人づきあい

by 有賀 雄大

他人に対する真心とは何か、最近よく考える。

特に、自分が持っていた、まちがった「やさしさ」について。

極力相手を傷つけないことを最優先することは、本当のやさしさではない。
それはやさしさによく似た、非人間的な態度である。

たとえば、相手が約束の時間に遅れてもおこらないこと。相手に申し訳ないという気持ちを起こさせてしまうことを避けるやさしさだ。

たとえば、相手に甘えないこと。自分がどんなに自己嫌悪に陥っていようとも、「どうせおれなんか!」とすねてみたり、「どうにかしてくれ!」と理不尽な要求をしないこと。相手が対応に困るような事態を避けようとするやさしさだ。

たとえば、相手の生き方、考え方に対して意義を唱えないこと。「彼は彼の生き方があるから」「人それぞれ自由だから」といって、干渉することを避ける。

このようなあり方は、相手の「自由」を最大化するが、人間的ではない。
相手に対して何の働きかけもせず、泳がせる行為である。
例えて言えば、相手を鬼ごっこの鬼のように扱うことである。極力接触を避け、個々人の世界を断絶する。

人間は「人」の「間」にあってこそ人間らしいのであって、接触を繰り返すことによって互いの中に人格を感じ、温かみのある関係を保っているのだと思う。
甘え合い、迷惑を掛け合うような関係でも、そこには相手を機械ではなく人間だと確認できる呼応関係がある。

だから、恋人に「ひかれる」心配ばかりしている人が「愛」などと口にするのは、ちゃんちゃらおかしいと思う。

二十歳を過ぎた今、やっとそのようなことに気付き始めた。