ハッブル宇宙望遠鏡 (HST)、本当の研究目的
プリンストン高等研究所にジョーン・バコール博士という高名な理論宇宙物理学者がいました。彼の守備範囲は広く、宇宙論、銀河形成、宇宙線の起源、太陽ニュートリノなど、これらのどの分野でも第一人者でした。彼は理論をいじくるだけの研究者でなく、天文学分野と物理学分野で強いリーダーシップを発揮しました。アメリカの天文学グループが総力を挙げてハッブル宇宙望遠鏡の建設を推進するにあたり、その立役者のひとりとして、ワシントンで議会への説得を行ったのも、バコール博士でした。
1978年、彼はアメリカ下院で宇宙望遠鏡の科学的重要性を証言しています。長い年月の遅れがありましたが、宇宙望遠鏡は1990年スペースシャトルディスカバリーにより見事打ち上げられ、ハッブル宇宙望遠鏡と命名され、観測に入りました。ショッキングなことに、主鏡研磨に使ったコンピュータプログラムにバグがあり、ピンボケの画像しか取れないという、大失態となりました。
1990年、アメリカ天文学会長となっていたバコール博士は再びアメリカ下院に赴き、ハッブル宇宙望遠鏡は直ちに修理しなければならない、という証言をしました。バコール博士のホームページに両証言のpdfファイルが残っていますので、興味のある方、特に若い方にぜひ読んでいただきたいと思います。1990年の証言の中で、宇宙望遠鏡の修理が成功した暁にはこれこれの研究成果が上がると、4つの例を挙げて分かりやすく説明しています。
しかし、私が最も惹かれるのは、彼の証言の最後にある数行の文章です。引用しますと、
As marvelous and as difficult an achievement as the fulfillment of this
promise will be, I personally will be disappointed if this is all that
HST does. I believe that the most important discoveries will provide answers
to questions that we do not yet know how to ask and will concern objects
that we can not yet imagine.
In my personal view, a failure to discover unimagined objects and answer
unasked questions, once HST functions properly, would indicate a lack of
imagination in stocking the Universe on the part of the Deity.
大発見や大発明は、定義からして予想もつかない成果です。ある仕事をしていて、まったく予想もつかない事実や技術を見つけることを英語でserendipityといいます。バコール博士は、ハッブル宇宙望遠鏡の本当の研究目的は、serendipitousな新発見を行うことだと、下院議員に説得しているのです。
私は、バコール博士とは国際会議などでよく顔を合わせました。いつか二人でお茶を飲んでいるとき、議会での証言がうまくいったようで、HSTの修理のために要求以上のお金をつけてくれたよ、と静かに笑っていました。私は、彼の数多い友人の一人であったことを誇りに思います。
2005年8月17日、彼は永眠しました。享年70歳。次期アメリカ物理学会長予定者でした。バコール博士の言う、ハッブル宇宙望遠鏡の本当の研究目的はまだ達成されていません。
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