すぎると、色んな制約を自分で設けすぎちゃってできない、みたいなケースもあるから、そこだけに一生懸命になりすぎちゃうと、逆に書けなくなっちゃう。なにかゼロから創ることが、怖くなってしまう気がする」
森見「さっきも言いましたけど、自分が最初の読者なんで、最初の読者がぎちぎち厳しすぎると、つぶされるんです。だからね、半分バカにしといたほうがいいんですよ。まぁあんまりゆるゆるでもダメだし、そこは兼ね合いが難しいですよね。そこらへんのバランスを取れる人っていうのは書きやすい人かもしれないな」

 

21◆「このままでは小説家になれない……!」
大石「私の個人的なこと言わせていただくと、ずっと小さいときから絵を描いたり文章を書いたり話を作るのがすごく好きで、中高生の頃は作家になりたいと思っていたんです。それで文三、東京大学の文科三類に入ったって言うのもあるんですけど、入ってから、周りに比べて、自分のあまりにも教養の少なさと読書量の少なさに打ちのめされて、挫折しかけたんですよ。で、そういうときに、どう立ち直る、どう努力するかと言うことがちょっと自分の中であって、別の道があるのか、結構努力していけるのかっていう葛藤があるんですけど、森見さんはそういう風に挫折された事ってありますか? 同じような要因じゃなくていいんですけど」
森見「いやでも、ぼくはずっと、小学校の時から小説家になろうと思っていて、というかなると思っていて、高校生の時に思っていたのは、大学を出たら小説家になるんだから大学どこに行こうとあんまり関係ないやろ、と。今から思うとぼくは阿呆みたいなんですけど高校の時は本当にそう思っていた。それで大学では文学部とは違うことをしようと思って、両親も理系にしろと言うし。医学部を受けたんだけれども、結局京大の農学部に行くことにして。大学に入ってもまだ小説家になるつもりでいて。で、三回生の終わりに、『これはやばいぞ。大学生活は終わるけど、このままでは小説家にはなれないな』と気づいた。そのときにぼくはすごい衝撃を受けた」
(一同、笑い)
大石「いきなりだめだって、思ったのですか?」
森見「いや、少しずつたまっていったわけです。応募したりもしたけれども、一番おっきいのは、自分で読んでて満足できるようなものがひとつもない。というのが積み重なっていって、大学院までは行けるけれども、そもそも自分は小説家になれなかったら何になるんだろうと考えて、いや、今笑いながら話していますけども、目の前が真っ暗になったんですよ。いや、これはやばいと思って。で、結局4回生になって研究室に配属されたんですけど、本当に研究をやっているところが心底嫌で、しかも割と華々しい研究室だったので、ピリピリしてるんですよ。で、ぼくは4月に入って、5月に行かなくなりました。でもうゴールデンウィークの時から行かなくなっちゃって、休学したんだけど、小説家にはなれないだろうし、かといって研究者にもなれないし。それから迷走して1年、公務員試験受けてみて落ちたりとか、色々してて、結局だから、大学院を出るしか無くなってしまって、しゃーないなーと思って大学を歩いてたら廊下に『竹の研究してます』っていう研究室の張り紙があって、研究はしたくないんだけれども、『竹なら……唯一竹なら何とか興味を持てるかもしれないな』と思って」
(一同爆笑)
森見「前の研究室は途中で辞めてるし、学部は単位だけとって卒業させてもらえるけど、卒論を書いていなくて。けどその研究室に見学に行って、そしたら『あ、来たらいいよ』って。『ぼく研究室を途中でやめちゃって卒業論文がないんですけど』って言ったら『かまへんかまへん』って」
(一同、笑い)
森見「そんで、公務員試験も受けたんだけど全部落ちたから、大学院の試験を受けて、結局その研究室しか行くとこなかった。それが5回生の夏でした。ここで、経歴をリセットして、大学院出るときにがんばろうと思ってたけど、『今から研究室来てもいいし、来年の春から来てもいいけどどうする』って言われて、今から研究室行くのもなんか忙しいなと思って『来年の春から行きます』って言った。んで、半年暇やから、農学部の勉強しかすることないし、小説でも書こうかと思って。で、そん時に、もうこれが本当に最後だと思って、ここで何かしら逆転を見せなければぼくはもう本当に二度と小説が書けないだろうと思って、今まで絶対に書いてない、こんなの小説ではない、と思っとったやり方で小説を書こうとおもった。それで『太陽の塔』を書いた。その時は、『太陽の塔』を書いたような文章は本当にクラブの友達を笑わせるためだけの使い捨ての文章だったけど、それを使って、自分の大学生活を振り返るように小説を書いて、もしそれが小説になったら、なんとかなるかもしれない。今までと同じような方法でやっていても多分無理だとその時点で思ってた。それで太陽の塔を書いて研究室に入った4月に応募して、6月に新潮社から最終選考に残るというお知らせが来た。だから、ぼくもいっぺん挫折しているんですよ。もう絶対無理と思って。……この話から教訓を引き出すって言うのもなかなか難しいですけど、いっぺん挫折をして、意外なところからふんばるしかないんじゃないかな。結構そこまではこのルートしかないと自分で思いこんでいて、それはたいてい、まずうまくいかない。絶対妨害が入って、迂回しなきゃいけないんです。けど意外にこう、一直線に行こうとしているのを、あっち行ったりしていたらいい感じに行けた」
大石「意外な所って言うのは『太陽の塔』みたいなところだったんですか」
森見「自分は価値を認めたがらないこと。そうでもないとそれを使って小説を書いてみようって思わなかったんじゃないかな。そこまで追い詰められて、やけくそになってやったんでかろうじて作品になりましたけど。ただ、ぼくは一応すごい恐ろしい思いをしたんですけど。目の前が真っ暗になって将来どうしたらいいんだろうって。あんまりまともに働けそうにも思えなかったし」
大石「漠然とした思いが積もっていったんですか。具体的なものではなく」
森見「決定的に具体的なものではありませんでしたね」
大石「これだからだめだって言うよりだんだんだんだんそうなっていったんですね」
森見「そう。だって、誰かに見せてお前才能ないよとか言われたわけじゃなし。もう、自分で思っていったんです。自分でこのままではあかんわ、って分かっていっちゃうんですよ。それまではあんまり人に読ませたりとかしていなかったので。文学賞とかに応募はしてましたけど、それに引っかかることもなかったですし。でも、自分で満足できなかったことが、一番よろしくなかったですね」
大石「一回生の時から文学賞は応募していたんですか」
森見「いいや、文学賞はもう高校生の頃から応募はしてましたよ。でも落ちてました(笑)あれはね、応募してたって言えば応募してたんですけど」

 

22◆図書館就職の心は
廣安「就職できそうもないと思いながら最終的に図書館に就職されたじゃないですか。どういう心があったんですか」
森見「だってぼく大学院にいる間に小説家にはなれましたけど、『太陽の塔』一冊出ただけで、文学賞の賞金もろたって、学費と生活に消えるワケじゃないですか。しかも大学院出るときに就職活動をするって言うほどはしてないですけど、もういっぺん公務員試験を受けてみて、もし万が一そこで全部だめだったら、大学に残って欺し欺し小説を書こうと思っていた。けど、無事就職口が見つかったので、これはやっぱり就職した方が大学に残っているよりもちゃんと食っていけるっていうのもありますけど、どっちみち小説を書くので大学の中しか知らんよりいいじゃないですか。もうこれは絶対に外にでた方がいいなと。就職はホンマに嫌でね。まぁ入ってみたらたいしたことはない、いや、たいしたことなくはないんだけどね。とりあえずなんとかなってる」

 

23◆森見さんの恋愛
廣瀬「ちょっと二十歳の頃に戻るんですけど、あの、その頃の森見さんの恋愛の状況が……」
森見「ええっ、恋愛の状況!?」
廣瀬「恋愛の状況がどうだったかということがすごく気になるんですけど」
森見「恋愛の状況だったら何も面白いことないですよ。二十歳の頃だったら」
廣安「なんか、こう恥ずかしい思い出とか」
森見「高校生の時は初恋をしてて、で、まぁふられたんですけど、その時の日記が、だんだん客観的描写が無くなっていくんですよ」
(一同爆笑)
森見「何が起こっていたのかが分からなくなっていくんですよ。だんだん想いだけになってきて。そういう時期は一時期ありましたけど。大学は、……三回生の時に付き合いましたけど、それまではずーっと、こう、野郎達に囲まれてうじうじとしてましたよ。そんな話をしても誰も面白くないでしょ」
大石「気になりますよ」
森見「すみません、ちょっとお手洗いへ行ってきます」

 

24◆二十歳の君への宿題
廣瀬「あの、一度お願いしてお断りされてはいるんですけれど、」
大石「二十歳の君へは教訓とかそういうのではなくて、森見先生の二十歳の頃を踏まえてというか、それで今の私たちに対して伝えていただけることがあればおっしゃっていただきたいんですけれど」
森見「なんかあんまり面白いことうかばないっていうか。もちろん勉強した方がいいんですよ。彼女作れるものなら作った方がいいですし。でも、あんまりそういうことを言っても、当の人たちはあんまりそんなの関係無しに自分でやっていくので」
大石「日記の話とか」
森見「『日記書け』かぁ、いやでもわざわざ二十歳の人たちに日記書けって言うのもさー(笑)。ていうちょっとあんまりかなと思って」
渡辺さん「二十歳で日記書き始めても、それからつらい人生を送りそうですよね(笑)。まぁまぁちょっと気恥ずかしいって言うのもありますよね」
森見「二十歳は、そうね。なまじ自分がなんかうまいこと小説家になっているので、なんかぼくがいうと、『諸君もこうすれば成功できるよ』みたいになってしまいそうで。ぼくはあんまり若い人に対して『こうすればいいよ』とか言えないんですよ。とりあえず『生き延びなさい」』というだけで」
渡辺「前に立花さんがお出しになった『二十歳の頃』という分厚い本みたいにするんですか?」
廣安「いや、今回は『オンラインゲームにはまるな』とか『麻雀はしない方がいい』とかひと言ずつもらってるんです。『二十歳の頃』は有名人に行っていたって言う、名の知れた人を対象にしていたのですけど、今回は、一般の人からたくさん集めています。今週末に駒場祭って言う東大の文化祭があるんですけど、そこでゼミの企画としてパンフレットを配る。のがもとだったんですけど、それが面白いねってなったので駒場祭以後も独立したひとつの企画として継続してやっていこうというのです」
岡田「機会があればどんどん集めていこう、という趣旨でした」
渡辺「なるほど、どん欲に(笑)」

坪井「じゃあ最後にひとつだけ……携帯の待ち受け、って見せていただけないでしょうか! 森見さんの」
(一同笑い)
森見「……ちょっとこれカレンダーと重なってるのでわからないんですけど、富士山登ったときの僕を描いた絵なんですよ」

 

25◆終わりに
廣安「実はいままで企画で何人か作家の人に打診をしてみたんですけど、結局断られちゃって。今回森見さんはお忙しいし、きっと無理なんだろうなぁと思っていたから、『えっ』と思ったのですが(笑)」
森見「あいや、でもこのお話が今年で最後のお仕事ですよ。朝日新聞の連載をそろそろ終わらせなきゃいけないのと、それと並行して来年に『ペンギン・ハイウェイ』っていう小説を出すんですけどそれの書き直しを進めていて。あまりにも集中しなければいけないので、細かい仕事を段々年末に向けて絞っていっていてですね、その水門が閉じるこう、手前の。今日でついに閉じる、みたいなところです」
廣安「最初は意外だったし、後からじわじわ感激でした。『え、え、え、いいんですか』みたいな(笑)」
大石「実感できないままここまで来た(笑)」
渡辺「まぁでも普段は聞かれないような根源的な。なかなか商業媒体だと、『何で小説家にそもそも』みたいなのはないですからね」
森見「そこまで毎回さかのぼってインタビューされたらしんどいですよ。いちいち新作出す度に『なぜ小説に目覚めたんですか』って考えてたら大変ですよ(笑)」

――お忙しい中、長時間お付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。

 

【編集後記】
森見さんはもちろん、渡辺さんもとても素敵な方で、随所で色々なことをお話してくださった。
作家と編集者、両方の立場からいっぺんにお話が聞けるなんてこんな嬉しいことはない。
極力削りたくなくて、少々(だいぶ)長編記事になってしまったが、これでも当事者としては物足りないほど。
悔しいです。

記事:大石蘭、坪井真ノ介、廣瀬暁春、廣安ゆきみ/写真提供:大石蘭

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