Archive for 11 月, 2009

ポストモダン焼き

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―南北線の長いトンネルを抜けると猫ビルであった。眼の下が黒くなった。お手洗い所に息が止まった―

の出だしで始まる有名な小説「猫ビル」・・・嘘です。

 

 

この駒場祭の期間中、様々な体験をしたが最も新鮮だったのはやはり猫ビルでのテツヤである。

猫ビルの蔵書の量、その構造、仕事場の状況、先輩達の仕事風景、そして立花先生のマジックアワー・・・すべてが衝撃(一部、笑撃)だった。

あのトイレの魅力をどう伝えればいいのだろうか。

ビル中に雄々しくそびえ立つ本棚の、その一架も。 帰るはずのない床面にその居場所を求めざるを得なくなった無数の本たちの、その一冊も。 その扉の向こうへは、歩みを進めることを許されず。 不当と無秩序に満ち満ちた、階段と、仕事場は、歯牙にもかけずに。 自らは平静と調和と孤独を持って。 常に、知の高みへと登らんとする我々の前に。 一輪の、 意味の砂丘の中に咲く、無意味性のオアシスとなって。 その白い流線型は立ち塞がるのである。 さながらかのマルセル・デュシャンによる、「泉」のように。

まだ見たことのないゼミ生の皆さんも、ぜひあの部屋に一人で入って、途方に暮れてほしいと思います。

 

それからモダン焼きである。

とりあえず午前四時のモダン焼きはやめた方がいい、と言っておきたい。(周囲から「ポストモダン!」と呼ばれる羽目になりますよ)

 

いや、実際はモダン焼きは美味しく戴かせてもらった。

僕の中でモダン焼きという存在は、遥かに幼かった頃の記憶の一ページだ。

小学生、いや幼稚園生の頃だろう、よく家族で食べにいったのは。僕はモダン焼きの存在が気に食わなかった。「なんで一人だけカタカナなんだ!ただの焼きそばが入ったお好み焼きに過ぎないじゃないか。」お好み焼き屋のメニューを見つつ、生意気な幼稚園生はそう考えていたのである。兎に角気取ったものが大嫌いな小生であった。

調べてみてもモダン焼きの名前の由来はよくわからない。

作られたのは70年代初めらしい。もはやレトロ焼きと呼んでもいいぐらいだ。

そもそも何をもって「モダン」であるのか?焼きそばは戦時中作られ、戦後一般的に食べられていたらしいし、お好み焼きの歴史ははるかに古く、江戸時代以前にさかのぼるという。

しかしよく考えてみると70年代といえば、そう、インスタント麺が食卓に登場した年代である。71年に初のカップ麺「カップヌードル」、74年には初のカップ焼きそば「エビスカップ焼きそば」が生まれる。

もしかすると焼きそばは当時のモダン・エイジャー(またつまらぬ造語を作ってシマッタ・・・)の食べ物だったのかもしれない。

同じ原理でいえば現代のモダン焼きは、名にし負わば、ウィダーかカロリーメイトかSOYJOYあたりを混ぜたほうがその本懐を遂げるというものなのだろう。いずれにせよポストモダンに生きる我々に今更モダンなど野暮な言葉だ。(70年代も微妙な気がするが・・・)モダニズムの文脈のモダンなら「もだん」と書いてくれたほうがわかりやすい。

 

 

そんなこんなでポストモダンを正直よく理解していない僕から提案~

「聖書に焼きそばを挟んで焼く」、これってポストモダン焼き

だったり

I have seen the writing on the wall

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壁の落書きに新手口が出てきた

そう、ついにスプレーが使われ始めたのである

ようやく「壁の落書き」らしくなってきたところで、 一体何なんだ! あの空気を読まない落書きは!

MGMT?一年遅いわ!(そういう問題ではない) 俺への当てつけか!(自意識過剰)

 

エー、と MGMTというのはNYのブルックリンを中心に活動するエレ・ポップユニットでして、去年のデビューアルバムのOracular Spectacularが世界的にヒットして、その冒頭を飾る1stシングルがTime to pretendだったというわけなのです。

駒場のどれくらいの人があの落書きの意味を解したのだろうか?

しかしながらMGMTのチョイスは「なるほど」と感じる節もある

彼らはヒッピースタイルで臆面も無くロックスター願望を歌うのである。連帯もクソもない、ロックも対抗文化としての価値を失ったこの現代において。

彼らは徹底的に現実逃避的な音楽をつくり、まったく現実を無視したスタンスをとるのだ。きっと確信犯なのだと思う

アメリカのブルックリンという場所はここ数年の間世界の音楽シーンの最先端であり続けた。Animal Collective, TV On The Radio, Yeah Yeah Yeahs, LCD Soundsystem, Grizzly Bear, Battles, Dirty Projectors,  Clap Your Hands Say Yeah, そしてVampire Weekend・・・あげればきりがない(いやまったく)そして僕が好きなバンドばかりである。

彼らの音楽というのは9.11以降暗い時代が続いてきた。そしていま、彼らのシーンは一気に祝祭ムードである。オバマの登場によって、だろうか

MGMTは真っ先に陶酔的でエキセントリックな音楽を送り込んできた。しかし彼らの音楽は決して何かを祝っているわけではないのかもしれない。彼らはむしろ逃げるのである。希望を持つのではない、もっと動物的な人間の姿を映しているようだ。

彼らの言っていることを、(笑)とか、もはや皮肉だとか、聴く人は思うのかもしれないが、それでも彼らのシンセに酔いしれる、一種のシニカルさを我々は持っているのだろう。

“We are fated to pretend”という言葉は実はものすごく真実味のある言葉なのかもしれない。「シニカルに薄味に生きるのでもなければ、自ら虚像になるしか生きる道はない」という、残酷な宣言だ

世界がますます「動物化」していくとすればMGMTは確かに今の世代のアイコンといえる

 

心なしか最近は動物の名前の付くバンドが多い。Animal Collective然り、Grizzly Bear然り、Arctic Monkeys然り。

落書きした方、いつかお会いしましょう~

戦績。

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知の創造的摩擦プロジェクト第九回交流会。行ってきました

開会直前に行きましたが長蛇の列・・・イガイと人が多い

まさかの同クラ(悪名高き理一スぺ)も一名

そして総勢なんと100名近くの卒業生と200名ほどの在学生

 

・・・結果10余名の方にしか宣伝できませんでした。(6名は口頭でいただきました)僕の力不足です。。

交流会自体は有意義でした

官僚の方と直接話しましたが、まさに理路整然。

「子供手当はダメだ」とか「オバマのノーベル賞はおかしい」とか「記者クラブはいらない」とか結構ザックリと話しましたが、テーマは本質論をどう語るかということでした

政治に本質を追究させていくことは難しい。少なくとも現時点では。しかし官僚はできるだけ本質に寄せるように努力しなければならない。政治を変えるためには、官僚の声が外に行かない以上、本質論を語る存在が、政治と経済の権力構造から離れて必要になる。それはジャーナリズムでもあるし、そのほかに権力から離れた団体が、オバマの小口献金みたいな形で直接政治にコミットするようなやり方もある・・・

そんな話だったと思います

そして今僕たちの世代は、少子高齢化もろもろの事情でひずみをもろに受ける(笑・・・事ではない)

 

今回は最後のほうはゼミの宣伝だけしてあんまりしゃべんなかった人が多かった。

そんで帰り道結構空しかった・・・

次回は仕事抜きで行きたいです。