元旦に計はたてない

あけましておめでとうございます。 みんなにとって大変な年末も無事に乗り切り、穏やかに年越ししておりました。とりあえず新年はスタードダッシュはしません(笑)

一年の計は元旦にあり

という言葉に何年だまされ続けてきたことか。 1月と4月は力んじゃだめです。空振り必死だから(笑) 今年は毎週2冊ずつ本を読もう。 忙しくても週1本は劇場で映画を見よう。 毎月3万円ずつ貯金してゆこう。 などなど、今月が終わる前に立ち行かなくなることは目に見えている。 変な力を自分に加えず、ゆったりと暮らしていると 2月頃には自然と何かやりたくなってきて、 普段であれば手をつけなかったようなことをしだしてしまう。 読まなきゃと思って読んだ古典は面白さ半減。 気になって手に取った古典は何かの起爆剤。

それをじっくり待ちつつひなたぼっこをしよう。

(けどこういうことばかり書いてると、常に必死にがんばっている人たちから白い目で見られてしまう。)

文字起こし

これがなかなかつらい。 森見登美彦先生(本人は「森見さんと呼んでくれ」といってくれる)へ取材に行ったときの文字起こしがなかなか進まない。

聞くところによれば1時間分の録音を文字起こしするのを5000円で請け負うところもあるのだとか。 まぁ、それだけしんどい仕事ですわな。

しかし、やはり森見先生のお言葉。 取材中聞いているだけで勇気が湧き、自分も何かしらを書きたいと欲求させてくれた。その録音を聞きながらキーボードを打ち鳴らす。なんとも楽しい時間ではあります。

このままでは年内に終わらぬ。 年越し文字起こし(妙に語感が良いな)にならぬようがんばるだけです。

護国寺講談社

今日はファウスト編集長の太田克史氏への取材。 ゼミ生2人とともに護国寺を訪ねた。

太田克史氏は自らは語らないようなことはこぼすように、日頃口には出さず飲み込んできたものは晴らすかのように、様々な事柄について、セーブすることなく語ってくれた。

取材序盤で、我々が氏のスタンスについて、大いなる誤解をしていたことが発覚し、戸惑った。そう。太田氏は脈々と流れる文学史に反旗を翻そうとしているのだろうという我々の予想を裏切り、迷走気味の文学界の将来像について熱く語っていただいたのだ。

本当にありがとうございました。

他にも今日は、いい一日だった。

明日からはParkerに加えてCROSSを使おう。

出版点数クロワッサン

 

出版点数が恐ろしいまでに増加した。

 

 

その数は、一人の人間が読み切れる分を遥かに凌駕し、かつ内容は、全て読み切りたいと思えるほどではない。

出版社の売り上げは落ち込み、派手なキャッチコピーの帯をまとった、あっという間に読めてしまう本を大量散布するしかなくなっている。中高生はリーダビリティの高い本(すらすら読める本)に群がり、ラノベを買い漁る。ブックオフが繁盛する。

 

漠然と「こんなんでいいのか」と思わずにはいられない。最後に何度読み返したって良いと思える本が出版されたのはいつか。話題性でベストセラーが作り出され、数ヶ月で飽きられ、店頭に並ばなくなる作家が何人いることか。数あまた乱立する文学賞受賞者のうちどれだけの作家の名前が3年後読者の記憶に残っているか。そんなつらい状況で文筆を生業としている人たちはどう感じているんだろう。編集者は?

 

現在の出版界は苦しい状況に置かれている(と関係者は語っている)。しかしこれは単に出版社が悪いのでも、本が売れない状況が悪いのでもない。突き詰めて考えれば、そんなちっぽけなことではなくて、日本の文学界の未来がなかなか見えてこないことが問題なのだ(と思う)。

 

日本のこれからの文学を担うのが天才小説家か、敏腕編集者か、新進気鋭の批評家かは分からない。ただ、現状に辟易し自らの延命措置しか取っていない人々は「消費財」としての作品を提供し続けるだけだ。なんとかしたいなら、未来を望んでみなくてはならない。

 

ただ、一抹の不安がよぎる。この先には文学を消費すべき時代が待ち構えていたりして(汗)

いのち短し恋せよ乙女

11月19日、文学企画は某所で小説家の森見登美彦先生に取材を行った。風邪気味でいらっしゃったのに時間を割いていただき、大変素敵なお話を聞かせていただいた。ここでのこれ以上のコメントは控えておこう。

森見登美彦は、一時期東大駒場生協の売り上げワンツースリー全て氏の作品でブロックしていたほど学生に人気の作家である。 取材の内容は今月中に本家「見聞伝」にアップされるはずであるので、そちらをお楽しみに。あくまでも「はず」です。

ところで、このところ取材に繰り出したゼミ生がその後ぱたりぱたりと床に伏すという怪現象が起きている。

まさか?

もちろん、単に風邪が流行る時期にしかるべく風邪に罹っているだけである。ぼくも例外ではない(汗) ごほごほ。

そんな交代で療養生活を送るぼくらを見て、喜ぶ人がいる。熱狂的な森見登美彦ファンの女の子である。彼女はぼくらを見ては「森見風邪?」と目を輝かせながら訊ねてくる。その目の輝きは明らかに羨望の眼差し。

久々に、恋する乙女を見た。

東大ウォーズ –新たなるイカ東–

コンシャスだから分析するのではなく、毎日目にしているから分析するのです。

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毎日せっせと駒場に通っているとどうしても網膜に映ってくるイカ東(いかにも東大の略)。チェックのシャツに、中学生から使っているリュックを背負って、薄汚れたナイキのスニーカーを履きこなす彼らは秋葉系と共通するファッションである。さらに筋金入りのガリ勉で、同類以外(特に女性)とのコミュニケーション能力を欠く。ひと世代前のようオタクである。 東大と言えば、上記のようなガリ勉男子が想起されることが多い。だが、東大構内で生活していると、いわゆるイカ東はごく少数派であることに気づく。むしろいつの間にか、アメカジファッションで「俺ら遊べますから」と言わんばかりの態度で交友に積極的そうな人々の方が多数派になっている。 友人H氏はそんな多数派の彼らに称号を与えた。 「ネオイカ東」である。 Continue Reading

次なる取材

ぼくが比較的深くコミットしている文学企画がこの頃活気づいています。 森見登美彦先生が取材を快諾してくださったのを皮切りに、次は講談社BOX(?)の太田克史様です。 しかし、本人とコンタクトを取るまでが大変だった。 まず肩書きというか所属がよく分からないが、とりあえず講談社文芸局にお電話をさせていただいた。そこで「回しますね」と言っていただくが繋がらず、その場では下4桁が異なる電話番号を教えて戴いて、後ほど直接かけ直すこととなった。「よっしゃ直電GET」などとテレクラのおじさんののうに気分が盛り上がった。 はやる気持ちを抑えながら、教わったばかりの番号に掛ける。しかし、誰も出る気配はない。さらにその後一週間くらい毎日、戴いた「直電」にコールしたがいっこうに誰も出ない。 多忙すぎて知らない電話番号は相手にされないのではないか、と古来より日本人が得意としてきたネガティブ思考が増幅していった(笑)直電GETしても出てもらえるとは限らないんだなぁ…と切実にテレクラのおじさんの気持ちを味わうことになるとは。テレクラを舐めていた。 他に打開策もないので講談社文芸局に再びアタックする。すると、「最近社内で引っ越しがありまして」という新たな情報。少々待たせて戴いた末「講談社BOXの方へ掛けてみてください」という新たなヒントを得たのだった。 講談社BOXはワンコール目で受話器を取る人がいる恐ろしいところ(笑)都合3回掛けたがどれも一瞬で「はい、講談社BOXです」というはつらつとした声が聞こえてきた。 最初の2度は太田克史氏が外出中だったが、3度目で取り次いで戴く。携帯のスピーカーから聞こえてくるのはにこ紛れもなくゼロアカ動画でお馴染みの氏の声。 粘って良かった。

いかんいかん。

いけないいけない。 blog的な物を公開していてもすぐに更新が滞るから良くない。 1/3,2/3などと投稿しておいて最後の3/3を投稿せずにいるなんて良くない。 用意していたはずの結論がどこかに行ってしまい、なかなか3/3が書けなさそうなのも良くない。 本当にわずかながらいらっしゃる読者の方にはごめんなさいをして、書き続けられる程度にダウンサイジングをして、リスタートいたします。 ダウンサイジングは内容の劣化を意味しない。 これ以上劣化する内容が今のところない。

ライトノベルって何なのか 2/3 〜まだ結論ではない〜

だいたい、ライトノベルについてよくも知らないくせに横やりを入れたら以下な感じになる。 【要は自分が関わったことがなく また足を踏み出せない分野に対する 多少のやっかみからくる 的外れな批判 である。】 そりゃ確かに。 ライトノベルの良さは認めよう。 ライトノベルは読みやすいし面白いしページがどんどん進んで行くのは気持ちがいいしどんどん新刊が出るし。 ラノベを読む人を否定するつもりもない。 今ぼくは、お腹の虫が食べ物を要求し始めていて、 もしかしたらちょっといらいら気味だから こんなことを書いているのかもしれない。 それでも、ラノベに違和感を隠せない人は少なくないのではないかと思う。 簡単に言うと やっぱりラノベばっかり読んでいるのは何か違うんじゃないかなぁ。 なんでぼくがラノベにアンチを突きつけるかというと そう、例えば15年後、小学3年生に進級する自分の娘の 最初に読む文庫本が『撲殺天使ドクロちゃん』や、 彼女が8歳にして「憂鬱」などという 難しい漢字の本を手に取る漢字少女になるとは思えないが、 『涼宮ハルヒの憂鬱』であっては欲しくないのだ。 【この二冊はあまりにラノベ極右なチョイス】 本当ならば、ジュールベルヌの『十五少年漂流記』であったり、 自分の所持金が五千円を下回る話ではないが、 o.ヘンリの『最後の一葉』であって欲しい。 もちろん時にラノベを大量読破することも、 ぼくは、まためんどうなことになったなぁ、 などとは感じずに、そっと見守ろう。 それでもラノベしか読まなくなってしまっては、 ふぅ今日は燃えるゴミの日か、とゴミ出しに行きながら 娘ならこれを萌えるゴミの日だと言って喜ぶのだろうか。 などという朝を毎週送る羽目になる。 ラノベは食べ物に例えるならば、 ”ジャンクフード” になるだろう。 そうぼくのお腹の虫が先ほど消化しきったやつだ。 そして、Meをsuper sizeにしてくれるやつだ。 ライトノベルを有害だというつもりはないし 読むに値しない物だとも思わない。 けれど主な読者層である中高生が、 彼らのおそらく 最 も 多 感 な時期を ラノベしか読まずに送ってしまうのは いささかもったいない気がしてならない。 話はやや観念的な方向へ歩みを進める。 芸術や文学の定義を変え、広げようとしている人がいる。 もっと柔軟に、ライトノベルも文学だし ニコニコ動画も芸術だと見られるようなコンセプトを打ち出したい。 そう考える人がいる。 それはそれで結構なことだし そういう人が全くいない超保守社会もおもしろくないだろう。 だけどそのせいでタニザキ潤一郎やミシマ由紀夫を 「ツマラナソウな方の文学」だとして 読まなくなってしまう人が出てきては悲しい。 ぼくが本屋におけるラノベの最前列書架への大行進 に対して抱く恐れは マクドナルドが屋台を駆逐しながら店舗を増やす足音 に対して抱く恐れと同種の物である。 ぼくは別に薄っぺらいハンバーガーや 歯ごたえのないフライドポテトも嫌いではないし 月に一度くらいは、視界の墨を猫が横切ったなぁとか 駒場ってなんでこんなところに公衆トイレがあるのだろうか とか思いながらも、ともかく無性に食べたくなる。 けれど、いかにそれが美味しくとも 自分の子供に限らず友人にでも マクドナルドだけの食生活は送って欲しくない。 そのような生活を送った結果は 某映画をTSUTAYAでレンタルして観ればわかる。 P.S ぼくはスキーは八方尾根のある白馬へいくのですが お昼に何食べよう、と携帯で 白馬駅前の美味しいお店ランキングを調べていたら 第4位にマクドナルドがランクインしていた。 以上はかつてヒロセがmixiで公開した物を一部改訂したものです。 次回、結局、ライトノベルってなんだったのか という結論に到達いたします。

ライトノベルって何なのか 1/3

ライトノベルの定義についてはぼくは議論しません。ぼくはラノベを読んだことがないからです。 様々な人が レーベルじゃない? 表紙・挿絵が萌えるかどうかだろ? 森博嗣とラノベの区別は? とか言っています。 個人的には今まで見たことのあるラノベの定義の中では東浩紀が支持する大塚英志の定義が最も的を射ていると思います。一言で言うと「ラノベはキャラクター小説である」ということになる。 ライトノベルを読んだことがないぼくだがイメージが先行する世界に生きている以上、ライトノベルについての知識や感慨は持っている。なのでこれから書くことは直接感じたことで論じる印象批判ではなくて二次的に知った知識での印象批判となる(笑)まぁこれは学問的な価値はほぼゼロに等しいという事です。 次回、ラノベについての二次的印象批判(アンチラノベ論) 次々回、それへの印象反論(アンチアンチラノベ論)と、アウフヘーベン(笑)