紀伊国屋と、海

by 有賀 雄大

海の深さと広さは、怖い。
海水は透明なはずなのに、海中では遠くなるほど暗く暗く曇ってゆき、見えなくなる。 はるか遠くの闇のような、闇でないようなところから、ぬっと何かが姿を現すかもしれない。 その姿も、見えるような、見えないような、輪郭のような、影のようなもので、徐々にこちらに近づいてくるごとにかたちを得て、色を得てくる。

海中における遥か彼方のあり様は、まさに深淵という言葉がぴったりくる感じだ。
海抜700メートルで育った、海に慣れない僕には、それが何ともいえず怖かった。



TSUTAYAにCDを返すついでに、新宿の紀伊国屋書店に行ってきた。

紀伊国屋は、楽しい。

情報という情報があふれている。タダでいくらでもつまみ食いできる。

料理雑誌を眺める。気になった新書の目次をぱらぱら。軽薄っぽいハウツー本は立ち読みだけでおいしい部分を読む。
高くて買えないし理解もできない難解な哲学書にべたべたさわるのもまたオツだ。


楽しいのだが、ふと悲しくなる。

僕はこの膨大な知の海の、本当に一部しか知ることができないのだ。一部なんてもんじゃない。読書が苦手な僕には、世界の海の中の、海水浴場一つ分がいいとこだろう。

僕には民主党の何がいけないのかわからない。政治について一言も意見を持てないようだと、なんだかかっこ悪い気がするが、民主党の政策が正しいのか、間違っているのか、どんな文脈で行われていて、どんな人の利益になっていて・・ということを考えるためには、政界の動きとか、沖縄の歴史とか、国際情勢とか、最先端科学とかを知らなければいけない。文学も哲学も読みたい中でそんなに、そんなに読めるか?
その上、みんな口をそろえて、「情報を鵜呑みにするな」ときたもんだ。ぼくは一つの情報を鵜呑みにすることすらできてないのに・・・


と、無力感に陥るが、それは、自分が持っていないものにばかり目が行く人間の悪い癖である。

自分が持っているものにちゃんと目を向けよう。

少なくとも、いくつかの素晴らしい考えや人に触れてきたし、それらをじっくり消化して、自分の中に沈殿させてきた。数は少ないが、それは僕の考え方を根本から変えてくれるものだった。今、自分の中にある知恵は、体によくなじんで、まるで良く履きならしたスニーカーのごとく、愛着の湧くものだ。

みなさんもぜひ、自分のスニーカーを大事にしてやってください。