KENBUNDEN'08駒場祭企画『今語られる 東大,学生,全共闘』 今,表現することとは

今,表現することとは



 2008年9月15日,池尻大橋で学生がシェアしている「ハウス」と呼ばれる場所で対談を行った.内海信彦(美学校・河合塾等講師)や表三郎(駿台予備校講師)という学生運動経験者に予備校で教わったもしくは教わっている人たちによる対談となった.そもそもの対談のきっかけは,近藤伸郎が中島晴矢のパフォーマンスを見て,その秘密を知りたくなったことであった.内海信彦氏の主催するイベントで,中島晴矢は全裸にビニール一枚の格好でサイレンを鳴らしながら突入し,メガホンをもって「演説」を行い,自らの身体に根ざした安田講堂を爆竹で爆破する"全裸連陰核派"という独特なパフォーマンスを行う.
 現代だからこそ成立するある種の前衛芸術(ダダイズム?)と言えるのかもしれない.なぜ彼は表現することにこだわるのか.学生である僕たちが「今」と「昔」をどう考えるか,運動や表現とは何なのかということについて,じっくり語り合う1時間になったと思う.

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司会:近藤伸郎(東京大学教養学部文科I類1年,駿台大阪校卒,立花隆ゼミナール.表三郎の教え子.)
学生N:中島晴矢(法政大学文学部1年,美学校・絵画表現研究室所属,麻布高校~駿台御茶ノ水校卒,「世界陰核戦争宣言」「男根崇拝のポルカ」「偽装建築バカハウス」などのパフォーマンスを行う.内海信彦の教え子.)
学生S:榮龍太朗(駿台御茶ノ水校在籍.内海信彦の教え子.)
学生O:岡田祐哉(慶応義塾大学経済学部1年,駿台大阪南校卒.表三郎の教え子.)

・内海信彦について


——とりあえず,二人は内海さんの教え子ということで,内海さんの話を聞いてみたいかな.
N:まず,出会ったのが駿台.予備校の講師だったんだけど(芸術文化系論文ね),いわゆる予備校的な授業をしない人で,色んな知識とかをアジってくるわけね.左翼のアジりに近い講義というか.そういうところでやはり違うな,と.
——彼が学生運動経験者ということを意識し始めたのはいつぐらいから?
N:それはけっこう遅いけどね.まぁ,実際はそういう話はあまりしなかったのよ.僕が"三島ネタ"やったんですよ.秋くらいに.それで気がついた感じ.
——"三島ネタ"というのは.
N:三島由紀夫の格好して,自慰する「男根崇拝のポルカ」ってネタ.それで1960年代,70年代の話になって,それから学生運動を意識し始めたかな.それで,"全裸連陰核派"につながるし.
——パフォーマンスをするということを内海さんから教わったのか?
N: 内海さんに何かしろって言われて,自分でした感じ.そうするとこうなった.
——60年代の空気を考える上で,口だけではなく行動を伴えというのはあるよね.
N: ある.
——内海さんはそういうタイプの人間なのかな.
N: やはり批評家ぶっているやつとか,口だけってのは違うって言ってるね.
S: 俺は内海さんと絡んでまだ半年も経ってないし,すごく信奉してるとかではないですけど,評価している部分はあると思う.
——学生運動経験者というのは?
S: それは全然関係ないです.
N: それは俺も関係ないかな.
S: 優先の順番でいうと,学生運動に対しての興味ってそんなにないし,関係ないですね.
——じゃあ,どういう部分で.
S: やっぱり実践しているっていうことが大きいかな.
N: 先週もドイツにバウハウスのワークショップに行ってきたっていうし,アウシュビッツにも何度も行って,現地で「ライブペインティング」っていう芸術活動も行ってる.経験値が違うね.
S: 自分の思想みたいなのを持っていて,かつそれを実行しているってのはエネルギーがいることだし,それが魅力的に俺には見えますね.学生運動,闘争っていうよりは,それが前提になって学生運動が出てくるって感じですね.

・"三島ネタ"と"陰核派"


——中島君はなんで"三島ネタ"や"陰核派"をやろうと思ったの.
N: "三島ネタ"は完全に内発的なもので,内海さんに関係なくやったかな.三島由紀夫をたくさん読んでたっていうだけなのだけれども,共感する部分,反論する部分は色々あってね.
O: どういう部分?
N: 最初,野次馬的に入ったのね.顔が面白いと思った.この顔は今の世の中にはいないと思った.その後,本とか読み出して.野次馬的に入っちゃうと,自決の話とかが出てきた.顔も物まねできるし,やりたいな,と.
——パフォーマンスをして,刺激を得たのはどういう部分?
N: 批評性をこめていて,当時の「大きな物語」があった時に切腹できたっていうのは,非常に憧れがある.それと,あんなこと今考えたらバカで滑稽だなって思う部分と両方あって.大文字の国家とか歴史への真摯で率直な対峙は,たしかにあらゆる時代に必要な政治的態度なんだろうけど,社会が成熟して価値観が細分化した現代においては,大袈裟で馬鹿馬鹿しい噴き上がりになっちゃうんじゃないかと.前者は近代的で,後者は脱近代的って言えるとも思うけど.つまりマスターベーション的なナルシシズムに満ちてる近代主義者の三島に対するアンビバレントな愛憎を,メタ的に可視化しようとしたらあのネタになったんだよね.
——要するに,バカなことを本気でやれる熱さっていうことなのかな?
N: そう,その熱さ.
——三島の自決って色々なところに影響を及ぼしているよね.よど号とか.外国とかにも.
N: みたいだね.まぁ,でも個人的な,私的な部分でのパフォーマンスだよ.
——俺が最初に"陰核派"を見たときのことなんだけど,最初のセリフが気になる.
N: 「東大生であることに対してはっきりと拒否の宣言をしたい.なぜなら私は,東大生ではないからである.」
——そこに惚れたよ(笑)
N: そこが語義矛盾というか,ナンセンスだからさ,たぶん一番面白いんだよね.
S: ある意味で押しっぽい部分があるよね.それ言われちゃうともう何言っても勝ちっていうところはある.「知ってるよ!」みたいな.みんなが問題にもしない前提にも触れる.芸術の世界ではよく言われることだけど,いまお笑いの人でもそこまであからさまにやる人ってなかなかいないから面白いと思った.
O: やる前とやった後での変化っていうのは?
——射精感があるってやつ?
N: 気持ちいいのは気持ちいいよ.僕には陰核(クリトリス)ついてないけど(笑).
——法政大学は学生運動やってるの?
N: やってるやってる.
O: 法政の人知っているよ.
——他のところはほとんどないよね.早稲田がちょっとくらい.慶應は皆無.
N: "陰核"はギミックなんだよな.使っているだけで,そこまで内発的な動機でやっているんじゃない.内海さんの言っていることを取り入れてやっただけ.面白いじゃんって.DJ的にリミックスしてるだけ.かなり浅いよ.
——なるほど.パフォーマンスすること自体にアート的な意味がある.
N: そうだね.”三島”とか”陰核”とかのパフォーマンスは年上がけっこう引っかかるんだよ.その人たちの記憶の引き出しを開けるわけ.で,そこをフックにして最終的にはよくわかんない所に着地させられればいい,と思うんだ.

・運動と「今」


——法政の学生運動とは違うんだね.
N: 違う.法政のやつらはベタにガチでやっている.
——例えばどういうところが?
N: 労働者革命とか,党派組んで資本家倒そうとか,そういう話.
O: 結局,新しい縄張り作ろうとかそれだけでは?
N: それはあると思うよ.だから,僕は興味ない.全然リアリティーを感じないわけなんですよ.むしろ,関わりたくない.
——大学はどんどん締め付ける方向には行っているよね?
N: それは僕も感じるよ.息苦しいし,つまんないし,出席とかめっちゃ取るしさ.だから嫌なんだけど,でも今そういう運動してもリアリティーがあるのかっていうと,ないからさ.だから,ダサいよね.
O: やっぱり,上の人の話が響いてこないんだよね.
——リアリティーが違う.
O: 昔の映像を見ていると,前に立っている人から震え立つようなものが聞こえてくる.けど,今やっている人たちのは心に響いてこないよね.逆に白けさせられる.この人たちの理論のために動かされているだけやんっていう.
——昔は医学部の事件に象徴されるように,不条理な社会だった.しかも,一緒に闘った仲間が死んでいく.そんな中,自分がどう行動するかが問われてくるリアリティーがあったんだよね.
N: 時代はかなりあったと思う.そもそもソ連があってさ,共産主義革命がまだ信じられた.今ないでしょ.失敗したでしょ.また繰り返してどうすんのって.
O: だから響いてこないの一言につきるよね.
S: 運動自体,今は学生がやらない流れって言われているけど,僕は,逆に今ほど学生が運動している時代ってないと思う.学生運動の意味が変わっちゃって,「大学当局」とか言っても意味ないってことが分かったのだから,権力を相手にしないで勝手に「俺らでやるよ」ってフラフラしてる状態になっていだけで.どういう形で現れているかっていうと,サークル活動もそうなんじゃないの.
N: スーフリ的な(笑).違うか(笑).
O: 消化しきれないエネルギーを処理してる.
N: 60-70年代っていう固有名詞ってのはないけど,広い意味での学生運動っていうことなら今の方がむしろしているんじゃないか.
——運動っていうからには何かと闘っているイメージがあるんだけど,そういうのはある?
N: それはないよね.
——やっぱりない.それよりも,自分たちのアクティビティを楽しんでいるというイメージ?
S: いいんじゃないですかね,それで.ただ,社会の規範に反発しているというところはあるよね.
O: 逆に,心に響くことが言えるような人が出てきたときの楽しみはある.

・表現と「今」


——当時の空気っていうのは無理かな.
O: それは無理.
S: 全体的な流れは無理でしょうね.けれど,個人の好みに最適化されたものはあるから,皆そこで満足しちゃうし.
N: 「島宇宙」的なね.
——「島宇宙」で満足しきれるのかという問題がある.
——表現者として何が問われている? 用意されたもので根源的に満足できない者が芸術家になるって内海さんが言っていたような気が? そういう人になる気はない?
S: うーん,一億総表現社会に行くんじゃないかな.表現するためのコストも減ってるし.「個性を大事に」っていう圧力も前より高まってるわけだし.
——じゃあ,その考え方は古いのかな?
N: 分からない.けど,行き着くと,萌え要素の方に行くんじゃないかな.ブロッコリー的な.
——運動は?
N: 運動はしてるよね.
——けど,反体制派ではない?
N: 体制ってもうないんじゃないの?
——(笑)
O: 俺はまだ体制を感じる.
S: 体制が嫌なら,そこに干渉されないで生きる方法があるのだから,そうしなよってことじゃないの?
O: そうすると自分の可能性を縮めることにならない?
N: 体制はあったとしても,より見えにくくなっているってところはあるよね.システムが全部.
——システムに対して疑問を抱かない方が生きやすくはなっているよね.それは昔でも一緒なんだよね.
N: それは俺も抱いた.だから,"陰核"のセリフっていうのは,あれはお笑いじゃなくて,システムに対する反発を伝えたんだよ.
——けど,運動でそれを変えようっていう気はないんだよね.
N: それはないね.
——変わらないけども,表現してアピールすることに意味があるの?
N: 運動では変わらないと思うけど.
——じゃあ,何のために表現する?
N: うーん.
——ラディカルな話になってきた(笑).

・運動による表現=パフォーマンス?


——当時でもそうなんだけど,当時の論理,例えば「自己批判」の論理はある種自分をごまかす論理だと思うわけ.共産主義革命のためには我々は自己批判をして戦士として生まれ変わらなければならないんだってね.人間が疎外されているよね.
N: 自意識が出ているっていうのは感じる.普段の自分の自意識,つまりコンプレックスが全部運動で「自分はすごいんだ」って思い込んじゃえる装置があったからね.それで自分をごまかしていた.
——当時の共産主義運動は,自分を保つ装置だった.それはそうだろうね.
N: 自意識回収装置だったんじゃないっていうことは,最後バレたじゃん.内ゲバになって.
——そこまで分かっていて,なお表現したいこと.俺はそこに非常に興味があるね.
N: うーん.政治的なことで表現しているんじゃなく…….いや,政治的だけどね(笑).
——政治を道具にしているけれど,主張は政治的ではない.
N: 今の息苦しさみたいなのは感じるわけなんですよ.表現やパフォーマンスをしないで生きていたら,どれだけつまらないのかっていうのは感じる.
——パフォーマンスは楽しい?
N: 純粋に楽しいと思える.
——いいよね.
N: それで,その息苦しさを自分でどうにかしなきゃいけないって時に,ああなるわけ(笑).
——パフォーマンスが退かれることはないの?
N: いやいや,退かれることを前提にやるわけですよ(笑).
——他人が認めてくれない辛さは?
N: これでも色々と考えてやっているんだよね.自分の本当にやりたいことだけやっても,多分誰も見てくれない.皆にフックを散りばめておくわけなんですよ,皆が食いつくような.そこから,最終的に自分の言いたいことを言うっていうふうに持っていくんだよね.フックだけなら,表現,アート,笑いではなく,商品・コンテンツになっていくんだろうけどさ.それがやりたいわけじゃなくてさ.やっぱり,笑いのアートをやりたいわけね.
——当時の運動が失敗した要因の一つがユーモアがなかったって話が.
N: ベタなんだよね.
——表現したものを認めてくれないと辛いよね,やっぱり.
N: そうそうそう.

・予備校ってどう?


——榮君,予備校生として大学生に感じる不条理はある?
S: 全然ない.
——予備校楽しい?
S: まぁ,楽しいって言っていいんじゃないですかね? でもあんまりそういうのは考えたことないっていうか.予備校だからっていうのは特別意識してなくて,ただ中学高校のときからそういうテンションだったのでその延長っていうか.ただの日常? でもいわゆる「学校」ってそういうものじゃないですかね.自分にとってはそうです.
——僕は表三郎の教え子で,彼も二浪しているんだけど,彼の話でも,やっぱり予備校生も高校生も大学に行くと熱くなくなるわけね.だから,予備校生は大学生に対してルサンチマンがあるのかな.そういう考えが予備校で養われた.予備校の一年はあるのとないので,今が全然違う気がする.
O: 批判的にものを見るというか.当たり前のように押し付けてくるのが大学だから,それをしっかりと自分で考えて見極めろっていうね.自分のことを含めて批判的に見ること.
——その辺を含めて,予備校生としてはどう思うか.
S: 僕はベーシックな予備校生じゃないので,参考にならないと思う(笑).僕は中学の頃,自分の好きなものがマジョリティの好きなものと違うということを認識していた.その時点で,周りは関係ないというか同じコミュニティに属していても自分と他人は違うということに気づいた.というか,そのときまではきっと無意識下では自分と他人が違う人間だと思ってなかった.だから,予備校生がとか,大学生がとか,どの集団に属しているかとかはあんまり関係なくて完全に個人の問題だと思っている.
——それは,なかなかすばらしい考え方だな.
S: 高校の時,なんで自分の好きなものが認められないのだというのはあった.けど,それって触れる機会がないだけで,いくつかの経験を通して,触れる機会さえあれば皆好きになるかもしれないって思うようになった.
N: そういう機会を作っていくということをやりたいわけ?
S: うん,機会を作っていくということで,自分の欲望を満たせるだろうなって.他は現時点でそいつがどうとかは興味ない.
——予備校時代があろうとなかろうと変わらないみたいだね.
S: うん.
——周りの予備校生はどう?
S: 知らない.
一同:(笑)
N: 僕はベーシックな例だったと思うので話すと,高校の頃から麻布といういいところの高校で,東大に行ってやろうかなっていう気持ちはあったんだけども,現に自分の成績が足りなくて,現役で全落ちした.それで,駿台行って,鬱々とはしてたよ,やっぱり.
——漫画(注:中島の書いたオリジナルの漫画)にも出てたよね.リアリティがあった.すごく現代的だと思う.今って,受験で価値の序列が決められる時代にどんどんなってきている気がする.学歴社会.
N: 前からだよ.70年代の共通一次かららしいけど.
S: それって,本人が頑張ればどうにかなるからいいじゃんって思っちゃうんだけど.受験って今のところいわゆる「才能」を問うているわけじゃなくて,誰でもやれば出来るレベルのものを聞いてるんだから.
O: それをやりすぎると,個人主義になって,どうなのかな.

・どのような社会が理想?


S: ソーシャルデザインで,個人が勝手に生きても社会が維持できる仕組みにすればいいじゃん.本人たちが自覚的に社会を維持していくっていうのじゃなくて,社会の枠組みを作っちゃって,その中で自由度の高い社会にして欲しい.
N: 近代ってのは,教育とかで自分の倫理とか社会的責任感のある人を作ることで社会を回していたけれど,それがなくなってきて,ポストモダンになって,システムで,環境管理で社会を回せるようになってきたと.その中で皆がダラダラ生きていると.それは完全にいいじゃんとしか言えないんだけど.
O: 枠組み決めてやっていくというのは,枠組みに入れたらいいけど,入れなかったらどうするの?
N: 今,その問題があるよね.
S: どこに設定するかという問題.
N: 秋葉原の加藤さんだと思う.
S: 「攻殻機動隊」ってあるよね.あれのテレビのやつで何度も出てくるのが「社会がダメなら,自分が変われ」っていうセリフがある.そうじゃんとしか思えない.というか,そっちの方が早いし楽だと思う.それは,社会に迎合していくっていうことでは必ずしもなくて.
——それは,強い生き方だね.
N: キツい人が出てきたら救わないとっていうのはあるけどね.
——それが,いわゆるネオリベ的社会ってやつだね.お金の序列が価値の序列.競争で排除されるのは仕方がないっていう.

・予備校界のこれから


——俺が問題だと思っているのは,受験戦争に勝った者は幸せになれるっていう神話が蔓延っていること.
N: それはあるよね.
O: うんうん.
S: けど,それはそういったイデオロギーがないと頑張れないじゃん.
——そうなんだけど,勝ち残ったやつが目標を失うような気がして.
S: それは予備校・受験業界的には「自己責任」って切り捨てられる.
——もちろん,そうなんだけど,それはどうなのかっていう.
N: 教育当事者からすると既得権益だからね.
——良い悪いという問題ではなくて.
O: 自己責任で仕方がないというのは,俺からしてみれば,対話責任を拒否している気がする.
——対話責任?
O: 予備校というところは何のために存在しているとかそういう部分.
S: 予備校はいいんじゃないの.
——予備校も変わってきているよね.内海さんも言ってた.
S: 変えてくれって感じ.受験で「~の大学に入りたい」っていうニーズを満たすために予備校というのがあるのだったら,駿台とかのやり方っていうのはもう最適じゃない.より最適化された機関が他に出てきたから,駿台とか旧来の予備校はシステムとして勝てなくなる.だったら,もしかしたらもう予備校とは言えない形になるかもしれないけど,今までの予備校とは違う方向性を模索した方が,駿台のためにもなるんじゃないかなと思っちゃう.
——どういう方向性が理想かということだよね.
O: それは色々ある.
N: 一つの理想を呈示するのは無理かな.

☆☆☆

 その後,取り留めもない話を延々とした.

 最後に一つだけ気になったところを載せておくと,

N: つながりっていまmixiなんじゃないの.
O: 対話のレベルが浅いかなっていう.

 人は生きていくためには,人とのつながりが必要である.60年代はもしかしたら,マルクス主義がその役割を果たしたのかもしれない.
それに対して,ネット上のツールが発達している現代はmixiである.これは良い/悪いという話ではなく,ただ,現代は一昔前(60年代)とは明確に社会形態が異なっているのだということ.
 今回集まった若者たちの視点は「革命は古い」の一言につきる.現代の社会形態を肯定しつつ,いかに「自分がより良く生きる」ということを目指すか.そのための一つの手段が表現すること,芸術であった.今回のこの対談は,時代は変わったのだということの一つのメルクマールを象徴的に表すものなのかもしれない.

執筆:近藤伸郎