JK、すなわち女子高生
by 有賀 雄大
今日、電車の中で女子高生が会話しているのが聞こえた。
JKA「あたしインフルエンザで体重二キロ減って、そのあと一キロ増えただけでキープしてるよ。」
JKB「えー!いいなぁ~!」
僕「『いいなぁ』!?」
なんとも言えない違和感を覚えた。なんだろうこの違和感は。じつはこの手のやり取り、高校時代、同級生の間でも聞いたことがある。そのときも「ん?」と思った。
僕だったら「いいなぁ」という言葉は使わないだろうな。
JKを馬鹿にするのではなく、あの子たちと僕との価値観の違いについて考えたい。
羨望とは、自分が持っていない価値物を相手が持っているときに覚える感情である。自分が貧乏な時には、お金をたくさん持っているやつのことを「いいなぁ」と思うし、自分に彼女がいない時には、リア充している人に対して「いいなぁ」と思う。本当に。
減量そのものは手段である。適正なプロポーションを実現するために、不必要なぜい肉を落とす必要があるのである。だから適正なプロポーションをすでに保っている人には減量の必要はない。減量が価値あることになるかどうかは個人によって、またその置かれた状況によって変化するのである。減量は誰にでも価値あるものではない。プロボクサーが減量しているのを見ても全然うらやましくない。
さらに言うと、「やせている」ことに仮に絶対的な価値があるとしても、「やせる」こと自体に価値があることにはならない。仮にJKAが41キロ、JKBが40キロだったとしよう。(こんな失礼な仮定をしていいのだろうか)1キロ減ったJKAは40キロとなり、JKBと同じ重さになったことになるが、ここでJKBがJKAをうらやましがったらやはり変だと思う。したがって、価値をもつのは体重の減少そのものではなく、減少後の適正な体重なのである。
結論:僕にとって体重の減少は、ある特定の状況に置かれた、ある特定の個人にとってしか価値がないものであり、したがって羨望の対象とはならないのである。JKにとっては体重の減少は絶対的・普遍的な価値をもつものであり、天空のイデア界に存在する価値なのである。
ちなみに僕はけっこうやせ型の女の子が好きである。自分は全く矛盾などしていない。うん、してない。
さて、体重の減少の価値を絶対視しているJKはバカなのだろうか。
いや、JKをバカにしたいという本能のためにこんなちまちまとした理屈をこねている僕のほうがよっぽどバカであろう。哲学をしているとき、他人を軽蔑したい本能が自分の中にあることにしばしば気がつく。ニーチェ先生のおっしゃるとおりである。