予備校の記憶:事始め
2006年3月。東大前期、不合格。
僕はすぐに河合塾への入塾を決めた。中期と後期で出願した、大阪府立大や九州大の結果は、まだ出ていなかった。
でも、僕は高校の「東大進学クラス」の雰囲気が好きだったし、(場所が変わっても)あの雰囲気でなら、1年余計に過ごしても全然苦ではないな、と直感した。
お世話になった高校の担任の先生のところに行き、「まだ他の大学の結果はわかりませんが、1年浪人しようと思います」と言った。
もともと九州大工学部志望だった僕は、高2になって以降、1年以上かけて、少しずつ東大志望に気持ちが変わっていった。その大きなきっかけとなったのが、この先生と出会いであったのは間違いない。先生も東大の経済学部出身だった。後期の結果も出ない段階で河合塾への入塾を即断したのには、「不合格のままなんて、せっかくここまで支えてくださった先生に申し訳ない」という思いが、かなり利いていた。もちろん、そんなことは先生の前では言えない・・・(きっと、先生はそんなことで浪人を決めちゃだめだと、おっしゃるだろうから)
で、僕の話を聞いた先生は、不合格を責めることも、不用意に元気づけることもなく、ただいつもの口調でおっしゃった。
「この時期に浪人を決めるのも、後悔が少なくて、いいじゃないか」
しかも、先生も入学前に河合塾で1浪したらしくて、帰り際・・・「なんだ、栄田もオレとおんなじか~」って、いかにも残念そうに言う先生・・・。いやいや、先生と同じなんて、恐れ多い・・・。1年後受かるかどうかも、全然自信ないのに・・・。
でも、無意識に顔を勇めていた僕は、その言葉でやっとちょっと笑えた。
・・・で、・・・決意は決意。今は今。
浪人を決めてすぐ、僕はオーストラリアに出かけた。修学旅行? ノンノン! 単なるリゾート。だけど、あれだけやった英語が、全然出てこなくて、ショック! そもそもオーストラリアの英語を初めて生で聞いたのだが、すごい訛りだ。
大阪府立大中期、合格。
九州大後期、不合格。
他大学の結果は、滞在先のケアンズのネットカフェで、父親からのメールを読んで知った。
どちらも意外な結果だった。府立の中期は、落ちたと思っていた。理系科目が全然できなかったから。一方、九州大の後期の不合格は、ちょっと意外だった。落とされるほど失敗したとは思っていなかった。
まったく番狂わせも甚だしい。ただ、合格が分かっても、浪人することに後悔は全くなかった。
(・・・ただし、自分に対する後悔はなかったが、僕が受かったせいで不合格になった府立大志望の学生に対しては、申し訳ないと思った。なんだよ、受かっても行かないなら、受けるなよ、自分。ってね)
結局・・・オーストラリアを楽しめたので良かった良かった! ってのが、2006年3月の一番の感想。今、これを3年以上前を思い出して書いているが、実は浪人を決めたあたりの、自宅でのあれこれは、あまり鮮明な記憶はなくて、主たる記憶はオーストラリアだ(笑)
で、帰国後すぐに荷造りして、生まれた時から住み慣れていた長崎を離れ、福岡に移り住んだ。
自宅から河合塾の寮に送った段ボールの半分は、受験参考書とか辞書とか、だった。 お、重い・・・。重いぞ。もてないぞ。
あ、そうそう。なんで「河合塾」なのか、ってのを全然書いてませんでした。――授業料割引額が一番大きかったからさ!
This entry is filed under C-720, 予備校, 立花ゼミ. You can follow any responses to this entry through RSS 2.0. You can leave a response, or trackback from your own site.

-
No Comments
Post your comment