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 脳機能の発達と回復:神経回路の再編成 メインページへ戻る
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● 鍋倉淳一先生(生理学研究所) 講演


 鍋倉先生は産婦人科医ということもあり、胎児を扱った話題から講演が始まりました。

 胎児の脳の形成は日を追うごとにどんどんすすんでいきます。9ヶ月になるともうほぼ外見は人間の完全な脳の形になるのです。脳の形成がすすんでいくと同時に、胎児の行動やそのリズム、また刺激に対する反応もどんどん発達していきます。その行動の中の眼球運動についてのお話に講演はすすんでいきます。胎児の眼球は妊娠16週では運動に規則性は見られないのですが、発達していくにつれてある規則性を帯びてきます。そしてその眼球運動は規則性を持ってくると、次のおもしろい挙動を示しだします。なんと排尿サイクルと同期してくるのです。つまり胎児が眼球運動を始めるとそれと同時に排尿が起こるという現象が起こります。大人の人々にとっては驚くべきことです。しかしこの奇妙な同期も胎児の成長がすすんでいくとやがて消失していきます。ここでまとめると、胎児の脳の中枢神経系ではお互いの機能が統合しそして解離していくということが起こるのです。
  先に述べた目の運動や排尿サイクルなどの胎児の行動を追うことは、脳の研究においてどのような意義を持つのでしょうか?Lorenzは次のような言葉を残しています。「中枢神経系の機能とその表現型である動作を対としてとらえること」。すなわち、行動を観察することによって中枢神経系でどのような現象が起こっていることが把握できるのです。

生理学研究所 鍋倉淳一先生
 胎児は発達の中で様々に行動を変化させてきます。それはすなわち脳のなかで何かしらの変化が起こっているということを意味します。その変化とは一体なんなのでしょうか?それは「活動する脳の回路」です。脳のなかでは神経細胞が複雑にネットワークを形成し、お互いに接続し合っています。その接続部分はシナプスとよばれ、神経細胞同士の情報の受け渡しが行われています。
    
 この神経ネットワークの変化は胎児の成長とともにすすんでゆき、成長初期段階では神経細胞自身が発達するところから始まっておたがいに集合してネットワークを形成し、そしてそのネットワークの中の回路のなかで必要なものだけ残っていくという過程を辿ります。この中でネットワークをどんどん形成する段階ではまだ脳としての機能はもっていません。ランダムに結合された脳の神経ネットワークが再編成される過程になってくると脳としての機能を発揮するようになります。

 脳のなかで回路が再編成される時、どのようなことが起こっているのでしょうか?
 脳のなかで起こっている情報の伝達について少しお話しします。脳のなかでの情報は大きく分けて、興奮性と抑制性の2種類に分けられます。興奮性の情報伝達はグルタミン酸ニューロンによって行われ、抑制性の情報伝達はGABAニューロンによって行われます。この二つはお互いに制御しあうことによって、脳のなかの情報伝達が正常に行われているのです。神経の情報伝達について少し知識のある人ならば、興奮性の刺激の伝達についてはその意味についてよくご存知かと思います。では、抑制性の情報伝達は一体、どういう機能を担っているのでしょうか?その答えを示す見事な映像を鍋倉先生は示します。その映像は、GABAニューロンが無いマウスの脳の神経伝達と、正常なマウスの脳の神経伝達を比較したものです。GABAニューロンがない脳においては一度興奮性の刺激が入るとそれが長時間持続し、広範囲に伝わっていきます。しかしGABAニューロンがあると、興奮性の刺激は短時間でおさまり、狭い範囲にしかその刺激は広がりません。つまりGABAニューロンは興奮性の刺激が必要以上に他の部位に伝わらないようにコントロールしているのです。
 このGABAニューロンなのですが、先程述べた脳の未熟期においては十分に抑制性機能をもっておらず、また場合に酔っては興奮性の機能を有する場合があるのです。
 はじめは十分に機能していないGABAニューロンなのですが、やがて成熟してきてその抑制作用が発達してくると、これまでは興奮性の刺激のみで情報のやり取りが行われていたのが抑制性の刺激もくわわるために情報のやり取りの形式がかわってきます。どのようにかわるかというと、抑制性のニューロンが機能することで情報の余剰な拡散が制御されてゆき、細やかな成熟した神経回路となってゆくのです。

 脳のなかの情報伝達形式の再編成の他にも、別の再編成が起こります。神経と筋肉の接合部分についてなのですが、発生初期のマウスにおいては、一つの筋細胞に複数の神経からの入力が存在しています。この状態では、無駄でおおざっぱな動きしか出来なくなってしまいます。これが発達していく中で一つの筋細胞に一つの神経細胞が接合するように余剰な回路が除去されてゆき、その結果細かな動きが実現されるのです。

 これまで見てきたように、脳のなかの神経回路は発生の段階の中で様々な変化を見せます。なにもこの変化は生物の発生段階においてのみ見られる現象ではなく、大人になった後も起こります。具体的な例を挙げると、脳が障害を負ったときです。この話は伊佐先生の講演のなかで詳しく述べられますが、脳が障害を負った後はその脳機能自体が大きく変化します。その時、様々な機械を用いた観察により脳の活動領域が変化することが、脳機能の変化の背景にある、とわかってきました。さらに脳の活動領域の変化の背景には、脳の回路の再編成があるのではないか?という推測があります。これはあくまでも推測であり、脳の回路再編成は生きた脳でしか起こらない現象であるため、これまでそれを直接観察することはできませんでした。ところが最近生きた脳を直接観察できる手法が確立されたのです。
 それは「多光子励起顕微鏡」という顕微鏡を用いた手法です。そのくわしい原理については省略しますが、この顕微鏡を用いることによってこれまでは不可能であった生きた動物の脳のなかをのぞいて、神経細胞、神経回路の挙動を観察することが可能になったのです。ここで鍋倉先生は多光子励起顕微鏡を用いて得られた脳のなかの鮮やかで美しい映像を次々に示します。
    


    
 この多光子励起顕微鏡を用いることによって、脳のなかにある様々な種類の神経細胞の働きが見えるようになってきました。
 そのなかの非常におもしろい例としてミクログリアの話をあげます。ミクログリアはそれ自身が回路となって情報の伝達はしないのですが、脳のネットワークの間に存在してネットワークを形成する回路が障害を受けて傷ついたならばその現場に急行して除去する、いわば掃除屋といったところの仕事をしています。この細胞の動きを観察していると、どのようにしてシナプスの監視を行っているかがわかりました。なんとシナプスに対して律儀に1時間に一回、きっちり5分間タッチをして監視しているその様子がはっきり多光子励起顕微鏡観察されたのです。正常なシナプスに対しては1時間に1回5分のタッチをするのですが、障害を負っている可能性のある部位に対してはなんと60分以上もかけてタッチしていることがわかったのです。まるで入念にチェックしているかのような挙動です。そしてその「タッチ検診」の結果、障害を受けていると判断するとその細胞の除去作業が始める、ということが多光子励起顕微鏡を用いて生きた脳のなかの神経細胞活動を観察できるようになった結果わかったのです。

 以上、たくさんのことを見てきましたが、まとめると脳のなかでは神経細胞が非常にダイナミックに動き、回路の再編成を繰り返すことで発達し、環境に順応していくということがわかったのです。


記事執筆:東京大学立花隆ゼミ 酒井寛

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