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神の愛はダーウィンとガリレオに及ぶのか

 私の知人でケース・ウェスタン・リザーブ大学のローレンス・クラウス教授は高名な宇宙物理学者です。若いときはピアスをつけ突拍子もない風体をして会議に現れました。昨年久しぶりにあいましたら「まともな」Tシャツを着た普通の大人になっていたのに驚きました。彼は専門の研究だけでなく、多くの軽妙なエッセイを書いて科学の啓蒙に努めていることでよく知られています。
 宇宙の神秘をエキサイティングに語るのも得意ですが、科学者として進化論の正しさを主張し続け、キリスト教原理主義者の創造論に対して戦いを挑み続けていることでも知られています。興味のある方は彼のホームページを訪ねて下さい。
 
 彼の名前を思い出したのは、9月17日のニューズウィークに「Can God Love Darwin、 too?」(神はダーウィンに愛の手をさしのべられるか?)の記事を見たからです。唯一神が万能であるなら、当然神が宇宙や宇宙に存在する万物、とりわけ人間を作り給うたはず、と考えるのは自然です。でなければ、神の存在価値は半減してしまうでしょう。
 
 1859年にチャールズ・ロバート・ダーウィンが世に問うた「種の起源」は、神が個々の生物を自ら作ったのではなく、太古に存在した単一または少数の古代生物が、自然選択の原理に従って、今地球に生きている多くの種に分化していったという理論を、多くの観測や実験事実を元に証明しようとした論文です。後の出版物では、人間も単純な種から分化した動物であると主張しています。

 進化論はキリスト教原理主義者の創造論と真っ向から対立する概念であることは明らかですが、当時のイギリスでは「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれたトーマス・ハックスレーなどの啓蒙活動で、進化論は科学界だけでなく国民の間で急速に認められていったようです。

 一神教に疎い我が国では進化論を疑う人はほとんどいないのではないかと思います。

 しかし、科学がもっとも進んだ国アメリカでは、依然として創造論が蟠踞しているようです。生物学科で進化論を教えることを禁止している大学があるというから驚きです。
 もっと驚くのは、ニューズウィークの最近の世論調査で、48%のアメリカ人が、神は10000年で今の姿形をした人間を作り給うた、と答えたそうです!

 科学先進国アメリカでなぜそのような「非」科学的な信念が生き残るのでしょうか。

 一つ心当たりがあります。
 科学的観察や実験で得られた結果で、その科学的解釈が唯一でない場合は多くあります。いやそれが普通のことかもしれません。最新の分類学、化石学、遺伝学、分子生物学の知見を総動員したとき、99%以上の科学者は生物の「進化・分化」を疑わないと思います。しかし1%以下であっても、残り少ない科学的根拠を元に進化論に懐疑的な科学者は存在します。

 キリスト教原理主義者は豊富な資金を元に、これらの少数の科学者の意見を大々的に宣伝するのです。その基本的戦術は、進化論は確立された学問ではなくまだその正しさが議論されている最中だ、という誤った印象を国民に植え付けることです。

 ジャーナリズムは科学的報道になると、たとえ反論を訴える科学者の数が全体の0.1%でありその主張にほとんど根拠がない場合でさえも、両論併記という手法をよく使います。この手法が国民に、進化論は議論の最中だ、創造論はまだ根拠がある、という印象を与えるのです。

 ジャーナリズムの危うさは、科学報道にも存在するのです。
 そこで、クラウス教授の奮闘が必要になってきているわけです。

 ダーウィンから遡ること約200年前の1632年、ガリレオ・ガリレイは「天文対話」を出版しました。対話形式の中で「地動説」を主張し、天動説をとる伝統的な哲学者をこっぴどくやっつけるという筋立てです。
 聖書の引用には、「地は強固であって不動である、太陽は昇りまた降り、次の日にそれを繰り返す」とあるそうです。
 進化論と同じようにキリスト教原理主義に真っ向から反する主張だったわけです。

 ガリレオは地動説によってダーウィンとは比較にならない苦悩を負うことになりました。
 
 しかし、太陽の周りを地球が動いていることを疑う人はもういないと思います(むろん狂信的な人を除いて)。ガリレオのことは稿を改めてもう少し書きたいと思います。

  (その2へ続く)
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