寒いのは嫌いだ

全く寒くて仕方がない。なぜこうも寒いんだ。

飢えだが住んでいる東大監獄はスースーと寒さが部屋を蝕むし、唯一の暖房器具であるエアコンは天井を暖めるだけで、体感温度は全く変わらない。仕方がないから行平鍋に水を入れて電熱調理機で沸かすが、なんだか電気をすごく無駄遣いしてる気がして罪悪感を感じる…火気厳禁なせいで石油ストーブやファンヒーターなんて置けないから、一向に気温があがらず、心臓から遠く離れた足先は気の毒なほど冷たい。

うごごご、あと数ヶ月で東大監獄から出所するとはいえ、生きて出られるであろーか。

寒いのは東大監獄だけでない。東大も寒い。節電のため暖房の自由がきかない。まぁそれでもないよりましだし、少しは部屋も暖まるのだが、すぐ止まる。

先生いわく、「電気代使ってんのは理系なのに!文学部は薬品も設備も使わないのに!暖房くらい使わせてくれても!」

ごもっともである。しかし調査のための旅費はけっこうな値段になっているんじゃないかと思うから強く言えない。でもまあ暖房くらい使わしてくれていいじゃないか。あまりに教室が寒いから、ついにひざかけを購入してしまった。ジャンパー着たまま、マフラーつけたまま、さらにひざかけをかける。これは果たして室内でする格好なのか。

 

さらにただでさえ寒いのにおもいっきり冬のオペラ『ラ・ボエーム』を見てしまった!

舞台は冬のパリ。貧乏詩人と美女、そしてその仲間たちを描いた青春のお話である。しかしまあ冒頭から暖をとるために自分の書いた原稿を燃やすし、クリスマス(!)で賑わう街は出てくるわ、2月で雪がしんしんと降り積もる中「恨みっこなしで」と別れ話、窓の外で雪がぱらつく中ヒロインは屋根裏部屋で息を引き取る。寒い、寒すぎる。

まあそんな寒々としたオペラだったが、あの第二幕のカルティエ・ラタンの雰囲気はとても素敵だった。道化のおもちゃ売りが子供達の歓声とともに現れ、ドレス(多分バッスルスタイルだよね?)を着た女性が道を行き交う。シルクハットを被った主人公たちや、19世紀の香り漂う兵士、ステレオタイプが反映されているといっても過言ではなさそうなエキゾチックなインチキ奇術師など、カルティエ・ラタンの雑多な感じがクリスマスを祝う高揚感と共に高まり、見ていて心踊った。いいなぁ、こんな所に迷い込んでみたい。

『カルメン』の第二幕や『こうもり』の第二幕、『椿姫』の第一幕の、なんというのかわからないが、あのたくさんの人が出てきて、合唱とともに劇が進む所(用語が分かるかた、教えてください)が好きだ。うーん、なんでなんだか、リアリティがあって、その作品の世界に吸い込まれていく感じがするからだろーか。

 

そういや、最近キャンパスが移動し、飢えだは本郷に週2で通っている。

まぁ本郷通り周辺は日本のカルティエ・ラタン的雰囲気なんだろう。まあ確かに古本屋は多いな、あと食べ物屋さんも。しかし屋根裏に住むことは出来ないし(そもそも屋根裏がない)、まず家賃からして住むのは無理である。

だから飢えだの日本のカルティエ・ラタン(この呼び方には無理がある気がしてきた)の味わいかたと言えば、専らカレー屋と古本屋である。本郷には昔からの古本屋がいくつかあって、それぞれ医学書、思想、歴史など専門分野を持っている。 先日本郷の古本屋に入ったら、手動のレジを使っていた。プラスチック製のボディーはもう時代を経ていることが容易にわかる。戦後間もないころのものらしく、大正ロマンっぽい一種の骨董品としての価値があるようには見えないが、大切に使われている感じがする。お店の御主人にこのレジについて聞いてみた所、戦前早くから先代がレジを導入したこと、当時山手線の北半分(則現在の中央線より北ということかな?)でレジがあるのは百貨店を除いてうちだけだったということ、もっと古いものが別の本郷の古本屋にもう使っていないがあるということ、直し直し使っていて何度か修理に出したこと、もう印字する機能が使えなくなってほとんどお金の出し入れにしか使えないこと、もう壊れたら直せないということ、いろんな話を聞かせてくれた。

「どうもすいませんねつまらない話を」と最後にご主人は言っていたが、一人一人にそれぞれの時代、それぞれの人生があって、それを少しだけでも垣間見ることが出来た気がして、なんとなく安心した。語り継ぐこと、それを残すこと、それって結構大事なんですね。

運命論に終始してしまうのは思考の放棄ではないように願う

更新が停滞してから月日がたつのは早いものだははは(乾いた笑い

 

どうもこんにちは。BLT駒場やら何やらに追われてい内にブログ削除の危機の飢えだです。まあお蔵入りの可能性大ですが。まあ悪あがき。

 

先日駒場でモンゴル語の授業を担当されている先生の集まりがあった。夏学期だけだけど、モンゴル語中級をとった縁で集まりに参加させてもらった。

半年教わっただけなのにまだ名前を覚えてくださっていた先生には感謝感激である。

また、コーディネートしてくれた方、存在を教えてくれた友人にも感謝である。

 

まあなんでいきなり中級からとったのか、とよく突っ込まれるのだが、モンゴル文字がやりたかったのだ。

今日本でモンゴル文字を独習することは大変難しい。たいていのテキストはキリル文字表記しかのっておらず、東京外国語大学とかこの先生のモンゴル語中級の授業ぐらいでしか、学ぶことはできない。

たしかに、モンゴル文字で書かれるモンゴル語は文語表記のため初心者には大変煩雑で、モンゴル国本国でも復活の試みはあったが失敗に終わった。今日もモンゴル国営デパートなどにモンゴル文字の看板が一応ついているが、先生曰くモンゴル人にとってはほぼデザインのようになっているらしい。内モンゴルではいまだにモンゴル文字を使用しているが、共産党政府が漢字の簡略化を進めたようにモンゴル文字の簡素化を図っているらしい。しかし、ウイグル語はラテン文字表記化を推進しているのを見ると、少し不思議である。ここんとこの事情はどうなってるのだろう。

4月からの中級の授業に追いつけるように、4月の第一週から猛ダッシュでモンゴル語の初級文法を独学した。

いやはや、あの頃の飢えだはよく頑張っていた。しかし、造格とか男性語、女性語(フランス語やアラビア語などの男性名詞、女性名詞の区別とは異なる)という考え方など真新しい文法事項に出会い、とても面白かったのを覚えている。しかし、その頃は英語フランス語モンゴル語と三言語並行で勉強していたから、かなり大変だったなぁ…

 

会は両国のモンゴル料理屋さんで行われた。ホーショールや羊の蒸し焼売のような料理など、みなとてもおいしかった。砂糖を使わず、酸味や塩味が効いたものが多かく、初体験の味ばかりで、すごく新鮮だった。さらに馬頭琴の生演奏もあって(ホーミー付き!!)最高である。フレットもないし、弦高もあんなにあるのに、どうやって弾いてるんだろう・・・うーん、不思議。

モンゴル料理屋さんでは示し合わせたわけではないのに、次々と先生の知り合いがいらっしゃって、吃驚。しかもすごい方々ばっかでびっくり。

先生はお店の奥さんとモンゴル語で親しげに話していて、改めて先生の人柄は素晴らしいんだなあと思った。留学当時のお話や先生の友人の話などみな面白くて、先生の人間関係に驚嘆した。これだけで一冊本書けんじゃないかし

 

先生とお話して、人との縁、つながりの大切さを痛感した。これから大学生活の折り返し地点にくるけれど、どれだけ人とつながれるであろーか。

未だに人見知りが抜けない自分としては不安だらけである。

 

「打算は一時のものです」と先生は言った。

深い言葉である。たしかにこざかしく計算しても、どうなるかはわからない。無意識に活動するうちに、様々な出来事を積み重ね、その堆積が今の自分を形作り、将来の自分を形作っていくのであろう。無意識下の活動か…ブルブルうーん、こわい

 

なんか運命論に終始してしまったが、確かにいいBLと出会うのも、その時の本屋の在庫、重版の具合、財布のひもの固さ、友人との会話など膨大なファクターに依るため、もはや縁に支えられていると言っても過言ではなかろう。

 

うーん、縁って不思議←

 

追記

あと、見聞伝公式サイトで梶ヶ谷ミチル先生の『放課後の不純』の感想を書きました。見聞伝がBLに浸食されないことを心より祈ります。

自分としては、「ほうら!更新しないとBLの記事だけになっちゃうぞう!」って脅しをかけるような気持ちで行こうと思う

http://kenbunden.net/general/archives/2016

日本にいた方が良いのではないかと今更頭によぎる

昨日は民音クラスタのオフ会←と立花ゼミの壮行会があって盛りだくさんな日程でした。ですがそのせいで渡辺篤史の建物探訪を後ろの方しか見られないという悲劇に見舞われました。しかも二度寝しました。 というわけでカンボジアに二週間くらいってきます。生きて帰ってこられたら儲けもの。 恐らく漫画禁断症状で帰ってくるであろうから、帰国直後はひきこもりになるであろうと予測。 お土産は・・・・期待するな。ていうかカンボジア土産って・・・何?

水鳥の声は夜聞くと怖いよ

 いつもの金曜日のように、渡辺篤史の建もの探訪を見て、真中に木を据えるなんてなんて斬新な・・・と幻想に浸りつつも、あの机いささかダイニングとしては小さいのではないか・・・と祝女のmuremur liveばりの現実的思考をする。我ながら自分の夢のなさが悲しい。

 番組が終わると、行動開始する6時まで友人に借りた高屋奈月の『フルーツバスケット』を読む。キョンの本当の姿があんなんだったなんて・・・しかも本当の姿をさらしたキョンへの透ちゃんの言葉!!久々に胸が動かされた。

『「よかったんだ・・・怖がっても・・・よかったんだ・・・」

怖がるのは醜い俺をちゃんと見てくれる証拠だから』

 この台詞は胸にジーンとくる。励ましたり、人をフォローしたりするときって、どうしても「気にしないで」とかって言って、相手の異質な所、人に嫌忌される所から目をそらしがちだけど、もしかしたらそれはきちんと相手と、そして自分自身と対峙していないのかもしれないね。この場合のキョンのオカンは母性でキョンを騙そうとしたし、自分をも騙していた。それがキョンにはたまらなくいやだったんだな。

 フルバは胸打つセリフが多いの。だけど決して説教臭くない。最近漫画でも小説でも流れもなく、「○○(自殺やら他人との不和やら)は××だから、□□です!」って命題のように悩める主人公、ひいては読者への答えを提示するものが多いけど、そういう答えって納得できないし、かりに良いことを言っていたとしても非常に陳腐に感じる。非常に説教臭いのだ。「ようは気の持ち方だね」「うん!」って納得できるのならとっくに主人公も読者も飢えだも幸せである。

 漫画や小説のように、物語を介して提ずる答えは登場人物への読者の追体験があってこそわかるものであるべきだと思う。登場人物の境遇、そこに起きる出来事、彼らを取り巻く関係性などから、自然に読者の心に浮かんだ気持ちこそ、本当に読者の心に残るものであり、それは時として言葉にしてはならない。言葉にしたら、字面で意味を追うだけで、必ずしもそれを理解することにはならない。また、言語化すると良くも悪くも分かりやすくなる故に、読者の読みを制限しうる。全ての読者はみな違う生い立ち、生き方をしているのだから、一人一人の胸に浮かぶ思いが異なってもよいと思う。それが、一人一人の人間そのものを反映しているのであり、また自分自身を見つめることになる。要は、啓蒙書を読んでるわけでも論文を読んでいるわけでもないんだから、問題①→①の答えという風に提示することを誰が望もうか?ということなのだ。

 しかもフルバの凄いことは絶妙なギャグとシリアスさがテンポよく繰り出されてぐんぐんひきこまれてしまう。今回も「カンドラ様の話がまだです!」、「この家の中では本名を語らない方が身の為よ」は、飢えだの名言集にきちんと加えた。(そのほか、「あなたは花を食べるのですか?」「G線が切れた!」「時差ぼけかな?」など)まぁ、おかげさまで読後は大分疲れるのだが、魅力的なキャラクターとともに繰り出される彼ら一人一人のエピソード、思いは一生飢えだの心の糧となると思う。

 ふー、フルバへの熱い愛をちょっぴり語ってしまった。

 そんな具合に煎餅布団にぬくぬくとくるまって、行動開始する6時までフルバを読んだ。まぁなんだかんだ言って夢中になってたら9時を回ってしまったんだが・・・外を見れば雪である!実は微妙に人生初である。

 僕は雪が降らない非常に脳天気な地で育ったため、実質初めて雪がこんなにたくさん降るのを見た。スキーは2回くらいしたことがあるが、全く雪なんぞ降らず、もはやゲレンデはアイスバーン状態、スキーというよりも危険なスケート状態である。そんな中で気の毒に飢えだはびくびくしながらボーゲンとプルークボーゲンでのろのろ滑っていた。後ろからスノボ集団が颯爽と抜かしていく。ちんたら滑ってやがらぁ、とでも言わんばかりにこっちを見てくるが、僕が余りにも必死な顔で滑っていたせいか、気の毒そうに僕を抜かしていった。何なんだろうか、まったく。(ゲレンデのど真ん中で)エッジを利かせてカニさんステップを練習(というよりこけて端に行こうとしていた)していただけなのに、どーして彼らは飢えだを憐れむのかしら。そんな具合なので、「こんなにでっかい塊が空から降ってくるなんて・・・」と嬉しさやら、ハラハラやらを抱えつつ、窓の外を見ていた。

雲もどんよりとしているが、雨雲とは違う白っぽさと曖昧さがあって何とも不思議な光景だった。しかし、外を見ると全く積もる様子はないし、アスファルトが濡れるだけだったため、内心がっかりだった。雪を見ながら散歩したいなぁと思うも、外には出られない・・・なぜならレポートがあるから・・・必修!なぜ教授方は我にレポートを7本もたもうたのだ(代わりにテストは語学を除いて法Ⅱだけ・・・)!!しかも一本増えたし。しかし、レポートも終盤戦に入り、残す所あと二本だった。片方は書評で、もう片方は漱石の日本語テクストを分析環境を用いて分析するというもの。前者は読み途中だし、まだ提出期限が先なので手をつけていないが、問題は後者である。結論が着陸できない!!どうしよう。いつまでたってもまとめの部分が結果と同じことしか書けず、非常に薄っぺらなものになってしまうのだ。「で?結局何をいいたいの?」というレポートになっている。

このレポートを如何に不時着させんと試行錯誤を練るも、集中力が続かずに、編みかけの物をやり始めたり、サスペンス劇場を見たりしていたせいで、気がつけば夕方・・・外を見ると良い感じに雪が積もっていて、年甲斐もなく興奮してしまった。もう気分は初めて常夏の島に来た津軽っ子である。

なんとかレポートを不時着させ、念願の雪見散歩を決行した。悲しいかな、だらだら書き続けたせいでもう19時半・・・街に繰り出そうにももう閉まっちまう・・・(因みにレポートは送信してしまった。まっいっか☆みたいな感じで・・・先生、これでも何日もかけて頑張ったんです・・・)どうせなら、井の頭公園の雪景色をじっくり眺めようと思って、初めて吉祥寺まで歩いて行った。(いつもはバスか自転車である)

 僕が生息する東大監獄は別名三鷹寮(なんか逆な気がする・・・)とも呼ばれるだけあって、吉祥寺のはるか南方、東八道路沿いにある。あるけば大体30分くらいであろうか?バス、自転車で約20分である。東大に行くよりもICU(杏林大学病院ではない)とか外大に行く方が近いため、東大クオリティの象徴の一つであるともいえる。

 寮から出ると、風と共に雪が舞っていて、街灯に照らされてちらちらと地面に降りていた。監獄の庭はすっかり雪に埋まっていて、一面真っ白である。東八道路や吉祥寺通りを走る車の上にはどっちゃりと雪が積もっていて、なんとも間抜けでかわいらしい。自転車の数も、人の数も少ないため、いつもは目に止めない運動場やマンション併設の公園に雪化粧が施されているのをあるきながら見つめた。しかし、吉祥寺駅への道の真ん中くらいで、傘を持ったまま見上げてしまうせいか、手袋に水分を多く含んだ雪がしみ込んできて、防寒具の意味を為さなくなってきた。雨と違って流れの予想がつかない雪は、傘ではなかなか防げない。速く行かねば、と少し歩を速める。

 井の頭公園はすっかり雪に埋まっていた。ノルウェーの森の撮影でも用いられたという木立の根元は綺麗に雪で覆われていて、光がいつもより反射するせいか、木の形であるとか、奇妙に伸びた枝とかが一層趣深くなっている。普段なら自転車に三速を入れて駆け抜ける吉祥寺通りも、進むスピードが変わるだけでかくも違うものか、と感じ入った。寒いし、手もかじかんできたため本当は早く吉祥寺駅に行ってしまいたいのだが、降り積もる雪と、木立を見ていたら井の頭池の様子が気になって、ついつい井の頭公園に足を踏み入れてしまった。

 公園の中は通り抜ける人を除いて、雪のせいか時間のせいか、ほとんど人の気配がない。弁天様を右手に、公園の奥に入って橋を渡る。微妙に橋は凍っていて、大分危ない。こんな寒い日+人が全然いない!!時に池にドボンしたらシャレにならない、ドヤサドヤサでは済まない。しかも、橋にはこんな時に限って、階段ともスロープともいえない、微妙な木の足掛けがある段差がある。おい、これまずいんじゃないか?と内心思った。けど戻るのも癪だし、何より池の全体を眺めたかったから、根性で登った。手すりにかけると雪で余計に手袋が濡れて、散々だ。

 橋を渡り終えて、池の東西を眺める。コーンフレークみたい(見たことない飢えだにはこんな風に映った)な雪が電灯に照らされて白く発光している。池の水面は暗いせいか、橋のすぐ真下まで迫っているように見えて、それでかつ水のうごめきが雪の光に照らされているものだから一層明らかで、非常に不気味である。水の音と、遠くで水鳥が鳴く声がした。雪が降ると静かになると聞いたことがあるが、それは本当であるかもしれない。その証拠に飢えだも口をつぐんで歩いているし、遠くの水鳥の声まで聞こえた。

 井の頭公園を北に抜けると、人通りも回復して、雪にはしゃいでいるのもあってか、少しにぎわってきた。指先が芯まで冷えてしまったから、速くどっかの店に入ろうと思っても、丸井は閉まっちゃったし、atreが混んでるし、暫くふらついて仕方がないから、いつもの喫茶店に入って、冬の柚子入り紅茶とフォンダンショコラを頼んだ。そんな人生初めての雪の日だった。

 ようするに飢えだはお一人様だということ。そっちのほうが性に合ってるのかな・・ハハハハハ(乾いた笑い)

一人で耳をすましてみた

 中河原駅を出ると、電車は大きくカーブして多摩川を渡る。渡った先にあるのが聖蹟桜ヶ丘駅である。雰囲気は映画で見たから知っていたけど、本当にこじんまりした駅だ。京王本線の全ての車両が停まるというもの、相対式のホームで待避線はないため、三鷹台駅とおなじような趣きである。まぁ、長さからしたら比べ物にならないが。階段を降りた時点でそこは「耳をすませば」の世界だった。この小さめの改札雫ちゃんも通ったな・・・と思いつつタッチする(ここは切符でなければならなかったのだろうか?)。

 あー駄目だ。いつもとは違うちょっぴり趣のある文章にしようかと思ったんだけど、無理だ。いつものテンションにする。というわけで聖蹟桜ヶ丘に行ってきた。何も何も、全てはまごうことなく耳すまのためである。スタジオジブリ作の、かの名作アニメ映画「耳をすませば」。「雫!好きだ!」(こんなん?)等など、皆様各々良悪含め様々な思い、思い出を持っているだろうよ。因みに僕はカントリーロードを歌うシーンと、雫が西老人に原石を見せてもらうシーンが好きだな。いや、こんなことはどうでもいい。聖蹟桜ヶ丘は、「耳をすませば」の舞台のモデルとなった場所なのである。これは一ファンとして行かないわけにはいくまい、と思い着想を練り続け、やっと大願成就して聖地を訪問した。馬鹿みたいに晴れた日に行こうとずっと考えていたため、まさに昨日は絶好の耳すま日和だった。まぁ、そのせいでゼミの定例会をすっぽかしたが・・・・

 そして何より、前提にしておかねばならないのは、この聖蹟桜ヶ丘訪問が一人ぼっちだということである。大変痛々しい。これは別に僕がマゾヒストであるとかそういうのではなく、高尚な精神性あってのことなのだ。今回の聖蹟桜ヶ丘訪問は、うえだ自身を見つめ直すためのものなのである(まぁ、純粋な好奇心もあるが・・・)。耳すまは、うえだ的にまとめる(耳すまはまとめることが出来るほど薄っぺらくはないのだが・・・)と、要するに雫ちゃんが夢へ向かう+リア充になる話なのだ。非リアであったころの雫ちゃんに自らを投影し、追体験するには、極めて瞑想的な訪問をせねばならない。こうして、一人遠足を決意した。もう一つの理由は、騒音防止である。何やら、かつて心ない耳すまファンが、閑静な桜ケ丘で騒いだり、ゴミをポイ捨てしたりして、近隣住民に迷惑をかけたらしい。そのせいで、耳すまファンに対する住民の認識が悪くなり、聖地を静かに訪ねる耳すまファンが肩身の狭い思いをするのは、奈何せん不条理である。認識を良くするのは、悪くすることより数倍も難しいが、千里の道も一歩から、頑張るしかなかろう。

 

 聖蹟桜ヶ丘駅西口を出ると、それはまさに耳すまで雫ちゃんが空を見上げたように、大きく空が広がる。なんとも気持ちのいいところだった。聖蹟桜ヶ丘駅周辺には京王百貨店などの大規模小売店舗が充実しており、都心に出る人と、買い物に来た人とで大変にぎやかだ。僕は雫ちゃんが猫のムーン(あのデブ猫である)を追いかけたように、さくら通りからいろは坂を登り、地球屋のあったロータリーに行った。丁度聖蹟桜ヶ丘駅に着いたのは昼ごろだったため、お腹がすいたので京王百貨店内のパスタ屋に入る。880円のカルボナーラを食べる。880円という値段に釣り合ったお味に納得する。まぁ、所詮こんなもんだ。店員さんがやる気があるのはいいが、どうも力みすぎている。若いウェイターさんは、とても気持ちよく接客してくれたのだが、間が悪い・・・うえだが口にパスタを突っ込んだ瞬間に、「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」と聞かれてももごもごしてしまって答えようがない。情けなくも、はい、と首を振って答える。非常に恥ずかしい。とりあえず全く耳すまに関係ないことばかりしている気がするが、このように見知らぬ土地を歩くのはある種の新鮮さがあって、好きだ。でもこのカルボナーラはきっともう食べない。

 パスタを食べながら内心動揺していた。思っていたより聖蹟桜ヶ丘に人がたくさんいるのである。この一人耳すまという創造的な試みが痛々しい部類に入るものであることは重々承知している。しかし、奈何せんこのように人が多くては、パシャパシャ写真を撮ることはできないし、ぐるぐる同じ所を回ることも、ベンチでゆっくりすることも出来ない。困ったなぁ、と思いつつさくら通りを抜け、霞が関橋にさしかかると、案外人はいなかった。なんだ、人が多いのは中心部だけか。安心。みなさ~ん!十分一人耳すま出来ますよ!とりあえず叫んでみる。

 

 霞が関橋を渡ると、桜ケ丘をバックにしていろは坂が始まる。原作で描かれた風景とそっくりである。感慨。

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ぐんぐん坂を登る。ここは雫の通学路だった所だ。原作とは違って、歩道は左側なのだ。

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坂を越えると図書館がある・・・はずが、ない。原作ではそこに立花先生・・・じゃなくて雫のお父さんが働く図書館がある設定だが、実際はなく、こじんまりとした公園である(写真撮り忘れた・・・)。そこからは聖蹟桜ヶ丘の市街部が一望できるのだ。

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そして、さくら公園に隣接する急斜面の上に、クライマックスで朝日を見る秘密の場所(通称耳丘)があるのだが、現在は立ち入り禁止となっている。残念だが、まぁ登る気にもならない。「行こう!恐れずに」とは言われても・・・出来ないものは出来ないのだ。 

 さくら公園を過ぎると、ヘアピンカーブがある。歩行者はカーブの手前の階段を上るのだ。ここの階段は原作のように家と家の間を縫っているわけではないが、周りを車が行き交うのを眺めながら上って行くのは快感である。この階段なんてまさに雫ちゃんが駆け下りていそうではないか!

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三回目の一番長い階段を上り終えると、すぐ横に金比羅様がある。ここは杉村が雫に告白したポイントである。僕は恋愛物は自分に都合よく解釈する(則ち読んでいて悲しくなる所は精神的に読み飛ばす感じ)人間のため、特に興奮するわけではなく、あぁこんなんあったなぁと思いながら賽銭を投げといた。しかし、この金比羅さんは原作に出てきたものと非常にそっくりである。周りの木立はあまり似ていないが、縦長の建物といい、小ささといい非常に似ている。眺めていると、ジブリの再現力、よりも脚色力に感じいってしまう。

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金比羅さんの辺りから桜ケ丘は高級住宅地らしくなる。立派な門構えの家や個性的な家が多い(プライバシー保護の観点から家々の写真の撮影は控えたため、紹介は出来ない)。カーブを曲がると、あとはロータリーまで一本道だ。

いいところである。どの家も高くて二階建てのため、日当たりは良好だし、眺望も最高だ。

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 南側には更なる住宅地と緩やかな丘陵地が広がっていて非常に美しい。高級住宅地になるのもうなずける。そして、何より静かだ。僕のコンバースの足音さえ聞こえるのだから。車の往来もたまにバスが通る程度だし、高齢化が進んでいるせいか子どもの騒ぐ声もそれほどしない。しかも日がよくあたるため、ぽかぽかしていて気持ちがいい。雲が動くのと同じスピードで歩いているような気がした。晴れた日に来れて本当によかった。個性的な家が多いせいか、角を曲がるたびに違う景色が広がって回っていても飽きない。まるで迷路のようで、とてもわくわくする。こうなってくるとわざと横道に入って見たりしてどきどきしたくなる。実際に、僕は同じ所をぐるぐると回っていた。シンメトリックな白塗りの家、重厚なレンガ造り風の家など、不揃いな住宅がここでは景色をなしているようで不思議だった。歩いていると、高校の裏の長谷という住宅地を思い出した。長谷は古くからの住宅地で、桜ケ丘と同じように高級住宅地である。道は桜ケ丘よりもっと細くってごちゃごちゃに入り組んでおり(なんせ昔のままだから)、友人と長谷経由で大通りに出ようとして行き当たりばったりに行ったら、随分時間を食ったのを覚えている。僕は長谷を歩くのが好きだった。桜ケ丘と同じように、いや桜ケ丘よりもっと複雑な街並みに敢えて迷い込んで、日常にあるはずの非日常を楽しんでいた。まぁ、ようは視点の転換なのだけど。でも、桜ケ丘の町並みの方が好きだな。丘だから、何より眺めが良い。山育ちの気質がそのまま出てしまって、上京したって昔と大して変わらないことに気付いた。嬉しいのやら悲しいのやら。桜ケ丘の町並みは段段状になっていて、その段と段をつなげるように、時折階段が現れる。階段が現れるたびに視界が開けるため、その度に嘆息する。遥か先にあるあの街はなんという街なのか、そう考えるだけでもわくわくする。階段のみならず、斜面を上るための急カーブが多いのも特徴で、一見すると苦しそうだが、流線形の構造物(ロータリーもまた然り)が多いと、賽の目に慣れてしまった僕にはとても新鮮に感じる。

 

 原作では地球屋があったロータリー。

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 ここが桜ケ丘のバスの中継地点となっているようで、小さな広場となっている。ロータリーの横には集会場、駐在所、小さな商店があるのだが、どれも非常にレトロである。何より駐在所の存在には驚いた。うちの田舎ぐらいにしかないだろうと思っていたのに。しかも、駐在所は微妙におシャレなのだ。気品のあるデザインとでもいおうか。周りの家々からは全く浮いていない。違いといえばせいぜい国旗を掲げているぐらいだ。この商店のうちの一つに、「ノア」という洋菓子店がある。

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見ての通りとてもノスタルジックなたたずまいで、如何にも町の洋菓子屋さんである。メニューも素朴だ。イチゴのサラバン、ショートケーキ、りんごのゼリー。僕はゼミへのお土産を兼ねて耳すまクッキー(700円)を買った。このクッキー、ボリュームの割に高い気がする。てゆうか、耳すま関連のものがムーン(?)的猫のクッキー以外ないというオチ・・・ぼろもうけじゃないか。店主が慣れた口調でどこから来たのかと聞かれた。三鷹ですよ、すぐそばです(まぁ、そばではないが)。すごくいい所ですね。静かで。

 僕がそういうと、店主は後ろから「耳すま思い出ノート」と書かれたノートを引っ張ってきて、これ書きます?と聞いてきた。僕はかなりの乱筆者のため、遠慮すると、ではこっち、と言わんばかりに色紙を出した。桜ケ丘に耳すま関連のモニュメントを立てるために、署名的なメッセージを集めているらしい。それなら是非、と受けて店の前にあるテーブルで書いた。しかし、書きながら思った。モニュメントが出来てくれたら嬉しい。しかし、それによってたくさんの人が桜ケ丘に来て、この平穏を侵されるのはなんか嫌だ。桜ケ丘のよい所は、観光地化されず、人々の生活がそこにある所だと思う。だからこそ僕たちは桜ケ丘を歩くことで雫たちの息を感じて気持ちを彼らに桜ケ丘を通じて投じることが出来る。

ロータリーを去ってゆっくり歩きながら僕は考えた。これはあくまでも僕個人の見解だが、耳すまは僕にとって過去の自分と今の自分の対話である。これは大分今となってはの話なのだが・・・僕はどういう偶然か、小学校の時に訳も分からず耳すまを見て感動して以来、肝心の中高生時代に全く耳すまを見なかった。それこそ7月の金曜ロードショーで久しぶりに見たのである。その時に、自分のまだ見えぬ未来を模索する雫と、それに向けて走る雫と聖司の姿を見て、胸が熱くなった。見ていたときは純粋に感動していたのだが、終わって反芻するうちに、今の僕はあの二人の延長線上にいるんだと気がついた。僕は中学高校の時に世間知らずな憧れを胸に抱いて、そのために今まで頑張ってきた(今は・・・頑張ってるのかな・・?ハハハハ{乾いた笑い})。そういう意味では、中高生の僕は2人と一緒だ(非リア充であることを除けば・・・・)。そして、丁度今まだ夢が成就するわけでもないが、夢の実現の可否が決まるギリギリのラインが迫っているのだ。二人とは違う意味でぼんやりとした不安を抱きながら日々生活している。僕には西老人が見せてくれるような、原石は本当にあるのか、それとも輝きは消えたのか。

しかし、物事はそういうことではないのだ。西老人が見せた原石の輝きは才能を単純に指し示すのではない。原石を如何に磨くかということを伝えたのだ。2人の原石を磨くエネルギーは半端なもんではない。聖司に至っては親と大喧嘩しつつバイオリンを作ろうとするし、雫は夢中で物語を書き続ける。聖司君は恐ろしいと僕は思う。雫の読みそうな本全部読むって、それストーカー紛いなのでは・・・?ひろせさんもいっていたが、イタリアでバイオリン職人、このフレーズが全ての疑惑を美しく昇華してしまう・・・てゆうかイケメンは結局許されるのでしょう?最近の自分は、忙しいという言葉にかまけて、いろんなことに消極的になっている気がする。講義、節約、そんなことばっか盾にして、もっと大切なエネルギーを有効活用できていないのではないか。そう感じた。だから、今回の一人耳すまを実行したのだ。あぁぁ、深夜テンション。これを徹夜して書き上げたせいでなんかいろいろ恥ずかしいことを書いているが、まぁいいや。

 迷い、恐れ、みんな取っ払ってしまいたい。自分の好きなこと、知りたいことはなんなのか自分で問い直してみる。結局、自分のやりたいことをやるしかないのだ。それしか、夢の途中にある僕たちに出来ることはない。立花先生は「まぁ、やりたいことをすればいんじゃない」と仰ったらしいが、それはこういうことなのかもしれない。

では僕のやりたいことは何か?漠然と言えば「文字」である。ならばいっちょやりましょう!立花ゼミで文字を追求しようでないか。

「行こう恐れずに、午後の気流が乱れるとき星にも手が届こう!」

 

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このフレーズを口ずさみつつ、やるっきゃないわな、そう思った。三鷹の隅で、東大監獄で、僕は胸の中でリアルに一人耳すましているのである。

いや、でもホントたまに変声しなけりゃよかったと思う

 急に身長が伸び始めたのは高校に入ってからだと思う。それでも高校に入りたての時はまだまだ小さくて背の順で並べば前から数えた方が速かった気がする。夏休み明けに、突然友人に「あれ?でかくなった?」と言われるも、当時はまだ自覚がなかった。そしてそのうち気付かぬうちに、こんなにひょろ長くなってしまったのだ。恐ろしきかな遺伝の力!!僕の母はそんなに大きくないが、父は170台でそれなりに大きく、まぁ、僕がこんな身長になってしまったのも頷ける。

 しかし、小・中と成長は非常に遅かった。中学に上がっても背は伸びないし、声変りもしない。まぁおかげさまで合唱では変声期に苦しむ他の男子諸君を尻目に声は出しやすかったため(上手下手を考えなければの話だけど・・・)、歌うことは好きだった。しかも、ソプラノパートまで下手したら歌えて、楽しかったといえば楽しかった(さすがに恥ずかしかったからアルトにいたのだが)。天使にラブソングをの”Hail holly Queen”や”Amazing Grace”なんかも合唱祭では歌ったものだった。しかし、そんな僕にも変声期は訪れた。中学の卒業式くらいに・・・・当日の合唱(なぜかハレルヤ)で音程がうまく合わない。その時はなんとかごまかしたものの、変声は確実に発生して、残酷にも僕から高音域を奪っていったのである。まぁ、変な声変な声言われなくて済むから良かったのだけど、一つ問題があった。カラオケである。高音絶好調の時に主たるレパートリーを制定、同時に好きな歌手も固まっていったため、さぁ大変だ、高校に行ってからカラオケに行っても声が全く出ない。なんせレパートリーはアンジェラ・アキとか絢香とか女性アーティストばっかりで、とってもじゃないが歌えない。ましてや広瀬香美なんて歌えやしない。これは幸運な変声期の遅れによってもたらされた悲しみであった。今となってはカラオケに行っても歌いやすい”Les Champs Elysees”を歌ってお茶を濁している。

 そんなちょっとした成長の悲しみを味わった高校の初期だったが、夏休みが明けた頃にはすっかり立ち直って、脳天気に過ごしていた。めんどくさいトラブルに巻き込まれることもなく、親と大喧嘩をしてバイクに乗って走りだすこともなく、携帯小説になりそうな一大アヴァンテュールをすることもなく、のうのうと日々を静岡の僻地で過ごし、独自の漫画趣味を形成していき、なんとか受験戦争を突破したのであった。

 昔はチビチビ言われていた僕も、今では「お車運転しますか」(免許なんて持ったら却って危ないという意見で両親と一致。悲しきかな仲良し家族よ)「煙草お吸いになりますか」(吸ってもむせて終わりそう)なんて言われるほどだ。昔からは想像できないくらいに大きくなったのであろう。

 今月、松山旅行に行って来た。勿論一人である(わはは・・・)松山と言えば、夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台であるし、正岡子規生誕の地、種田山頭火終焉の地としても有名である。最近は坂の上の雲フィーバーにより、秋山兄弟目当ての観光客も増えているとか。しかも、市中心部から市電に乗って20分程で著名な道後温泉に着く。なんとも充実した観光地である。僕は更に足を伸ばして内子、大洲にも行った。そこは松山駅から特急で大体20分弱で行けるところで、古い街並みが残るノスタルジックな所である。両地域は蝋燭の元になる木蝋(ハゼの実から抽出したもの)の生産で発展した地域で、大洲には大洲藩の中心大洲城とその城下町があった。大洲の城下町は駅から歩いて20分くらい離れた所にあり、街道をひたすらてくてく歩いて行った。たまにお遍路さんとすれ違うくらいで、あとは専ら車が走っている。城下町にはもはや往時の影は無く、やってるのかやっていないのか分からない店が連なっているばかりで、そこもまたある意味ではノスタルジーを形成している。丁度旅行日は平日だったため観光客もまばらで、ほぼ独占状態だったと言ってよい。ふらふらと散策したのち、近くの町の駅でお昼を取ったのち、少し坂を登った所にある臥龍山荘という史跡に行った。それは明治時代に神戸で貿易に成功した人が、贅を尽くして建てた非常に風流な山荘で、随所に趣向が凝らされている。そこには他に数名の観光客がいた。職員の方の説明が非常に丁寧、かつ興味深くて、見ているうちにどんどん興味が湧いてくる。臥竜山荘は三つの建物に分かれている。臥龍院、不老庵、知止庵の三つである。襖の取っ手、違いだな、障子の骨、貼り方、探せば探すほど創意工夫を施した点が見つかって、驚きの連続だった。

 すっかりはまってしまった僕は他の人達が帰った後もしばらく残って観察を続けていた。疲れて不老庵で眼科に流れる肱川を眺めていたら、解説をしてくれた職員の人が話しかけてくれた。

「どっから来たの?」

「東京です」(本当は静岡なんだけど・・・・ww)

「そりゃまた遠いところから。いいですね、こういう一人旅も」

「そうですねぇ」(ははははは←乾いた笑い)

「いつもこういう旅行はなさってるんですか?」

「まぁ、夏休みに一回はしてます。今大学生で時間だけはあるので」(嘘をつくなぁぁぁあ!)

「あ、そうなんですか。じゃぁ、今三回生か四回生?」

「いえ、まだ一年生ですよ」(あり?いつの間にそんなに老けたのか?)

「え?じゃぁまだ・・」

「19です」

「あらあらあら。ごめんなさいねぇ、なんか落ち着いてたからてっきりもう成人したんじゃないかと思ってました」

「そんな、まだまだですよ」

 

 暫くその人と受け答えをしつつ解説をしてもらっていたら、不思議な気分になった。あんだけガキンチョガキンチョ言われていた僕が、今や歳が多く見られるなんて驚きである。嬉しいような悲しいような。あの頃は歳を多くみられたくて必死だったのに(「大きくなったわね~~~今中1?」「中3です・・・」なんてことがしばしばあったため・・・)、今では少し悲しいねぇ。そんなに僕は落ち着いているように見えるのだろうか。頭の中は常に今後のことで一杯だし、どうしたら良いかわからないからグルグルしている。時々未だに周りに知的に追いついていないんじゃないかと思うこともあるし、たまに独自路線をばく進し過ぎているんじゃないかと思うこともある。なんとも曖昧な精神状態で、決して成長なんかしていないんじゃないかと思う。本屋で新刊コーナーを漁っている時なんて将にそうである。今市子のコミックスを既刊大人飼いした時なんてその極致・・・成長・・・うん、してるよね・・・?でも、これは果たして成長?・・

 

 しかし、成長したか、してないかなんて、その時々で変わるのではないか?高校の時、高校生なんて実は案外がきんちょなのだと思った。実際に僕はキャァキャァ騒ぐだけであんましなんも考えていなかった。しかし、中学生の時は高校生になれば大人に成れるものだと思っていた。それは同様に小学校の時も抱いていた夢で、小学生の時は中学生は大人で、高校生なんておっさんだと思っていた。でも実際はそんなわけなくて、中学校の時も相変わらずチビッ子で、蕎麦屋に入っても水が出てくる。

 今もそうだ。高校の時は大学生はなんでも自分でやるから大人なのだなんて思っていたが、とんでもない。相変わらず料理は下手糞だし、ドジでのろ間だし、頭は回らない、英語もフランス語も上達しない。先輩たちがすごく大人のように感じるのだ。でも、きっとそのうちその印象も打破されて、また別の対象に大人を移していくのではないか?こんな問いはきりがないのである。畢竟昔と違うのは身長と漫画の蔵書量だけで、なんも変わっちゃいないのである。

Si j’etais un oiseau….?

 というわけで、植田にしては珍しい文化的一日後半である。かの名作オペラ、カルメン(作・ビゼー)を見に行ってきた。

 先日立花ゼミの先輩と「影のない女」を見に行って以来、オペラのすごさ&素晴らしさを知った僕は、今回のカルメンをとても楽しみにしていた。前回の「影のない女」にはすごく感動して、しばらくの間「超越した力よ!!」と「Ich….will….nicht…」がマイブームになってしまったくらいだ。今でも「影のない女」の素晴らしさを伝えるときにはこの二つの台詞の真似をする。カルメンでも名台詞を見つけられるであろうよ、と意気揚々と予習のために、原作であるメリメ作「カルメン」を読んでみた。猛ダッシュで読んだため、深くは読み込んでいないのだが・・・・

 

  カルメン・・滅茶恐いんすけど・・・・・

 

  オペラに出てくるヒロインというよりも、悪魔(女の武器って・・・)・・・だし、最後の殺され方も・・・悪魔祓い的だし(なぜお目目をつぶさにゃならんのだ)・・・最後のフレーズも、え??これが恋物語??というものだったため、前回の「影のない女」とは、また違った期待(というより不安)を持っていた。

しかし、オペラ化されていることから生じる偏見を取り除いて考えると、メリメの「カルメン」は物凄いエネルギーに満ちた恋物語であるように思えて、新鮮だった。最近読んだ恋愛物は、「君に届け」とか、「源氏物語」とか、なんだか一線を引いているような物ばかりだったからかもしれない(大和和紀さんの「あさきゆめみし」の六条御息所は大好き。いつか言ってみたい台詞→「何度洗っても洗っても、呪いよけ(?)の芥子の臭いが・・・・消えない」)

 

  というわけで、「行って、見て、書いた」わけですが、いまいち吹っ切れない。「原作を再現せよ!!」なんてことを言うつもりは全くないのだが、感動することはなく、寧ろホセ(カルメンを愛する男)に対して怒りが向くのだ。僕は見た目の通り、惚れた張ったの経験がなっちゃんに含まれる果汁並みに少ないため、理解ができないのかもしれないが、なんで愛してるのにカルメンを殺さにゃならんのだ?まずここで納得できない。そんな殺した後に、”Ma Carmen adoree”なんて言われても、僕には意味不明である。しかも、母が危篤だと元恋人に言われれば、意気揚々と二人で母の元に行くなんて、なんちゅう自分勝手な男!!と怒り心頭だ。しかもやたらと粘着っぽいし、うざいし、マダオだしで、帰りの電車の中でぶつぶつ文句を言わずにいられなかった。

 

  しかし、帰宅して、落ち着いてからふと思った。カルメンは何を求めていたのかなぁ、と。カルメンはジプシーの娘で、何物に縛られることもなく生きてきた。だからこそ、自由を求めて生きてきた、というより、自由の障害を跳ね除けながら生きてきたと言える。そう考えると、カルメンは確固たる何かを求めていたとは考えにくい。寧ろ、自分が突発的に求めたいと思ったものを求めることを妨害するものを排除してきた、と考える方が理にかなう。カルメンはそれ故に、一人の男を愛し続けることはできない。その愛が彼女の障害となり、彼女はそれを撥ね退けずにはいられないのだ。

 

  こんな彼女の生き方、皆さんはどう思いますか?

 

  僕は元から自分勝手な性格のため、「まぁ、悪くないんじゃない?」と思うのだが、このオペラを見て、なんとなく寂しくなった。カルメンは笑いながら舞台を闊歩し、登場人物を誘惑する。その姿は(まぁ、衣装が黒、ということもあって)まさに魔女そのものだった。私の一度っきりの人生、私が楽しんで何が悪い!と言わんばかりだ。しかし、第三幕でミカエラが出てきたシーンでだんだんにカルメンの表情が暗転していく様子や、ホセに言い寄られて復縁を強制される様子から、自由がいつの間にか桎梏となり、自分を苦しめていくということが強く伝わってくる。そう思うと、自由って何なんだろ?なんて、尾崎○的な問いを発してしまう(笑)でも、このテーゼはやっぱり永遠の問いじゃないかな?現代社会で人は一応自由に学問や遊びや労働や恋愛をできるけど、自由になったはずなのに感じるこの不自由さはなんなのやら・・・なんかカルメンとずれて来てる気が・・・・まぁ、いいや

 

 ”Si tu ne m’aimes pas, je t’aime.

 Si je t’aime, prends garde a toi!!”

と歌うカルメンは自由の極致

 

 でも、最後のシーン、遠くから名曲「闘牛士の歌」が聞こえ、人々が歓喜する中、

ホセと対峙するカルメンは

何となく寂しい

ルーシー=リー展に行って来た。

立花ゼミの名前を恐れ多くも冠しながら、非文化的路線を突っ走りかけていたが、幸いとっても文化的な一日を過ごすことが出来たのだ!!驚き桃ノ木山椒の木的な流れである。というわけで、まあ、簡単にその内容を書いておこうと思う。

ルーシー=リー展&オペラ「カルメン」を見てきた。きっと大分長くなってしまうため、二つにカットして投稿するかもしれない。

 

まず、ルーシー=リー展について。

僕は少しくらいなら絵も見たことがあるし、著名な画家ならその名前も覚えているが、陶芸や彫刻にはあまり関心がなかった。地元の静岡県立美術館には、ロダン館というロダンの作品のレプリカをたくさん展示している建物があって、ロダン展も度々開催されるぐらい、やたらと彫刻に熱心正直なところだった。しかし、彫刻を見ても何の感動を覚えず、寧ろ肉肉しいなあとしか思わず、陶芸を見ても同様だった。どれも一緒に見える...というのが率直な感想だった。

しかし、今回のルーシー=リー展はそれらの固定観念を吹き飛ばしてくれたのである。

ルーシーの成熟後の作品は大変素朴なものだ。首の長い鉢やシンプルな器が多く、奇抜な構造物がある訳ではない。装飾に関しても、豪奢な絵柄がつけられているのではなく、線形を基調とした禁欲的な装飾や、「溶岩」と呼ばれるダイナミックでありながらも静的なものが多い。これらの作風は叔父の家で触れた古代ローマ時代の陶器に基づくものらしい。たしかに、見ていると、彩文土器などを連想する。

しかし、ルーシーの多彩であり、かつ美しい色彩は僕の胸を打った。ルーシーはウィーン(だったはず...)で陶芸の勉強を始めてから精力的に釉薬の研究をしていて、その莫大な研究の積み重ねが彼女の色彩を現実のものとしたのである。ルーシーの色彩の特徴は、大変自然な所である。近日世の中に多く出回る、不気味な純色ではなく、色が淡いのだ。例えるならば、彼女のピンクは朝顔の花びらのようであるし、彼女の青はどことなくペルシアンブルーを連想させ、黄色は菜の花のようだ。そこに彼女が編み出した、躍動感のあふれる「溶岩」が加わると、作品が陶器から、一つの風景に変わるのだ。

もう一つの魅力は、同じ色が無いことだ。彼女の作品の色彩は一つ一つ異なり、見ていて飽きないのである。ルーシーの作品のデザインはさっきも述べた通り非常にシンプルであり(それは彼女が作ったテーブルウェアにも言える)、ある意味では「みんな同じにしか見えない....」という感情を持ちかねない。しかし、そんな気持ちを抱いてしまったら、たくさんの作品を見比べてほしい。きっと微妙に色や、色彩の濃淡が異なるはずだ。同じピンクの器であったとしても、少し濃いめであったり、色が濃い点が集中して斑になっていたりする。そんなところを眺めていると、陶芸の奥深さが伝わってくると同時に、造形と釉薬の神秘を垣間みる事が出来る。

ルーシーはBBCの取材を受けた時、こう言っていた。

「だめよ、50%くらいしか計算が合ってないわ」

と楽しそうに言っていた。

きっとルーシーは、構造物と釉薬のもたらす色彩と造形の神秘や奥深さを、自ら楽しんでいたのだと思う。50%は計算しておいて、残りの50%は偶然に委ねていたのではないか?だからこそ、ルーシーの作品は見ていても飽きなくて、どんどん引き込まれるのだと思う。

 

 

君と僕。(堀田きいち・スクウェアエニックス)(1~8)

 予告通り今回は漫画のことについて語ろうと思っているのだが、いやはや、周りの話題のレベルの高さゆえにこんなことを書くことが恥ずかしくなって、いっちょ無理をしてフランス革命に話題を変えたほうがよいのでは・・・という気持ちになったが、まぁ、そのネタも元をたどれば池田理代子さんの名作「ベルサイユのバラ」に行ってしまうんだから、ここは潔く自分の姿を曝す事にする。うんうん、背伸びは良くない。でもなぁ、みんながDIDについて語ってる中で、一人「君と僕。」について語るなんて・・・平和ボケすぎる。例えるならば・・・・みんながマリリン=マンソンに熱狂しているのに、一人だけ福田進一さんを信仰するのに似てるかな・・・・・いや、マンソンは無いな、DIDが勘違いされちゃうもの

  僕は漫画が好きで、本は古本、漫画は新品という、まぁわけのわからない消費生活を送っているくらいだ・・・うん、自慢にならないね。でも、なんだか中学のころから少年漫画と折り合いが合わなくって、所謂少女漫画(でも甘ったるい恋愛物は大の苦手)や女性向けの漫画を読むことが多い。 最近読んだ漫画をリストアップしてみる。

 

「あとり硅子短編集」(あとり硅子・新書館)

「四ツ谷渋谷入谷雑司が谷!!」(あとり硅子・新書館)

「へびいちごの缶詰」(河合遥・祥伝社)

「君と僕。」(堀田きいち・スクウェアエニックス)

「大奥」(よしながふみ)

 

 こうリストアップしてみると、如何に自分がサボっているのかが露になって、このブログの更新すらしたくなくなるが、そこは我慢我慢、こうでもしなかったら一生記事を書いてはやめ、記事を書いてはやめ、を繰り返しかねない。てゆうかなぁ、財布が寒いなぁ・・誰か、植田に投資を・・・どっかの誰かさんとは大違いで我ながら恥ずかしい

  なんとも長い前置きとなったが本題に入る。 この「君と僕。」は堀田きいちさんがガンガン系の雑誌で連載しているゆる~いギャグ漫画で、要、祐希、悠太、春、千鶴という男子高校生五人組のなんともゆるい青春を描いたものだ。 堀田きいちさんの特徴として、なにより絵がさっぱりとしていて、かつかわいい。描線はあまり書き込まず、場面がすっきりとしていて、ダイレクトに登場人物の表情と心情が伝わってくる。かといって、風景描写をサボっているわけではなく、必要な場面では何とも乙な具合の背景を描いてくれて、これがとっても嬉しい。漫画は写真と違って、描き、読者に伝える情報量もその設定もすべて作者に一任されるため、作者の意図は絵から伝わってくる情報によって覗うことが出来る。ひたすらフルに情報を詰め込んでは作者も読み手も疲れるし、描かなすぎてもわからない。どちらも漫画として成立しないわけではないのだが、そこにストーリーとのバランスが非常に関って来るのだ。こう考えると、堀田さんはそれをよくわきまえていると思う。特に4巻のScene17 colorless blueの祐希と花代が信号を待つシーンの微妙な目線の動きと、風景の描写は、情景の空気感を確実に読者に伝えてくれて、この時点でよよと僕は泣き始めた。その一方で同4巻のScene15 陽だまりの詩のお茶らけた描写は対照的にくすくすと笑いを誘う。堀田さんの描写は深み、という要素を鑑みるといささか見劣りをするが、漫画が持ってしかるべきほどほどの簡明さと臨場感は十分備えていると思う。

 描き方からいったん離れて、「君と僕。」という作品全体を考えてみると、やはり僕はノスタルジーが中心的な要素だと思う。今手元にあるのが4巻であるため、それにクローズアップしてみる。「君と僕。」は大体一巻ごとにメインのストーリーが完結するように出来ている。2巻は転入生、3巻は文化祭、4巻は祐希と花代、というように主題が決まっていて、それを中心に全体の話が展開する。しかし、どの話も日常に近いもので、「喧嘩にあけくれるぜー」とか、「県大会出場だぜー」とか、「足の裏が焦げるぜー」的な大恋愛なんて、全く出てこない。4巻の話の概略を書くと、祐希がコンビニのフェア(パンやお弁当についているシールを集めるとお皿がもらえるタイプ)のためにシールを集めていた。ある日5人たちは不意に普段は行かない食堂に行ってみると、食堂のおばちゃんとは段違いに綺麗なお姉さんが働いていて・・・まぁ、こんな感じなのだが・・・後半を除けばめちゃくちゃ生活臭がしますね。僕もシール集めはしていた。花代はかつて美容師であり、何らかの理由により辞めて、母の働いている食堂で働いていたのだった。祐希はどういうわけか花代に惹かれて行く。そんな中、花代は美容師になる夢を捨てきれず、再び美容院で働くために食堂を去ることにした。しかし花代は女手一つで育ててくれた母を見捨てることに強く抵抗を感じ、花代の気持ちは大きく揺れていた。この物語は「君と僕。」の中でも特にテンポの遅い作品で、ゆったりと時が流れる。この回主役格の祐希は鉄面皮で無気力なため、余計どんよりとした話に見える。物語の終わりごろ、祐希と花代が信号待ちをしている時に花代は言う。

「あんたなんか全部まだこれからでしょうが。いっぱい悩むのもえらぶのも、出会うのも別れるのも、全部。うらやましいわ」

 このセリフは、非常にシンプルにノスタルジーを表している。学生たちの世界に慣れている学食のおばちゃんと比べられるだけに、はっきりと祐希たちと花代のギャップが伝わってくる。ここで、ノスタルジーから離れて考えてみる。祐希は悩む花代にこう言い、花代にとって強い後押しとなったと思われる。

「お母さんが一人になっても、家を出ることは悪いことじゃないと思います」

 なぜ祐希にこんなことが言えたのだろう?祐希には花代の立場の経験もなければ、況や花代の母の立場の経験もない。然則ち容易にこんな答えを出せないはずだ。この疑問はまだ解決できていない。何といっても祐希の表情が変化しなくて・・何を考えているのか微妙な仕草からしかわからないのだ。しかし、これもまた「君と僕。」の魅力の一つ、「描かない」なのだ。

 「君と僕。」というタイトルは、祐希や要たちの世界で捉えれば、友人たちとの日々を示す。しかし、その世界に大人たちが入って鏡となり、時間軸が二重となることで、未来の自分と現在の自分の対話とも考えることが出来る(ex第五巻Scene21)。その大人が花代や東先生や静奈(要母もあり・・・かな?)である。後者で捉えるならば、多少未来から現在へのベクトルが強く、ノスタルジックな趣となる。しかし、第6巻のScene23からは未来への志向性をも読み取ることができ、ひたすら過去を懐かしんでいるわけではない。さらに、所謂「ありきたり」な高校生の日々を描くことで、読者の追体験を容易にし、読者が自身の過去を振り返るきっかけとなりやすいのだ。この点は「君と僕。」の深みであるとも僕は思う。

 

 なんか最後の方は減速気味で申し訳ないが、「君と僕。」はとても読みやすい作品のため、僕は強くお勧めする。ギャグメインの作品のため、こんな余分な解釈などしなくても十分に楽しめる。ただ、ファンタジー派の人は物足りないと思う。僕は「君と僕。」を読んでは嘗ての自分を思い出し、未来の自分を想像している。これは大学生という間の年齢だからこそ感じられる気持ちなのかもしれない。そう考えると、年を追うごとに違った読み方ができるのではないか?しかも、追った年は返品不能なため、その読みを永遠に繰り返すことはない。う~ん、かわいい絵柄にもかかわらず、意外と深いぞ「君と僕。」・・・

 

 次回はもうちょっと真面目なトピックについて書きます。でも思いつかなかったら、よしながふみさんの「西洋骨董洋菓子店」について書くかも・・・

そうならないように、いざネタ探しの旅へ!!

Where am I going?

 こんにちは、そして初めまして。実名でネット上に文書を公開するなんて初めてなので、ドキドキするというより、その責任に対して多少不安になっているところがありますが、頑張りますので、どうかよろしく。更新スタイルは、日々の雑記というよりも、何かオモチロイものを見つけた時にそれを忘れないように書きとめる、というものを取ろうと思っているため、更新は不定期&ネタによっては理解不能・・・なんてことにもなりかねない。ていうか、硬派なものから軟派なものまで取り上げようと思っているため、大分混沌としたものになる(自信を持って言えます!!)

だけど、タイトルにあるように、馴染みのお魚屋さんにお刺身を買いに行く気分で、気軽に楽しんで頂ければ幸いだ。

 

次回は僕の好む漫画についてちょびっと語ってみようと思う。他の方々のブログが文学や科学に関するものであるのに、僕はこんなネタで大変申し訳ない。というわけで、a bientot……