タバコと、「オスの美学」
by 有賀 雄大
タバコは、かっこいい。
やはり、そう思う。
タバコを吸い始める人の動機の大半が「かっこつけ」であると思ってしまうくらいだ。
だがタバコを吸うことが無条件にかっこいいとは思わない。
喫煙所に大勢集まってタバコを吸っているスーツの集団はかっこよくない。
しょぼくれたおっさんが歩きながらタバコを吸っているのはかっこよくない。
黒の革ジャンを着て無精ひげを生やしたワイルドな男がバイクに乗りながらタバコを吸っているのはかっこいい。
オックスフォードシャツを粋に着こなした男が難解な哲学書片手にタバコを吸っているのはかっこいい。
なぜだろう。
金がかかる、依存する、口が臭くなる、寿命が縮む、といった
現世的価値を並べ立ててタバコを否定する健康主義はかっこよくない。
これは確かだ。
不健康であるからこそかっこいい。
おそらく、タバコをかっこよく吸えるのは、もともとかっこいい男だ。
かっこいい男がタバコを吸うからこそかっこ良い。
かっこ悪い男がタバコを吸ったところで、かっこよくはならない。
そして、タバコは、かっこいい男をよりかっこよくするとおもう。
なぜだろう。
タバコが体にいいものだったら、絶対このかっこよさは生まれなかっただろう。
かっこいい男があえて自らの生を縮めようとする、そのスタンスがかっこいい気がする。
男は、否、オスは、本来刹那的な存在である。
生物の群れの中ではメスと違ってその価値は有限だ。
メスは、基本的に価値がある。子供を産むという神聖な能力を持つからだ。
メスが一頭いなくなったら、群れはかなり確実な損をこうむる。
群れとしての増殖能力が確実に減少する。
だが、オスが一頭いなくなろうとなるまいと、群れにとってさほど影響はない。
オスは、何らかの能力を発揮する限りにおいて、そして価値ある遺伝子や遺産を残す限りにおいて群れに貢献するのである。男の自殺率が高いのも、このことの反映ではなかろうか。
オスの価値は有限だ。
それは逆にいえば、オスらしく生きるということである。
長生きはオスらしくない。
刹那的に生きることにオスの美学があるのではないか。
華々しく散る美徳は、いつも男性の戦闘者によって担われてきた。
それはある意味ではみじめな生であるともいえるような、美学である。
あえて自らの寿命を縮める行為としてのタバコは、そのオスの美学と通じるものが、きっとある。