詩について。

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詩が口を衝いて出てくることがある。

不意に広い空の下に出たときや、知らない街の風に触れたときに。

あるいは、誰かの言葉に誘発されて。

 

こんなことを言うと、決まって「教養があるんだね」というような顔をされる。

知識をひけらかしているようで敬遠されることもある。

しかし、詩を暗唱するというのは教養でも知識でもなく、ひとつの「経験」なのだと私は主張したい。

 

一端の教養人になるために有名な詩を暗誦しようとする人もいるし、そんな文化的土壌は嫌いではない。

だが、詩を暗誦するのに、教養がどうなどという大義名分はそもそも必要ないのではないか。詩に向き合うのに大義名分を必要としている人は、素晴らしい詩に会ったことがないだけなのではないだろうか。

 

美しい言葉、驚くべき韻律は、目的など必要とせず自然と心に残るものだ。そして詩の性質が音声と分かちがたいものであるために、それらの言葉は自分の声を引き連れて口から出ていく。この一連の運動が、客観的には暗誦と呼ばれる。

 

詩を暗誦するのに意味があるのか、なんて聞かれても困る。教養のためではないし、いつか然るべき状況にあったときに心の慰めにしようなんて計画的に考えているわけでもない。美しいものを愛するのは当然のことで、愛するものを心にとめておくのも当然のことだ、としか言えない。

 

詩を声に出すということは、「一緒に呼吸する」経験だと思う。

何かを前にして、ふとある詩が口を衝いて出る。その時の感覚は、一緒にいる人と偶然同時に同じ言葉を発した瞬間の不思議な空間性とよく似ている。なにかギリシャ的なものだ。

自分でも予期せずに詩を口にするというのは、ミューズの息吹を介して、その詩人と、あるいはその詩を共有した古今東西の人間たちと、一緒に呼吸し、その一瞬共に在るかのような錯覚に陥るという、ひとつの経験なのだと私は思う。

 

詩は呼吸だ。だからこそ、やはり詩は原文で読まなければだめだ。

ランボーやマラルメはフランス語で。オマル・ハイヤームはペルシャ語で。ホメロスはギリシャ語で。プーシキンはロシア語で。

 

この夏は語学の勉強をしよう。

MARC CHAGALL

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「ロシア的」というのは、私がこの数年間興味を持ち続けていることの一つだ。私はそれを、間接的に、また断片的にしか知らない。

たとえば、ドストエフスキーやツルゲーネフ、あるいは(逆説的に)チェーホフらの文学作品によって。ロシア語の響きによって。イコンやロシア正教の建築によって。ルーシに遡るロシアの歴史によって。

ロシアについて語りうるものを、私はまだ何一つ持っていない。だが、「ロシア的」なるものが一外国人の偏見や勝手な想像の産物かというと、そうではないように思える。ロシア的なるものは、たしかにロシアの大地に存在しているように思える。

 

「ロシア的」なるものを端的に表現することは困難だ。しかし、その三割くらいは、「原風景」というモチーフで表すことができるかもしれない。

 

ロシアの原風景。ロシアの農村の原風景。

マルク・シャガールがキャンバスの上に何度もよみがえらせたヴィテブスクの町並み。

敬虔な祈りとカーニバル的な狂乱、大地、家族、動物。そこにある力。復活。

シャガール自身が投影されたイカロスが笑みを浮かべつつ堕ちていくところ。太陽と対極にあって、太陽とともにあるところ。

シャガールのように帰る場所として度々描こうとした者にも、対照的にその影を振り払いながら生きようとした者にも、原風景は影響を及ぼし続ける。

 

私は原風景を持っているのだろうか、と考える。

強いて言えば、それはいつも窓のそばに見えた新宿の摩天楼だ。しかし、コンクリートで頑丈に固められた人工物は、原風景と呼ぶにはあまりにも頼りなく、儚い。

そして、拠り所と呼べる風景を持たない人間には、「ロシア的」なるものを、それが持つのと同じ強さで感じ取ることはできないのではないかと、私はふと不安を覚える。

 

 

シャガールの絵は幻想的だと思っていた。

それは「魔笛」のための舞台美術などには当てはまるかもしれないが、彼の作品全般に関して言えば、必ずしも幻想的であるとは言えない。

彼の色彩、モチーフ、線、その背景は、幻想的というよりむしろ土っぽさを残しているものであり、生活というものから離れていないように感じられる。

シャガールが描こうとしたものは(それがたとえ一見幻想的な表現形態に依っていたとしても)、彼自身の言葉を借りれば、「文学に頼らず」に表現する「精神的な力」であった。そしてこの、西洋的な芸術と大地のにおいと東洋的な霊感の融合こそが、つねに原風景とともにあって、「ロシア的」なるものを構成している大きな要素であると私は思う。

 

 

最後に、「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い〜交錯する夢と前衛〜」展で特に印象深かった作品を備忘録として記しておく。

ナターリヤ・ゴンチャローワ 「舞台の肖像」四作品

ミハイル・ラリオーノフ 「タトリンの肖像」

マルク・シャガール 「墓地」「家族の顕現」「彼女を巡って」「村の魂」「イカロスの堕落」

 

アレクサンドリア図書館

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子供の頃に抱いた夢は多々あるけれど、この夢は今も形を変えて残っている気がする。

アレクサンドリア図書館の館長になりたい、という夢。

 

現在エジプトにはユネスコの協力で建てられた新アレクサンドリア図書館があって、それは素晴らしい建築物ではあるのだが、私が言っているのはその図書館のことではない。ヘレニズム時代にアレクサンドリアにあったとされる伝説的な大図書館のこと。

 

アレクサンドリア図書館は、厳密に言う図書館ではない。少なくとも、現在の日本の図書館とは大きく異なっている。そこは巨大な書庫であると同時に、重要な研究機関なのだ。何十万巻ものパピルスを納めた知の宝庫、エラトステネスが館長をつとめ、アルキメデスやヒッパルコスをはじめとする大学者たちを魅了し、ヒュパティアの美しく残酷な物語とともに炎に消えていった、史上稀に見る最高の研究機関としてのアレクサンドリア図書館。

 

 

私は小四の夏、『世界のたね』(アイリック・ニュート著、NHK出版)という本に出会った。古代バビロニアの数学やギリシアの自然哲学から二十世紀の素粒子物理学までの科学史(自然哲学史)が、大人でも楽しめる程度の難易度で、子供向けに書かれた本だ。この本を手にしてから、(少なくともその後の数年間の)人生の方向性が完全に変わったと思う。理系か文系かなどという区分はひとまず置いておいて、物事を探究する面白さを、この本が教えてくれた。細かいところまでは覚えていないが、アレクサンドリア図書館についてもこの本で触れられていたに違いない、当時はまだ世界史も習っていなかったし、科学や哲学に対する知識も殆どなかったのだが、私はその頃からアレクサンドリア図書館に憧れを抱き続けている。アレクサンドリア図書館という名詞は、当時の私にとって、『世界のたね』に登場する科学や哲学を探究した無数の先人たちの軌跡の総称でもあったのだ。

 

 

自分が将来何をするかなんてまだ分からない。でも、アレクサンドリア図書館のイメージを心に持ち続けている限りは、好奇心をもって探究することに喜びを見出す生き方から離れることはないだろうと思う。それは端的に研究者になることを意味しているのではない。どんな仕事をしていても、そういう生き方をすることはできる。館長なんて大きな事は言わない。ただ、アレクサンドリア図書館に魅了され、遠方からやってくる人々のうちの一人ではいたいと思う。

 

 

 

「屏風の世界」/出光美術館

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出光美術館で行われている展覧会、「屏風の世界—その変遷と展開」に行ってきた。本当は列品解説を聴きたかったのだが、大学の授業時間と被っていたため今日行くことにした。

室町時代から江戸時代までの屏風絵が、花鳥図、物語絵、風俗画、景観図という変遷が分かるように並べられている。詳しい出品リストなどは美術館のホームページで見ることができる。http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/index.html

この展覧会の感想と、日本人の美意識について思ったことを書きたい。

 

日本人の美意識は、屏風絵における川の表現に端的に表れているように思う。

屏風絵ではうねうねと蛇行した川が描かれていることが多い。大抵川そのものは主題ではないが、図面の中で重要な役割を担っている。

たとえば、室町時代の「四季花木図屏風」。屏風の右隻に紅梅、松、あじさいといった春から初夏にかけての草花が、左隻に秋の竹、りんどう、女郎花、萩といった秋の草花が描かれていて、それらを楓の紅葉筏を浮かべた水流がつないでいる。二隻に分かれた屏風の両側を一本の川がつなぐことによって、二つの異なる季節が分断されることなく一つの世界を形成する。この屏風を眺めていくと、季節の移り変わりと、また季節が巡ってくるという永遠を、草花の美しさや自然に対する喜びの気持ちとともに見出すことができる。

桃山時代の「宇治橋柴舟図屏風」でも、左右に描かれた二本の柳がそれぞれ春と夏の姿を伝え、それを金色の宇治橋の下を流れる宇治川がつないでいる。此岸の水車が止まることなく回り続け、過ぎ去ってはまた巡る季節を象徴している。

この二つとは毛色が異なるが、「江戸名所図屏風」でも川は屏風全体を蛇行しながら横切っている。この川は隅田川だが、水路が大きく描かれていることによって江戸の街全体に統一感を与えるとともに、江戸の繁栄が永遠に続いてほしいという希望が川に託されているように見える。

川は異なる時間と空間をつなぐ。川の一滴の水は二度とそこに戻ってこないのに、川の流れそのものはそこにとどまり続ける。川がもつ移ろいと永遠。それが日本人の美意識に合っているのだと思う。

 

もう一つ面白かったのは、屏風の「動き」。言われてみれば当然のことだが、屏風は折られた状態で置かれるから、ひらく角度や見る位置によって見え方が異なる。そういう意味では、完全な平面ではない。描く者もそのことを心得ていて、屏風を折ることによって富士山が大きく鋭く見えたり、「南蛮屏風」では斜めから見るとポルトガル船の舳先が迫って艫が後方に小さく見え、船がまさに今到着したかのような迫力を与えたりする。雪舟によるものと伝えられる「四季花鳥図屏風」では、二本の竹が屏風の扇を境にして前後に広がり、松が屏風の形に合わせて屈曲するように描かれている。このような、止まっているはずの絵に躍動感や流動性を与えるのも、日本人の工夫であり、美意識の表れなのだと思う。

 

 

最後に関係のない話。

「江戸名所図屏風」を見ていたとき、右上に寛永寺が描かれているのを発見して嬉しくなった私は、やっぱり江戸の人間なんだなと思った。

 

 

Dialog In The Dark

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ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントに行ってきた。完全な暗闇を、それまで特に面識のなかった人たちとともに体験するイベントである。具体的に何をしたかについては、ここでは書かない。少しでも興味のある人は、ぜひこのイベントに参加してみてほしい。

今日はいつも以上にとりとめのないことを書こうと思う。というのは、暗闇の中で経験し、感じたことは、私の中で統一性をもっていない、断片的なものだからだ。

 

完全な暗闇の中に入る前に、私は暗闇に対する自分のイメージを整理してみた。

何も見えないという恐怖。暗闇の中では色彩がない。自分の存在を客観視することができない。空間の中に自分を位置づけることができない。これが暗闇に入る前に私が考えていたことである。

実際に暗闇の中に入ってみて、どうであったか。

私は視力があまりよくない。それなのに普段裸眼で生活しているので、視覚以外の感覚に割と頼っているほうだと思う。たとえば、風の通り方や部屋の開放性などを目ではなく耳で感じることが多い。そういう意味では、普段自分の視覚をそれほど信頼していない分、完全な暗闇でも特に恐怖は感じなかった。もっとも、それは同じグループの人たちに対する安心感があったからで、暗闇の中本当に孤独な状況になったらやはり恐怖を感じただろうとは思う。

色彩ということに関して言えば、何も見えない中でも私は色彩を感じた。それが視覚的な記憶と連想に基づいているのか、視覚以外の感覚が視覚を補完した結果現れた現象なのか、私には分からない。しかし、たとえば水に触れて青を想像するというような短絡的なものではなく、様々な色をした小さな正方形の列の連なりが、一瞬一瞬で並び方を変えて見えているという感じだった。言葉ではうまく表現できないが、光の寓意的な出現とでも言えば良いのだろうか。これは、暗闇の中で目を閉じている時には感じなかった。暗闇でも目を開けて何も見えない世界から情報を得ようとするのと、閉じて目に沈黙を与えるのとは、全く違うことなのだ。

自分の存在を客観視できないという点は間違っていなかったと思う。自分が空間内のどこに位置しているのかがわからない。方向感覚も失われている。暗闇の中では、視覚によって自己と外部とを分けることができない。どこまでが自分の延長なのかが分からない。空間が無限に広がっているという錯覚に陥る、次の瞬間何かにぶつかり、自分でないものと接触する。距離感がなく、「存在」が突然直にせまってくる。これは目が見える世界とは異質な、しかしある意味では根源的な経験だと思う。

 

人との関わりという点では、暗闇の中では自分から声や杖の音を発しない限り、他人は自分の存在に気づいてくれない。自分から情報を伝達しようとしないものは、存在しないのと同じことになってしまうのだ。だからいつも以上に声を出して自分がいることを知らせようとしたし、それに応えてくれる声があったときの安心感は、幼児の頃に経験したものと同質のものがあった。きっと誰にも見えないと分かってはいるけれど、自然と感情が表情にあらわれた。そして他人の表情も、一緒にいるうちに何となくではあるが雰囲気で伝わってきたりもした。

 

最も印象に残っているのは、水の感触である。水の中に手を入れたとき、私は初めて液体というものを知った気がした。本当に、ヘレン・ケラーのように。それまで暗闇のなかで触れた砂や木や落ち葉には、驚きは感じなかった。しかし、水というのはこれらとは完全に異質な存在である。それは私の手の実感として残っている。固体は触れれば弾力を返してくる。他の人の手に触れれば、手を握り返すなり、声を出すなりしてくれる。だが水は何も返してこない。手が水の中に溶けて一体化してしまうような、不思議な感じがした。水なんていくらでも触ったことがあるのに、水について真剣に何かを感じたのは、というより感じようとしたのは、これが初めてだった。

 

暗闇の中でこそ見えるものがある、というのとは少し違う。いつも感じているはずなのに、それに気づくことを忘れてしまっているだけなのだ。

まだ書き足りないことは多々あるが、とりあえずここで終わりにしようと思う。

静かということ

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高校時代、現代文の先生がクロード・ランズマン監督の映画『ショア』を観せてくださった。

タイトルの通りホロコーストを正面から扱った映画で、『シンドラーのリスト』とは撮り方も見せ方も対極に位置しているといってよい。ハリウッド的な脚本は存在せず、強制収容所のあった森やホロコーストを経験した人との問答の様子を、音楽も交えずに映していく。授業でその一部を観た時には、撮影が終われば別の表情で別の生活に戻っていく俳優たちには決して表現できないもの、自分自身の言葉で再構築することができない重みに、ただ茫然とした。

 

それから数年経って思い出すのは、収容所があったポーランドの森の静けさである。

思い出す、という表現は適切ではない。この静けさは視覚的にも聴覚的にも、絶えず頭の片隅にあったのだから。

ポーランドの森は薄暗く、長く、深く、どこまでも静かである。それはそこで死んだ何万ものユダヤ人を悼むための静けさではない。人間の愚行を戒める神や自然の静けさでもない。そして、沈黙ともどこか違っている。

重くもなく軽くもなく、薄暗いけれど闇ではない。淡々とした静けさ。

この静けさが、言葉でも音楽でも再現できない、静けさそのままの形で耳に残っている。どんな残酷で不条理な出来事も、この静けさを破ることはできなかった。全てはただ、この静けさの中で行われ、消えていったにすぎない。ポーランドの森は、そんなことを感じさせた。

小さい頃私がよく読んだ、パウル・クレーの絵とそれに寄せた谷川俊太郎の詩がのっている本の中に、「どんな大きな音も静けさの中で鳴り響く。小鳥のさえずりとミサイルの爆発とを、静けさはともにその腕に抱きとめる」という一節があった。私が言いたい感覚は、この詩に近いものがある。

 

人間は静けさの中で、多様な雑音をつくり続ける。静けさには残酷さがない代わりに、安心も与えてはくれない。しかし、時折思考の奥で静けさと共鳴する瞬間が、存在しているということへの実感を提示する。

世界の静けさから存在論的確信を得るということ……

私はそれを論理的に説明することができない。この感覚が一般性を有しているのかさえ、私にはよくわからない。しかし、心理学的分析よりも、空間論的分析のほうが、方法としては妥当であるように思える。

静けさと、存在と、空間。このことは、もっと分析していく必要がありそうだ。

COMMENTARII DE BELLO GALLICO

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Gallia est omnis divisa in partes tres, quarum unam incolunt Belgae, aliam Aquitani, tertiam qui ipsorum lingua Celtae, nostra Galli appellantur…

『ガリア戦記』第一巻の冒頭。

以前ある雑誌の取材を受けたとき、「一番感銘を受けた本は?」と聞かれてとっさに答えたのがカエサルの『ガリア戦記』だった。魔の山でもカラマーゾフでもなく、何故かこれしか思いつかなかった。そのとき聞かれて満足できる答えを返せなかった、「どうして感銘を受けたの?」という問いに、今更ながら答えてみようと思う。

 

最初に手に取ったのは中三のとき。

浪人時代はラテン語の原書をいつも鞄に入れていた。ラテン語の知識なんて全くなかったけれど、時折目についた箇所を声に出して読んでみた。カエサルの明晰な文章の響きは爽快だった。

面白いの、と聞かれれば、私は自信を持って面白いと答える。岩波文庫版の巻頭についている当時のガリアの地図を目で追いつつ、カエサルが辿った道のりに思いを馳せる。カエサルの部下になったつもりで次の作戦を考える。それをカエサルが華麗に裏切る。この上ない面白さ。

 

ページをめくるとき、そこにはひたすらガリアの大地が広がっている。ローマ軍のサンダルの音が高らかに鳴り響く。風が軍旗を翻す。

元老院に宛てられた一編の現地報告書にすぎないガリア戦記は、文学ではない。少なくとも、文学として書かれたものではない。そこには感傷も思想も教訓も入り込む余地がない。カエサルの記述に、安易に「歴史」なんて言葉を振りかざすこともできない。ガリア戦記は読む者の情にも価値観にも完全に無関心だからだ。それらから完全に自立したそのままの姿で二千年の時を超えることができる、確固とした強さをもっているからだ。

 

何かの本に感銘を受けた理由を聞かれれば、普通は教訓を得られたからとか、励まされたからとか、そんなことを答えるだろう。だが、私はガリア戦記からそのどちらも受け取らなかった。ガリア戦記には、前進するカエサルとローマ軍の淡々とした労働の記述があるだけなのだ。

 

逆説的ではあるが、それゆえにこそ、私は感銘を受けたのかもしれない。

 

Die Sonette an…?

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リルケがオルフェウスに捧げたソネットを、私は誰に捧げよう。

そんなことを考えながら、流れ落ちていく日常と非日常を書き留めておくための個人ノート。

 

「われわれにはつねにやや詩人めいたところがあり、われわれの情緒はおそらく失われた詩の表現にほかならない。」

ガストン・バシュラール『空間の詩学』