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寒いのは嫌いだ

全く寒くて仕方がない。なぜこうも寒いんだ。

飢えだが住んでいる東大監獄はスースーと寒さが部屋を蝕むし、唯一の暖房器具であるエアコンは天井を暖めるだけで、体感温度は全く変わらない。仕方がないから行平鍋に水を入れて電熱調理機で沸かすが、なんだか電気をすごく無駄遣いしてる気がして罪悪感を感じる…火気厳禁なせいで石油ストーブやファンヒーターなんて置けないから、一向に気温があがらず、心臓から遠く離れた足先は気の毒なほど冷たい。

うごごご、あと数ヶ月で東大監獄から出所するとはいえ、生きて出られるであろーか。

寒いのは東大監獄だけでない。東大も寒い。節電のため暖房の自由がきかない。まぁそれでもないよりましだし、少しは部屋も暖まるのだが、すぐ止まる。

先生いわく、「電気代使ってんのは理系なのに!文学部は薬品も設備も使わないのに!暖房くらい使わせてくれても!」

ごもっともである。しかし調査のための旅費はけっこうな値段になっているんじゃないかと思うから強く言えない。でもまあ暖房くらい使わしてくれていいじゃないか。あまりに教室が寒いから、ついにひざかけを購入してしまった。ジャンパー着たまま、マフラーつけたまま、さらにひざかけをかける。これは果たして室内でする格好なのか。

 

さらにただでさえ寒いのにおもいっきり冬のオペラ『ラ・ボエーム』を見てしまった!

舞台は冬のパリ。貧乏詩人と美女、そしてその仲間たちを描いた青春のお話である。しかしまあ冒頭から暖をとるために自分の書いた原稿を燃やすし、クリスマス(!)で賑わう街は出てくるわ、2月で雪がしんしんと降り積もる中「恨みっこなしで」と別れ話、窓の外で雪がぱらつく中ヒロインは屋根裏部屋で息を引き取る。寒い、寒すぎる。

まあそんな寒々としたオペラだったが、あの第二幕のカルティエ・ラタンの雰囲気はとても素敵だった。道化のおもちゃ売りが子供達の歓声とともに現れ、ドレス(多分バッスルスタイルだよね?)を着た女性が道を行き交う。シルクハットを被った主人公たちや、19世紀の香り漂う兵士、ステレオタイプが反映されているといっても過言ではなさそうなエキゾチックなインチキ奇術師など、カルティエ・ラタンの雑多な感じがクリスマスを祝う高揚感と共に高まり、見ていて心踊った。いいなぁ、こんな所に迷い込んでみたい。

『カルメン』の第二幕や『こうもり』の第二幕、『椿姫』の第一幕の、なんというのかわからないが、あのたくさんの人が出てきて、合唱とともに劇が進む所(用語が分かるかた、教えてください)が好きだ。うーん、なんでなんだか、リアリティがあって、その作品の世界に吸い込まれていく感じがするからだろーか。

 

そういや、最近キャンパスが移動し、飢えだは本郷に週2で通っている。

まぁ本郷通り周辺は日本のカルティエ・ラタン的雰囲気なんだろう。まあ確かに古本屋は多いな、あと食べ物屋さんも。しかし屋根裏に住むことは出来ないし(そもそも屋根裏がない)、まず家賃からして住むのは無理である。

だから飢えだの日本のカルティエ・ラタン(この呼び方には無理がある気がしてきた)の味わいかたと言えば、専らカレー屋と古本屋である。本郷には昔からの古本屋がいくつかあって、それぞれ医学書、思想、歴史など専門分野を持っている。 先日本郷の古本屋に入ったら、手動のレジを使っていた。プラスチック製のボディーはもう時代を経ていることが容易にわかる。戦後間もないころのものらしく、大正ロマンっぽい一種の骨董品としての価値があるようには見えないが、大切に使われている感じがする。お店の御主人にこのレジについて聞いてみた所、戦前早くから先代がレジを導入したこと、当時山手線の北半分(則現在の中央線より北ということかな?)でレジがあるのは百貨店を除いてうちだけだったということ、もっと古いものが別の本郷の古本屋にもう使っていないがあるということ、直し直し使っていて何度か修理に出したこと、もう印字する機能が使えなくなってほとんどお金の出し入れにしか使えないこと、もう壊れたら直せないということ、いろんな話を聞かせてくれた。

「どうもすいませんねつまらない話を」と最後にご主人は言っていたが、一人一人にそれぞれの時代、それぞれの人生があって、それを少しだけでも垣間見ることが出来た気がして、なんとなく安心した。語り継ぐこと、それを残すこと、それって結構大事なんですね。

運命論に終始してしまうのは思考の放棄ではないように願う

更新が停滞してから月日がたつのは早いものだははは(乾いた笑い

 

どうもこんにちは。BLT駒場やら何やらに追われてい内にブログ削除の危機の飢えだです。まあお蔵入りの可能性大ですが。まあ悪あがき。

 

先日駒場でモンゴル語の授業を担当されている先生の集まりがあった。夏学期だけだけど、モンゴル語中級をとった縁で集まりに参加させてもらった。

半年教わっただけなのにまだ名前を覚えてくださっていた先生には感謝感激である。

また、コーディネートしてくれた方、存在を教えてくれた友人にも感謝である。

 

まあなんでいきなり中級からとったのか、とよく突っ込まれるのだが、モンゴル文字がやりたかったのだ。

今日本でモンゴル文字を独習することは大変難しい。たいていのテキストはキリル文字表記しかのっておらず、東京外国語大学とかこの先生のモンゴル語中級の授業ぐらいでしか、学ぶことはできない。

たしかに、モンゴル文字で書かれるモンゴル語は文語表記のため初心者には大変煩雑で、モンゴル国本国でも復活の試みはあったが失敗に終わった。今日もモンゴル国営デパートなどにモンゴル文字の看板が一応ついているが、先生曰くモンゴル人にとってはほぼデザインのようになっているらしい。内モンゴルではいまだにモンゴル文字を使用しているが、共産党政府が漢字の簡略化を進めたようにモンゴル文字の簡素化を図っているらしい。しかし、ウイグル語はラテン文字表記化を推進しているのを見ると、少し不思議である。ここんとこの事情はどうなってるのだろう。

4月からの中級の授業に追いつけるように、4月の第一週から猛ダッシュでモンゴル語の初級文法を独学した。

いやはや、あの頃の飢えだはよく頑張っていた。しかし、造格とか男性語、女性語(フランス語やアラビア語などの男性名詞、女性名詞の区別とは異なる)という考え方など真新しい文法事項に出会い、とても面白かったのを覚えている。しかし、その頃は英語フランス語モンゴル語と三言語並行で勉強していたから、かなり大変だったなぁ…

 

会は両国のモンゴル料理屋さんで行われた。ホーショールや羊の蒸し焼売のような料理など、みなとてもおいしかった。砂糖を使わず、酸味や塩味が効いたものが多かく、初体験の味ばかりで、すごく新鮮だった。さらに馬頭琴の生演奏もあって(ホーミー付き!!)最高である。フレットもないし、弦高もあんなにあるのに、どうやって弾いてるんだろう・・・うーん、不思議。

モンゴル料理屋さんでは示し合わせたわけではないのに、次々と先生の知り合いがいらっしゃって、吃驚。しかもすごい方々ばっかでびっくり。

先生はお店の奥さんとモンゴル語で親しげに話していて、改めて先生の人柄は素晴らしいんだなあと思った。留学当時のお話や先生の友人の話などみな面白くて、先生の人間関係に驚嘆した。これだけで一冊本書けんじゃないかし

 

先生とお話して、人との縁、つながりの大切さを痛感した。これから大学生活の折り返し地点にくるけれど、どれだけ人とつながれるであろーか。

未だに人見知りが抜けない自分としては不安だらけである。

 

「打算は一時のものです」と先生は言った。

深い言葉である。たしかにこざかしく計算しても、どうなるかはわからない。無意識に活動するうちに、様々な出来事を積み重ね、その堆積が今の自分を形作り、将来の自分を形作っていくのであろう。無意識下の活動か…ブルブルうーん、こわい

 

なんか運命論に終始してしまったが、確かにいいBLと出会うのも、その時の本屋の在庫、重版の具合、財布のひもの固さ、友人との会話など膨大なファクターに依るため、もはや縁に支えられていると言っても過言ではなかろう。

 

うーん、縁って不思議←

 

追記

あと、見聞伝公式サイトで梶ヶ谷ミチル先生の『放課後の不純』の感想を書きました。見聞伝がBLに浸食されないことを心より祈ります。

自分としては、「ほうら!更新しないとBLの記事だけになっちゃうぞう!」って脅しをかけるような気持ちで行こうと思う

http://kenbunden.net/general/archives/2016