
(c) Ran Oishi
今週、私は大好きなバンド・東京事変のライブに行ってきた。
私が東京事変のライブに足を運ぶのはこれで三度目だった。
初めて行ったのは高校一年生のとき、「”DOMESTIC! “Just can’t help it.」だ。次が高校二年生のとき、「Spa & Treatment」だった。そして三度目が、今回の「ウルトラC」。つまり、彼らの全国ツアーは、最初の「dynamite!」を除き、すべて観に行った。
上京して初めての、東京事変のライブ。
今までは、ボーカルの椎名林檎の出身地でもある福岡県で行われたライブに行っていた。福岡公演は、「ただいま」「おかえりー!!!」という客席との掛け合いあり、博多弁混じりでローカルな思い出話を語るMCあり、「某都民」の中の「日本の宮処はそう此処、東京」の「東京」を「福岡」に変えて歌う場面あり、と、見応えのある、楽しい時間だった。
* * *
今回のライブレポートに入る前に、少しだけ、2007年の全国ツアー「Spa & Treatment」について、記しておきたい。
当時、私は高校二年生だった。
そのころ私は既に東京大学を目指していて勉強していた。けれど、予備校にも通っておらず、受験勉強の仕方も分からず自己流で、途方に暮れていた。
ライブに行く直前の週末、私は、天神(椎名林檎のファンなら「同じ夜」という曲を連想することだろう。こういう歌詞がある。「彷徨う夢の天神に生温さを望み行交う人の大半に素早く注目をさせ/其の欲が満たされたあたしの眼にも果てることない夢 映されるのか」…これは余談)で行われた主要大学説明会にひとりで行った。
この説明会は、東京大学、京都大学をはじめ、全国の有名大学の説明会を合同で行う場であり、各大学の先生からのガイダンスや、資料が配布されるコーナー、予備校の職員の方による質問ブースなどがあった。
私は東大のガイダンスを聞いたあと(言われたことを鵜呑みにせず自分の考えを持つことがいかに大事か、というお話だった。ロックだ)、予備校の職員の方のところへ相談に行った。
そこから、すべては始まった。
「これから大変な事になる」、そう思いながら電車に揺られて帰宅した。夢と、憧れと、覚悟と、溢れそうな不安を抱いて。
次の週の木曜日の放課後、私は自転車を飛ばして帰宅するなり、セーラー服を脱いで、ライダースとショートパンツに着替えた。それから急いで再び家を出ると、ひとりZepp Fukuokaに向かった。肌寒い秋風が吹く埋立地、ドームのすぐそばの会場で、世界史の教科書を読みながら開場を待った。「正しい街」では「都会では冬の匂いも正しくない 百道浜も君も室見川もない」と歌われているが、その「百道浜」や「室見川」のわりと近くにあるライブハウスだ。
コンサートホールではなくライブハウスで行われるライブというだけあって、ステージとの距離はすごく近かった。
そして、「キラーチューン」の、「ご覧、ほらねわざと逢えたんだ/季節を使い捨て生きていこう」の「逢えたんだ」のとき、林檎さんのまっすぐで輝いた目と、不安を湛えた幼い私の目が、一瞬、ばっちり、合った、気がした。一対一で対話しているときのようにあまりにも自然で、気が付くのさえ忘れてしまいそうなくらい、合った。
「今、『逢えたんだ』って、言った。あたしに、言った」
私は音楽に身を任せながら思った。所詮、ライブでは有りがちな勘違いだ、きっと。それでも、なんだか力が湧いてきた。今、勉強をさぼってライブハウスに居ること、林檎さんがこんなに近くにいること、そのすべてに意味があったことが、分かる日が来る気がした。
勉強しよう。東大に受かって、東京で林檎さんにまた逢おう。
――「もしも逢えたときは、誇れる様に」。(「スーパースター」)
その日から私は受験生になった。
* * *
2010年、有楽町。
あれから三年、私は東大生になった。
東大生になって東大の友だちと東大帰りに東京事変のライブに行く。――そのことを実感するまでもないくらい、私は東京に馴染んできている。
私たちの席は、1階29列。真ん中あたりの席だった。
会場のざわめきが、「間もなく開演いたします」というアナウンスとともに、スモークに溶けるように消えてゆく。
やがて、スモークの中から、5人の影が浮かび上がる。会場が湧く。
歓声が彩る東京の日常を切り裂くような、ギターのスクラッチ。
――「勝ち戦」。
この曲の歌い出しはこうだ。
「No one knows how I live my life
’Cause I don’t belong to anywhere
No one knows the truth inside me
Don’t know the fever/that’ so deep in me
(誰もわかっちゃくれないわ
私がどこにも属さないから
わかってたまるかってんだ
分類される程ヤワじゃない
・・・なんてね!)」
私はこのライブでもらえるものが、分かった気がした。「勝つ」こと。それは、誰かと張り合って優位に立つことではない。「自分に勝つ」なんて、常套句みたいなことでもない。
「Won’t you give me fever?
I want the shock /to see how much you kill my mind
Won’t go back to where I was
’Cause that’s the way to win, oh
(ビリビリしたいんだってば
たったいまはシビレていたい
思い出迷子は負けのはじまり
いまを実感する者だけが勝つ)」
誰がなんと言おうと、どんな自分であろうと、いまの自分を自分が肯定して、いまを思いっきり楽しむこと、生を思いっきり享受すること。――それが、「勝つ」ことなのだ。
このことが、このライブ、そして、最新アルバム「スポーツ」を貫いているメッセージだと私は思った。
<■「勝ち戦」>
間髪入れず、曲は進んでいく。MCもそこそこに、名曲が次々に披露されてゆく。
ストップウォッチの画面のデジタル数字がスクリーンに映し出され、03′00″00からのカウントダウンに乗って演奏される「能動的三分間」。00′00″00きっかり、ピーッという音とともに曲が終わり、会場は拍手喝采に包まれる。
拡声器片手に林檎さんがシャウトする「OSCA」。亀田さんのベースが最高に気持ちいい。私たちも「OSCA!!!」と叫ぶ。
「スポーツ」に収録されている「シーズンサヨナラ」は、CDではのびのびと歌われているけれど、ライブでは身を振り絞るように歌われていて、切なさが胸を締め付けた。
同じく「スポーツ」の中の「FOUL」。「Rights!」の「R」の巻き舌に、大学でロシア語クラスの私は圧倒される。「後悔と陶酔は隣人よ知らないの?」
同じく同じく、「電波通信」。「嗚呼彼奴等(きゃつら)の妨害に倍返し」!! あたしに文句をつける奴は出てこい、そのくらいの勢いで自分を肯定して生きていきたい。
大好きな「スーパースター」。「もしも逢えたときは誇れる様に」は高校時代の私の座右の銘で、今も自分に言い聞かせている。立花ゼミでの活動を通しての、私だけのモットーでもある。私のスーパースター、逢いに行きたい。
「閃光少女」、これも受験を駆け抜けた私を応援してくれた曲だった。「焼きついてよ、一瞬の光で/またとないいのちを/使い切っていくから/私は今しか知らない/貴方の今を閃きたい/これが最期だって光って居たい」――林檎さん自身が、少女のようだった。私のようになんの肩書きもなく、迷ってばかりの子どもの気持ちを忘れはしない謙虚な人だ。
「勝つ」ことと傲慢になることを混同しては、もちろん、いけない。強いことと意地悪なことも違う。本当に「勝つ」ことには、自分の弱さを誰かにかばってもらうよりも前に、自分自身で受け容れる必要がある。やるせなくて恥ずかしくて時には消えたくもなるような段階を経て、強くなれる、「勝つ」ことができる。「勝った」人間は、強い。そして、誰よりも優しい。
印象深かったのは、キーボードのやさしい伴奏に乗って歌い上げられた、椎名林檎のソロでの最新シングル「ありあまる富」だった。
この曲にも、先ほどと同じメッセージが一貫して込められている気がした。
「僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えないし壊すこともない
世界はただ妬むばっかり
もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返してもらうまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いている
彼らが手にしている富は買えるんだ
僕らは数えないし失くすこともない
世界はまだ不幸だってさ」
自分の好きなことをとことんまで貫くこと、自分の持っているものを信じて夢を追うこと、しあわせを求めること――それが誰からも認められていないような気がしても、社会に直接に貢献していないような気がしても、後ろめたさを感じる必要はなくて、思うままに突き進んでいいんだ。
私には、私の好きなことがある。私には、私にしかできないことがある。私は、幸せになっていい。
「ほらね君には富が溢れている」
そう、林檎さんは歌い上げる。
<■「ありあまる富」>
「キラーチューン」も、披露された。
CDでは、歌が終わったあと、盛り上がっていた伴奏が一度穏やかになる部分があるのだが、今回の演奏では、歌詞の最後の部分が歌われたあとも同じテンションで演奏が続いた。そうやって流れる音楽は、止め処ない生の賛美のようだった。
そして、この曲に込められたメッセージも先ほどと同じであるような気がしたことは、偶然ではないと思う。
「「贅沢は味方」もっと欲しがります負けたって
勝ったってこの感度は揺るがないの
貧しさこそが敵」
「贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね
だって麗しいのはザラにないの
洗脳(わな)にご注意」
「「今日は一度切り」無駄がなけりゃ意味がない
絶対美しいのは計れないの
溢れ出すから」
「麗しいもの」を求めていれば、世界はこんなに美しい。
その美しさを全身に思いっきり浴びて生きていく贅沢に必要なのは、お金よりも、「感度」だ。
三年前と同じ曲を全身に浴びながら、私は思った。――あたしは、全然、変わっていない。
二十歳を目前にしようと、夢だった大学に入ろうと、私はあのときの、セーラー服でおかっぱの自分と何ら変わりはない。
人生なんて、きっとそんなものだろう。いつか夢を叶えて来賓席でライブを見ていようと、気持ちはきっと変わらないだろう。
それは、虚しいことではなくて、素晴らしいことだと思った。出逢いと別れを繰り返す無常の人生の中で、自分だけは変わらず、生まれたときから、発生したときから同じ自分で世界を感じている。さよならするひとやものは数えきれないけれど、そんなひとやものと触れ合った私は、今の私と同じ私。そう思えば、淋しさが少し、和らぐ。
「ご覧、険しい日本(ここ)で逢えたんだ
捜し出してくれて有り難う
空も恋も騙せないよ
私は貴方の一生もの」
そう歌い切って、足取り軽く踊るようなアウトロのなか、曲は終わる。 ああ、そんな恋が、早くしてみたいな!
<■「キラーチューン」(※動画なし)>
ライブはあっという間に進んでゆき、「最後の曲です」という林檎さんのMCには耳を疑った。まだやっと前半が終わったあたりだと思っていたのに。「早い」――そんな呟きが、其処此処から聞こえた。
アンコールは4曲(!)。最後の最後の曲は、アルバム「スポーツ」の最後に収められた曲「極まる」だった。
実を言うと私はそれまで、この曲がそれほど好きというわけでもなかった。「スポーツ」に収録されている他の曲は、どれも小気味良く、やるせないことも受け容れて強く生きていこう、という気分になれるような曲ばかりなのだけれど、この曲だけはそうではない気がしていた。メロディーも明るくはないし、抑制された演奏、歌詞もポジティブなのかネガティブなのか分からない。他の曲のように、聴いて元気がもらえるような曲ではなかった。
けれど、ライブで聴いて、この曲がアルバムの最後、そしてこのライブの最後に持って来られた意味が、分かった気がした。
「スポーツ」のなかで、この曲が、「日常」に一番近いのだ。
コンサートという、非日常のような場から、私たちは「極まる」に乗って日常にゆらりゆらりと帰されてゆく。
オープニングの「勝ち戦」から、「能動的三分間」「ありあまる富」「キラーチューン」「スーパースター」「閃光少女」――現実の社会への失望や怒りを通り越し、自分自身の無条件な肯定と生きることの喜びを全身に漲らせ、まだ見ぬ明日に希望を見出す。
そこでライブを終わりにせず、淡々と続く日常に「極まる」で繋ぐことで、美しさに溢れた今までのステージが夢物語ではなくちゃんと現実であることを、体に浸み渡るように感じさせてくれるのだ。
pie in the sky(絵に描いた餅)ではなく、本当に食べられるpieであることを。
「ごきげんよう」「さようなら」――エコーが響くステージの上、スモークに包まれて、椎名林檎は消えた。
アウトロの中、他の4人のメンバーも、消えた。
私たちだけが、会場に残された。
スクリーンには、ツアータイトル「ウルトラC」のロゴが浮かび上がる。
ライブを観る前と少しも変わっていない私は、ホールを出て、地下道を抜け、いつもの足取りで銀座を歩く。浮ついてはいない。現実を歩いている。それでも、続く道路とネオンを見渡せば、世界は美しい。松屋、伊東屋、アップルストア。行き交うビジネスマンと平日の夜。
ツアーグッズのタオルを握ったまま、地下鉄に乗る。
さあ、勝ちに行け、あたし!