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「ランジェ公爵夫人」を観た。

 

 ジャック・リヴェット監督による 「ランジェ公爵夫人」を観た。

手短に感想を言ってしまえば、これはたいして面白くなかった。

バルザックの小説を映画化したものであるから仕方無いと言えば仕方無いのだが、持ってまわったようなシーンが長々と続いて

段々と飽きてくる。一言喋るごとに公爵夫人が立ち位置を変えるのをずっと見ていると「何だかなあ」と思わずにはいられない。

読み飛ばせる小説と異なり、映画はどのシーンも同じスピードで見るものだから、そこに緩急がつけられないのは苦痛であった。

まあそれはともかく、最後まで見終わって、この映画の通奏低音は映画論的な用語で言うところの「不在」ではないかと感じた。

公爵夫人と将軍の関係は将軍が夫人の前から姿を消した時(=第一の不在)に逆転する。そしてまた、後半で将軍の前から

公爵夫人が姿を消した時(=第二の不在)、再び逆転する。求める相手が不在だからこそ一層求め、捜し求める。

このように不在が強く表象されているのは、将軍と夫人の二者関係だけではない。種類の違う不在が表れている。すなわち、

恋愛は恋愛する当事者以外にとっては無関心なものである、という「他者の不在」性が至る所に散りばめられている。

例えば、「毅然として」や「悲劇だ」という単語を乱発すると文学的になる、といって将軍の友達が笑う場面があるが、

その友達は知らずとも、「毅然として」「悲劇」などといった単語がまさに将軍と夫人のやりとりそのものであったことに我々は気づく。

恋愛が二者の中で完結している事をほのめかす、ある意味ではこの映画一番の名場面である。

つまり、恋愛は当人以外にとっては何の価値も持たないのだという事が暗示されているのだ。

ラストのシーン、「もう女ではないから海に捨ててしまえ」という場面も同様に考える事が出来るだろう。

詳しく書いてしまうとネタばれになるからこれぐらいにとどめておく。あまりお勧めしたいと思う作品ではありません。