by 有賀 雄大

今日、神に会った。 最寄駅から自宅までの帰り道、僕は下北沢で買った食糧をもって薄暗い道を歩いていた。ビニール袋の口からはカブの葉が長くとびだし、いかにも「買い物帰り」といった格好だ。僕は何事もなく家へ帰り、あさりのスパゲッティを作って食べるつもりだった。そんな午後6時。 一人の少女が僕の前に現れた。 幼稚園に通うくらいの小さな女の子。 彼女は僕の斜め前に躍り出て、僕のことなど気にも留めず、突然始めた。 彼女は突然「あっばっぼーお」をしたのである。 両手のこぶしを天に向かって高く掲げたまま、足を踏み出す。「あっ」で一歩、「ばっ」で一歩、「ぼー」で一歩、「お!」でとどめの一歩を力強く踏みしめる。 これが「あっばっぼーお」である。なんと神秘的な全身運動だろうか。 「あっ、ばっ、ぼー、お」 彼女が僕の前で踏みしめる。 「あっ、ばっ、ぼー、お!」 念を押すように力のこもった二回目。 二度の「あっばっぼーお」を終えると、母親の声によって回収されていった。僕の中に確固たる痕跡を残して。 僕の前で「あっばっぼーお」をした彼女。彼女は僕など見ていなかった。目の前の道路も、道路の向こうの公園すら見ていなかっただろう。彼女は遥かかなたの何かを見ていた。 彼女の「あっばっぼーお」には目的もなければ利得もない。生存のためでもない。彼女は全身にみなぎる生命のエネルギーをただ表現したのだ。ただ楽しんでいたのだ。ただ生きて、動いていたのだ。 彼女がうらやましかった。僕の生は、目的と利得と義務にまみれている。 彼女のごとく、踊るように生きてみたいと思った。 「わたしが神を信ずるなら、踊ることを知っている神だけを信ずるだろう。 「いまわたしは軽い、いまわたしは飛ぶ、いまわたしは私自身をわたしの下に見る。いまわたしを通じて一人の神が舞い踊っている 「ツァラトゥストラはこう語った。」 『ツァラトゥストラ』(ニーチェ) より