Green/Orange

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こないだの話だ。自分の有史がいつからかというのがどうも僕にははっきりしない。

東西ドイツ統一とともに生まれたがもちろん記憶にない

阪神大震災、地下鉄サリン事件、小渕敬三、全く覚えていない

長野オリンピック・・・エリツィン・・・森喜朗の輪郭線が描けない

同時多発テロ、日韓ワールドカップ、らいおんはーと、このあたりからだんだんはっきりしてくる。この時すでに10代に突入している。何とも遅い自我の目覚めだ(笑)

 

考えてみると、これまでの人生の中で、過去を振り返るということをあまりしたことがなかったようだ。

過去の自分は常に乗り越えられるべき存在だった。別に向上心の問題ではない。単純に過去の自分は嫌いだった。そこには臆病で傲慢で愚かな自分しかいない―そう思わずにいられなかった。

それはもしかすると幼稚園のころからそうだ。「今」という時間が怖かった。過去はとても調和のとれた、安定したものに感じられたが、今にもそういった日常性が失われてしまうのではないかという不安感を夜、布団に入るといつも抱いていた。「明日には突然幼稚園のみんなが敵になっているかもしれない・・・いやそんなはずはない!」という感じに。いや、冗談ではなくホントの話である。

「今」という時間に対する不安定感が常に、「昨日はうまくいった。しかしそれは自分の力ではない。偶然にもそうなったというだけなのかもしれない。」という圧迫感を僕に与えていた。世界は自分の理解を超え、うまくできすぎているという感覚すらあった。自分は結局何もしていない、何も変えていない、何も創り出していない、幼稚園生にして一種の徒労感を引きずっていた。そういう自分が一番傲慢であるとは気付かずに・・・

「何もしていない」自分は常に否定すべきものだった。

 

そう、不思議と他人に関する思い出は残っている。だが自分の思い出は記憶の隅に追いやられてどんどん意識の裂け目に落ちていった。だから自伝なんてとても書けない。回想自体もままならない。ルソーという男はよっぽど変態だったのだろう。

ところでプルースト効果というものがある。匂いで記憶が呼び覚まされるというやつだ。

僕が最もなじみのある果物がある。メロンである。勘違いしないでいただきたい。僕は入院がちで差し入れのメロンばかり食べていたわけでも、メロン以下の果物は出ない贅沢な食卓を囲んでいたわけでもない。祖父母がメロン農家だったのだ。

実家からメロンが届いた

パッケージの段ボールがいつもと違っている。が、中身はもちろんいつものあの―薄いグリーンの、白い網目のまとわりついている、あのかわいらしい―

なかなか食べる気になれない。きっと中にはいつものオレンジ色が詰まっている。切って見ればきっと美しい、オレンジと、グリーンのハイライトが現れるだろう。今まで一度も美しいと思ったことのなかったその色が。だがきっと美しい。真っ白い貧弱な部屋の張り紙に映えるだろう。

メロンの香りをかぐ。美しい故郷の風景。しかし思い出は退屈だ。ビニールハウスの中で突っ立ている。湖の前で突っ立ている。またしても夕食後出てきたメロンにさすがにうんざりしている・・・もっと素直なガキだったら無邪気な美しい思い出ですんだのかもしれない。

美しいのはメロンのほうだ

過去の思い出ではない

だが次第に―甘美なメロンの香りの中に、思い出の中の鬱屈とした何かは霧散していく。その網目の紡ぎだす旋律の中に、僕の声は飲み込まれていく。そのみずみずしい二色の輝きの中に、僕の顔はかき消されていく。

 

消えていく・・・あのグリーンとオレンジに、不似合いな記憶、全て―

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