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島全体が戦争遺跡(グアム#1)

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グアムの海に沈む船

グアムの海に沈む船

今年2月、グアムに行った。初めて行く南国リゾートに、胸躍らせて機上の人となったのだが・・・。

海上をクルーズした時、沈んだ船が何隻か海面から顔をのぞかせていて、なんだか痛々しかった。そして、そんな海の上では、米軍基地から飛び立った戦闘機が爆音を轟かせていた。

たとえ核の傘の下での平和だったとしても、現に、かつて多くの血が流れたこの島を、僕らはTシャツにサンダルで歩き回れる。この平和も、世界の多くの人が尽力してる結果だということに、感謝しないといけないよね。

夜中の電話にドキリ

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電話中。

電話中。

皆さんは夜中に電話を受けることがあるだろうか。

僕は、そのほとんどは家族か親しい友達からなのだが(残念ながら恋人はいない)、立花ゼミでは時々「立花隆」からの着信があり、ドキリとすることがある。たいていは、ゼミ長か、立花先生が絡む企画の責任者が電話を受けるのだが、時間は夜の10時11時くらいはざらである。僕が知っている「最遅」記録は、前ゼミ長の関君にかかってきた物で、夜中の2時という記録がある。僕は幸か不幸か、日付が変わってから電話があった覚えはない。

立花ゼミが抱える大きな行事が迫ってくると、時々立花事務所に緊急招集がかかることがある。僕が経験した中で、一番激しかったのは07年度の五月祭で、夜中の10時ころに電話があり、事務所に出かけて行って、そのまま夜を徹してWeb制作を行った。気づいたら朝の4時ころになっていて、先生が事務所の3階から降りてきて声をかけてくださって、一緒にいた先輩と共に夜食をジョナサンでご馳走していただいたことがある。当時はいっぱいいっぱいで大変だったが、今となっては良い思い出だ。

企画の直前まで準備を放っておくとこうなるので、それ以後は僕も学習し、「何日までにこれ、何日までにこれ・・・」とあらかじめ大まかなスケジュールをFAX等で伝え、必要であればこちらから、時間を作ってもらえないか先生にお伺いを立てることにした。幸い、そのあと関わった企画では、立花先生に引っ張ってもらうという状況にはならずに済んだ。・・・というか、そもそも学生の企画なのだから、立花先生にスケジューリングを任せるのは不謹慎な話であるのだが。

僕ら学生も、最初のうちはまだまだ修行が足りない。少しずつ、うまくやる方法を見つけ出し、成長していくのだ。

なぜか桜の下でゼミ生と会う

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正門の右・八重桜

4月、新入生が駒場の空気に戸惑う頃

駒場キャンパスの正門を入って右手にある見事な八重桜。

写真を撮っていたら、偶然ゼミ生の山本君と出会った。「まさかずっと写真撮ってるんですか?」と言われてしまった(笑)

え、そういうキャラ定着!?

 この桜の樹の下で、よくゼミ生と遭遇する。今年は昨年よりさらに多くの人が入ってきてくれて、さらにキャンパス内遭遇確率が上がったな。もし僕を見つけたら、ヘンな先輩だと思わず(・・・いや、実際ヘンな先輩だが、怖がらずに)気軽に声をかけてね! ・・・用事があれば。

立花、さんか先生か氏か(敬称なし)か

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授業での立花先生

授業での立花先生

ゼミに入って最初にページを作るとき、立花先生の名前を記事中に書こうとして、どう呼べばよいか小一時間悩んだ覚えがある。

「立花隆さん」・・・これは、なんか立花ゼミのサイト内で使うと、外部の人間が記事を書いているような印象になる。僕はゼミサイト内ではあまり使わない。

「立花先生」・・・これは、学生視点の記事である場合は、よく利用する。尊敬するというよりは、ゼミで普段「立花先生」と親しみをこめて呼んでいるのをそのまま流用した形だ。個人的には、最も抵抗がなく、使いやすい。

「立花隆氏」・・・別にかまわないのだが、立花先生に親しみを感じてくると、ちょっと固い感じがして、僕はあまり使わない。

「立花隆」・・・客観的なレポート記事などでは、僕はよく使う。通常、身内の人間は呼び捨てにする。社員が自分の社長を呼び捨てにするのと同じだ。「学生なんだから、先生には敬称をつけよ」という批判もあるだろう。だが、立花先生は、先生という以前にジャーナリストだから、先生、先生、と連打すると単なる立花隆のファンサイトっぽくなる可能性もある。前々ゼミ長の酒井さんは、公の場で発言するときは呼び捨てにしていた。

「立花隆教授」・・・これは僕の中ではありえない! 特任教授なのでウソではないが、・・・なんか似つかわしくない。他でもこういう呼び方は見たことないし、ゼミでも呼ばない。

う~ん、難しい・・・。明確な答えが出たわけでなく、やっぱり場合によって使い分けてしまう。

戸塚洋二先生追悼シンポジウム

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戸塚先生(右) ご自宅にて

戸塚洋二先生

戸塚洋二先生は、ノーベル賞目前と言われた、たいへん偉大な素粒子物理学者で、立花ゼミは昨年6月25日に、ご自宅でインタビューさせていただいた。その業績は言うまでもなく、一人の人間としても、その生き方には感銘を受けた。

残念ながら、インタビューのわずか2週間後に癌で亡くなられたが、今思い返しても、ご体調がすぐれない中、本当に貴重なお時間を割いていただき、心から感謝している。

その、戸塚先生を偲んで、記念シンポジウムが、来る2009年6月9日、東京大学安田講堂にて開催される。公式ページは下記のアドレスである。

http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/tribute_yoji_totsuka/

素粒子に興味のある方、ぜひ参加されてみては。

「優しい記事を書く」

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略す勇気

略す勇気

「優しい記事を作ろう」
これは、僕が「見聞伝」に入ってずっと念頭に置いてきたことだ。この方針は、2007年度のゼミ長・酒井さんが言った何気ない一言に端を発している。
『東大生って、自分が世間の標準から外れた世界にいることを、ほとんど自覚していない』
駒場の駅の階段を下りながら、酒井さんがしみじみと発した言葉を、今でもはっきり覚えている。

自惚れといわれるかもしれないが、(そして、確かに少し自惚れているので批判は甘んじて受けたいが、)東京大学は、学問に関しては「優秀」な人間の集団であると思う。これは悪いことではない。そういう場所として東大があるのだから、当然のことだ。
だが、そんな僕らが、学外の(これから学問に足を踏み入れようとしている)人に何かを伝えようとするとき、僕らが普段の感覚で記事を書き、説明したのでは、到底伝わらない。
 
つまり、読み手が自分の属する集団でないというのなら、相手のいる立場を理解して、「優しい」記事を書かなければならない。サイトで発表する記事が、学内で提出する文書や授業のプレゼンテーションとは、全く別の性質を兼ね備えなければならないということを自覚すべきだ。

どこまで妥協して、わかりやすさと情報の質を両立するか。これこそが、一つのメディアの永遠の課題であり、これを追求し続けることが、各分野の最先端を言葉で伝える人間の資格でもあると思う。

だが、さらに悪いことに、僕らは、読み手を軽く見てはいけないと思って、自分の力の及ぶ限り、一生懸命に説明を繰り返して、「何がなんでも自分の思っていることを伝えよう」と奮闘してしまいがちだ。特に、学問分野を取材した記事や、自分で問題提起したプロジェクトの記事では、厳密さや正確性を追求して、網羅的な記事になる傾向がある。もちろん、同じ学問分野の人に向けた議論ではこれで一向に構わない。だが、毎日何時間も学問に時間を費やせる人間は、この世の中のほんの一部だ。広く一般に向けた記事では、場合によっては、難しくなりそうな部分を削ったり、ぼやかしたり、天下り的に説明したりして、読み手にわかりやすく伝わる文章にするよう努力すべきである。そうでなければ、「伝えるプロ」たりえない。自分の取材量や勉強量に、記事の文章量が比例する人は要注意である。

なお、これは、別に学問に限ったことではない。たとえばプロのサッカー選手がちびっこサッカー教室に招かれたら、高度なテクニックを教えてもほとんど無意味だ。誰も聞く耳を持たないで終わってしまうだろう。だから、ちゃんとした、思いやりのあるサッカー選手なら、きっと自分のレベルをかなりセーブして練習メニューを作ったり、小さい頃の自分がどういう練習をしていたかを話すなど、その場にいるみんなが楽しめるような環境を作ろうと努力するだろう。たとえそれが、自分の「優秀な」能力と全く釣り合わないレベルのものであったとしても。

早い話が、自分にうぬぼれるな、ということだ。読み手は、誰が記事を書いたかとか、そいつの能力はいかばかりか、とか、そんなことは気にしない。記事は自分の能力を評価してもらうために書くのではない。これだけ取材しました、これだけ勉強して、調べて、がんばって記事にしました、ということを主張するような記事は三流だ。

もっとも、僕もどこかでそんな記事を書いてしまっている可能性も大いにあるわけだし、そもそもこの議論に明確な答えなどない。だが心掛けは大切だと思う。

注)文中の「優秀」は、単に「得意」という意味で使った。外部からはよく「優秀」というレッテルが張られるため。

四季折々の駒場

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冬学期の試験が終わるころ

2月、冬学期の試験が終わる頃

ALIESの集まりに急いでいたある日の朝。

ふと頭上を見上げると、大揺れしながら、からっ風に耐える梅の花。

少し、時間を止めてみた。

 

ちょっと視点をずらしてみると、そこにはいつも絵になる自然が待ち構えている。それが駒場だ。

生き返る

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ええなぁ

好みのタイプ

「どんな花が好き?」

そう聞かれて、突然答えを出せるほど、花にこだわりがあるわけじゃない。

 

だけど、こんな花は、なんかいいなぁ、と思う。

 

みなさんは、どんな花が好きですか?

一瞬にして焦げると、人はこうなる

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ベスビオ山の噴火で死んだ人

噴火で死んだ人

火山の火砕流に巻き込まれ、炭化したままの状態で高温の土に埋まると、後世になってそれをそのままの形で発掘することができる。

これがそれだ。

 

ガスに苦しんで、鼻を押さえうずくまったまま、死んだらしい。なんともかわいそうだ。

もちろん今も、これに負けないくらい惨めな死に方をする人は、世界に数え切れないほどいる。いちいち同情していてはやってられない。・・・だが、やはり、かわいそうだ。

朝の大動脈

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これでも井の頭。

これでも井の頭。

午前中から授業がある日、僕は、駒場キャンパスに出頭すべく、京王井の頭線の満員電車に揺られる。

もちろん手は頭の上。写真を撮ろうにも、盗撮と疑われて「それでも僕はやってない」的になりかねないので、やめておく。

 

だが、朝、まだ6時に満たないうちに井の頭線に乗ると、悠々自適に写真を撮ることができる。

いや、このスケスケが、わずか2時間後に、ああなるとは・・・。なんともおぞましい。こんなところでも、人間って生きていくんだな。