暗闇ぶらんこ

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外苑前のギャラリーで行われていた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントに、ゼミの先輩のおすすめで行ってきた。

これは、真っ暗闇のなかを、聴覚障害者のアテンドの方に引率していただき、5人前後のメンバーで90分間散歩する、というイベントだ。暗闇のなかには、さまざまなシーンが用意されている。

 

 

 幼いころ、目をつぶってぶらんこに乗るのが好きだった。

 ぶらんこに乗って、足を地面から離して漕ぐと、私は空の上をひとりゆらゆらと浮かんでいるような心地になる。地面は、足を伸ばしたら届きそうなくらい、近くにあるかもしれない。目を開けたとたん気絶してしまいそうなくらい、果てしなく下方にあるかもしれない。目をつぶっている限り、それはどちらでも同じことなのだった。すごく自由な気分になれた。

 

 純粋な暗闇(純粋な、というのは、いつまで経っても目が慣れて辺りが見えてくることのない、という意味)のなかで、ぶらんこを見つけて座ってみたとき、そのときの感覚を思い出した。

 

 一寸先も見えないことが、こんなにも楽しく、自由なものであること。

 

 

 暗闇のなかでは、時間からさえも、自由になれそうな気がした。暗闇のなかでの時間の経過というのは、目をつぶってぶらんこに乗ったときの地面との距離のようなもので、時間がたくさん経過しているのかあまり経過していないのかは、自分の思いこみに委ねていいもののように思った。

それでも、かなり確実な時間の感覚から離れられずにいる、世俗的な自分に気付いた出来事があった。

 暗闇に入ってからしばらく経ったとき、私はふと、

「今、暗闇に入ってからどれくらいの時間が経ったんだろう」

と呟いた。

「いいことに気付いたね」

アテンドの方は言った。

「どのくらいだと思う?」

「30分くらいでしょうか」

私は思ったとおりに言ってみた。

「今、ちょうど26分」

 アテンドの方は微笑んだ。――違う、微笑んでいたかなんてわからないはず。でも微笑んだ、と私は感じた。――

 他のメンバーが10分とか15分とか言っているなかで、私の予想は、ほぼ当たっていたのだった。

 

 

 もし、世界が真っ暗闇だったら。

 ――もし目が見えなくなったら、ということはきっと別の議論を要するので、ここでは、もし世界が真っ暗闇になったら、ということを、無責任に考えてみただけだ――

 人は、どんな恋をするのだろう。

 誰かの目の輝きとか、たたずまいとか、笑顔を感じ取ることはできない。

 それでも、話すことや、声や、考え方や、笑い声や、匂いや、肌の感触――そんな、視覚では捉えられないいろいろなものを、好きになるのだろうか。

 たとえば、あの真っ暗な空間で、私の隣に大好きな人がいたら、私は自分の髪の乱れも、体型も、顔かたちも気にせずに、時間さえ忘れて、ただそこにふたりが在るという事実に身をまかせるだろう。

 ふたりの距離がどのくらい離れているのかは、暗いから、わからない。

 

 世界に一度真っ暗な闇が下りて、いつ光が差しこむのかもわからないまま、みんなを抱きすくめてしまえばいい。

 暗闇は、そんな夢心地の空想で私を包み込んだ。

 

 

 光が見えない。どこに道があるのかわからない。出口が見つからない。

それは絶望のようで、その反対かもしれないと思った。

 

 暗闇を散歩しながら、私たちは不安を抱きながらも、始終わくわくしていた。植物の匂いに深呼吸し、水辺の涼しさにため息を漏らし、暗闇での乾杯に笑い声を上げた。

 地面すれすれを揺れているのか、果てしない大空を飛んでいるのか、絶対にわからないまま、ぶらんこに乗っているように。

 そう考えてみると、暗闇は、私が生きているこの世界そのものみたいだ。

 この先の展望が見えないこと、突破口が開けないこと、憧れとの距離が縮まらないことに、いつも悶々としていたけれど、それは、素敵なものが姿を隠して至るところに潜んでいるにちがいないという、果てしなく自由なときめきに満ちた世界にいるということかもしれない。

 

 蛍光灯の光の中では忘れてしまうあの感覚を、忘れないようにしよう。

 

 

 

暗闇を出ると、そこは外苑前の明るい夜だった。

 

 

 

(c) Ran Oishi

(c) Ran Oishi

世界はまだ不幸だってさ ――東京事変 ライブレポートによせて――

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(c) Ran Oishi

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 今週、私は大好きなバンド・東京事変のライブに行ってきた。

 私が東京事変のライブに足を運ぶのはこれで三度目だった。

 初めて行ったのは高校一年生のとき、「”DOMESTIC! “Just can’t help it.」だ。次が高校二年生のとき、「Spa & Treatment」だった。そして三度目が、今回の「ウルトラC」。つまり、彼らの全国ツアーは、最初の「dynamite!」を除き、すべて観に行った。

 上京して初めての、東京事変のライブ。

 今までは、ボーカルの椎名林檎の出身地でもある福岡県で行われたライブに行っていた。福岡公演は、「ただいま」「おかえりー!!!」という客席との掛け合いあり、博多弁混じりでローカルな思い出話を語るMCあり、「某都民」の中の「日本の宮処はそう此処、東京」の「東京」を「福岡」に変えて歌う場面あり、と、見応えのある、楽しい時間だった。

 

 * * *

 今回のライブレポートに入る前に、少しだけ、2007年の全国ツアー「Spa & Treatment」について、記しておきたい。

 当時、私は高校二年生だった。

 そのころ私は既に東京大学を目指していて勉強していた。けれど、予備校にも通っておらず、受験勉強の仕方も分からず自己流で、途方に暮れていた。

 ライブに行く直前の週末、私は、天神(椎名林檎のファンなら「同じ夜」という曲を連想することだろう。こういう歌詞がある。「彷徨う夢の天神に生温さを望み行交う人の大半に素早く注目をさせ/其の欲が満たされたあたしの眼にも果てることない夢 映されるのか」…これは余談)で行われた主要大学説明会にひとりで行った。

 この説明会は、東京大学、京都大学をはじめ、全国の有名大学の説明会を合同で行う場であり、各大学の先生からのガイダンスや、資料が配布されるコーナー、予備校の職員の方による質問ブースなどがあった。

 私は東大のガイダンスを聞いたあと(言われたことを鵜呑みにせず自分の考えを持つことがいかに大事か、というお話だった。ロックだ)、予備校の職員の方のところへ相談に行った。

 そこから、すべては始まった。

 「これから大変な事になる」、そう思いながら電車に揺られて帰宅した。夢と、憧れと、覚悟と、溢れそうな不安を抱いて。

 

 次の週の木曜日の放課後、私は自転車を飛ばして帰宅するなり、セーラー服を脱いで、ライダースとショートパンツに着替えた。それから急いで再び家を出ると、ひとりZepp Fukuokaに向かった。肌寒い秋風が吹く埋立地、ドームのすぐそばの会場で、世界史の教科書を読みながら開場を待った。「正しい街」では「都会では冬の匂いも正しくない 百道浜も君も室見川もない」と歌われているが、その「百道浜」や「室見川」のわりと近くにあるライブハウスだ。

 コンサートホールではなくライブハウスで行われるライブというだけあって、ステージとの距離はすごく近かった。

 そして、「キラーチューン」の、「ご覧、ほらねわざと逢えたんだ/季節を使い捨て生きていこう」の「逢えたんだ」のとき、林檎さんのまっすぐで輝いた目と、不安を湛えた幼い私の目が、一瞬、ばっちり、合った、気がした。一対一で対話しているときのようにあまりにも自然で、気が付くのさえ忘れてしまいそうなくらい、合った。

 「今、『逢えたんだ』って、言った。あたしに、言った」

 私は音楽に身を任せながら思った。所詮、ライブでは有りがちな勘違いだ、きっと。それでも、なんだか力が湧いてきた。今、勉強をさぼってライブハウスに居ること、林檎さんがこんなに近くにいること、そのすべてに意味があったことが、分かる日が来る気がした。

 勉強しよう。東大に受かって、東京で林檎さんにまた逢おう。

 ――「もしも逢えたときは、誇れる様に」。(「スーパースター」)

 その日から私は受験生になった。

 

 * * *

 2010年、有楽町。

 あれから三年、私は東大生になった。

 東大生になって東大の友だちと東大帰りに東京事変のライブに行く。――そのことを実感するまでもないくらい、私は東京に馴染んできている。

 私たちの席は、1階29列。真ん中あたりの席だった。 

 会場のざわめきが、「間もなく開演いたします」というアナウンスとともに、スモークに溶けるように消えてゆく。

 やがて、スモークの中から、5人の影が浮かび上がる。会場が湧く。

 歓声が彩る東京の日常を切り裂くような、ギターのスクラッチ。

 ――「勝ち戦」。

 この曲の歌い出しはこうだ。

 「No one knows how I live my life

 ’Cause I don’t belong to anywhere

 No one knows the truth inside me

 Don’t know the fever/that’ so deep in me

 (誰もわかっちゃくれないわ
私がどこにも属さないから
わかってたまるかってんだ
分類される程ヤワじゃない

・・・なんてね!)」

 私はこのライブでもらえるものが、分かった気がした。「勝つ」こと。それは、誰かと張り合って優位に立つことではない。「自分に勝つ」なんて、常套句みたいなことでもない。

 「Won’t you give me fever?

 I want the shock /to see how much you kill my mind

 Won’t go back to where I was

 ’Cause that’s the way to win, oh

 (ビリビリしたいんだってば
たったいまはシビレていたい
思い出迷子は負けのはじまり

いまを実感する者だけが勝つ)」

 誰がなんと言おうと、どんな自分であろうと、いまの自分を自分が肯定して、いまを思いっきり楽しむこと、生を思いっきり享受すること。――それが、「勝つ」ことなのだ。

 このことが、このライブ、そして、最新アルバム「スポーツ」を貫いているメッセージだと私は思った。

 <■「勝ち戦」>

 

 間髪入れず、曲は進んでいく。MCもそこそこに、名曲が次々に披露されてゆく。

 

 ストップウォッチの画面のデジタル数字がスクリーンに映し出され、03′00″00からのカウントダウンに乗って演奏される「能動的三分間」。00′00″00きっかり、ピーッという音とともに曲が終わり、会場は拍手喝采に包まれる。

 拡声器片手に林檎さんがシャウトする「OSCA」。亀田さんのベースが最高に気持ちいい。私たちも「OSCA!!!」と叫ぶ。

 「スポーツ」に収録されている「シーズンサヨナラ」は、CDではのびのびと歌われているけれど、ライブでは身を振り絞るように歌われていて、切なさが胸を締め付けた。

 同じく「スポーツ」の中の「FOUL」。「Rights!」の「R」の巻き舌に、大学でロシア語クラスの私は圧倒される。「後悔と陶酔は隣人よ知らないの?」

 同じく同じく、「電波通信」。「嗚呼彼奴等(きゃつら)の妨害に倍返し」!! あたしに文句をつける奴は出てこい、そのくらいの勢いで自分を肯定して生きていきたい。

 大好きな「スーパースター」。「もしも逢えたときは誇れる様に」は高校時代の私の座右の銘で、今も自分に言い聞かせている。立花ゼミでの活動を通しての、私だけのモットーでもある。私のスーパースター、逢いに行きたい。

 「閃光少女」、これも受験を駆け抜けた私を応援してくれた曲だった。「焼きついてよ、一瞬の光で/またとないいのちを/使い切っていくから/私は今しか知らない/貴方の今を閃きたい/これが最期だって光って居たい」――林檎さん自身が、少女のようだった。私のようになんの肩書きもなく、迷ってばかりの子どもの気持ちを忘れはしない謙虚な人だ。

 「勝つ」ことと傲慢になることを混同しては、もちろん、いけない。強いことと意地悪なことも違う。本当に「勝つ」ことには、自分の弱さを誰かにかばってもらうよりも前に、自分自身で受け容れる必要がある。やるせなくて恥ずかしくて時には消えたくもなるような段階を経て、強くなれる、「勝つ」ことができる。「勝った」人間は、強い。そして、誰よりも優しい。 

 

 印象深かったのは、キーボードのやさしい伴奏に乗って歌い上げられた、椎名林檎のソロでの最新シングル「ありあまる富」だった。

 この曲にも、先ほどと同じメッセージが一貫して込められている気がした。

 「僕らが手にしている富は見えないよ

 彼らは奪えないし壊すこともない

 世界はただ妬むばっかり

 

 もしも彼らが君の何かを盗んだとして

 それはくだらないものだよ

 返してもらうまでもない筈

 何故なら価値は生命に従って付いている

 

 彼らが手にしている富は買えるんだ

 僕らは数えないし失くすこともない

 世界はまだ不幸だってさ」

 

 自分の好きなことをとことんまで貫くこと、自分の持っているものを信じて夢を追うこと、しあわせを求めること――それが誰からも認められていないような気がしても、社会に直接に貢献していないような気がしても、後ろめたさを感じる必要はなくて、思うままに突き進んでいいんだ。

 私には、私の好きなことがある。私には、私にしかできないことがある。私は、幸せになっていい。

 「ほらね君には富が溢れている」 

 そう、林檎さんは歌い上げる。

 <■「ありあまる富」>

 

 「キラーチューン」も、披露された。

 CDでは、歌が終わったあと、盛り上がっていた伴奏が一度穏やかになる部分があるのだが、今回の演奏では、歌詞の最後の部分が歌われたあとも同じテンションで演奏が続いた。そうやって流れる音楽は、止め処ない生の賛美のようだった。

 そして、この曲に込められたメッセージも先ほどと同じであるような気がしたことは、偶然ではないと思う。

 

 「「贅沢は味方」もっと欲しがります負けたって

 勝ったってこの感度は揺るがないの

 貧しさこそが敵」

 「贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね

 だって麗しいのはザラにないの

 洗脳(わな)にご注意」

 「「今日は一度切り」無駄がなけりゃ意味がない

 絶対美しいのは計れないの

 溢れ出すから」

 

 「麗しいもの」を求めていれば、世界はこんなに美しい。

 その美しさを全身に思いっきり浴びて生きていく贅沢に必要なのは、お金よりも、「感度」だ。

 

 三年前と同じ曲を全身に浴びながら、私は思った。――あたしは、全然、変わっていない。

 二十歳を目前にしようと、夢だった大学に入ろうと、私はあのときの、セーラー服でおかっぱの自分と何ら変わりはない。

 人生なんて、きっとそんなものだろう。いつか夢を叶えて来賓席でライブを見ていようと、気持ちはきっと変わらないだろう。

 それは、虚しいことではなくて、素晴らしいことだと思った。出逢いと別れを繰り返す無常の人生の中で、自分だけは変わらず、生まれたときから、発生したときから同じ自分で世界を感じている。さよならするひとやものは数えきれないけれど、そんなひとやものと触れ合った私は、今の私と同じ私。そう思えば、淋しさが少し、和らぐ。

 

 「ご覧、険しい日本(ここ)で逢えたんだ

 捜し出してくれて有り難う

 空も恋も騙せないよ

 私は貴方の一生もの」

 そう歌い切って、足取り軽く踊るようなアウトロのなか、曲は終わる。 ああ、そんな恋が、早くしてみたいな!

 <■「キラーチューン」(※動画なし)>

 

 ライブはあっという間に進んでゆき、「最後の曲です」という林檎さんのMCには耳を疑った。まだやっと前半が終わったあたりだと思っていたのに。「早い」――そんな呟きが、其処此処から聞こえた。

 アンコールは4曲(!)。最後の最後の曲は、アルバム「スポーツ」の最後に収められた曲「極まる」だった。

 実を言うと私はそれまで、この曲がそれほど好きというわけでもなかった。「スポーツ」に収録されている他の曲は、どれも小気味良く、やるせないことも受け容れて強く生きていこう、という気分になれるような曲ばかりなのだけれど、この曲だけはそうではない気がしていた。メロディーも明るくはないし、抑制された演奏、歌詞もポジティブなのかネガティブなのか分からない。他の曲のように、聴いて元気がもらえるような曲ではなかった。

 けれど、ライブで聴いて、この曲がアルバムの最後、そしてこのライブの最後に持って来られた意味が、分かった気がした。

 「スポーツ」のなかで、この曲が、「日常」に一番近いのだ。

 コンサートという、非日常のような場から、私たちは「極まる」に乗って日常にゆらりゆらりと帰されてゆく。

 オープニングの「勝ち戦」から、「能動的三分間」「ありあまる富」「キラーチューン」「スーパースター」「閃光少女」――現実の社会への失望や怒りを通り越し、自分自身の無条件な肯定と生きることの喜びを全身に漲らせ、まだ見ぬ明日に希望を見出す。

 そこでライブを終わりにせず、淡々と続く日常に「極まる」で繋ぐことで、美しさに溢れた今までのステージが夢物語ではなくちゃんと現実であることを、体に浸み渡るように感じさせてくれるのだ。

 pie in the sky(絵に描いた餅)ではなく、本当に食べられるpieであることを。

 

 「ごきげんよう」「さようなら」――エコーが響くステージの上、スモークに包まれて、椎名林檎は消えた。

 アウトロの中、他の4人のメンバーも、消えた。

 私たちだけが、会場に残された。

 スクリーンには、ツアータイトル「ウルトラC」のロゴが浮かび上がる。

 ライブを観る前と少しも変わっていない私は、ホールを出て、地下道を抜け、いつもの足取りで銀座を歩く。浮ついてはいない。現実を歩いている。それでも、続く道路とネオンを見渡せば、世界は美しい。松屋、伊東屋、アップルストア。行き交うビジネスマンと平日の夜。

 ツアーグッズのタオルを握ったまま、地下鉄に乗る。

 

  さあ、勝ちに行け、あたし!

昨年度にお逢いした、好きなひとたち。きらきら

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2009年4月、大学進学と同時に上京してから、私は大好きだった憧れの人たちに、直接お逢いする機会に何度も恵まれた。

「こんな方といま隣り合っているあたしを、あのころのあたしに見せてあげたい…」

と、何度思ったことだろう。

 ここに、そのときめきを書き留めておく。

友だち

(c) Ran Oishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**中村佑介さん(イラストレーター)http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-White/3531/lemon.htm

 中村さんの絵に出会ったのは、中学生のとき、タワーレコードに平積みにしてあった、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのCDジャケットを見たときだった。その繊細なタッチと古風な色遣い、ノスタルジックな世界観に惹かれ、すぐに中村さんのホームページにアクセスした。

当時は、中村さんは画集などは出版されておらず、ブログも始めていらっしゃらなくて、彼の人となりを知る手掛かりは少なかった。それでも、彼のサイトを訪れるたびに、私は彼の絵の世界に浸り、幸せな気分になっていた。

中村さんの絵を見ていると、幼いころの自分に見えていた世界を思い出す。見なれた風景の中に潜む不思議に思いを馳せる。

5月のはじめ、私は都内の専門学校で行われた、中村さんの講演会に行くことができた。

明るい声の中村さんのお話を聞くうちに、私はますます中村さんが大好きになった。

中村さんは、自分の表現したいものに正直で、私たちに楽しい世界を提供してくださるために、いつも誠実にお仕事をなさっている、私の思っていたとおりのあたたかい方だった。

講演会が終わったあと、直接お話しさせていただいたときの、中村さんの優しい目が忘れられない。

その後私は何度か彼の講演会に足を運んだ。中村さんは、私のことを覚えてくださっていた。

「あー、また来てくれたー!」

そんな中村さんの笑顔を見て、お話を聞いて、元気をいただきたくなる。

だから私は、中村さんが東京にいらっしゃっているときはできるだけ、イベントに赴くようにしている。

中村さんが12月にNHK「トップランナー」に出演されたとき、私は観覧者として収録に参加させていただいた。

質疑応答のコーナーで質問をして少しだけテレビに出させていただいたりもできて、とても貴重な、楽しい時間だった。

これからも、中村さんの世界にお邪魔させていただくのを、楽しみにしています。

(ちなみに、森見登美彦さんの小説『夜は短し歩けよ乙女』の表紙の絵を手掛けられたのも中村佑介さん。

4月22日木曜日からフジテレビ系で放送開始された、森見さん原作のアニメ『四畳半神話大系』のキャラクターデザインをされたのも中村さんだ。私はこの番組を見るのを楽しみにアルバイトから帰宅して、テレビの前に体操座りした。

中村さんのデザインされたキャラクターは、奇想天外な森見ワールド(それもデビュー作の)にばっちりマッチして、この上なく生き生きとしていた。そして、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新曲「迷子犬と雨のビート」が彩るオープニングがたまらない。ぐだぐだの日常に風穴を明けるような音楽にのった、小気味好い映像だった。やくしまるえつこのアンニュイな歌声と、絶え間なくジョイントしていく四畳半が織り成すシュールなエンディングも素敵。)

今週末は久しぶりに中村さんのトークショーに行くのだ!!楽しみ!

 

 

**大久保美幸さん(美容師)

 大久保美幸さんは、原宿のヘアサロン「GIRL LOVES BOY」で美容師として働いておられる。

私は中学生の頃からファッション誌「Zipper」(祥伝社)や「CUTiE」(宝島社)を愛読していて、その紙面でモデルなどのヘア・メイク担当で活躍される美幸さんの名前は、たびたび目にしていた。女の子の魅力を最大限に引き出すような、美幸さんの鮮やかなスタイリングが、私は大好きだった。

とりわけ気になっていたのは、私の大好きなシンガー・ソングライター椎名林檎の代表曲「本能」のジャケットの林檎さんのヘア・メイクをされたのが、美幸さんだということだった。

たぶん、椎名林檎と聞いて多くの人が連想するのが、この「本能」のジャケットの彼女の、ナース服でガラスを割る姿だろう。

PV:http://www.youtube.com/watch?v=20h_-OJZeQA

だから、CUTiEの紙面の隅に、美幸さんにヘア・メイクをしていただき、雑誌に載ることができるという企画の紹介を見つけたとき、私は迷いなく応募した。そして、数週間後に編集部から連絡をいただき、その企画に出ることができたのだった。

お仕事中の美幸さんは、魔法使いのようだった。強さと美しさと可愛らしさを兼ね備えたルックス、時折垣間見せる母親のような優しい笑顔、無邪気な笑い声、学者さながらの真剣で厳しい表情に、丁寧でいて軽快な手さばき…とても不思議な方だ。

最近は、私は「GIRL LOVES BOY」に通っている。今の髪の色も、美幸さんに染めていただいた。とても気に入っています!

 

 

**知久寿焼さん(ミュージシャン、元 たま)http://www.officek.jp/chiku/

そもそも、私が生まれて初めて好きになったバンドが「たま」だった。1歳くらいのときのことだ。

とくに、NHK「みんなのうた」で放送されていた、「そんなぼくがすき」が大好きだった。

たまの曲は、今でも大好きだ。

極限まで落ち込んだとき、たまの音楽を聴くと、自分の悩みなんてどうでもよくなってしまう。気がつくと笑顔になっている。

「そんなぼくがすき」:http://www.youtube.com/watch?v=syAf-Osch8U

たまは2003年に解散したが、そのメンバーである知久さんは今も音楽活動を続けられている。

都内のライブハウスで行われるライブにもよく出演していらっしゃるので、私は知久さんの出演されるライブに足を運んだ。

知久さんの歌声は、子どものようにまっすぐで、包み込むようにあたたかかった。

ライブの後、直接お話しさせていただいた知久さんは、静かで優しい方だった。

生まれたばかりのころから私を支えてくれている音楽だ。これからもずっと聴き続けていきたい。

 

 

**ポック・ユコさん(ミュージシャン、モーモールルギャバン)http://sound.jp/mo-lulu/

インディーズバンド・モーモールルギャバンを知ったのは、雑誌「ROCKING-ON JAPAN」に載っていた彼らのデビューアルバム「野口、久津川で爆死」のジャケットに中村佑介さんの絵が使われており、その絵とアルバム・タイトルとのコントラストがあまりに衝撃的だったからだ。

同誌に載っていたレビューを読んで、彼らの音楽をとても聴いてみたくなった。そんなとき、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル後藤正文さんがホームページ上のご自身の日記の中でこのアルバムを紹介されているのを目にし、私はモーモールルギャバンというバンドが気になって仕方なくなった。

そして出会ったのが、彼らの代表曲、「サイケな恋人」だった。

「サイケな恋人」:http://www.youtube.com/watch?v=IuAb_d02×0A

なんなんだ、このゆるく軽快なキーボードと、響くベースと、容赦無いドラムと、そしてけだるい女声ボーカルのかっこよさは。

すぐに私はタワーレコードに向かい、10曲入りのアルバム「野口、久津川で爆死」を買ってきた。

1曲目から、地に足の着いた爽快感が走る。やる気の出ない朝が来て、二度寝するほどの時間は無くて、仕方ないから布団から出る、ああ、だけど今日は悪くないかもしれない、なんだか楽しくなるかもしれない。そんな気分になる感じ。

アルバムタイトルを見て分かるように、歌詞は基本的にシュールだけれど、それがこれでもかというほどにポップなメロディーと相まって、私に元気を与えてくれる。

考え過ぎてごちゃごちゃになった頭を、ぽーんとどこかに放り投げて、服も脱ぎ捨てて、笑顔で踊っているような心地になれるような曲ばかり。それはおちゃらけているようで、実は私にとって絶対に必要なものだ。

さっそく私は、彼らが出演するライブに行ってみた。

「本物のJ-POPを届けに来ました!!」

汗を流しながら、弾けるような笑顔で演奏する3人。渋谷のライブハウス、最前列でひとりで跳び跳ね続けることも気にならなかった。最高に心地良かった。

CDを売っているブースでユコさんに直接お会いすることができ、少しお話できた。ユコさんは、お姉さんという感じの、笑顔の素敵なとても優しい方だった。

ちなみに、ユコさんとはマイミクになりました!

今年はワンマンライブを東京でも行ってほしいと思います。

 

 

**マレーク・ベロニカさん(絵本作家)

マレークさんの描かれた有名な絵本「ラチとらいおん」は、私の原点と言っても過言ではない作品だ。

主人公のラチは、「せかいじゅうでいちばんよわむし」な男の子。飛行士になりたいという夢があるのに、犬も、暗い部屋も、友達でさえもこわい。そんな彼はいつも仲間外れで、一日中絵本を見てばかりいる。

そんな彼のもとに、ある朝らいおんが現れる。「ぼくが つよくしてやるよ」。そう言うらいおんと一緒に過ごすうち、ラチはいつしか、本当の強さを身につけていく――。

なにかにつけ心配ばかりしていて、気の小さい私に、いつも守られているという感覚を与えてくれたものの一つが、この絵本だった。

その作者であるマレーク・ベロニカさんの原画展が開催され、しかもご本人も来日されるという情報を見つけ、私は展覧会に行き、彼女と語り合う会にも参加させていただいた。

マレークさんは、威厳のある、しかし優しい、素敵なハンガリー人のおばあさんだった。講演会のあと、私はマレークさんとお話させていただいた。夢のようだった。

私の描いた絵のポストカードをお渡しすると、マレークさんはそのポストカードを手に持って、私と一緒に写真に写ってくださった。

幼いころから私と共にあった絵本「ラチとらいおん」の裏表紙の裏には、今はマレークさんのサインが入っている。

このサインは、夢を持ってはいるけれど臆病で器の小さいよわむしな私を、らいおんのように応援してくれるかな。

 

 

こうやって書いてみると、どの方も、優しくて、でも厳しいところもあって、真摯で、自分に正直で、子どものような心を持ち続けていらっしゃる方だな、と思った。

私もそういう人間でありたい。

幼いころから持っている自分の世界を保ちつつ、いちにんまえの人間として強く、生きていきたい。

そしてここに記した方々との出逢いのなかでさしあたり私が見つけたのは、自分の好きなことを、妥協せずにとことんまで続けることが大事なんだ、というシンプルな答えだった。

 

今年も、いろいろな人に逢って、いっぱいいっぱい吸収したいと思っている。

 

 

この暗い世を、パステルカラーに浮かべて

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あらためまして、こんにちは。

東京大学文科3類2年4組の大石蘭と申します。

 

2010年度立花ゼミの新歓活動も白熱していることだし、昨年度は怖じ気付いていた私も今年はいろいろなことに飛び込んでみようと思い、あらためて自己紹介をさせていただきます。

今年はmixiに依存せずに、どんどんブログ書きたいなー!

今年度のゼミで私が立ち上げたいと考えている企画については、次回のブログで書きますね。

 *

pie in the skyとは、「絵に描いた餅」を意味する慣用句です。

(pumpkin pie にしたのは、私がかぼちゃが大好物だから)

いろいろな制約が纏わり着くこの世ではなかなか実現することが難しいような夢物語も、この空間ではとらわれなく描いていきたい。

そんな思いを込めて、このタイトルをつけました。

だけど、いつかはそんなパイの一切れやふた切れ、食べることができたらいいな。

 

 

サクラサク自画像

(c) Ran Oishi

。**自己紹介**。

■名前■ 大石蘭(おおいし・らん) 

■生年月日■ 1990/07/14 19歳

■出身地■ 福岡県福岡市

■第二外国語■ ロシア語

■所属サークル■ 東大美術サークル、文学研究会 

■趣味■ 絵を描くこと、小説を書くこと、コラージュ、ヨガ

(好きなことは、食べること、歩くこと、ライブに行くこと、旅をすること、歌うこと)

■夢■ 絵を描くことと物語を書くことをずっと続けて、私の世界に触れてくれる人が一人でも増えたらいいな、と思っています。

 

 

◎好きなひとやもの◎

■音楽■ 椎名林檎、ASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKEN、たま、モーモールルギャバン

最近はアイリッシュ・ミュージックに興味があります。詳しい方がいらっしゃいましたら、おすすめなど教えていただけるとうれしいです。

まったくの初心者ですが、今年はギターを弾けるようになりたいです。

■画家■ シャガール、クリムト、奈良美智、草間彌生、中原淳一、内藤ルネ、中村佑介、林静一

■作家■ 森見登美彦、よしもとばなな

■絵本作家■ バーバラ・クーニー、モーリス・センダック、マレーク・ベロニカ、エリック・カール、エリサ・クレヴェン

■俳優■ 藤原竜也、蒼井優

■ブランド■ Emily Temple cute、フランシュ リッペ、MILK、Vivienne Westwood、ANNA SUI

■食べものや飲みもの■ さつまいも、かぼちゃ、あずき、とうふ、甘いものとくにあんこもの、豆乳、メープルシロップもの、インドカレー、タイ料理

 

◎その他いろいろなんとなく◎

■身長■ 159cm

■ピアス■ 左右1個ずつ

■大学生のうちに行きたい国■ アイルランド、チェコ、イタリア、ベルギー、オランダ、オーストリア、ドイツ、北欧諸国

 

 

 

自分の下の名前をキリル文字で書くとРАНになるような私ですが、

何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

面白きことは良きことなり!

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  私は、大学で文学研究会というサークルに所属している。

 文学研究会では、『駒場文学』という同人誌を年に2回、5月に行われる五月祭と11月に行われる駒場祭で販売している。

 今回の駒場祭で売られた『駒場文学』第七十二号に、私は自分の書いた小説を初めて載せていただいた。 

 短くて拙い小説だったけれど、私の描きたかった感覚を感じ取ってくれた人が何人もいて、そのことは私にとって強い強い励みになった。  

 

 

 私が自分なりの小説を初めて書き上げたのは高校1年生のときで、母だけに読んでもらった。

 そのころ、私たちは自分の将来の展望を説明し、目標を定め、それに向かって努力することを求められていた。それまで私はろくに努力をしたこともなく、ずっと続けていることも思いつかなかった。思い返せば、なまぬるい毎日のなかで、いくつもの機会を逃し、だれかを傷つけ、秩序を乱していたということに気付いた。私は怖くて怖くて仕方なくなって、文章を書くことに逃げた。

 絵を描くことも好きな私が、絵ではなく言葉で表現することにしたのは、当時の私は、言葉のほうが、今の自分の気持ちを正直に、まっすぐに、そして綿密に表すことができると思ったからだった。言葉は、想像力の助けを借りて世界を脳裏に浮かび上がらせてくれる一方、その世界は絵とは違って、言葉を受けとめる人ひとりひとりが自分で描く。

 書いている間は、ほとんど夢も見なかった。一万字足らずの物語を、半年かけて、ようやく完成させた。

 それを書き終わったとき、私はそれまで感じたことのない、すがすがしい気持ちでいっぱいになった。からだの中が浄化されたみたいだった。

 それから父とふたりで東京に旅行に行った。東大のキャンパスを、初めて訪れた。

 なんだか、前に進める気がした。

文章の中に、私の逃げてゆける世界があった。そこでは罪とか責任とか正論とか、忘れたいことはすべて忘れて、ありのままの姿で受け入れてもらえる。

 

 

  私にとって、そんな世界を提供してくださる作家が、森見登美彦さんだった。

 高校2年生のころ、『夜は短し歩けよ乙女』を手にとったことをきっかけに、私は森見さんの世界に引きこまれていった。 

 『夜は短し歩けよ乙女』を読んだとき、「書かれてしまった!」と思った。 私の好きな、自由で、ある意味無責任で、鮮やかな世界。たとえば、ひなびた民家の閉められた窓の向こうに、私がいつも想像するような世界。

 テスト期間中も、一日の勉強を終えて、夜の短い時間に、『乙女』や『有頂天家族』を読んで、ひとりでにたにたしていた。その時間を楽しみに、勉強にも集中できた。東大に合格できたのも、森見作品のおかげ、かも。

 森見作品は、受験生の淀んだ日常生活の、抜け道を教えてくれた。

 それから入学試験を経て、無事大学生になった自分が、東京のとある町のカフェで森見さんと隣り合ってお話しているなんて、受験生の私には知るよしもなかった。

 

 

 私は、森見さんがどんな思いで「森見ワールド」を描き続けていらっしゃるのか、それを知りたかった。

 

 

  担当編集者である渡辺さんから、取材依頼のお返事のメールをいただいたとき、私は思わず、やったー!と声をあげてしまった。

 画面に並ぶ、いくつかの日付。いずれかの日に、取材させていただけるとのこと。

 

 それから取材までの毎日は、これから森見登美彦さんにお会いするんだ、ということを実感できず、そわそわした毎日を送った。

 取材当日は、初デートに行くような緊張っぷりだった。駒場東大前の階段と、5号館の階段と、図書館の階段でつまずいた。

 

 カフェの低いテーブルをかこんで、森見さん、渡辺さん、私たちゼミ生5人でソファにすわってお話させていただいた。

 はじめは緊張してしまって、かたくるしく取材用のメモを読んでしまったが、「森見先生は」と切り出す私に、「森見さん、でいいですよ」と森見さんが笑いかけてくださったあたりから、じょじょに私は、その場所の、かけがえのない空気を楽しめるようになっていった。

 そして森見さんは、たくさんの貴重な、楽しいお話を聞かせてくださった。

 

  森見さんは風邪気味でいらっしゃった。

  カフェを出て、「うつしてたらごめんなさいね」とおっしゃる森見さんに、私は思わず、「いえむしろ光栄です!」と即答してしまった。

 (私たちはその風邪を、「森見風邪」と呼んでいる。数日後にゼミ生の坪井くんは風邪をひき、数週間後に廣瀬さんはなぜかおたふく風邪になった。)

 

 取材は、楽しかった。

 

  2時間に及ぶインタビューは、森見さんの文学に対する姿勢や、ご自身の過去から現在、将来のことに及ぶ、とても内容の濃いものとなった。それは、インタビュー記事を読んでいただければ、お分かりいただけると思う。

 

  自分が楽しいと思うものを、自分も他人も楽しめるように、書く。

  何度もおっしゃったそんな言葉を聞いて、森見さんの作品を読んで私が思っていたことすべてに納得がいった。(私が大好きなバンド、東京事変の「透明人間」という曲の歌詞が、ふと思い浮かんだ。http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND36319/index.html

 

 

   最後に、私たちの取材を快く受け入れてくださった森見登美彦さん、渡辺真実子さんに、あらためて心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

 

  (この記事の題名は、森見登美彦著『有頂天家族』幻冬舎2007 より拝借させていただきました。)