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ひとりで。

 

夏は吹奏楽の季節だ。また今年も、はじめての中学校からお声がけ頂き、吹奏楽指導をさせて頂いた。

指揮する曲は、指揮を習い始めて間もない頃、吹奏楽指導へ赴く師匠に同行させて頂いたときの曲だった。

あのとき僕は、言葉なしに棒だけで音楽をがらりと変えてしまう師匠の凄みを、そして指揮という芸術の恐ろしさを目の当たりにした。

その瞬間のことを思い起こしながら、僕はいま、ひとりで中学校への道を歩く。この夏はあの夏よりも暑い。

時間が経ったのだ、と唐突に思う。だがしかし、過ぎた時間を惜しむことも、過ぎてしまったものに慌てることもしまい。

 

四楽章

 

1.名前をつけるとすれば、それはDevenirであり、L’airということになるだろう。

そしてこれこそが固有の時間と空間-そして音-を作り出す決定的な何物かに直結している。

 

2.芸術家は想像力が全て。湧き上がる想像力に対して、練成した技術で応えていく。その順序が逆であってはならない。

リハーサルののち、斎藤秀雄の指揮で弾いていた、という偉大なヴァイオリニストの先生がぽつりと語った言葉に震える思いがした。

 

3.夢を諦める瞬間がなぜ来るのか。それは夢の可能性が現実の重さに屈服するからだ。

一年前の自分は、現実をはっきりと見る事無く、それでいて、なんとかして現実を納得させてやろうと奮闘していた。

今は違う。襲いかかってくる現実を認識してもなお、凪いだ心で、自らの夢の持つ可能性を信じることができる。だから、もはや動揺することはない。

 

4.見出したものは、全て一言で表すことができる。それは「愛する」ということだ。

忘却でも赦しでもない。ただ「愛する」ということなのだ。

 

結晶の精神

 

リルケと世阿弥とコクトーが、同時にきっかけをくれた。

ここ数週間、いや長く見れば一年半にわたる負荷を経て、そしてまたここ数日の「文字」で座禅を組むような時間を経て、天に穴が空いた。

それは言葉にならないものだけれども、明確に違う次元なのだ。

 

海の微風が静かに吹く、嵐のあとの境地。

無関心とは違って凪いでいる。文字通り波風立たぬ平面でありながら、再び嵐を巻き起こそうと思えばそうすることもできる。

細かいことがどうでも良くなるような大きな海、それでいて、無限に細やかな波紋を刻み付けることもできる海。

明鏡止水、水鏡無私。水鏡無私,猶以免謗,況大人君子懷樂生之心,流矜恕之德,法行於不可不用,

おそろしく均衡の取れた領域が広がる歓待の空間。この延長上に目指すべき境地があることを確信する。

ここからスタートして、精神の強度を高めていくのみ。

 

雨上がりの紫陽花、合わせ鏡の境地

 

一年前に師より託され、師に代わって教えさせて頂いている門下の後輩の演奏会を聞いて来た。

レッスン、という言葉は未熟な僕には尊大にすぎる。一緒に勉強した、という言葉が適切だろう。

樽屋雅徳 「ゲルダの鏡」。すっかり僕も暗譜してしまっている。

テンポや拍子の揺れもそれなりにあって、決して簡単な曲ではない。(そもそも簡単な曲などない)

しかしそうした問題は練習の中でクリアされていったし、本番でも実にスムーズに奏者を導く事ができていた。

もちろん課題は沢山ある。けれども本番の彼女は、二つの意味で良い棒を振っていたと思う。

 

一つは、迷いの無さだ。

僕自身の課題でもあり、そしてそれゆえに、毎週終電近くまで共に勉強するうちに彼女に何としても伝えたかったことだ。

迷いの無い指揮。自分、それから一緒にステージを共有する奏者を信じること。

それがどれほど大切なことで、同時に、どれほど難しいことか。

 

もう一つは、指揮がずいぶんと大きく見えるようになったことだ。

一年前に同じコンサートで指揮する姿を見たときよりも格段に大きくなった。一年間の成果があったと思った。

なぜならば、師が一年前に彼女の指揮を見て僕に伝えた事は、「もっと大きく振れるように」ということだったからだ。

大きく振る。それは単純なことのように聞こえるかもしれないが、精神的にも身体的にも様々な困難を孕む本質的な問題なのだ。

コンパクトに纏まった若者ほどつまらないものはない。機械的に振る指揮者ほど触発されないものはない。

伝達のために整理整頓されながらも、自分の壁を突き破り、何かが溢れ出してこなければならぬ…。

 

帰り道、雨上がりの紫陽花の美しさに魅せられながら、僕がdevenir (生成-未来)と呼んでいる一つの動きのことを考えた。

師が何気なく行うその一つの動作。それは自由な動きなのだけれども、針の穴を射抜くほど精密な動きでもある。

今日の演奏会を見ていて、その動きの本質に一歩だけ近づいた気がした。見えなかった<意味>が僅かに見えて、その壮絶な繊細さに紫陽花の青を重ねてゾクリとした。

 

教えさせて頂く立場を経験してみればみるほどに、そして振れば振るほどに、師の凄みに突き当たる。

全人生を賭けても届くか分からないその境地の遠さを思う。

 

雨上がりの紫陽花(Lumix G6, Lumix 20mm F.1,7)

 

 

 

 

 

残響

 

 

今日はお世話になっているヤマハの発表会でステージマネージャーをさせて頂きました。

自分の出番が無いと楽かと思いきや、逆に気が張るものです。

椅子を並べ、譜面台を出し入れし、ステージへのドアを適切な呼吸とリズムで開ける。

少しでも奏者にストレス無く弾いて頂くためにはどうすれば良いか、と頭を使う感覚は、指揮しているときと共通しているものがあって

立ちっぱなしの七時間でしたが沢山学ぶ事がありました。と同時に、自分が指揮させて頂くコンサートの一つ一つが出来上がるために

どれほど多くの方々 の力に支えて頂いているか、改めて確認する時間ともなりました。こういうことをいつまでも心に留めておかねばと思います。

 

会場であった明日館は僕の師匠が愛したホールで、師の指揮するブラジル風バッハを初めて聞いた場所でもあります。

あのわずか数分によって僕の人生は決定的に動かされました。

悲しくもないのに涙が溢れて止まらない、一生忘れる事の出来ない時間。人間は棒一本でこんなことが出来るのかと絶句した時間。

きっとこのホールの壁のどこかに、あのブラジル風バッハが染みている。

思い出のハイドン・バリエーションが響き渡った終演後、人気が無くなった会場に佇みながら、五年前の秋のことを思い出さずにはいられませんでした。

 

はじまりの明日館

 

 

たとえば。

 

少し前に一緒に演奏した人たちが、27歳を祝う会を開いてくれて、また一緒に演奏したいと言ってくれる。

それだけで指揮者をしていて良かったと思えるし、今の自分が幸せであることを信じて疑わない。

一方で、指揮とは何であるのか、どういうふうに生きて行けば良いのか、悩む事は限りない。

けれども。この真っ直ぐな幸せを忘れないように自琢せねばと思う。

 

マニラとセブで指揮します。

 

昨日はたくさんのメッセージを頂きありがとうございました。

27歳を忘れ難いものに出来るよう、精一杯頑張って過ごしたいと思います。

 

さて、公に告知しておりませんでしたが、今年の八月・九月にマニラとセブで指揮させて頂く事になりました。

今年の二月にご一緒させて頂いたUUUオーケストラの2014年度夏期プロジェクトで、それぞれManila Symphony Orchestra、Cebu Philharmonic Orchestraと共演することになります。

二月にフィリピンに行くまでは、正直なところ「どうなのかなあ…」と思っている部分もありましたし、音楽に一体何が出来るのか、ある種の無力を覚えたこともありました。

けれども、向こうで日々を過ごして帰って来た今、誇張抜きに人生が変わるほど鮮烈な経験を味わえる素敵な取り組みだったと思えます。

もう少しだけ奏者公募もしているようですので、ご興味のある方はぜひ。8月23日から9月1日がマニラのプロジェクト、9月6日から15日がセブのプロジェクトとなっています。

(ちなみに僕は、8月17日が神奈川で本番、18日から20日が宮城県で演奏旅行、23日から9月1日までマニラ、15日までセブ…という、ノンストップで充実したスケジュールになりそうです。)

 

指揮させて頂くにあたって、昨年のゲストソリストである朝岡さん、昨年のコンサートミストレスである会田さんからメッセージを頂きました。

僕のたった一人の師匠の生き方で最も憧れたことが、そして師匠から最も学びたいと思ったことが、共に演奏した方々に言葉無くして伝わっていたとすれば、それは限りない幸せです。

師匠が読んで下さったら「100億年早い!」と一喝されてしまうかもしれないけれど、奏者の皆様から頂いた言葉を裏切らない棒を振れるよう、今回も全力を尽くしたいと思います。

 

http://seven-spirit.or.jp/uuu2014/project/conductor.html

 
 

時は身をかたむけて

 

リルケ『時禱詩集』の中の一篇を読み直す。

ロダンとの親交を想起する言葉の様々な置き換えの中で、作品を「つくる」とはどういう営みであるのかが表明されているように思う。

静かな力強さ。作ることにいつまでも関わっていたいと改めて誓う。

 

27歳だ。僕は27歳になった。

27日生まれの自分にとってそれは特別な年齢で、小さい頃からずっと、日付と年齢が同じになったときに何かが終わることを(そして同時に、始まることを)根拠も無く確信していた。

尊敬する作家である永井荷風がフランスへ渡ったのが27歳であることを知ってから、より一層、この27歳という数字に「出発」のイメージを重ね続けて生きて来た。

 

27歳。僕は出発できるのだろうか。出発に当たってはこの2年を整理しなければならない。

大袈裟な言い方をすれば、この2年はいわば実存の危機で、極めて苦しい時期だった。

作るということはどういう行為であるのか、自分とは一体どういう人間であるのか、自分がどうしてオーケストラをやっているのか。

全てが分からなくなった時期を経験した。27歳になるまでにこの暗闇を乗り越えることが出来なかったら、あらゆるものを辞めようと決意していた。

音楽とは、指揮とは何だろう。技術のことは徐々に理解して行っても、やればやるほどに「精神」が分からなくなったのだ。

指揮台に立つ者として引っ張って行くべきなのか、それとも一緒に作って行くべきなのか。25歳のあの日から、そのバランスに苦しみ続けた日々だった。

おそらくこれほどまでに多くを喪失した二年間は無かっただろう。たくさんのものを身につけたと同時に、たくさんのものを失った。

 

しかし今年の2月にフィリピンで指揮した日々を経てこの苦しみに一つの回答を見出した。そして、それを多少なりとも実現することが出来たと思えた。

言葉にしてしまえば何ということはない思想。それは「信じる」ということだった。

上に掲げたリルケの『時禱詩集』はこうした背景で今の自分に強く響く。絵を描く修道士の語りという体裁で紡がれる詩の数々。

キリスト教の神というよりはむしろ、「作品」の生成行為に対して、リルケは祈りを捧げているように思えるのだ。

 

「信じる」ということを信じて27歳を出発する。

運命的に出会ったもう一篇を置いて、26歳の日々を、苦しんだ二年間を終わりにしよう。

見出したものの全てはここに宿る。他でもない楽神「オルフェウス」への讃歌に!

 

 

Sei allem Abschied voran, als wäre er hinter
dir, wie der Winter, der eben geht.
Denn unter Wintern ist einer so endlos Winter,
daß, überwinternd, dein Herz überhaupt übersteht.

Sei immer tot in Eurydike -, singender steige,
preisender steige zurück in den reinen Bezug.
Hier, unter Schwindenden, sei, im Reiche der Neige,
sei ein klingendes Glas, das sich im Klang schon zerschlug.

Sei [...]

断章

 

最後という言葉を使いたくはないが、それはブラームス一番の二楽章になるのかもしれない。

僕が最初に海外のオーケストラに接したのはこの音楽で、はじめて涙したのもこの音楽だった。

春らしい陽気と突然の雷鳴が交差する一日。やるべきことの殆どが手につかず、じっとこの楽譜を見つめ続ける。

振って聞いて書く

五月の週末も音楽で充実。金曜夜にブラームス一番の下合わせと初級の方々のレッスンを日が変わるころまで。

そして土曜朝からシベリウス七番のリハーサルのち、友人の室内楽コンサートで赤坂カーサ・クラシカ。

日曜日は大学院の同期が出演する池袋ジャズフェスティバルを堪能。ブラック・ミュージックを主に取り上げたセットで、レイ・チャールズ・メドレーが格好良い。

カーサ・クラシカは室内楽コンサートをした思い出の場所。あの壮絶なショスタコーヴィッチは忘れられない。

そしてジャズフェスティバルみたいな野外コンサートに接すると、フィリピンでUUUオーケストラと演奏した日々のことを思い出さずにはいられない。

これからもリハーサルが無い週末は出来る限り友人たちのコンサートに足を運びたいなあと思いつつ、昼からビールを飲みながら上機嫌に論文執筆。