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 これからシリーズとして主に物理科学で、世界の科学技術の大きなパラダイム変化を起こすきっかけになった発見や、私自身が疑問に思っていたり、またよく理解できない発見などをいくつか取り上げたいと思います。




科学入門シリーズ1:アインシュタインの「神はさいころを振らない」

 まず第1回として、アインシュタインが言ったと伝わる言葉「神はさいころを振らない」をお話ししたいと思います。

 0歳の赤ちゃん1000人を選んだとします。彼らは年とともに成長していきますが、ある原因によって死亡することがあります。ある年数、例えば「T」年後に幸いまだ生存している人数を「N」人とします。縦軸に数値Nを取り横軸に経過年数Tを取ると、そのグラフは例えば、下の図のようになると思います。



 20世紀前半まで、誰もが、普通の人も偉大な科学者も、このグラフに変化を起こした個々の人々の死には必ず死亡原因があった、と考えることは当たり前で、何の疑問も持ちませんでした。もちろん私もそのことを疑いません。

 ある「結果」があるときには必ずその「原因」がある、というのを「因果律」といいます。哲学でも因果律の存在は疑いようのない原理でした。

 科学者は、この因果律は、極微の世界から、人間が知覚できる世界、さらに大宇宙の仕組みにも、当然当てはまると考えていました。

 1896年フランスの科学者アンリ・ベクレルは原子から何かが放射され、黒紙で包装された写真乾板を黒くすることを発見しました。そしてこの未知の何かを放射線と名付けました。

 20世紀に入って、フランスのピエール・マリー・キュリー夫妻やイギリスのアーネスト・ラザフォードはこの放射線の詳しい研究を行いました。特にラザフォードはキュリー夫妻の発見した高い放射能をもつラジウムを使って詳しい研究を行い、3つの大変重要な事実を発見しました。

・放射線には3種類、アルファ、ベータ、ガンマ線があり、それぞれ、ヘリウムの原子核、電子(またはその反粒子の陽電子)、ガンマ線(エネルギーの互い電磁波、または光子)だということを見つけました。
・放射線は非常に高いエネルギーを持っていることがわかりました。普通の化学反応、たとえばエチルアルコールを燃やすと、反応エネルギーは1モルあたり1368キロジュールです。1モルの化学反応は膨大な数の分子が反応しているので、これを1分子あたりの反応エネルギーに直すと、答えは14電子ボルトという値になります。
(電子ボルトはエネルギーの単位にそういうものがあるということだけ覚えてください。分子や原子あたりのエネルギーを図るのに便利です。)
ところが、ラジウム226と呼ばれるラジウム原子核からは、487万電子ボルトのエネルギーをもったアルファ線が飛び出してきます。アルファ線は1個の原子核ですから、化学反応の1分子のエネルギーと比べなければなりません。そうすると、アルファ線のエネルギーはエチルアルコール1分子の化学反応に比べて34万8千倍にもなります!
・ラジウム226は放射線を出して少しずつ減っていき、違う原子核になっていくことがわかりました。減っていくということはラジウム226が死んでいくことですね。だから、人間の生存率のように、原子核の生存率を図にすることができます。下の図がそれです。



 原子核の減り方は、人間のそれと違って、どの種類の原子核をとってもまったく同じ法則で減っていくことがわかりました。ラジウム226は1600年で最初にあった原子核の数が半分になります。さらに1600年たつと半分になった数はさらに半分になり、最初の4分の1になります。これがどんどん続いていって最終的にラジウム226はすべて他の原子核に変わってしまうのです。この1600年のことを「半減期」と呼んでいます。そしてこの減り方は、「指数関数」という簡単な数学で表すことができます。また、原子核が減っていくことを原子核の「崩壊」と呼びます。

 今日のお話は、この3番目の発見に関することです。人間が死ぬのと違って、原子核はしっかりとした法則で崩壊していきます。科学とはこのような法則をどう「解釈」するか、を極める作業のことです。

 数学的にあらわされた指数関数的減少は実は大変な事実を隠していたのでした。

 それは、「原子核の崩壊には、崩壊を促す原因となるいろいろなパラメータが入っていない。ただ、半減期という基本的パラメータが存在するだけだ。この意味するところは、ラジウム原子核は何の原因もなく突然崩壊する。ただ、多くの原子核崩壊を集めてみると、統計的にグラフに表したような指数関数的減少を示すだけだ」というふうに解釈しなければならないのです。これを純粋な「確率現象」といいます。

 つまり、極微の世界で、それまでだれも、偉大な物理学者や哲学者も疑わなかった因果律、つまり何かが起きるときには必ず原因があること、が成り立たない現象が発見されたのです。

 あの偉大なアインシュタインは因果律の存在しない法則をどうしても受け入れることができず、確率現象のもっともポピュラーなサイコロゲームをもじって「神はサイコロを振らない」とつぶやいたのでした。

 現象が原因に基づかなくて確率的に起こる、という法則は、まったく新しい「量子力学」という物理学の基本原理となりました。

 21世紀のエレクトロニクスなどによる歴史的な科学・技術の進歩は、まさにこの因果律によらない量子力学が基礎となって起こったものなのです。

 しかし、あの偉大なアインシュタインがなぜそれほど因果律にこだわったのか、誰にもわかりません。もしかしたら、21世紀にまたパラダイムの大変換が起きるかもしれません。
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