若松孝二監督 インタビュー
映画と運動
──70年安保闘争に向けた学生運動は,1968年,69年にひとつの大きな頂点を迎えました。そのころ若松監督は,運動に対してどのような立場をとっていたのですか。
もちろん当時も映画を撮っていたよ。別に僕は椅子を持って投げたわけじゃないし,ゲバ棒持って機動隊に突っ込んだわけじゃないからね。とにかく,自分の好きな映画を撮っていたというだけだよ。
──それでは,映画制作をする上での題材として,学生運動があったのでしょうか。
題材というよりも,僕の作った映画をそういう活動をやっている人たちが見て,やっぱり若松孝二の映画は面白い,と感じたんだろうね。だから必ずしも運動を見て映画を作っていたのではなくて,僕の作ったものに,彼ら自身が自分達を上手く重ね合わせたというかさ。例えば,権力に向かっていく映画,そして学生。その両者が上手く重ね合わさったのかもしれない。
──それでは,運動を支持するという形で映画を撮られたわけではないのですね。
僕は運動を支持するために映画を作ったことはなかったし,自分の作りたい映画しか作らなかった。その頃僕が作っていた映画が,学生たちのやっている事と上手いこと重なった。僕は,「権力」というものに腹が立つ。だから,「権力」をやっつける映画とか,お巡りを殺す映画とか,そういう映画をいっぱいやった。映画の上で色んなことをやる分には罪がないからね。本でもなんでも,それを書いても犯罪にはならない。人間の想像を法律で取り締まるというわけにはいかないじゃない。「権力」を殺したいと思ったら殺すような映画を撮ればいいし,抵抗したいと思えば抵抗するような映画を撮ればいい。僕自身がそう思って,そうした意識が,当時の若者達の意識と重なり合ったのじゃないかな。
──映画という手段を通して「権力」への抵抗を表現された,ということですね。
僕は若い頃,本当に逮捕されて拘置所に入ったことあるからね。牢屋に入るのがね,ものすごく嫌なんだよ。まぁ,そういう経験があるから,映画を撮ろうと思ったわけ。
──しかし監督が意識なさらなかったにしても,現実的には当時の若者をはじめ多くの人たちに影響を与えているわけですが,そのことについてはどうお考えですか。
それはよく分からないけど,僕自身が面白いと思うから撮る。でも皆が映画を見てくれないとメシが食えないからね。でもまあ映画を見てくれるってことが,影響を与えているといえるのかもしれないけれどね。
──当時の現実社会に影響を与えるということを,特には意識していなかったのですか。
僕は全然考えたことがない。自分がこういうものを作れば,みんなが喜んでくれるんだろうなって自分が思うから作るのであって,学生が喜ぶから作るんじゃないんだよ。
今の若者に向けて
──「腹が立つ」という感覚は,人をある行動に突き動かす一種の「熱さ」,「原動力」だと思うのですが,監督の場合その感覚はどこからきているのですか。
どこから来るというよりも,「権力」側が,「社会」がそうなってくると腹が立つじゃない,自分自身がね。「腹の立った」事をテーマにして映画を撮っちゃうとか,あるいはそれをドラマの裏側に上手く混ぜ込んで撮っちゃうとか。それをどうするかは,テクニックとして考えるんだけどさ。だから,ものすごく分かりやすくいえば,今税金が高いと思ったら,なんでこんな税金が高いのか,官僚が悪いのか,誰が悪いのかってことをテーマにする。それは腹が立つからやるのであって,例えば総理が悪いと思えば,その役に「佐藤苦作」なんて名前を付けたりさ(笑)。自分で自分を楽しんでいるっていうか,そういう部分がある。僕が面白くなかったら,人が見て面白くないと思うからね。
──それでは,今の世代の若者も「腹が立って」いる,あるいはある種の原動力を抱えて生きているとお感じになりますか。また,若い世代に向けてメッセージを下さい。
「勇気」を持ちなさいっていうことだね。『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』の中で,あるキャラクターに「俺たちは勇気がなかった」と言わせたのは,半分は見ているお客さんに「勇気を持ちなさい」って言っているつもりなんだよ。だから,あの台詞がグサッとくるっていうのは何回か聞いたことがあるけど,要するに今の若い人はもうちょっと勇気を持って,嫌なものを嫌だと言える勇気を持ちなさい,と。だってみんな,なにも言わないだろ。かつての彼ら,かつての学生達はさ,みんな頭もいいし,ちゃんと卒業すれば就職も決まったわけじゃないか。だけれど私利私欲じゃなくて,世の中を,世界を,今の日本を少しでもいい方に変えようとしたからなんだよ。それがちょっと間違った方向にいって,ああいう風になっちゃったけど。最初から人殺しとかそういうことやるつもりでやったわけじゃなくて,少しは変えよう,自分たちで少しでも改革しよう,人間らしく生きていこうと思っていたら,どうしてもああいう方向に行っちゃった。もちろん,人殺すのはいけないよ。いけないけれども。
──警察側からの視点であさま山荘事件を描いた『突入せよ!あさま山荘事件』(注:原作:佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』,監督:原田眞人,2002年5月11日公開)という作品がありますが,この作品が製作の動機に影響しているのでしょうか。
僕が『実録・連合赤軍』という映画を作ろうと思ったのは,『突入せよ!』を見たからってことだけじゃなくて,でもあの作品を見たから「これではいけない」と思って,僕を立ち上がらせた。僕はどちらかと言えば,半分感謝しているんだよ。あれを作ってくれたことによって,「そうじゃないんだろ」っていうための作品を作る勇気を僕に与えてくれたんだな。そうじゃないと,自分の別荘ぶちこわすなんて馬鹿なことやってまで,僕は映画作らないよ。
──当時の学生が「人間らしさ」というものを考えていたのなら,その点は今の学生との意識の違いがあるようにも感じます。そしてなぜ,若松監督は今の学生に「勇気」がないとお感じになるのですか。
それはもちろん,連合赤軍という事件で学生運動というものが完全に失速したわな。そうすると,社会に反対すること自体が全てダメなんだってことを,一般の人たちがみんな思ったんだよ。彼らは,自分の子供達??つまり君たちのような今の若者だよな??に,そんなことやっちゃいけないと言うようになる。ようするに,社会に反対するとか,学生運動をするだとか,そういったものの考え方や思考を全部大人が取り上げているんだよ。要するに,ゲームの社会の中で遊んでいなさいと。それで,秋葉原の事件(2008年6月8日に秋葉原で発生した,トラックとナイフによる連続無差別殺傷事件)が起こってくる。そういった事件がこれからもどんどん起き続けるって,俺はあれ以来ずっと言い続けているんだけども,もっともっと起きますよ。なぜかといえば,本当に自由に生きるってことがみんなできない。格差社会がこうやって深刻化してきたし。人材派遣からさ,明日クビになるかも分からない。もう来なくていいって言われる。よく俺に言うやつがいるんだよ,なんで大学も出ていない,農業高校しか出ていない若松が,映画を撮れるんだよって。それと同じようにさ,自分は頭がいいのに,なんでこれだけなんだってイライラする。人間にはスイッチがあると思うんだよ。そのスイッチがポンと入ったら,自分がどうしてそんなことやったか,分からくなるんだよ。だからストレスをためちゃいけないって思うんだけどな。今の若者は皆ストレス持っているんじゃないかな。ようするに,周りはホリエモンみたいに一円でも稼げ,親はいい就職をしなさいって,そればっかりだから。そうすると,やっぱり自由に人間らしく生きられないよな。人間らしく生きるってことは,小学校時代から勉強勉強ってやるもんじゃないだろ。ガキの頃は泥んこだらけになったり,虫追いかけたりさ,それが子供じゃん。それを小さい頃からみんな今みたいにやらされてくると,おかしくなるよ。何かすることができなくなる。そうすると,引きこもってさ,ゲームばっかりやったらいいってなる。
──1960年代と同じような「熱さ」が,今の社会で復活し得るとお考えですか。
そりゃ,日本や世界がものすごく変な状況になって,自分自身にものすごい危険を感じたら起こるかもしれないけどさ。隣の国の韓国を見てみたらいい。李承晩の軍事政権を倒したの高校生だよ。この間の,牛肉の輸入問題なんかだって,まず学生から騒ぐんだよ。大人になるとさ,まず明日のメシのこと考え,女房子供のことを考えるんだよ。そうすると何にもできない。自分の思うように生きれば,あとはしょうがないんだよ。
──そういう部分を,日本の学生達に持ってほしいと。
君たちよりももっと小さい,中学生や高校生にもそう思ってほしいね。今度BS放送でやる25分ものの作品の原稿を,16歳の少女に書かせてみたんだよ。すると,素直に書くわけだよ。周りのプロデューサーは反対したけど,「自分の思うように書きなさい」って言ったら,なかなか面白いものを書いてきたよね。
──きっと「自分の感覚」に従ったのでしょうね。
勉強しろ,塾に行け行けって周りから言われている少女のね,もっともらしいこと言ってるように見せかけてる大人達に対する感覚だよね。
その彼女が書いた作品というのが,路線バスの運転手が,自分の走行経路を無視して,「黙ってろ」って言って,高速道路に乗って走って,東京まで少女を送ってくれるというあり得ないストーリー。好きなように書かせる。これが面白い。
それとおんなじ。もっと好きなようにね,若い人は自分の思うようにやればいいのにと思う。変に社会が横から口を出すというのかな。これが一番ダメにする。
映画は人を考えさせる
──映画という手段はなんらかの「答え」を見つける糸口になる,とお思いになりますか。
答えというか,僕自身はね,映画はやっぱり人を考えさせるものだと思う。もう一度,自分達の今までの生き方,例えば連合赤軍だけど,それをね,もう一度振り返ることができる。若い人たちなら若い人で,そういう時代にそういうことがあったんだって,自分たちを考えさせるものがいっぱいある。やっぱりそう思わせることができるってことは,一つの手段として,影響があるんじゃないかな。
──運動を体験していない僕らのような世代が,映画を見ることでその時代の「空気」を感じることができると。
僕だって運動なんかやったことがないよ。ずっと,今日のおにぎり一個食うのが精一杯の人生だからね。今日食べるのがやっとというような状態で,そんな世間に反対する,しないなんて言っている騒ぎじゃない。だけど,どこか志だけは「これはひどいな」ということを感じる。僕の友達が昔,かりんとうを作る釜の中に落っこちて,やけどで死んじゃった。工場に住み込みで働いていた子だけれど。今だったら賠償金問題になるけど,当時はなかったからね。親が黙って引き取りにきて。そんなのを見ていて,もうこんな社会だったら太く短く生きよう,ヤクザにでもなって好きなように生きてやろうってさ。ぱっと咲いて散る八重桜,というわけではないけれどもさ。
──生活の苦労,底辺での生を感じた体験というは大きいわけなんですね。
暴力について
──では次に映画の内容に話を戻して,「熱さ」や「目的」があった上で,手段の問題として「良い暴力」と「悪い暴力」があると考えてよいのでしょうか。
テロリズムと同じ問題だよな。侵略のためのテロっていうのがあるよな。アメリカはそうだよな。自分の国を守るため,抵抗するためのテロっていうのもあるよな。それも暴力だよな。信頼する人を殺すっていう,それも暴力だよな。僕は,暴力には良いも悪いもないって本当は思っているんだよ。それは戦争に良いも悪いもないというのと同じ。人間が殺しもするし,自分が死にもする。それが戦争だから。テロもそうだ。一概にテロが悪いってのもどうかとは思う。例えば,パレスチナが自爆テロでイスラエルをやってやろうというのも,自分の国を取り戻すためにやろうとしている。そういったものもあれば,アメリカみたいに勝手に石油を使うために,自分の国じゃなくてよその国でボンボン戦争やるっていうのもある。日本はそれを間接的に助けてるわけじゃない。油とかを売って経済的に豊かになって,それが果たしていいのか。やっぱりそれは,誰が考えても良くないことであって。なぜなら,その前に体験があるわけだから。ベトナム戦争という。日本からどんどん武器弾薬を運んでさ,ベトナム人民を殺して。それを阻止しようって,列車を止めようとした,それで新宿騒乱(注:国際反戦デーにあたる1968年10月21日に,東京都新宿区で起きた新左翼を中心とした大規模な暴動事件。騒擾罪が適用された)があるわけだからね。あれは横須賀を通って,弾薬がどんどんベトナムに行ったから,それを止めるって起こった。それが新宿騒乱。もしかしたら,あれだって暴力。暴力によって汽車を止める。人を殴るだけが暴力じゃないから。
──監督は映画を通して暴力を表現することで,何を目指しているのでしょうか。
目指しているとか,何のためかとかじゃなくて,ドラマに必要なものとして使う。やたらめったりさ,ピストルバンバン打つのがかっこいいとか,香港映画真似するのがかっこいいとかさ,それは何にも考えてない馬鹿者のやること。俺はそう思うよ。やっぱり,必要だからこそ暴力を映すのであって,ただ単にやってるんじゃないよな。
──60年代もやはり「暴力」の時代だと……。
それはね,話し合いでできれば一番いいことだって。例えば60年代安保っていうのは,日本が戦争犯罪者が総理大臣になる国だったじゃない。今はその孫が総理大臣になったけどさ。そういう国だよな。そういうことを大衆は,本当は絶対に許しちゃいけないのにさ,ああやって許してしまったから,結局一つ国会を囲んでやる,ということが起こった。それから日本がアメリカと組んで軍事同盟結ぼうとしたわけじゃないか。それへの反対が60年安保。反対がはじまった。それで10万の人間がきた。もしあそこで,憲法改正の方針が変えられていなかったとしたら,ちょうど今頃君たちは徴兵制度にひっかかって軍事訓練させられているよ。そう思えば,60年安保闘争は良かった。自分のものとしてとらえ直して考えれば,いいほうに解釈した方がしっくりくる。そう思うような気がして仕方がないけどな。自分だったらどうなったか。自分が,連合赤軍のあの中にいたらどうなっていたか。おそらく一晩眠れなかった人ってのは結構いたと思うよ。特に女性なんかは。
──だけれどしかし,映画は,現実の代わりにはなれないと思うのですが。
別に現実でやろうということではなくて,映画を,この作品を見たらね,僕は石を投げろとか組織を作れとかそういうことを言っているのではなくて,個的な戦いなんだ。僕は皆と組んだりするのは嫌なんだよ。全部一人でやっているからね。一人一人がね,嫌なものを嫌だと言えるようにさ。だけど実際にはみんな,君が嫌なら僕もいやだって感じで,すぐ誰かをバッシングするじゃない。そうじゃなくて,ちょっと待てよ,という感覚を持ってくれるといいな,と思ってるわけだ。イジメも同じ問題だからね。イジメの問題があったときに,ちょっと待てよって,あの人をいじめてどうするんだ,ちょっと待てよ,ということを考えればさ,いじめなくてすむようになる。誰か一人がいじめようって言い始めて,リーダーシップをとりたがる。それで周りがくっ付いて,いじめようとする。その時に,自分一人一人が考えようという,そういう社会になればいいんじゃないかと思う。
──だから映画が現実の代わりになる必要は……
なんにもないんだよ。
全共闘に関して
──全共闘運動が後世に残したものは何かあるのでしょうか。
残した,ということじゃなくて,あの時の国家が,権力側がいいシナリオ書いたんじゃないのかな。
──総括に成功したのは「権力」,ということですか。
あれによって,運動を失速させた。あれによって,皆学校に戻ってしっかり勉強して,バブルというものを作っていった。日本はバブルで経済的に上昇していって,またそれを潰したのも団塊の世代,全共闘世代だと言われるわけじゃん。それで,自分たちだけ年金をもらえる制度をある程度作って,俺たち死んだあとは関係ねえや,みたいなね。だから壊し屋っていう人もいるんだよな。そういう意味ではそれに気がつけばいいんだけども,結局そういう具合にして権力側に全部壊されたという感じがあるよな。
──運動期のある特定の時期,空間においてではあるかもしれませんが,一人一人が平等であった,という全共闘の原理はどうでしょうか。そういった点で全共闘の遺産はあるのでしょうか。
ほとんどの人は,浅間山荘事件を一人一人が総括しなかったということが間違いだったのではないか,と。それをもう一度見直そうと。見直すという流れになったということは,良かったんじゃないかと思っているけどね。ようするに,これ以上変なことをしたら世の中騒ぐんじゃないかって。結局,運動全体が抑えられたばっかりにさ,官僚になった奴らが平気で悪いことするようになっちゃったわけだろう。今は参議院政権が変わっただけだけど,これだけボロボロと色んなことが出てくるわけじゃない。大衆が分からないことをやっている連中ってのが,全部団塊の連中だよ。要するに,悪いこともいっぱい覚えているよな。それはな,そういう意味では,権力側の間違いもあるかもしれない。運動なら運動でやらしておけばいいのに,全部ぶっ潰すっていうことをやっちゃったからな。爆弾も爆発力がすごいわけだろ。やっぱり少し余裕を与えないと。ある程度人間を自由にやらしておけば,政治ってのはいいんだけど,抑えれば抑えるほどおかしくなっていく。あんまりに抑え過ぎちゃって,親も世間もみんな,運動ってのは悪いことだって言って,それ以降は反対運動は一個も起きなくなっちゃった。本当言うと,大学だってどこたって,コストがはねあがってるわけじゃん。ガラス張りにして,あそこだけ上手くしてる。だから,今でも京都大学行って西部講堂があればホッとするもの。あの場所にはまだあるものな,ビラとか何とかがさ。今,君たち東大か。東大にはあんまり行ったことないけどさ。
──それでは,全共闘世代が残した課題というのは。
課題っていうのはホントにね,権力側の思うつぼになったんじゃないかっていうことだよ。そういった意味で逆宣伝が多かったんじゃないか。あれで良くなったって言う人はいないからね。反対に,運動とか社会が何か変わったかっていうと,何も変わっていないんだよ。それで,その頃の人たちはそんなことを言って,インテリぶって,何にもやらないくせに理屈だけ言ってさ。例えば,イラク反対って言ったらね,次の日コメンテーターになれないからね。けど,皆コメンテーターが言ってること正しいと思っているからね。
──『実録・連合赤軍』の中で,音楽にはロックが使われていますね。学生運動はロックですか。
(『連合赤軍』に関して)前半はロックで行こう,と。60年代はロックでイケイケだと。それからだんだん連合赤軍で来た時から,内部的な音楽でいこうかって。学生たちが組織が出てくる時は,ロックで行こうと。
──運動に参加した人の心情は,人によって全然違ってくるのでしょうか。
まぁ,あの頃本気でやっていたという人はどれくらいいたのかっていうね。飲み屋で,俺はあの頃運動やっていたなんて大声で言ってるやつは,本当はやってないんだな。本当にやったやつはな,やっぱり黙ってるよ。そっと生きているか,負けたことが恥だと思ってやっていたという事を言わない。俺だって新宿騒乱の時は野次馬だったからね,後ろから石投げてやっていた。帰って飲み屋で酒飲んで,やっているってことはあるけど,そんなもんだよ。
──なぜ,本当に運動をやった人達は黙るのでしょうか。
そっと今でも何か機関誌を出したりはしているけども,正面向かって俺はやったなんて言ってないよな。自分たちが負けたという事と,それはやっぱり,どこか後ろめたさがあるんじゃないの。
──それを語っていくことが勇気なのではないでしょうか。
あぁ,だから,あいつら勇気なかったんだよ。本当に良く分かるのが,この映画を撮るために前売り券制度をやった時だよ。やっぱり,運動をしていた連中に買ってくれって言ったんだけど,誰一人買うやつはいないよ。口だけだよ。口でワァワァいってるけどさ,いざお金となると,例えば,一口1万5000円,二口30000円で,カンパとしてじゃなくて,先に前売り券を買ってくれって言った。誰もいない。映画作るやつと,俺は映画監督やっとるわっていうやつと,俺は運動家だっていうやつと。皆無っていうくらいだ。本当に買ってくれた人は,何にも言わずに今はコツコツちゃんと仕事して,陰で色々な人達を支援したりしている人だよ。陰から今刑務所に入っている人間や,捕まった人間の弁護士を出したりなんかして,コツコツやっているよ。一切自分のことはやらない。デモとかそういうのにも行かないよ,そういう人は。
──60年代という時代は,壇の上と下がひっくり返るような独特な空気がありますよね。
やっぱ学生がギャーギャー言ってるとき,じゃあお前,壇の上に上がってこいって言うと上がってくるやつがいたけどさ,今はまぁ上がってくるやついないだろ。それと,僕は60年代っていうのは一番自由な時だったんじゃないかって思うんだよね。あれだけ,労働者も学生も嫌なものは嫌だって言えるという事が一番重要な,社会だったのじゃなかったかな。でもそれがあんまりになってきたというんで,カミソリ後藤田ってやつが上手くシナリオ書いてさ,どんどん一人一人潰していって。あれ,テレビは全局で放映させたんだから。最高視聴率が98.7%だったんだから。赤ん坊以外皆見てるってわけだよ。それでこいつら悪いやつらだ,悪いやつらだって。そして絶対殺しちゃだめだって命令が出たんだ。普通だったら,機動隊殺されたら機動隊だって頭来るだろ,仲間を殺されているんだから。みんなぶち殺したい感じだよ。普通の感情だったら。それを絶対殺したらダメだって。一人残らず生け捕りにしろって。それで恥をかかせろって。殺したら間違いなく英雄になっているからね。殉教者になるからね。それをさせたくなかったんだよ。
愛国心について
──ところで,愛国心という心情についてはどうお考えですか。また監督に,そういったものはありますか。
僕はね,自分を日本に住んでいる日本人,在日日本人だっていう言い方をしてる。愛国心はないよね。ただ,愛国であろうが何であろうが,国を想って死んで行った人間に対してはものすごい興味があるし,そういう映画を残して行きたいと思っている。浅沼稲次郎を刺して殺して行った山口二矢をどうしても撮りたいなって思った。17歳でこの世を去って行って。良い悪いはまた別問題。俺は72歳で生きてる。17歳で世のことを思い,自分がいいと思ったことをやった人間がいた。もちろん,そりゃ,悪いことだよ。けれども,命をかけてそこまでやった人間を歴史の中から消したくないんだよな。連合赤軍もそうなんだよ。歴史の中から,戦争と連合赤軍ほどすごいものはないと思う。やっぱり連合赤軍を描こうと思えば,東大闘争もあるしさ。学生運動の,過激な学生が生まれてきたのはあれが最初だからね。あそこから分裂が始まるわけだから。
──学生の立ち上がるエネルギーを歴史として伝えてゆきたい,ということですね。
歴史として,やっぱり正しく伝えていきたい。連合赤軍も『突入せよ!』みたいに警察の側から見たあれだけを連合赤軍だと思ってさ,一般の人は「連合赤軍」っていうと鉄球が当たるやつ,警官があれだけ集まったやつ,ってさ。なんでそうなったかって事を描いたものはないわけ。だから,どうしても撮っておきたかった。例えば,山口二矢はテロをやった。彼の生き様とかさ,なんでテロをやったということは描かれてない。17歳だよ,一番遊びたい時だよ。でも昔,明治維新だったらね,17歳だったらね,運動に走って行った人もいっぱいいただろう。だから,できるんだよ。そして若いうちじゃないと絶対できないと思う。就職したらさ,上に絶対誰かいるしさ,首になっちゃうと困ると思うし,普通の社会だって同じなんだよ。
映画論
──『実録・連合赤軍』の冒頭には昔の映像が使われていて,その映像は白黒ですよね。カラーが一部だけというのはなぜでしょう。
カラーはなかった。ものすごいカラーはフィルムが高かったんだよ。だから,どこの国に行ってもよく聞かれるんだよ。なんでカラーじゃないのかって。白黒にしてあるのは何か意味があるのか,って。違うんだよ。あれはカラーを少し入れてくれっていう配給会社のためにであってさ。でもそこで,どこにカラーを入れたらいいかっていう話。だから,ほとんどの作品にカラーは,ちょこっとは入っているんだよ。入れ方は,その監督の才能だよな。表現だよな。うまくカラーを入れることで映画が引き立つと思ったら,そこのところにカラーを使ってやる。だから,馬鹿な監督はラブシーンのところにしか入れないとかな(笑)。みんな映画中に寝ていても,そこのところだけ目が覚めるとかな。それじゃあ嫌だから,僕はなるべくそういうところじゃないところに使おうという。
──カラーと白黒のことで言えば,1967年の監督の作品・『犯された白衣』でも最後にカラーが出てきますね。
意味はないんだけれど,そういうところで有効に使えば,やっぱりカラーは違うね。赤い色がはっきり出るし。例えば,『天使の恍惚』でも富士山だとかさ。富士山っていうものが日本の国家のイメージであって,僕は本当を言うと,その富士山を爆発させるっていう意味であそこでやるはずだったんだ。だけど車がもう一台スローモーションで撮っていて,そこのカメラマンの助手が早く回しすぎて,フィルムが切れちゃったんだよ。だからワン・カメラになっちゃっているけど。まぁ,予算の問題だね。
──今日は本当にありがとうございました。