贅沢は味方 Part2
by 有賀 雄大
50mlの中に、官能と、誘惑と、謎がある。
ウイスキー「山崎」なんて、貧乏学生の僕にはなかなか手が出ない。
でも今日はどうしてもウイスキーを、しかもちゃんとしたうまいやつを飲みたかったから、
50mlの小瓶を買ってしまった。これなら700円くらい。一晩楽しむには十分だ。
小さなグラスに浅く注いで、くるくるゆすってもてあそぶと、
香りがグラスのふちから漏れだしてくる。
かいでは、しばらく楽しむ。
甘い、アルコールの香りなのだが、どこか穀物っぽい、香ばしく焼いたパンを思わせるようなにおいがウイスキーにはあって、僕はそれがたまらなく好きだ。
一口含んで口の中でよく味わう。
甘いような、苦いような。古びているような、生き生きとしているような。
この味が、だれでも魅了するとは思わない。
今の僕には「おいしい」の定義すらもあいまいだ。
けれども、今日のウイスキーはいろんなことをほのめかし、感じさせ、考えさせ、楽しませてくれた。それで満足だ。
この、主観的なところがよいのである。
「贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね
だって麗しいのはザラにないの
洗脳(わな)にご注意」
お金だけじゃなかなか贅沢はできない。
値段がつくものは、客観的に価値のあるとされているものなのだが、それだけではやはりだめだ。なぜなら、先ほども言ったように、本当に贅沢するためには、主観的に、対象に意味を見出していかなければならないからだ。だから、某有名ブランドの服を買い求めるだけでは、美しいものには出会えないのである。
「ご覧 ほらねわざと逢えたんだ
季節を使い捨て 生きていこう
夜も 秋も 盗めないよ
貴方は私の一生もの」
使い捨ては、気持のよいものだ。
それは、所有への執着から解放されるからである。
季節は所有できるものではない。
贅沢な料理のように、それを楽しめるのは一回限りで、必ず終わりがくる。
終わりがあることを悲しまず、さわやかに別れを告げて、颯爽と生きていく美しさがうかがえる。
一生もの、という言い回しも素晴らしいと思う。
「もの」などと呼んでしまうのは、人格の冒とくであろう。
しかし、ここではただの「もの」ではない。「一生もの」なのである。
高級な万年筆、財布、靴などで、生涯の伴侶とすることのできるほどに良質なものを、「一生もの」という。
そのような「一生もの」を手に入れた時、ほかの道具には感じることのない愛着を覚えることは、おそらく多くの人の経験するところであろう。
一生ものに感じる愛情、それは人に対する愛情と実は同じなのではないか、と少し思った。
使い捨ても、一生ものも、ともに贅沢である。
これらに共通する価値は何なのだろうか。
この詩全体に漂うのは、一つの爽快感に満ちた「価値観」である。
贅沢は味方、財布だけじゃ足りない、わざと逢えた、季節を使い捨て、美しいのは図れない、無駄がなけりゃ意味がない・・・
随所に現れる表現は、すべて、今の価値観への反抗であるように僕には思える。
だが、残念ながら、若くて貧乏な僕には、まだまだ本当の贅沢を知りつくしてはいない。
この歌の詩を読みこむのは、ひとまず終わりにしようと思う。
そろそろ寝よう。土曜の朝日という最高の贅沢品を味わうために!