カテゴリ:自己言及的な文章
八月になった。ので何か書こうと思った。が書きたいことがない。
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前の投稿が6月21日となっているが、これが企画の一環としての投稿であったことを考えると、6月6日以降の僕の心境はこのブログに反映されていない。
この間僕の内面は劇的に動いていた。その変遷をわざわざこの場に書くつもりはない。
しかし何か書こうと思うと自然と触れざるを得ない話題もやはりある。そうあらかじめ断わっておく。
インディ・ミュージックを聴くことの最大の恩恵は「生涯の名盤」に出会えることであると思う。いや、別に巷に流布する音楽に「生涯の名盤」になるような作品がないと言っているわけではないが、本当に自分の好みに合っている音楽というのはそうそうそこら辺に転がっているようなものではない。「生涯の名盤」に足る作品は押しも押されぬ名盤であることが前提で好み的にもストライクでなければならないが、「好み」というのは厄介だ。僕の「好み」は変化してきたし、これからも変化するだろう。
動いているものを記述する科学がないのと同じように、言葉は動いている「私」を科学することが出来ない。「○○が好き」という宣言が本当に意味を持つのは同じ瞬間、同じ位相、同じ場所、同じ状態に於いてのみである。
そのように言っておいて敢えて僕の「生涯の名盤」2枚を紹介しておきたい。一枚はAustinのバンドSpoonの5th”Ga Ga Ga Ga Ga”そしてもう一枚がChicagoのオルタナ・カントリーバンドWilcoの4th”Yankee Hotel Foxtrot”である。
前者は日本での知名度はさほどないが、ビルボードでトップ10に入ったのでアメリカではそれなりに知られているはずである。一方後者の存在はアメリカのインディーズミュージックを聴く者にとってはもはや常識だろう。「2000年代最高の名盤」というコピーは虚飾ではない。僕はこれからもこの二枚から離れることはできないと思う。もちろんそんなことは直感にすぎないが、この二枚を好きと宣言することには僕という人格にとって意味がある。この二枚は、僕を科学するためのメスになりうる。
“Yankee Hotel Foxtrot”は美しく優しいアルバム、だと誰もが感じるだろう。だが僕にとっては、このアルバムほど虚ろで、救いようのないアルバムはない。まぁこのアルバムがネガティブなテーマをはらんでいることは、2002年においてツインタワーを模したジャケットを纏っているところからなんとなくわかる。
ここで歌われているのは伝えることへの諦めである。題名はフォネティックコードからきている。Yankee=Y、Hotel=H、Foxtrot=F、であり、この不思議な文字列は要するに、YHFというアルファベットの順列を伝えているにすぎない。そしてこの並びに意味はない。意味のない言葉を、相手に聞き取れるように話しているという矛盾、いやむしろこの場合、意味のない言葉を、その意味を悟られないように加工する矛盾ととらえればいいのか。
いずれにせよこのアルバムにはそんなコミュニケーションへの失望感が蔓延している。1曲目から、Jeffのけだるい歌声以外に集中した瞬間彼の悪意に身震いする。全ての曲が、実は奇妙としか言えないノイズに包まれ、潜まれ、支えられている。そうしてJeff TweedyとJim O’Rourkeは真っ黒な失望感の糸を、丁寧に、しなやかなバンドサウンドの中に編みこんで美しいレースのカーテンに仕立てている。その黒で、窓の外をいつまでも夜のままにする、意地の悪いカーテンに。
しかしカーテンを開けてみたところで、一日中白と黒の砂嵐。全ての楽曲が、曲の最後にノイズに飲み込まれていく。Jeffはあらゆるコミュニケーションの場面にそのカーテンをかける。国家と、海の向こうと、他者と、そして恋人と、彼は全てとすれ違い、カーテンを閉める。単に言葉だけの問題ではなく、コミュニケーションしたいという欲求そのものや、それに矛盾するような屈折した感情、情報産業、に飼いならされた人々そういったさまざまな側面にJeffは切り込む。ただ、概して作品には無気力が漂っている。
無気力に弛緩した声帯から、か細い泣き声で、魂の震えを可聴域の周波数まで変換していく。そういう歌を僕は好む。このアルバムはまさにそれ。そして僕の心も、その振動に共振できるのである。
僕にはそもそも誰かに何かを伝えたいという欲求が明らかに欠けている。と、思う。見聞伝のゼミ生としては失格だ。他人が嫌いなわけではないし、ただの自己満足に終わっていいと思っているわけでもないが。
いつの間にか諦めていたらしい。高校のころから僕は文章が「特殊」と言われてきた、少なくとも同級生からは。全く実感がないので厄介だ。確かに僕は自分の美的感覚にしたがって綴っているに過ぎなくて、わかりやすく書こうという努力はまるでしない。どーしてこ-なった、のか、よくわからない。そもそも僕は小さいころから文章を書くのは苦手だし嫌いだった。作文の宿題が一番苦痛だった。何を書いたらいいのか分からなくなるし、どう書いたらいいのかもわからない。読書感想文の宿題が出ると白紙の原稿用紙の上で頭を抱えるだけの生活が始まる。
それが変わったのは高校のころだ。一年生の時小論文コンクールがあったのだが、それがやたら先生に褒められた。かなり自由に書いたは書いたが、精いっぱい相手に伝えようと書いたものだった。しかしクラスメイトにはまるで伝わらなかったらしく、僕のその作品はクラス代表から落選する所だったのを先生に拾われたのだった。
褒められると楽しくなるのは常だ。それ以降は書くこと自体は少なくとも苦しみばかりではない。しかしその楽しさにかまけて伝えること自体の苦しみからは逃げてきたのかもしれない。
何が本意だったのかわからないが、僕のことを「小論文の鬼」と呼んでいたクラスメイトがいた。僕の人生の中で、親友と名のつく数少ない一人である彼は、一足も、二足も先に、この世を去ってしまった。6月のある月曜日、あまりに唐突にそのメールは僕と彼との未来に死を告げた。
その瞬間東京で呑む約束も、永遠に果たされないまま、宙づりになるしかなくなった。そう、彼とは交わされるべきであった、交わされるはずであった言葉が、残されている。まるで海溝のように深く、二人を隔てている。その言葉で埋められるはずの何かが・・・
彼が死んで、彼がまだその深い河の向こう岸はるか遠くにいたことを感じた。そしてもう、その川が岸を侵食して彼の姿が見えなくなるなるまで、呆然と眺めているしかないのだと分かった。
彼には、彼を尊敬していたことだけでも、伝えるべきだったと思う。彼と僕は正反対と言っていいベクトルを持っている。彼は自己完結しない人だった。伝える何かを持っている、伝えようと努力している。それは僕にとってうらやましいことであった。僕には伝えるものは何もないし、伝えようという気すらない無気力な人間であるのに対し、彼はバイタリティに溢れ、世界とコミュニケーションしようという試みを止めることをしないのだ。
僕は弔電を打つことにした。ただ、死者と対話するための言葉など存在するのか。僕は10行で全てを伝えねばならなかった。伝わるか知る術もないのに?でも伝えたいと思ったのだし、弔文はもはやそれしかない文章である。
この伝えたい、は彼の「伝えたい」とは違う。彼は特定の誰かにではなく、世界に対してであって、それは彼の世界への愛情、優しさに基づくものなのだ、と思う。そこまで僕は、絶対になれないだろうと、横で感じてきた。
伝えるための文章というのは、面白いものにはなかなかできない。弔文も、形式通りに書いてしまった方がかえっていいのかとも思ったが、やはり自分の言葉で書きたかった。そういう欲求はもちろん、単なる僕の文章を書く欲求ともつながっている。いずれにせよここにはジレンマがある。「正確に伝える」というのが、画素は粗いがノイズが目立たない方がいいのか、細かいがノイズだらけの方がいいのか・・・
その二律背反から抜け出すには、優しさを持つしかないのかもしれない。それがあればおそらくそのジレンマの前で膝を折ることはないだろう。優しさを源に書けばいいのだから、それは伝えることが第一義では必ずしもない。そう・・”Yankee Hotel Foxtrot”にしてもあのアルバムの存在は優しさなのだ。テロに怯える街の通りに捨てられた、灰と朽ちた星条旗に、彼は唾を吐き捨てるのではなく、お辞儀をしようというのだから・・・
弔文は、一言でいえば彼との別離を嘆くものになった。それだけである。彼があれを読んでいたらなんといったか、聞いてみたいものである。何物も伝えきれないと思いながら、伝えたくてしようがなく書いた痛ましい文章だ。
しかし、多分、きっと、僕はそんな文章が好きなのだ。何ともタチの悪い・・・