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I have seen the writing on the wall

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壁の落書きに新手口が出てきた

そう、ついにスプレーが使われ始めたのである

ようやく「壁の落書き」らしくなってきたところで、 一体何なんだ! あの空気を読まない落書きは!

MGMT?一年遅いわ!(そういう問題ではない) 俺への当てつけか!(自意識過剰)

 

エー、と MGMTというのはNYのブルックリンを中心に活動するエレ・ポップユニットでして、去年のデビューアルバムのOracular Spectacularが世界的にヒットして、その冒頭を飾る1stシングルがTime to pretendだったというわけなのです。

駒場のどれくらいの人があの落書きの意味を解したのだろうか?

しかしながらMGMTのチョイスは「なるほど」と感じる節もある

彼らはヒッピースタイルで臆面も無くロックスター願望を歌うのである。連帯もクソもない、ロックも対抗文化としての価値を失ったこの現代において。

彼らは徹底的に現実逃避的な音楽をつくり、まったく現実を無視したスタンスをとるのだ。きっと確信犯なのだと思う

アメリカのブルックリンという場所はここ数年の間世界の音楽シーンの最先端であり続けた。Animal Collective, TV On The Radio, Yeah Yeah Yeahs, LCD Soundsystem, Grizzly Bear, Battles, Dirty Projectors,  Clap Your Hands Say Yeah, そしてVampire Weekend・・・あげればきりがない(いやまったく)そして僕が好きなバンドばかりである。

彼らの音楽というのは9.11以降暗い時代が続いてきた。そしていま、彼らのシーンは一気に祝祭ムードである。オバマの登場によって、だろうか

MGMTは真っ先に陶酔的でエキセントリックな音楽を送り込んできた。しかし彼らの音楽は決して何かを祝っているわけではないのかもしれない。彼らはむしろ逃げるのである。希望を持つのではない、もっと動物的な人間の姿を映しているようだ。

彼らの言っていることを、(笑)とか、もはや皮肉だとか、聴く人は思うのかもしれないが、それでも彼らのシンセに酔いしれる、一種のシニカルさを我々は持っているのだろう。

“We are fated to pretend”という言葉は実はものすごく真実味のある言葉なのかもしれない。「シニカルに薄味に生きるのでもなければ、自ら虚像になるしか生きる道はない」という、残酷な宣言だ

世界がますます「動物化」していくとすればMGMTは確かに今の世代のアイコンといえる

 

心なしか最近は動物の名前の付くバンドが多い。Animal Collective然り、Grizzly Bear然り、Arctic Monkeys然り。

落書きした方、いつかお会いしましょう~

戦績。

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知の創造的摩擦プロジェクト第九回交流会。行ってきました

開会直前に行きましたが長蛇の列・・・イガイと人が多い

まさかの同クラ(悪名高き理一スぺ)も一名

そして総勢なんと100名近くの卒業生と200名ほどの在学生

 

・・・結果10余名の方にしか宣伝できませんでした。(6名は口頭でいただきました)僕の力不足です。。

交流会自体は有意義でした

官僚の方と直接話しましたが、まさに理路整然。

「子供手当はダメだ」とか「オバマのノーベル賞はおかしい」とか「記者クラブはいらない」とか結構ザックリと話しましたが、テーマは本質論をどう語るかということでした

政治に本質を追究させていくことは難しい。少なくとも現時点では。しかし官僚はできるだけ本質に寄せるように努力しなければならない。政治を変えるためには、官僚の声が外に行かない以上、本質論を語る存在が、政治と経済の権力構造から離れて必要になる。それはジャーナリズムでもあるし、そのほかに権力から離れた団体が、オバマの小口献金みたいな形で直接政治にコミットするようなやり方もある・・・

そんな話だったと思います

そして今僕たちの世代は、少子高齢化もろもろの事情でひずみをもろに受ける(笑・・・事ではない)

 

今回は最後のほうはゼミの宣伝だけしてあんまりしゃべんなかった人が多かった。

そんで帰り道結構空しかった・・・

次回は仕事抜きで行きたいです。

最近読んだ本とか

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自分の名前でググったら見聞伝が2番目に出た・・・

恐るべし見聞伝

・・・いや、まだまだなのか?

というのはともかく、暇なうちにブログ書きます(暇でもないが)

 

○bookreview 1 「負の生命論―認識という名の罪―」_金森 修

この本はガイア関係の本を図書館で借りたとき、隣にあったので前々から気になっていた。

・・・読み始めて数ページで読む気が失せる

僕が想像していたよりはるかにこの本は僕の負のイマジネーションを掻き立てるものだった

しかも視覚野に訴えてくる

金森氏はごく冷静に、精緻に、豊かに、人体実験や機械的生命観やLSDが我々凡人の分別を超えて、それでいて凡人の論理学から外れることなく正当化されていく様子を描いてくれる

特に人体実験の項は「患者を治療すると偽って実際には見殺しにして死に至るまでの病気の経過を観察する」という実際にあった研究が、”異様な”低いテンションで語られる。読んでいるほうには何かしらの感情がこみあげてくるが、なんともそれが行き場のないものになってしまう。何に感情をぶつければいいのか?もしかするとぶつけようもないものなのではないか?

これは将来科学の道に進むかもしれないものにとっては恐怖だ・・・つまり誰かが悪いとかいうわけではなく、この本で金森氏が示唆するのは、知性そのものの、もしくは知性の陰に隠れた「狂気」のようなものだからだ

まったくこんなネガティブな性格に輪をかけてネガティブにするような本を読んでどうするんだとも思ったが、読後感は何となくよかった

「結局抜け出せないのだ」という前向きなあきらめ(?)というのはありがちなものの、とりあえず僕の科学への漠然とした不安感は未だ捉えどころはないが、これからも僕の心は、知性の窓の付いた観覧車の個室に閉じ込められたままで、それがめぐり続けていく以上、拭うことはできないのだろうということはわかった気がした

科学を志す人もそうでない人も、読んでおいて損はないと思う

 

追記;金森氏の著作は木許さんの本棚にもあるみたいです

 

たぶんこれを読む方々は興味がないと思いますが後々The Wallもやるのでテストということで

○discreview  1″In this light  and On this evening”_Editors

待ちに待ったEditorsの新作。

前作”An end has an start”が個人的にツボだっただけに期待度隆。・・・高し。

とはいえ先行シングルを聞いた時は若干引いた

シンセばっかやん!あの何か急がせるようなギターは何処へ・・・

ジャケットは・・・砂漠に浮かぶ都市だろうか?それとも霧?洪水?

ともかく内容だ。これは・・・重い これまでになくダウナーだ

#1のタイトルトラックは攻撃的でやはりこれまでにない。しかし#2(←名曲)以降は彼らの十八番の都会的なメランコリアが帰ってくる。これまでと違うのは、それがまさに街を覆う霧のような、陰鬱ながらも神秘的な”雰囲気”となって現れていることだと思う

まさに街の神秘と憂鬱

これまでの彼らは聴く人の内面にしみいるようなメランコリーを奏でていたのに対し、今回はもっと感覚に訴えるというか、空気を作り出してしまうレコードだ

その分若干大げさな表現になってしまった気もするが・・

彼らの挑戦は成功したと思う。個人的には結局期待以上。余裕の平均点越え

もしかして傑作?

 

 

 

 

 

ついでに

船曳ゼミに落ちた件について(笑)

教授は趣味が合わない人は落とすんだそうで・・・

(口頭尋問)

船「演劇を見に行ったことは?」―上「生ですか?ありません。」

船「なぜ見に行かなかったの?」―上「えー、特に興味がなかったから・・・」

 

いや、興味ないのかよ!

でも「なぜ」って・・・

 

筆記試験もあった

「1.自民党の再生案」「2.のりピーについて」「3.語るに及ばぬ自分について敢えて語ることについて」の3題から1題

普通に3番

口頭尋問うるさい

・・・開始一時間ぐらいしてから集中してきた(ほとんどの人が書き終わっていた)

「僕の経験からすると人は、自分自身のアイデンティティを維持していくために、自分自身に自分について語りかけるということをしている。自分の中の自分の知るに及ばないダークな部分が、自分の表面に出てこないようにする、自浄的な・・・」

 

・・・なんかずれてきた。国語のテストなら0点である

そういうのは気にせず最後まで書ききった僕に祝福を・・・

 

 

と思っていたら案の定落ちた

 

 

他人に面と向かって否定されることなんてあまりない時代

 

なんで落としたかぐらい教えてください

東大の入試みたいに・・・

 

星とたいふう

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朝から台風(ご無沙汰)~ALESS(初)~イタトマ(初)~基礎実験(初)~伊熊さんの近現代史(ご無沙汰)~近所の本屋の閉店セール(…)~隕石落下目撃(初!)~ブログ(初?)

今日昨日はやたら盛りだくさんな一日。何を書けばいいのやら

 

台風が通り過ぎて、「暴風晴」みたくなってる今日昨日のような奇妙な日が僕は大好きだ

台風には散々迷惑を掛けられてきたけど、台風の後に路上に不自然に木の葉だの木の枝だの散らかっているのを見るのが愉快でたまらない。確かに田舎ではベランダも壊されたし、玄関も吹き飛ばされたし、屋根も半分持っていかれて保険も大して下りなかったらしくて困ったけど、いつもは毅然として無表情で突っ立ていた我が家が廃屋となってしまっていかにもアンバランスに、首をかしげている姿はむしろ愛らしく美しくさえあった。台風は堅苦しい日常を字のごとく「壊して」くれるし壊れたものの存在自体が非日常を作ってくれて愉快だ。美しいと感じるのはいきすぎかなぁ

それから夜にも美しいものを見た

ちょうど父と電話しているとき、台風のため閉めていた雨戸をあけると、夜空に北極星よりも少し明るいぐらいの火の玉が現れて燃えつきながら落ちて行った。

えっ、NEWSになってないって!?

誰か撮ってないんだろうかあの映像・・・定点観測とかには映ってるのかなぁ

もう見るすべもないとしたらこの時代珍しいよねー都会の真ん中(かどうか定かではないが)で落ちた隕石の映像が見れないなんて

誰も見たことがないとしたらどうやってそれを証明すればいいのか

僕たちには科学という手段があるわけだけど、ALESS基礎実験では科学者は「誰も見たことのない世界を見せる」ものだなぁ と感じた。

hypothesisを立ててexperimentで証明をしていくという方法で我々は月の裏側までも見ることができるようになった。作りものでいいならきっと、今の科学技術で見れないものなんて、僕たちの想像には及ばないものなのだろう。見たいものだけ見ていてもきっと生きてゆける

けれどもこの世には見たくないものもたくさんあると思う

シャムシールで自分の頭をたたき割りながら、アメリカ帝国の滅亡を謳い、自ら失神して宗教的超越(殉教への意志)を得ようと街を行進するパキスタン人の映像なんて誰も見たいとは思わないだろう

僕が夏学期とった伊熊さんの近現代史を再び見に行ったのは、そうした「見たくない」ものが見れたからだと思う。おそらく与えられなければ見ないけど、インスピレーションを得るため観る必要のある映像 ということだろう。それにしてもネットを開いても、やはりほかに見たいものはたくさん用意されてあるから、そこまで気が回らないんだなぁ・・・

イタトマ・・・イタリアはローマの英雄トッティ・・・ユリウス・カエサル(Julius Caesar)の言葉は、中学生だった僕の心に突き刺さって、今も抜けないままでいる

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」

この言葉は僕の人格のネガティブな部分を形成するものの中で大きな比重を占めている。僕はカエサルのせいでネガティブになった。「死せる公明~」とかいうやつである。もっとも僕は司馬懿忠達のように聡明ではないが

カエサルはローマ共和政末期の危機を、おそらく幻想ではなく、現実のローマの状況を見ていたそのほかの政治家たちも見抜けなかった危機の本質を見抜いていたからこそ、帝政ローマの礎となれたのだと思った。偉大な人物は誰にも見えない現実を、見ている。だから自分も裏の現実を見ようと努めた

近所の本屋の閉店セールで30%offのCDを買いつつ、カウンターの定員の笑顔は僕には作り笑顔に見えた・・・本当は違うかもしれない。しかしそういうバイアスがかかってしまうので厄介な性格だ

しかしながらどんなに頑張っていてもきっとみえないものがあると思う

見ようとしてないことにすら無自覚であるもの

それは実験に影響を与えるunexpected variableのようなものかもしれない

カエサルの言葉をうのみにするなら、それらが台風となって、隕石となって人間界に落ちてきても希望はないことになる。僕はその様子も美しいと思うのか?

僕の買ったCDのタイトルは”The Dark Side of the Moon”(邦題;「狂気」←名訳!)Pink Floydの大⁵傑作。30%になるまで待ってました、ハゲワシのように。そりゃ後ろめたくもなるかな

科学が月の裏側を見るなら僕の「狂気」も見れるようになるかもしれない。しかし#9Eclipseでロジャーは云う「あの太陽のもと すべては調和を保ってる だが その太陽は徐々に月に浸食されていく」

う~んやはり何かある?あるならそれを探したい

金子みすゞさんの詩は美しい

青いお空の底深く、

海の小石のそのように、

夜が来るまで沈んでる、

夜のお星は目に見えぬ。

見えぬけれどもあるんだよ。

見えぬけれどもあるんだよ。