欠乏

by 有賀 雄大

時々、漠然とした欠乏感を覚える。
あるいは「もや」がかかったような感じ、とも言える。
運動が足りないのか?ビタミンか、カルシウムか、睡眠か、異性か、カフェインか、アルコールか、ニコチンか、人との会話か・・・
自分の体が何を欲しているのかはよくわからない。
僕には僕の体のことしかわからないが、僕の体に関して言えば、欲望なんてものは実はあいまいなものである気がする。本能なんだから、頭で考えてもわからないのは当然かもしれない。
腹が減ったときは、わかるときもある。腹部に感覚を覚える。だが確実なのはあくまで物理的な感覚だけだ。「欲望」の存在は確信できない。
「そろそろ飯の時間だな」という判断で食べる、つまり理性が先行する時も多い。また、飯を食うのを我慢しすぎてあるピークを過ぎると、じぶんが腹が減っているのかどうかよくわからなくなったりする。確実に栄養は欠乏している場合でも、「空腹」は常に感覚として感じられるわけではないのだ。
ところで、満腹中枢というやつは食事後しばらく経たないと満たされない、という話を聞いたことがある。少なくとも「食べたら腹がいっぱいになった」という感覚は思い込みである、ということだ。
眠い時もそうだ。夜12時になると必ず眠くなるとは限らない。多くの場合、理性で判断して寝る。そしてある程度眠気を我慢すると、かえって自分が眠いのかどうかわからなくなる。(朝、寝続けたいという欲求だけは確信できるが。)
ましてや、「自分の人生どうしたいか」「どのように生きたいか」などと聞かれたって、「別になにも思いつかない」としか答えようがない。
「人間失格」の主人公の葉蔵は、幼少期のころ「『空腹』という感覚がどんなものだか、さっぱりわからなかった」と描かれている。僕は「人間失格」のこのあたりが一番好きである。
おなかが空いたから、食べて、それで幸せになれる、そういう「正常」な人間に、自分はなれないのか。自分はこちら側の世界で生きることしかできなのか。
そういったことをこの作品は語っている気がする。
自分の「欲望」を確信している人たちからすれば奇異に見えるだろうが、人間のありかたは、多様である。
時々、漠然とした欠乏感を覚える。 あるいは「もや」がかかったような感じ、とも言える。 運動が足りないのか?ビタミンか、カルシウムか、睡眠か、異性か、カフェインか、アルコールか、ニコチンか、人との会話か・・・ 自分の体が何を欲しているのかはよくわからない。 僕には僕の体のことしかわからないが、僕の体に関して言えば、欲望なんてものは実はあいまいなものである気がする。本能なんだから、頭で考えてもわからないのは当然かもしれない。 腹が減ったときは、わかるときもある。腹部に感覚を覚える。だが確実なのはあくまで物理的な感覚だけだ。「欲望」の存在は確信できない。 「そろそろ飯の時間だな」という判断で食べる、つまり理性が先行する時も多い。また、飯を食うのを我慢しすぎてあるピークを過ぎると、じぶんが腹が減っているのかどうかよくわからなくなったりする。確実に栄養は欠乏している場合でも、「空腹」は常に感覚として感じられるわけではないのだ。 ところで、満腹中枢というやつは食事後しばらく経たないと満たされない、という話を聞いたことがある。少なくとも「食べたら腹がいっぱいになった」という感覚は思い込みである、ということだ。 眠い時もそうだ。夜12時になると必ず眠くなるとは限らない。多くの場合、理性で判断して寝る。そしてある程度眠気を我慢すると、かえって自分が眠いのかどうかわからなくなる。(朝、寝続けたいという欲求だけは確信できるが。) ましてや、「自分の人生どうしたいか」「どのように生きたいか」などと聞かれたって、「別になにも思いつかない」としか答えようがない。 「人間失格」の主人公の葉蔵は、幼少期のころ「『空腹』という感覚がどんなものだか、さっぱりわからなかった」と描かれている。僕は「人間失格」のこのあたりが一番好きである。 おなかが空いたから、食べて、それで幸せになれる、そういう「正常」な人間に、自分はなれないのか。自分はこちら側の世界で生きることしかできなのか。 そういったことをこの作品は語っている気がする。 自分の「欲望」を確信している人たちからすれば奇異に見えるだろうが、人間のありかたは、多様である。