さぁ、いよいよイタリア紀行のはじまりです。
まずは、ローマから南下し、ポンペイへ向かいます。ポンペイは1997年に世界遺産に登録された場所です。
実は、ポンペイは街ではありません。“かつて”街だった場所なのです。2000年前のベスビオ火山の大噴火で一瞬にして地下に埋もれた古代都市がポンペイです。現在は発掘作業が進み、全体の5分の3くらいの発掘が終わっているそうです。 |
ポンペイは、かつて地中海貿易の要所として栄え、イタリアの中でもきわめて裕福で平和な町でした。
2000年前の姿のままで土の中に埋まっているために、当時の街の姿をまさしく「そのまま」残した貴重な遺跡です。 |

ポンペイの遺跡 |

鼻を覆って息絶えた人 |
当時の人々の直接の死因は、多くが火山ガスによる窒息死であると言われています。鼻を押さえた姿のまま発見される人体が多いそうです。 |
ポンペイの公衆浴場跡です。ポンペイの家屋の屋根は火山灰の重みによって崩れてしまいましたが、浴場はアーチ型の丈夫な屋根だったためそのまま残っていました。
天井につけられた無数の溝は、天井から水滴が落ちてこないようにつけられたものだそうです。 |

ポンペイの男性用浴場 |

パン屋のかまど跡 |
ポンペイの町からは数多くのパン屋跡が発見されています。
かまどに加え、小麦を挽くための石臼がセットで残っている場所が、パン屋であったと考えられています。 |
水道橋によって飲料水が引かれるようになると、ポンペイの町にも上水道が整備されました。道端にある水場には常にきれいな水が流れており、誰でも利用することができたようです。 |

ポンペイの水くみ場 |

ポンペイの道路 |
ポンペイの道路は、歩道と車道に分かれていました。道端の水くみ場からは常に水が流れ出していたため、歩道より一段低い車道は排水路を兼ねていたそうです。
歩道から歩道へ濡れずに渡るための「飛び石」がある場所もあります。 |
ポンペイには当時の壁画が残っている場所がたくさんありますが、中でももっとも鮮やかで美しい赤色が残っているのが「秘儀荘」の壁画です。 |

秘儀荘に残る壁画 |

高速道路からみたベスビオ山 |
ポンペイの街を呑み込む大噴火を起こしたベスビオ山の今の姿。 |
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