ガキのすることでした。

by 有賀 雄大

ずっと良い子で育ってきた。

だから、叱られる経験は、人より少なかったと思う。

それだけに、一つ一つが心の底に深く刻み込まれている。

高校二年生の時、サイエンスフォーラムを無断欠席した。

僕の高校はSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に指定されており、全校向けに、あるいは希望者対象に、なかなか面白い科学の講演が行われた。ちっちゃなロボットを作ってる人や、光ファイバーを開発している人が来た。

僕は高校物理も知らない文系の生徒だったが、興味を持ってときたま参加した。

当日、生徒会の用事が入って出られなくなった。参加希望を出していたが、特に支障もきたすまいと、なにも言わず欠席した。

後日、担当をしていた理科の先生から呼び出しをくらって、お叱りをいただいた。

「それはガキのすることやないか」

悪かったとは思ったが、戸惑いもあった。ちょっと意味がよくわからなかった。
そんなに悪いことしたか?と思った。

あれから4年、今となっては先生の言葉の意味がよくわかる。

確かに、ガキだった。

「行きます」と言っておいて行かなかった僕に、担当者はどんな感情を抱いただろう。

たとえば、同じマンションに住んでいる住人とすれ違った時に、「こんにちは」も言わず、無視したら、相手はどんな感情を抱くだろう。
あやしいやつ、と思うだろうし、その人を何かの時に助けてあげようとも思わないだろう。

「べつにマンションの住人に助けてもらうつもりなんかない」

その考え方がガキなのだ。

ガキは守られて生きている。
家に帰ればご飯が出てくる。お金を出せば物が買える。点数を取れば大学に入れる。
ガキにとっては全てが機械のスイッチみたいなものだ。
スイッチを押せば欲しいものがでてくると思っているのである。

社会は、そんなもんじゃない。

社会は人と人とが作るものだ。
何をするにも、まず人と会わなければならない。人と会って、互いに信頼を築き、協力し合うのが社会だ。
互いを「人間」としてみとめ合っているからこそ社会が成り立つのである。

飲食店で飯を食って、黙って出ていくやつはガキだ。
金を払えば飯が出てくる、と思っているのだ。
「ごちそうさま」の一言があって初めて、飲食店は人が人をもてなす場となるのだ。
店員さんも、働いた甲斐があるというものだ。
黙って店を出てしまった時点で、その関係は調理機械と消費機械の接続になり下がる。

僕は講演会に行けない理由を「説明」するべきだった。
「用事があって行けなくなりました。」
この一言があるだけで、ずいぶん違っただろう。
用事があるなら、それはしかたない、私でもそう考えるだろう、と相手は納得する。
僕は人間としての信用を保てたのだろう。

信用を保つことなどに全く気を配っていなかった僕は、まだまだ守られた環境しか知らない「ガキ」だったのだ。

イグチ先生、ありがとうございました。