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Archive for 6 月, 2010

笑顔の社会史

6 月 25th, 2010

前から気になっていたことがある。

 

人間の笑顔は、どうして「あの顔」なのかということだ。

 

「あの顔」とは、口角と目尻が上がって、頬がふくらんで、笑窪が出来たりして…という顔のこと、要するに笑顔のことである。

 

 なぜそんなことを気にするのかというと、僕には「あの顔」が世界共通の顔であるように思えてならないからだ。つまり、「あの顔」が人間の喜びを表す表情として認知されるというのは、どの世界、どの時代でも共通であるように僕には思われるからだ。

 

 考えてみれば、すごいことではある。「あの顔」は、いかなる社会のコードにおいても共通の意味を持つ、ということだから。

 

 無論、別の可能性もある。つまり、「あの顔」が日本で現在のような意味を持つようになったのは、実はごく最近のことにすぎない。昔は、あるいは現在でも一部の文化圏では、「あの顔」とは別の表情が喜びを表す表情として認知されていた・いる。しかしそう感じられないのは、ヨーロッパ的な「笑顔」が唯一の笑顔として認められ、しかもその過程が忘れられたことの帰結である。そういう可能性である。

 

 どちらの仮説が正しいにせよ、なかなか面白い。「笑顔の社会史」、あるいはもっと大きく出て(僕は大きく出ることが好きです)「表情の社会史」とかいうテーマの研究をしてみてもいいんではないか、と思っている。

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K教授のこと

6 月 15th, 2010

 僕は、水曜一限の法Ⅰの講義が好きだ。

 

 こんなことを書くと、僕の好みはかなり特殊だと思われるかもしれないが…

 

 

 水1の法Ⅰを担当されているのはK教授。法学者らしからぬユーモラスな先生で、雰囲気は飲み屋にいそうなイイ感じのおっちゃんそのものである。こういう人が法学研究の最前線にいらっしゃると思うと、少しほっとする。

 

 よくK教授の講義はわけがわからんという愚痴を耳にするが、彼の話はよく聞くとかなり秩序だっている(と思う。) でも、彼が本当に伝えたいのはごく当然で単純なことだと僕は感じている。つまり、法が社会の枠内にあるのであって、社会が法の枠内にあるのではないということ。それを学生に実感してもらうために、彼は授業に“人情派”の法曹関係者をお呼びするのだと思う。

 

 

 ただ、こう悟ってみたところで法Ⅰの単位がもらえるわけでは、ない。

shuntaroamano 未分類

闇から闇へ―Dialog in the Dark 見聞録

6 月 5th, 2010

 はじめまして、立花ゼミ一年の天野俊太郎です。いつも、ゼミの後ろのほうで黙って人の話を聞いています。せっかくゼミブログが割り当てられたので、食わず嫌いを改めて始めてみることにしました。たぶん、週一回くらいしか更新できないと思いますが。読みごたえのある記事を目指します。ゼミ生の方、ゼミ生でない方、これからよろしくお願いします。

 

                  *

 

 僕は、闇から生まれた。再び、闇に還るだろう。

 「闇」から連想したのは、母親のことだった。母親は、我々にとって最も根源的な闇の形態であった。それほど突飛な連想ではないだろう。我々の記憶は、我々の胚胎より以前に遡らない。夕立前の温気のように生暖かい、繻子の肌触りの闇―それは母親の孕む羊水の質感である。

 闇は、我々にとって本質的であった。地球上の人間が好き放題に光を享受できるようになったのは、僅々ここ一世紀来のことにすぎない。言うまでもなく、それ以前に世界を領していたのは、光ではなくて闇である。古来、人間の描いた世界観の果てに広がっていたのは、闇だった。三頭の象の支える円盤状の世界の「果て」も、めぐる天とその中心にある地上からなるとされた世界の「果て」も、等しく闇だった。この闇は、感知不能ということのアナロジーだった。無知は、すべて闇に転換された。そしてこのとき、闇は後々に解明される余地を持っていなかった。つまり、闇は、いつか解明されるはずのものではなく、永久の不可知として、確固たる存在感を持っていた。

 現代人は、闇を知らなくなったと言われる。それは、二重の意味で正しいことである。街灯や自動車や人家やケータイのディスプレイの明かりが、物理的に闇を消し去ったという意味で。そして、永久の不可知としての闇を想像することが、きわめて困難になったという意味で。換言すれば、我々の言う闇とは、単に何の光もない茫漠たる空間のことにすぎない。それは今でこそ未知の領域だが、懐中電灯を向けたとたんにその意味が明らかになるものにすぎない。

 「Dialog in the Dark」で見つけたのは、これとは別種の闇だった。

 僕は、何一つ見えないあの世界に足を踏み入れたとき、それが外界と切れ目なく連続しているただの空間だとは到底信じられなかった。村上春樹の『羊をめぐる冒険』で死んだ「鼠」があらわれた闇のように、冥界に通じている気さえしたものだ。しかし同時に、僕の手は水に触れ、僕の耳は人の声を聞き、僕の鼻は森の香りをかいだ。こうした感覚のすべてが、僕に闇の世界の心象を描かせた。奇妙なことである。何一つ見ていないはずなのに、僕はあの世界の有様を、おぼろげながら描き出すことが出来た。僕があの闇の中で怖さをほとんど感じなかったのも、そのためだろうか。しかしそれは、僕が闇の不可知を克服したということでは、決して無い。むしろ、闇の不可知に耐え切れなくなって、そういう心象を仮構したのだろう。この心象は、本来無根拠で脆弱なものにすぎない。しかし、あの世界には光が存在しない。存在しないことが、一つの公理だった。光を持ち込むことがタブーとされる、ほとんど宗教的な安心感があった。そういう世界では、僕の心象を否定し去ることも難しいだろう。それはちょうど、世界から我々に与えられたにすぎない言語が、いつのまにか確固たる存在感を得て一人で歩き出す現象とパラレルに考えることが出来る。

 「或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である」  (小林秀雄)

 

 言語は、その黎明においては、真理に至るための道具ではなかったはずだ。それは、究極的には、我々の生を利するための方便として誕生したはずだ。我々の五つの官能と同じように。そんな不出来な方便を通して、我々はすべてを知ろうとする。そういう我々の認識にとって、闇とは何であろうか? 我々は、父母未生以前の世界について見聞きして何かを「知った」と言う。そうして、認識の背後に広がっているはずの闇のことを忘れる。本当は、その闇の密度の濃さこそが、認識の確かさを支えているかもしれないのに…

 

 昔話をしよう。

 

 数年前、僕が腑抜けのようになって昔の小学校の先生に相談に行ったとき、彼女は言った―わたしの目を見なさい、ほんのすこしでいいから。僕は彼女の目を見た。そして、その奥に確かな質感をもって息づいている闇を見た。僕の腑抜けはいくらか治って、僕は本を読むようになった。その先生は司書だったのである。

 

 彼女は、確か僕の母親と同い年だ。

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