カテゴリ:自己言及的な文章

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八月になった。ので何か書こうと思った。が書きたいことがない。

・・・

前の投稿が6月21日となっているが、これが企画の一環としての投稿であったことを考えると、6月6日以降の僕の心境はこのブログに反映されていない。

この間僕の内面は劇的に動いていた。その変遷をわざわざこの場に書くつもりはない。

しかし何か書こうと思うと自然と触れざるを得ない話題もやはりある。そうあらかじめ断わっておく。

 

インディ・ミュージックを聴くことの最大の恩恵は「生涯の名盤」に出会えることであると思う。いや、別に巷に流布する音楽に「生涯の名盤」になるような作品がないと言っているわけではないが、本当に自分の好みに合っている音楽というのはそうそうそこら辺に転がっているようなものではない。「生涯の名盤」に足る作品は押しも押されぬ名盤であることが前提で好み的にもストライクでなければならないが、「好み」というのは厄介だ。僕の「好み」は変化してきたし、これからも変化するだろう。

動いているものを記述する科学がないのと同じように、言葉は動いている「私」を科学することが出来ない。「○○が好き」という宣言が本当に意味を持つのは同じ瞬間、同じ位相、同じ場所、同じ状態に於いてのみである。

そのように言っておいて敢えて僕の「生涯の名盤」2枚を紹介しておきたい。一枚はAustinのバンドSpoonの5th”Ga Ga Ga Ga Ga”そしてもう一枚がChicagoのオルタナ・カントリーバンドWilcoの4th”Yankee Hotel Foxtrot”である。

前者は日本での知名度はさほどないが、ビルボードでトップ10に入ったのでアメリカではそれなりに知られているはずである。一方後者の存在はアメリカのインディーズミュージックを聴く者にとってはもはや常識だろう。「2000年代最高の名盤」というコピーは虚飾ではない。僕はこれからもこの二枚から離れることはできないと思う。もちろんそんなことは直感にすぎないが、この二枚を好きと宣言することには僕という人格にとって意味がある。この二枚は、僕を科学するためのメスになりうる。

“Yankee Hotel Foxtrot”は美しく優しいアルバム、だと誰もが感じるだろう。だが僕にとっては、このアルバムほど虚ろで、救いようのないアルバムはない。まぁこのアルバムがネガティブなテーマをはらんでいることは、2002年においてツインタワーを模したジャケットを纏っているところからなんとなくわかる。

ここで歌われているのは伝えることへの諦めである。題名はフォネティックコードからきている。Yankee=Y、Hotel=H、Foxtrot=F、であり、この不思議な文字列は要するに、YHFというアルファベットの順列を伝えているにすぎない。そしてこの並びに意味はない。意味のない言葉を、相手に聞き取れるように話しているという矛盾、いやむしろこの場合、意味のない言葉を、その意味を悟られないように加工する矛盾ととらえればいいのか。

いずれにせよこのアルバムにはそんなコミュニケーションへの失望感が蔓延している。1曲目から、Jeffのけだるい歌声以外に集中した瞬間彼の悪意に身震いする。全ての曲が、実は奇妙としか言えないノイズに包まれ、潜まれ、支えられている。そうしてJeff TweedyとJim O’Rourkeは真っ黒な失望感の糸を、丁寧に、しなやかなバンドサウンドの中に編みこんで美しいレースのカーテンに仕立てている。その黒で、窓の外をいつまでも夜のままにする、意地の悪いカーテンに。

しかしカーテンを開けてみたところで、一日中白と黒の砂嵐。全ての楽曲が、曲の最後にノイズに飲み込まれていく。Jeffはあらゆるコミュニケーションの場面にそのカーテンをかける。国家と、海の向こうと、他者と、そして恋人と、彼は全てとすれ違い、カーテンを閉める。単に言葉だけの問題ではなく、コミュニケーションしたいという欲求そのものや、それに矛盾するような屈折した感情、情報産業、に飼いならされた人々そういったさまざまな側面にJeffは切り込む。ただ、概して作品には無気力が漂っている。

 

無気力に弛緩した声帯から、か細い泣き声で、魂の震えを可聴域の周波数まで変換していく。そういう歌を僕は好む。このアルバムはまさにそれ。そして僕の心も、その振動に共振できるのである。

 

僕にはそもそも誰かに何かを伝えたいという欲求が明らかに欠けている。と、思う。見聞伝のゼミ生としては失格だ。他人が嫌いなわけではないし、ただの自己満足に終わっていいと思っているわけでもないが。

いつの間にか諦めていたらしい。高校のころから僕は文章が「特殊」と言われてきた、少なくとも同級生からは。全く実感がないので厄介だ。確かに僕は自分の美的感覚にしたがって綴っているに過ぎなくて、わかりやすく書こうという努力はまるでしない。どーしてこ-なった、のか、よくわからない。そもそも僕は小さいころから文章を書くのは苦手だし嫌いだった。作文の宿題が一番苦痛だった。何を書いたらいいのか分からなくなるし、どう書いたらいいのかもわからない。読書感想文の宿題が出ると白紙の原稿用紙の上で頭を抱えるだけの生活が始まる。

それが変わったのは高校のころだ。一年生の時小論文コンクールがあったのだが、それがやたら先生に褒められた。かなり自由に書いたは書いたが、精いっぱい相手に伝えようと書いたものだった。しかしクラスメイトにはまるで伝わらなかったらしく、僕のその作品はクラス代表から落選する所だったのを先生に拾われたのだった。

褒められると楽しくなるのは常だ。それ以降は書くこと自体は少なくとも苦しみばかりではない。しかしその楽しさにかまけて伝えること自体の苦しみからは逃げてきたのかもしれない。

 

何が本意だったのかわからないが、僕のことを「小論文の鬼」と呼んでいたクラスメイトがいた。僕の人生の中で、親友と名のつく数少ない一人である彼は、一足も、二足も先に、この世を去ってしまった。6月のある月曜日、あまりに唐突にそのメールは僕と彼との未来に死を告げた。

その瞬間東京で呑む約束も、永遠に果たされないまま、宙づりになるしかなくなった。そう、彼とは交わされるべきであった、交わされるはずであった言葉が、残されている。まるで海溝のように深く、二人を隔てている。その言葉で埋められるはずの何かが・・・

彼が死んで、彼がまだその深い河の向こう岸はるか遠くにいたことを感じた。そしてもう、その川が岸を侵食して彼の姿が見えなくなるなるまで、呆然と眺めているしかないのだと分かった。

彼には、彼を尊敬していたことだけでも、伝えるべきだったと思う。彼と僕は正反対と言っていいベクトルを持っている。彼は自己完結しない人だった。伝える何かを持っている、伝えようと努力している。それは僕にとってうらやましいことであった。僕には伝えるものは何もないし、伝えようという気すらない無気力な人間であるのに対し、彼はバイタリティに溢れ、世界とコミュニケーションしようという試みを止めることをしないのだ。

僕は弔電を打つことにした。ただ、死者と対話するための言葉など存在するのか。僕は10行で全てを伝えねばならなかった。伝わるか知る術もないのに?でも伝えたいと思ったのだし、弔文はもはやそれしかない文章である。

この伝えたい、は彼の「伝えたい」とは違う。彼は特定の誰かにではなく、世界に対してであって、それは彼の世界への愛情、優しさに基づくものなのだ、と思う。そこまで僕は、絶対になれないだろうと、横で感じてきた。

伝えるための文章というのは、面白いものにはなかなかできない。弔文も、形式通りに書いてしまった方がかえっていいのかとも思ったが、やはり自分の言葉で書きたかった。そういう欲求はもちろん、単なる僕の文章を書く欲求ともつながっている。いずれにせよここにはジレンマがある。「正確に伝える」というのが、画素は粗いがノイズが目立たない方がいいのか、細かいがノイズだらけの方がいいのか・・・

その二律背反から抜け出すには、優しさを持つしかないのかもしれない。それがあればおそらくそのジレンマの前で膝を折ることはないだろう。優しさを源に書けばいいのだから、それは伝えることが第一義では必ずしもない。そう・・”Yankee Hotel Foxtrot”にしてもあのアルバムの存在は優しさなのだ。テロに怯える街の通りに捨てられた、灰と朽ちた星条旗に、彼は唾を吐き捨てるのではなく、お辞儀をしようというのだから・・・

弔文は、一言でいえば彼との別離を嘆くものになった。それだけである。彼があれを読んでいたらなんといったか、聞いてみたいものである。何物も伝えきれないと思いながら、伝えたくてしようがなく書いた痛ましい文章だ。

 

しかし、多分、きっと、僕はそんな文章が好きなのだ。何ともタチの悪い・・・

黒色透明

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「なぜ宇宙は青ではないのか?」子供のころ抱いた疑問だ。青空の原理はTVでやっていたが、夜空の暗黒の理由は誰も説明してくれなかった。

この問いは間違っている。と言うのは簡単である。光が無いのに色の話をすることに意味はない。

だが空の青と、闇の黒という「色」は特別だ。彼らに触れることはできない。彼らは寡黙である。彼らにはなった声は彼らを突き抜けて他の誰かに跳ね返され、虚ろにこだまするしかない。

抽象的な「色」という感覚は、なかなか自然の中で顔を出さない。平面的な、二次元的な色は三次元の世界にはそもそも有り得ない。青と黒というのが例外としてあるのではないか。彼らだけは、色をフィジカルな具体的な体験とは必ずしも結び付けることができず、むしろ我々の存在自体や心象世界に直接結び付き、それらの地として図を浮かび上がらせる。

そんな黒のみに彩られた体験は、新しい黒の体験である。よりフィジカルな黒の体験だ。

 

「光が無ければ何も見えない」頭では分かっているものの、事実そうした体験に我々は乏しい。都会の闇夜の闇は暗がり程度の闇でしかないし、日常生活のどんな闇の中でも何かしら視覚に入ってくるものがある。もちろん視界に微妙な光のひだがあることは我々を安心させるから、完全な暗闇が日常から排除されていても文句は言えないだろう。

DIDでの体験はその一点で十分に新鮮なものだった。「光が無いので何も見えない」のである。全く残酷なほどどこもかしこも真っ黒。かつてない状況に、鮮やかな恐怖と好奇心が体中の血管を巡り始めるのを覚える。

突然、僕は全世界と切り離された感じがした。世界と自分という二つしか知覚できるものはない。自分も見えないが、自分の表面を細部に至るまで想像することができる。自分がどこからどこまでなのか、はっきりとわかる。

この感覚は僕の予想を裏切るものだった。黒の絵の具を想像してほしい。水彩では黒ほど厄介なものはない、全ての色を溶かし飲み込んでしまうので調整のために大量の白を要するのである。全て溶かしこむ、取扱注意のマークのついた危険な・・・というイメージが黒にひいては闇にもあった。が、闇に包まれると、むしろ自分の存在は世界から析出してくる。

目が見えている時、我々には「答え」が与えられている。目で見れば、全てのものの配置はたちどころに理解ができるのである。視覚がなければ、他の器官に期待するしかないわけだが、触覚について言えば彼らが常に与えている感覚とは実は自分の表面の感覚ではないだろうか。自分の範囲だけが視覚のない時に得られる唯一確かな位置情報「答え」になる。

空間認識は声でも可能である。アテンドの方は完全に我々の位置を声から推測できるようすだった。とはいえ、少なくとも経験の浅い我々にとっては「答え」は不確定性の海に沈んでいると言わざるを得ない。声のするほうへ、恐る恐る手の甲を突き出し進んでいく。手の届く距離なって、やっと相手の存在に確信が持てる。

結局「答え」を与えてくれるのは触覚しかない。だが触覚はスケールを非常に制限された器官だ。空間全体をとらえるのは不可能である。

だが、「答え」が無いことにはむしろ自由を、すがすがしい解放感を覚えたのも事実である。両手を広げ、ぐるりと体を回転して、何にも触れなかった時の感覚は恐怖ではなく、期待である。中指より先の世界はどんな世界でもあり得る。だがその様子全てを知ることはできないし、知る必要もないのだ。視覚の押しつける世界の教義から解放される喜び。公園の先に見えているのが、コンクリートの砂漠である必要はない。見えないことが、「ありふれた風景」への失望感を破壊する。

肌で感じる黒の空間は日常よりもはるかに具体的な触感を伴っていた。足音、それだけでなくそれによる地面の振動、ブランコの音、それだけでなくそれによる空気の流れ、それらをこまやかに感じ取ることができる。他者の存在もよりフィジカルなのだ。

我々は普段から視覚のドグマに抑圧されている。視覚が提示するのはあるべき世界の完全であり、そこから得るイメージにとらわれてしまうのは無理からぬことである。しかしながら視覚という感覚はあまりに受動的な感覚であり、「目に映るものが真実なのでよろしく」というまさにドグマティックな一面を持っている。と思う。他の感覚を抑圧しかねない、という意味でだ。

暗闇の中で、聴覚と触覚に頼らざるを得なくなった時、我々は自分から動き、声を出すことを余儀なくされる。普段これらの感覚器官はゴール的な運動を行う。つまり知覚の手段としてではなく、接触、会話というコミュニケーションの一形態としての利用となり、運用自体に意味が内在するのである。そしてコミュニケーションとしての側面は暗闇の中でもおとしめられることがない一方、聴覚と触覚は同時に世界の知覚の能動的な手段としての存在意義を強烈に主張し始める。

自ら能動的に働き掛け、相手のフィードバックによって知覚が完成する聴覚と触覚は、視覚とは描く世界観が異なってくるようだ。視覚の受動的で一方通行の知覚というのは、すれ違いが必至である。視線があって初めて我々は共通のコミュニケーションの地平に立つことになる。互いの視線が宙を泳いでいる限り交流する可能性すらない。一方聴覚や触覚では、すでにコミュニケーション可能という共通の地平に立っていることになる。知覚が成り立つためには、相手の働きかけを受け取り、それを返さねばならないという合意が前提となるからだ。

ということで暗闇の中で生まれた見ず知らずの人間への信頼感と依存・・・についての僕なりの考察が以上だ?そろそろ長くなったので最初の話に戻って終わりにしよう。

 

暗闇の黒はそもそも何なのか?それは何もないことを示しているのか、何かを隠していることを示しているのか・・・この二者択一は実は危険だ。目が見えて、「答え」を最終的に知ることができることを想定している。見えるという前提を失った時、黒は世界である。精神世界などとはもはや結びつかない、現実世界の支配者でありそれそのものだ、そう我々は受け入れるしかない。

「見えない」ことは逆説的に聞こえるが闇の本質ではない。知覚は相対的なものであり闇では「限界」が異なる形で設定されるにすぎないのである。世界を分節化することはその分困難だが、その困難のために、他者と常につながることが許される。

自己も他者も文字通り暗黒物質。このイメージははおそらく本当に闇を体験してみないと分からない。思えば天を仰いでも小鳥のさえずりがふりそそいでくるのは青空ではなかった。そもそも空なんてあったのか?

手に届かない「闇」と触れられる「闇」との落差・・・

我が亡国

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断わっておくが僕の音楽の知識は中学校の校内合唱コンクールレベルだ。

いや今やそれ以下だろう。「♪」の名称すらもはや脳の最下層に保管されていた。まぁベルカントゼミのおかげでその記憶も若返ったわけだが―

いずれにせよ友人の演奏会について書くのは、はばかるものである。素人ならなおさらだ。

 

音楽がわからんなりの僕の「聴き方」というのは、「観る」ことだ、と少なくとも自分ではそう思う。

別に共感覚とかいうわけじゃないだろうが、感動する音楽はこの目に映る。

そして見えない音楽は僕の理解を超えている。

中学校の合唱コンクール、幼馴染のクラスが歌ったのがベドルジヒ=スメタナ作曲の「モルダウ」だった

そのとき初めて聞いたモルダウは大河というより急流だったが、確かに川が流れているのを見た覚えがある

それ以来あの旋律は、いや故郷のできた今となっては、確固たる郷愁と、またそこに流れおおらかにうねる情念のモーメントに支えられ、いつでも、僕が過ぎた時間と人々のためにむせぶ岸辺を演出できる。

あの旋律が好きだ

そう言ったとき、我々は往々にしてその作曲家自身にシンパシーを感じているものだ。

 

だが、「我が祖国」について言えば僕が共感できるのは第三曲の序盤までだった

第一曲、浮かぶのはプラハの街並みか、石畳に駆ける騎兵隊、東欧の優美な自然。

どことなく郷愁を感じるのはなぜなのか?故郷にあるのは古びれたマンションとアスファルトにしかれた線路を軋みながら走行する路面電車に(もはや無為に)金色の刈田だ

しかしすっかり東欧にいる気分?

この時チューバがどんな音楽を奏でていたのか残念ながら僕に知る由はなかった。

第二曲は「モルダウ」で知られるそれである

いつもどうり・・と言ってしまうのはあれだが見たものはやはり同じ、大河だった。

問題なのは第三楽章以降なのだ。僕としてはこれまでの時点で演奏会について満足していたし、これほど感動できるものだとは実際思ってもみなかった。

第三曲以降も、雄大で果敢で情熱的でときに優美な演奏を聴いていた。それは特にこれまでと変わるものではないだろう。

第三曲の最後には圧倒されたし、第六曲の主題には高揚したが

これらの中にある熱気が、情熱を通り越し、うなすような病的な熱になっているように思えてならない

汗まみれに戦う兵士たちも、ヴァーツラフ広場で合唱する群衆も、僕の想像の埒外だ

自分でも困惑する。伝えているものは感じるのに、それらのイメージが生きて動き出すことがない。

スメタナの祖国への激情に見合うレセプターが僕の神経にはないのか?激情は僕の全身の細胞にスル―されている。

 

この交響詩は・・一次大戦後のアルフォンス=ミュシャのための物語にはなっても、冷戦後の我々のための物語にはなりえないのかもしれない。

スメタナの激情がどこからきているのか僕にはわからんが、同じ祖国のために僕には1mlの激情も湧かない。少なくとも今は。

だが今とは、見方によっては亡国の危機とも取れるはずではないのか?もちろんミュシャは国の独立という大事に際していたわけだが、我々とて大事に際していないとは言えないし、激情を煮立てるだけの不安要素はいくらでもあると思う。

兎角深刻に考えればいいというわけではないが、自分がどれほど自分の祖国に関心がないかを感じる。

同時に家族友人のいる故郷に対してもだ。

 

 

帰り道は60円贅沢してJRに乗った。JRは熊本にもある、さびれたホームはどこにでもある、どこでも見つかる故郷の風景もある。

線路もそう。どこにでもある。

黙ってがらがらの車内に、一人窓に寄りかかり外の線路を眺めている。線路にはた迷惑な愛着をなすりつけ、底で淀んでいる記憶に重ねる。電車の音に浮かぶ風景を

だめだ、ネオンサインが邪魔だ。

アンチストーリーテラー

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今日友達と話していてもそうだったが、

複雑系の「複雑」をシステム自体の構造の複雑さに求めている人は多いようだ。

もっとも、複雑家という言葉自体が90年代に作られた言葉であって

使う人それぞれで差があるのは事実だろうが

池上高志先生の「複雑系」はシステムに内在するものではない

むしろのその真逆といっていい

複雑さはシステム自体が閉じていないからこそ発生している、と考える。

そしてそのシステムが動いていく、環境とinteractすることによって時間発展的に運動は複雑さを増す。

池上先生曰く、「水にも記憶はある」

ただの水もある条件では時間発展的に次々とその運動の様態を変化させる。

 

今回、16号館の池上先生の研究室で取材を行ったが

まず読む人にこの誤解があっては困ると思う。

そう思っていては要するに先生のいう複雑系の、「これまでと何が違うのか」がまるで理解できない。

 

続く

せっかくなので

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池上先生風に書いてみる?

取材一番乗りになったわけだけど、なんていうか東大の先生だったわけじゃない?

だからさぁ、contactもとりやすかったし、そんなに威張ることでもないじゃん。

でもま、どうなるかわかんねぇけど取材としては全然いいものができたと思うわけ。

取材の前はさぁ、「動きが生命を作る」をぉ、また読み直して?

これ三時間ぐらいかかってさぁ、さらっと見直すつもりだったのに

取材フローも見直したかったし。

あーもう一時間しかないのー!4限ぜって―無理じゃんー

みたいなさ、凄い図書館でいつになく集中してて必死でやってたんだけど

まぁ前日やりゃあよかったよね。

人間怠惰なものですよねぇ。

予習もうちょっとやるべきだとは思いながら取材に臨んじゃったんですよね。

やっぱやめます

予習しすぎないおかげで結構専門に突っ込みすぎず、自分たちとのかかわりの中に話題を引き込めたかなと。

いっぽう聞きたいことも聞けたし、そういう意味でいい取材だったなと

取材の内容はみんなあとで見れるようにしますので。

この場では割愛します。

取り急ぎ報告だけ。

明日は八時半駒場との指令ですので。適当な文章ご容赦ください。

 

 

レベッカ・ホルン 静かな叛乱 鴉と鯨の対話

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*以下に続く記事は2月14日に書きはじめられたものです

 

バレンタインデー

街中はもっとカップルであふれているのかと、思っていたが、いつもどうりの日曜の午後だった

むしろ甘く見ていたのは、いつもどうりの日曜の午後の美術館の人の入りである

東京都現代美術館はさびれた街中に唐突にある。

まぁほかの美術館の立地が良すぎるのかもしれないが、アクセスはいいとはいえない

しかしながらチケット売り場には長蛇の列、しかも四列横隊

確かにこの日「レベッカホルン展」は最終日だった

試験が終わってやっとゆっくり美術館を回れると思って来た大学生もいたのだろう

まーカップルもたくさんいたが

ただ、こういう現代美術は少なくとも僕のような没想像力大学生には厳しいものがある

要するにこの展覧会にあれほどの人が集まるというのがそもそも驚きだった

作品の断片をつなぎ合わせて物語を作っていく想像力がみなさんにあるとは信じられないのである

 

たとえば彼女の作品には詩が添えられているものがあるが、僕はそれにもピンとこない

詩に限らず、彼女の作品はどこか叙事的、というか詩的なのだ。何か物語が隠されていそうな気がしてしまう。

それを探してしまう―が、わからずに終わるというのばかりだ。

もっとも彼女の作品にはもっと、一目でわかるようなものもある。

頭長くしただけー、とか、指長くしただけー、とか、顔から鉛筆生えてるー、とか(この辺は自分で見ていただきたい)

いくらなんでも適当・・・シンプルすぎるだろ!と言いたくなる作品群があるのだ。

 

会場の途中の廊下で、顔に鉛筆のついたマスクを着けている女性の映像作品が流れる

顔に鉛筆をつけたマスクをはめたら・・・まぁ、そうだよね、顔でドローイング出来るもんね・・・

しかしそう思ってはっとした。顔でドローイングするなんてばかげた話は他に聴いたことが無い。

と同時にこれでは食事もできない。どうしようもない。口の意味は完全になくなってしまっている。

今回の展覧会の目玉「アナーキーのためのコンサート」にしても、ピアノは逆さに釣り上げられてしまってはまるで意味がない。

意味がない―と言ってしまえば、全てのオブジェに意味が無いのかもしれないが、意味から解放された道具たちはむしろ生き生きしているように見える。

逆さに釣り上げられたピアノは30分おきに「コンサート」を開いてくれる。とても音楽とは言えないようなメロディもリズムも関係ないというような不協和音を出しつつ、全ての鍵盤が一気に飛び出して、静止する。

そのカオケティックで衝撃的な一瞬間、本当にピアノが生きているように感じてしまう。

なんとも破壊的に、暴力的に、自分の存在を主張してくる。

生きているかのように優雅に動く機械仕掛けの蝶が、突然静止してただの金属のオブジェに還る「バタフライ・ムーン」はその逆か。蝶がピタッ、と動きを止めた瞬間襲ってくる死んだような静寂は、まさに暴力だ。

逆さのピアノ、向かい合ったピストルと鏡、長すぎる指、マスクに付けられた鉛筆・・・といった破滅的な構図

あるいは作品の中に垣間見える一瞬の暴力、それらは破滅的、暴力的とは言いながらも、彼女の作品に新たな意味・・・ではなく生命を与えているように感じる。そして生命を与えている彼女、レベッカの、自身の作品やそのモチーフへの愛情も感じずにはいられない。

鴉と鯨の対話・・・はわからんけど(鴉や鯨をモチーフとした作品があったが・・・)、静かな叛乱は確かに感じた。

レベッカ・ホルンの愛情と審美眼が、オブジェたちに、意味に拘束された世界への反乱を起こさせている。

 

「バスターの寝室」という映画も見た、喜劇王バスター・キートンについて知っていると、何か思うものもあったのだろうが、いまのぼくにはりかいしがたい。ぼくにはとてもできない。

光がとても美しい映画だった。ぜひあの映画が撮影された場所に行ってみたい。どこだろ?フランスかなー♪

 

お粗末さまでした。

Green/Orange

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こないだの話だ。自分の有史がいつからかというのがどうも僕にははっきりしない。

東西ドイツ統一とともに生まれたがもちろん記憶にない

阪神大震災、地下鉄サリン事件、小渕敬三、全く覚えていない

長野オリンピック・・・エリツィン・・・森喜朗の輪郭線が描けない

同時多発テロ、日韓ワールドカップ、らいおんはーと、このあたりからだんだんはっきりしてくる。この時すでに10代に突入している。何とも遅い自我の目覚めだ(笑)

 

考えてみると、これまでの人生の中で、過去を振り返るということをあまりしたことがなかったようだ。

過去の自分は常に乗り越えられるべき存在だった。別に向上心の問題ではない。単純に過去の自分は嫌いだった。そこには臆病で傲慢で愚かな自分しかいない―そう思わずにいられなかった。

それはもしかすると幼稚園のころからそうだ。「今」という時間が怖かった。過去はとても調和のとれた、安定したものに感じられたが、今にもそういった日常性が失われてしまうのではないかという不安感を夜、布団に入るといつも抱いていた。「明日には突然幼稚園のみんなが敵になっているかもしれない・・・いやそんなはずはない!」という感じに。いや、冗談ではなくホントの話である。

「今」という時間に対する不安定感が常に、「昨日はうまくいった。しかしそれは自分の力ではない。偶然にもそうなったというだけなのかもしれない。」という圧迫感を僕に与えていた。世界は自分の理解を超え、うまくできすぎているという感覚すらあった。自分は結局何もしていない、何も変えていない、何も創り出していない、幼稚園生にして一種の徒労感を引きずっていた。そういう自分が一番傲慢であるとは気付かずに・・・

「何もしていない」自分は常に否定すべきものだった。

 

そう、不思議と他人に関する思い出は残っている。だが自分の思い出は記憶の隅に追いやられてどんどん意識の裂け目に落ちていった。だから自伝なんてとても書けない。回想自体もままならない。ルソーという男はよっぽど変態だったのだろう。

ところでプルースト効果というものがある。匂いで記憶が呼び覚まされるというやつだ。

僕が最もなじみのある果物がある。メロンである。勘違いしないでいただきたい。僕は入院がちで差し入れのメロンばかり食べていたわけでも、メロン以下の果物は出ない贅沢な食卓を囲んでいたわけでもない。祖父母がメロン農家だったのだ。

実家からメロンが届いた

パッケージの段ボールがいつもと違っている。が、中身はもちろんいつものあの―薄いグリーンの、白い網目のまとわりついている、あのかわいらしい―

なかなか食べる気になれない。きっと中にはいつものオレンジ色が詰まっている。切って見ればきっと美しい、オレンジと、グリーンのハイライトが現れるだろう。今まで一度も美しいと思ったことのなかったその色が。だがきっと美しい。真っ白い貧弱な部屋の張り紙に映えるだろう。

メロンの香りをかぐ。美しい故郷の風景。しかし思い出は退屈だ。ビニールハウスの中で突っ立ている。湖の前で突っ立ている。またしても夕食後出てきたメロンにさすがにうんざりしている・・・もっと素直なガキだったら無邪気な美しい思い出ですんだのかもしれない。

美しいのはメロンのほうだ

過去の思い出ではない

だが次第に―甘美なメロンの香りの中に、思い出の中の鬱屈とした何かは霧散していく。その網目の紡ぎだす旋律の中に、僕の声は飲み込まれていく。そのみずみずしい二色の輝きの中に、僕の顔はかき消されていく。

 

消えていく・・・あのグリーンとオレンジに、不似合いな記憶、全て―

むせ・・

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むせるほど過剰で過激なロマン主義による、一大誇大妄想的音響詩を鳴らす“世界最強の3ピースバンド”、それがMUSEである。

中学の時初めて聴いた時、つい「むせ」と、発音してしまったが、正しくは「みゅーず」だ。いや、いっそのこと「むせ」でもいいと思うが。

1月12日は彼らの武道館公演であった。正直はじめは行く気はなかった-というのも、彼らの去年の作品”Resistance”が、個人的には年間ベスト20にも入らないであろうという作品だったからだ。前作”Blackholes and Revelations”は大好きだが、近作は前作の変態路線が無秩序に拡大し始めて、キリコの「愛の賛歌」を狩野一信がワーグナーにあわせてブレイクダンスを踊りながら模写した、みたいな、あまりに過剰で逆に崩壊寸前という作品になった、ように感じるからだ。

しかしながらMUSEはライブバンドとして絶大な支持を集める。これを見逃す手はない。とおもいて某Yo_Iさんとともに武道館へ、行った。

会場はほぼ満席。やはり人気だ。グッズ売り場には百メートルは優に超える列ができていた。

一曲目はやはり”Uprising”一気に会場はMUSEの1984年的SFワールドへ。それから怒涛の”Map of the Progrematic”"Super Massive Blackhole”"New Born”"”Hysteria”というファン垂涎のヒットパレード。こうなるともうフロアに両足をつけて立っているものはない、と、思いきや一階中央席すわっとるし!何しに来とるんだ!?

その後一転してスロウなナンバーに、と思いきや直後に“Dead Star”でくぎを刺すあたりさすが。マシューの左手には一体指が何本あるのやら。そして問題の「クイーンっぽい」“United States of Eurasia”・・・さらに「君のひとみ恋してる」のカバーで日本のファンにサービス・・・ヒップホップ調の”Undisclosed Desire”・・・タイトルトラック”Resistance”・・・しかしこのあたりは正直個人的にボルテージが下がった。MUSE的にはライブ向きの曲では決してないように思われるからだ。

14曲目は待望の”Starlight”ここで会場も割れんばかりの手拍子で一気に盛り返す。三人も止めをさしてやると言わんばかりに”Time is running out”そして近作随一の破壊力”Unnatural Selection”。”no, (hey!)chance, (hey!)to fate, (hey!) …it’s a unnatural selection …I, WANT, THE TRUUUTH!!!  ” もう右手を突きあげずにはいられない。

ここでいったん三人はアウト。アンコールは”Exogenesis: Symphony, Part 1: Overture”から。やっぱりやるのね、これを、ライブでも。でも何故ガチャピンの着ぐるみなの?というMUSE式「交響曲」。続いて人気曲”Plug in Baby”みんな待ってましたと言わんばかりだ。でも最後の”Knights of Cydonia”こそが文句なしのベスト。まさにアンセム。

 

なぜ彼らはこんなに人気があるのか?なんせヨーロッパはすでに完全制覇、という感じだ。日本で人気が出ない理由もないのだが、彼らはとにかくトレンドもマナーも関係のないバンドだ。マシューのファルセットと超絶的なギターとそのSF趣味にセクシーなルックス、というだけでバンドの怪しいキャラクターは出来上がっている。その点苦労しているColdplayやThe Killersとは違う。しかもワンマンチームではなく残りの二人もバカテクだ。彼らはとにかく気の向くままに膨張できた。興味のあるものを自由に取り入れ、ソングライティングの能力もいかんなく発揮して、ある意味どのバンドよりも誠実なバンドだ。ライブの演出もそう、やりたい放題で打算はない。多分迷いもない。故に力強くてなんとも痛快。同時多発テロの2001年にみんなが沈んでいる中、”Origin of~”みたいなキラキラした作品は普通作れないだろうと思う。

確かに近作のMUSEもMUSE以外の何物でもない。近作で孤高のバンドとして地位を完全に固めたようだが、僕はやはりそれでは不満。”Knights of~”は前作の曲だろ!と突っ込まざるを得ないので。まぁ、彼らにはそんなの関係ないのか・・・

 

 

 

こころもようの絵画

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今年の夏、京都の大山崎山荘美術館で私立の美術館の偉大さに気づかされた僕がずっと行きたがっていた美術館。が、千葉の川村記念美術館。

収蔵してる作品がすごい。ルノワール、モネ、シャガール、ピカソ、ブラック、マグリット、エルンスト、そしてポロックと印象派以降のビッグネームがズラリ、ズラリと。なんだかレンブラントだけ歳食いすぎてて一個ハブられてる感じなんだけど(笑)

これだけでも国立顔負けだが、片道1240円もかかるからにはそれだけではない。ニューマンルームなるものと、世界に四つしかないといわれるロスコルームなるもの備えているというのである!

 

何の話だ!

って最初はしょーじきわかんなかったのだが、ロスコもニューマンもポロックと同時期の象徴主義の画家らしい。それを九月から予習しておきながら感じたのは、駒場の壁を真っ赤に染めたのってロスコ意識?ニューマン意識?なんて。そう、ロスコやニューマンの作品というのは、多くが壁を1色~3色程度で塗るものなのである。

ネットで見ると、おれも幼稚園のころこんなの描いたぞ!と思うかもしれない。「『瞑想する絵画』ロスコ展」なんてコピーもいかにも大袈裟。評論家が芸術いえば芸術というような時代だし、むしろ「迷走」の間違いじゃないかなんて、馬鹿にしてられるのも、かの部屋に入るまでである。

 

部屋には余す壁なくロスコの壁画が掛けられている。茫漠とした光の中で、彼の茫洋とした絵画は一層ぼんやりとして、部屋のどこか深いところに沈み込んでしまっているかのようである。

一面のえんじ色に、赤のゆがんだ四角形が浮かび上がっている、この部屋にあるのはすべてそういう絵だ。壁画の正面に立っていると、自分の心もどんどんその深みに沈んでゆく感じがする。音もなく、静かに沈んでいく。自分の精神の中を覗き込んでいるかのような感覚。

四角形は何かこころに浮かんだはっきりしたもの、言葉のようなもの。しかし四角形の中央の空間は・・・決して言葉に表れることのないぼんやりしたものだ。だからこの壁画の前に何時間と座って眺めたところで、そのぼんやりの一番底まではたどりつかないだろう。どこまでも深い、こころという言葉の深さほど深く広いえんじ色である。

僕もこの部屋で二十分ほど瞑想にふけっていた。いや、この部屋ではそうするしかないのであるが。

この七角形の部屋の狭さ、照明の判然としない色、床の地味な色、どれも絵と客が最適な関係になるようデザインされているのだろう。「作品と個々の観客との関係性の中に芸術の価値がある」とかいう屁理屈めいた芸術理論を、初めて理屈なく理解できた気がする。何ら奇抜でもなく、美しくすらもない図形。それでも僕が見ると、僕自身のこころの拡大図になってしまう。

 

すっかりロスコのとりこになった僕だったが、この日長居する時間はなかった。なんせ都心から二時間半もかかる。飯も食べていない。しかも雨が降っている。一人で遠出するといつも雨が降る。雨男?・・・すべての展示を見終えたが、ロスコの部屋には戻らず、結局ロスコの画集を買って、帰った。ニューマンについては・・・よくわからなかった。

でもやはり違うんだな。A4では、ロスコといえない。いつか自分の家の壁の一面に、あの絵を飾って一日中ぼんやり眺めていたい。

 

 

電車の中でのセットリスト、暗いのから明るいのへ、っていう感じになりました。

Humbug(Arctic Monkeys)~In This Light And On This Evening(Editors)~Live at The Annandel Hotel(Life Without Buildings)~Emergency And I(The Dismemberment Plan)~Insignificance(Jim O’Rourke)

Life~は飲み会の時買ってたやつです。Jim O’Rourkeに取材に行けたらなんて身分不相応の望みを抱いていたりして。

 

ちなみに明大前で坪井君に遭遇しました。「この奇跡、どうしようか」との彼の問いに「この場で噛みしめればいいんじゃない・・・?」と答えた自分。なんともエスプリのきかない答え・・・勉強しましょう。。

 

 

 

 

 

ポストモダン焼き

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―南北線の長いトンネルを抜けると猫ビルであった。眼の下が黒くなった。お手洗い所に息が止まった―

の出だしで始まる有名な小説「猫ビル」・・・嘘です。

 

 

この駒場祭の期間中、様々な体験をしたが最も新鮮だったのはやはり猫ビルでのテツヤである。

猫ビルの蔵書の量、その構造、仕事場の状況、先輩達の仕事風景、そして立花先生のマジックアワー・・・すべてが衝撃(一部、笑撃)だった。

あのトイレの魅力をどう伝えればいいのだろうか。

ビル中に雄々しくそびえ立つ本棚の、その一架も。 帰るはずのない床面にその居場所を求めざるを得なくなった無数の本たちの、その一冊も。 その扉の向こうへは、歩みを進めることを許されず。 不当と無秩序に満ち満ちた、階段と、仕事場は、歯牙にもかけずに。 自らは平静と調和と孤独を持って。 常に、知の高みへと登らんとする我々の前に。 一輪の、 意味の砂丘の中に咲く、無意味性のオアシスとなって。 その白い流線型は立ち塞がるのである。 さながらかのマルセル・デュシャンによる、「泉」のように。

まだ見たことのないゼミ生の皆さんも、ぜひあの部屋に一人で入って、途方に暮れてほしいと思います。

 

それからモダン焼きである。

とりあえず午前四時のモダン焼きはやめた方がいい、と言っておきたい。(周囲から「ポストモダン!」と呼ばれる羽目になりますよ)

 

いや、実際はモダン焼きは美味しく戴かせてもらった。

僕の中でモダン焼きという存在は、遥かに幼かった頃の記憶の一ページだ。

小学生、いや幼稚園生の頃だろう、よく家族で食べにいったのは。僕はモダン焼きの存在が気に食わなかった。「なんで一人だけカタカナなんだ!ただの焼きそばが入ったお好み焼きに過ぎないじゃないか。」お好み焼き屋のメニューを見つつ、生意気な幼稚園生はそう考えていたのである。兎に角気取ったものが大嫌いな小生であった。

調べてみてもモダン焼きの名前の由来はよくわからない。

作られたのは70年代初めらしい。もはやレトロ焼きと呼んでもいいぐらいだ。

そもそも何をもって「モダン」であるのか?焼きそばは戦時中作られ、戦後一般的に食べられていたらしいし、お好み焼きの歴史ははるかに古く、江戸時代以前にさかのぼるという。

しかしよく考えてみると70年代といえば、そう、インスタント麺が食卓に登場した年代である。71年に初のカップ麺「カップヌードル」、74年には初のカップ焼きそば「エビスカップ焼きそば」が生まれる。

もしかすると焼きそばは当時のモダン・エイジャー(またつまらぬ造語を作ってシマッタ・・・)の食べ物だったのかもしれない。

同じ原理でいえば現代のモダン焼きは、名にし負わば、ウィダーかカロリーメイトかSOYJOYあたりを混ぜたほうがその本懐を遂げるというものなのだろう。いずれにせよポストモダンに生きる我々に今更モダンなど野暮な言葉だ。(70年代も微妙な気がするが・・・)モダニズムの文脈のモダンなら「もだん」と書いてくれたほうがわかりやすい。

 

 

そんなこんなでポストモダンを正直よく理解していない僕から提案~

「聖書に焼きそばを挟んで焼く」、これってポストモダン焼き

だったり