ブログなんざ気が向かない限り絶対更新しないと思っておりましたが、ちょっと面白いことになったので書きます。
先日の池上先生への取材について行ったのですが、その時に先生がおっしゃっていた言葉の一つに認識論的革命というものがありました。
これはある知識や論理に触れたときに自分の中で世界を認識する方法が劇的に変わることを指したもので、池上先生はこれが楽しくて学問を続けているとおっしゃっていました。
私も言葉こそ違いましたが、似たようなことを考えていたのでこれを聞いたときになるほどと思ったものです。
ですが、今日行った福島研のシンポジウムはかなり趣向を異にしたものでした。
主題が学問の当事者性と言うだけあって、当事者と非当事者が別れざるを得ない学問、たとえばジェンダーや障害学についての話でした。
このパネルディスカッションを聞く限りでは、パネリストの方々が学問に求めていたのは自己解放、つまり自分や自分の属する集団の表現方法として学問を学んでいるということでした。
これら二つは完全に対立するわけではないでしょうが、かなり対応した関係になっているような気がします。
前者は学問の有用性などというものは気にせずに好きなことにのめりこめますが、生産性のなさを指摘されたり、社会貢献度の低さに関してはそしりをまぬかれません。
それに対して後者は学問で社会貢献ができますが、結論に自分の思想が入りやすく、また、発信者としての側面を必ず持たなくてはいけなくなり無駄なしがらみが多くなります。
どちらの学問的姿勢も一長一短で、十分検討に値するものだと思います。ちょうどいいタイミングで二つの異なる意見を聞けた自分はかなりラッキーでした。
みなさん自身はどちらの学問姿勢に近いでしょう。胸に手を当てて考えてみるのもいいかもしれません。