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斉藤真司先生
 自然科学研究機構・分子科学研究所 教授 
取材日 : 2010年2月26日
@分子科学研究所(愛知県岡崎市)

●水が氷になるまで

 冷凍庫の中、あなたが数時間前トレイに入れた水が、一体どのようにしてガチガチの氷へと変化してしまうのか、そのプロセスを知りたくはありませんか?

ある時点で、一瞬にして、まるで魔法のように氷ができあがる? いえ、私たちはそんな単純なことではなさそうだということを経験で知っています。急ぐあまり、中途半端に凍ったベチャベチャな状態で取り出してしまったことがある人も多いはず。しかし、いくら知りたいとしても、ずっと扉を開けっ放しにしてトレイの水を眺めてはいけません。冷気が外に漏れて、水が凍るどころか逆にあなたの方が身震いしてしまいます。

 …こんなもどかしい状況、科学がなんとかしてくれるかも知れません。自然現象の中に法則=ルールを見つけることは、科学者とよばれる人々が日夜精を出して取り組んでいることのひとつですが、そのご利益として「見えないものが予測できる」ということが挙げられます。

 今回、中部地方遠征取材の第一発目として私たちが訪れた斉藤真司先生(分子科学研究所)が取り組んでいるのは、まさにそんなお話。水の状態変化やタンパク質同士の化学反応などが起こる細かい様子を、すでに知られているルールを当てはめ、コンピュータの力を借りて計算することで明らかにしようとする研究です。
 取材では、成果を3Dに描画したものを使いながら研究の説明を行ってくださいましたが、その時に見せてくださったムービーには目を奪われずにはいられませんでした。
 分子がダイナミックに動きながら刻々と状態を変え、反応してゆく様子が手にとるように再現されていたのです。


●自然のルール?

 「自然界のルール」といっても、ピンとこないかもしれません。もちろん、「赤信号では横断しない」「文章の最後にはマルを書く」などの、人間が社会の中に、ある時点でいわば“勝手に”取り決め、それ以来慣習として馴染んでいる「ルール」とはちょっと違うものです。
 自然界のルールは、私たち人間が「創り出す」ものではありません。空気、空にのびる雲、雨水、雷鳴、夜空、公園の樹々、枝にとまった小鳥、そして彼らの鳴き声…。私たちの身の回りに、生まれる前から、いや、私たちが生まれているかどうかにおよそ関係なく存在しているあらゆるものの動き・変化を観察して、そこから偶然発見されるような「ルール」なのです。(ちなみに、こうしたルールを「神が創り給うた」と表現する人もいることを補足しておきます。)

 ときには私たちの「身体」自体をも、科学者は「自然」の一部として統一的に扱い、「ルール」を見出そうとします。実験や観察から「ひょっとしてこんなルールが成り立っているんじゃないだろうか?」と推測をおこない、さらに実験・観察を繰り返してそれがどこまでもだいたい正しく成り立っていることを確かめるのです。
 ついでに言うと、科学者は見つけだしたルールができるだけ長い時間、そして広い場所(空間)で正しく成り立つことを重要視します。なぜなら、そうした信頼できるルールがあればこそ、「まだ起こっていないこと」をあたかも実際に起こったことのように扱い、
「見えないもの」があたかも見えるかのように扱いながら、より広い範囲の物事に応用して自然界の動きや変化を予測することができるからです。
 冷蔵庫の扉の向こうで水がどう変化しているのか、実際に目で見ることはできなくても、幾つかの手がかりをもとにそれを予測できたとしたら…。
 航空機開発・宇宙開発やコンピュータ技術のめざましい進歩も、こうした予測がある程度の精度で正しく成り立っているからこそ可能となったのだ、と言っても過言ではありません。


●ミクロの世界での「ルール」

 ・・・前置きが長くなりました。
 繰り返しになりますが、ここで斉藤先生が自然のルールを「応用」しようと考えた先は、水やタンパク質などの分子が動く様子を、肉眼や顕微鏡では分からないほど細かい精度で解明することです。
 したがって、ここで利用するルールは「分子レベルで成り立つことが確かめられているもの」ということになります。
 つまり、いわゆる「量子力学」を初めとするミクロの世界で成り立つ物理・化学の考え方が前提なのです。

 ここで注意していただきたいのは、分子や原子の世界が、「リンゴを宙に放ったら地面に落ちる」ような私たちの日常感覚に比べて、空間的にはnm(ナノメートル、10-9メートル)、時間的にはps(ピコ秒、10-15秒)というものすごく小さなスケール世界です。
 私たちがふつう、1メートルや1秒の何倍か、といった測り方しかしないことを考えれば、この驚くほど小さな世界で成り立つルールが、身の回りのそれとかなり違ったものになる、ということはなんとなく理解していただけるのではないでしょうか。
 そして、「量子力学」はそうしたミクロな世界でのルールをすっきり統一的に扱うための考え方なんだ、と思っていただいてもよいでしょう。
 常識が常識でなくなる世界。余談ながら、頭の中でイメージしにくいあまり、例年多くの学生が勉強に苦労していることもまた事実です。


●斉藤先生の使った「分光法」とは?

 物質(もちろん分子が集まってできている、という前提があります)に電磁波をあてる手法(「分光(ぶんこう)」と呼ばれています)は以前からポピュラーでした。
 簡単に説明するなら、この方法は、物質に一度電磁波を当て、光の入り口の反対側にあるセンサーで電磁波の強さを検出し、強度が減った分だけ物質が電磁波を吸収しているのだ、と推測するやり方です。
 電磁波の波長を変えながら順々にこの実験を繰り返すと、「波長」「物質による吸収の度合い」という二つの量の間の関係が浮かびあがってきます。

 この関係をグラフにしてみると、測定している物質の構成要素が比較的単純なものであれば、たいていは、幾つかの山を持った曲線になります。実は、先ほどの量子力学の知識を利用すれば、この山の一つひとつがどれくらいの高さをもっており、どの「波長」に対応しているかを見るだけで、測定した物質を構成する分子の形やつくりがほぼわかってしまうのです。

 先生はまた、結果の精度をさらに高めるため、独自の実験手法を考案しています。「多次元分光法」と名付けられたこの方法では、先ほど述べた「電磁波を当てる」実験を同じ試料物質に対して時間差で複数回実施します。
 同じ波長の波でこれを行うと、前と後、2種類のデータが得られるわけですが、これらを利用して、「前」の電磁波入射の影響が、一定時間をおいた「後」にどのくらい残っているか、すなわち分子の「記憶」とでもいうべきものを測定することができることになります。(右のスライドは斉藤先生提供)
 この「記憶」のデータをもとにすることで、先生の研究では、分子の集まりについて「空間的広がり」だけでなく「時間経過」も考えた反応の推移がより正確に予測できるようになりました。


●水以外にも…

 こうした研究手法が応用できるのは、なにも水分子だけの環境ではありません。斉藤先生は、タンパク質や炭水化物といった少し複雑な物質にもこれを当てはめ、様々な化学反応について調べたりする研究を行っています。
 一つの例は、細胞の増殖機能に対してON/OFFのスイッチの役割を果たす、Ras(ラス)と呼ばれる高分子の反応サイクルです。

 ガンの発生を考える際にも欠かせない反応だということで、立花先生も興味津々でした。


(記事:山本遼・東京大学教養学部理科一類2年/写真:栄田康孝)
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