午前4時30分、出発。羽田空港へ。 |
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午前6時、羽田空港着。
(手前)山本君、(奥)立花先生 |
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午前8時、富山着。
天候が悪く、航空路を大きく迂回したため10分遅れ。 |
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午前9時、富山発。
中畑先生が空港まで迎えに来てくださった。富山に移り住んで、もう14年になるそうだ! そのまま神岡に向かう。 |
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午前10時、
坑内用の車に乗り換え。
この車、エンジンに消化システムがあったり、排ガス処理の触媒が高性能だったりする特別仕様。さらに、坑内を運転するには講習を受けないといけないそうだ。もちろん、ただでさえ初心者マークの僕は運転できない。 |
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坑内に入るためにICカードを機械にタッチ。
坑内では遭難防止のため要所要所でICカードをタッチしなければならない。
僕らは「見学者04」で識別された。この時点で15人が坑内にいるらしい。 |
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中畑先生の運転で、坑内を進む。
気温は15度くらいに一気に下がる。が、冬でも気温はそのままで、坑内は暖かいらしい。
右の側溝には、豊富な湧水が流れ続けている。 |
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坑内の駐車スペースに車を止めて、そこから徒歩で、ダークマター検出装置「XMASS」の建設予定地へ向かう。
右側に延びる太い黒いパイプは、外部から新鮮な空気を導入するためのパイプだそうだ。 |
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かつてトロッコが走っていた横穴。
中央の白い点が、出口付近だそうだ。いやぁ、それにしても、長い! |
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坑内は、今でも定期的に鉱山の方がメンテナンスしているそうだ。崩れる危険があるところには予防のため杭を打ちこんである。
「ちゃんと整備してくれているので、我々も安心して研究ができるんです」と中畑先生。 |
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液体キセノンを使ったダークマター研究装置「XMASS」の建設予定地。
スーパーカミオカンデよりは小さいが、それでもドッジボールくらいは余裕でできる広さ。 |
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建設サイトには装置の仕組みを説明するパネルが用意してあった。中畑先生が、それをもとに詳しく解説してくださった。 |
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これが実験に使うキセノン。
プラズマテレビなどにも使われるらしく、最近は価格が高騰しているらしい。 |
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所変わって、こちらはスーパーカミオカンデの上。「上」というのはもちろん、タンクの上である。当然ながら「中」には入れない。
15年前のコンピューターが最後の活躍を続けていた。まもなく新しい基盤に入れ替わるそうだ。 |
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こちらが、新しい基盤。
既に一部はこちらに入れ替えられていた。
先生が指でさしている先のチップが、最も重要な働きをするチップだそうだ。 |
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ここがスーパーカミオカンデのモニタールーム。タンクの壁に張り巡らされた、11146個の光電子倍増管の様子が視覚的にモニターに映し出される。 |
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これがスーパーカミオカンデの光電子倍増管。
これが11000個も並んだタンクを一度でいいからこの目で見てみたいものだ。
(写真は公式サイトにあります) |
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煌々とわき続ける水。「そういえば、水飲みたいって言ってたね」と、中畑先生が奥の部屋に案内してくださった。この流し台の水はここの湧水なのだそうだ。
味はとても美味しい。「この水の味を覚えておいてね」と中畑先生。 |
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ところで、スーパーカミオカンデには、高度に精製された超純水が5万トンも使われている。この水も飲ませてもらった。なにせ、「おいしい」とも言えない。超純水なのでそもそも味が無いのである。だが、ソフトなのどこしで、飲んでいて気持ちよかった。 |
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これが、1987年に超新星爆発のニュートリノを観測した生データ。
戸塚先生(Y.T)の「大切に保存せよ」の文字が見える。 |
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当時のカミオカンデは、24時間常時モニターするという概念がなく、時々観測がストップしていた。
青い点線部分がその部分。もうちょっと遅かったら数十年に1回の爆発を逃すところだった・・・! |
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坑道を出て、研究施設に向かう。施設は、地下施設からほど近い場所にある。
それにしても、神岡の谷にはあちこちに雲(霧?)が立ち込めていて、息をのむ美しさだ。 |
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お昼を食べていると、立花先生になじみのある鈴木先生(施設長)が「お土産!」と、小さな箱を持ってやってきた。中には、スーパーカミオカンデを紹介した、小さな紙芝居が入っていた。ちゃんとした画家の方が描いたそうで、けっこうマニアな逸品!? |
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午後は、そのままシンポジウム当日を模したお話をして頂いた。 |
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帰る間際に、コンピュータールームを見学した。地下施設からの信号はここに光ケーブルで伝送されてくるそうだ。
部屋は涼しかったが、ところどころ熱風が噴出しており、暑いのか寒いのかわからない部屋だった。 |
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急ぎの用事があるらしく、立花先生は先に飛行機で帰った。学生は中畑先生が富山駅まで送ってくださり、列車で帰京。 |
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越後湯沢で新幹線Maxときに乗り換え、東京駅着。
こうして長かった神岡訪問の1日は終わった。僕が経験した取材の中でも、最も濃い1日だった。 |
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