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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
木許 裕介の本棚 2009.6.17 | by admin

『影響力の武器 ―なぜ人は動かされるのか 第二版』(ロバート・B・チャルディーニ 誠信書房,2007)

 

◆要旨

 「だまされやすい人間」であった筆者が三年間にわたる参与観察を行うことで、承諾誘導は六つの

基本的カテゴリーに分類できることを発見した。

すなわち、返報性・一貫性・社会的証明・好意・権威・希少性の六つである。

この六つに豊富な例をもとに解説を加えてゆくという形式をとっている。

人間の社会的行動の不可思議な側面は社会的影響の原理によって理解できることを示そうとしたものであり、

実験室で行う実験のみにデーターをとどめず、実際の社会に例をもとめている点が本書の白眉であろう。

 

 【返報性】という概念は「お返し」をせねばならないという意識から承諾してしまう性質を指し、

拒否したあとには譲歩するというドア・イン・ザ・フェイス・テクニックにも代表される。

【一貫性】(と、コミットメント)という概念は自分の言葉、信念、態度、行為を一貫したものにしようとする性質で、

承諾の決定に対して一貫性への圧力が過度に影響することを明らかにする。

 

 【社会的証明】という概念は不確かさと類似性の二つの状況において最も強く働くもので、

状況があいまいな時人は他の人々の行動に注意を向けそれを正しいものとして受け入れようとする性質と、

人は自分と似た他者のリードに従う性質を持つということである。

ここから、誤った社会的証明に影響されないために、類似した他者が行っている明らかに偽りの証拠に対して

敏感であること、類似した他者の行動だけを自身の行動決定の基礎にしてはならぬことなどが述べられている。

 

 【好意】という項では、人は自身が好意を感じている知人に対してイエスという傾向があることを示し、

身体的魅力がハロー効果を生じさせるため魅力的な人の方が影響力が強いことを述べる。

そして、承諾の決定に対して好意が不必要な影響を及ぼすことを防ぐのに有効な戦略は、

要請者に対する自分の過度の好意に特に敏感になることだと説く。

 

 続く【権威】の項ではミルグラムの実験を下に、権威からの要求に服従させるような強い圧力が社会に存在する

ことを示すとともに、権威の三シンボルである肩書き、服装、装飾品が承諾を引き出す際に及ぼす影響に考察を進める。

最後に【希少性】という概念に触れ、人は機会を失いかけるとその機会をより価値あるものとみなすことを示し、

希少性の原理が商品の価値の問題だけではなく、情報の評価のされ方にも適用できることを挙げる。

そして希少性の圧力に対して理性で対抗するのは困難であるという結論に至る。

 

 終章では「自動的で何気ない承諾」に関しても考察を加える。

現代の生活は情報が溢れ選択の幅が爆発的に拡大しただけに、認知の過剰負担の傾向が強まっていて、

それに比例して我々が簡便な意思決定を行いがちだと説き、承諾誘導を狙う者に対する知識を身につけよと主張して

全編を閉じている。

 

◆インプレッション

 本書を読んだのは少し前になるが、忘れられない一冊だ。

眼を惹く色遣いとダイナミックに白抜きで配したタイトルに惹かれ、生協でこの本を買ってきて、一気に食堂で読みきった。

全編にわたって膝を打たずにはいられない例、そして納得してしまう解説。

チャルディーニによる六つの分類に、自らが経験してきた事例がピッタリと当てはまりすぎて、もはや騙されないための分類に

騙されているような気分に陥るほどだ。スーツと小物類を買う時の例であげられているコントラストの原理は至るところで

経験するし、返報性のルールのために知らず知らずのうちに恩義を感じてしまう事は日常的だ。

チケットの値段が書いていないからといって電話をする(=コンサートに対する最初のコミットメントを行ってしまう)

なんて、つい先日したばかりだ。

残る項目も、みな身に覚えのある例で埋め尽くされていて、人事のように読めない。

ここに挙げられた例以外でも、読み進めるうちに沢山の例が思いついた。

例えば、第四章まとめにある「不確かさ」の説明。

「自分が確信を持てない時、あるいは状況が曖昧な時、他の人々の行動に注意を向け、

それを正しいものとして受け入れようとする。」

これこそが、カンニングの本質ではないだろうか。正しい根拠などどこにもないのに、自分に自信が持てないからという理由で

他の人の答案が正しいものとして受け入れる所作こそがカンニングであろう。

 

 気になったのは第三章「コミットメントと一貫性」のP.149で述べられている、

「他集団と差別化して自らの集団の連帯意識を持続させることに腐心する集団においては、苦難を要求するような

加入儀礼は簡単になくならない」という一文。これは大学の入試にも言えることではないか。

もちろん、大学の入試の目的が「他集団と差別化しての自らの集団の連帯意識の持続」にあるわけでは

ないだろう。だが、結果として、入試は「連帯意識の持続に繋がる苦難に満ちた加入儀礼」になっているように僕には思える。

一定のレベルを確保するため、あるいはその大学の求める教養を身につけて入学してもらうためなどといった言説を

入試に被せても、結果として加入儀礼の意味を失うことはこれからもないのではないか。

 

 第七章の希少性については身につまされる思いで読んだ。

個別性の感覚が現れて来る年代にあるから仕方ないと慰められようが、自らの過去の行動を振り返ってみると、

いかに自分が今まで「数量限定」や「最終期限」などの承諾誘導の戦術に乗せられていたことか!

「希少性の圧力に理性で対抗するのは困難」とあるが、その事実を知っただけでも対抗の一手段にはなりえるはず

であるから、このことを常に意識せねばならぬと思った。

人を動かす手段は善悪双方でこれからも応用され、そして情報が溢れる現代に蔓延していくだろう。

その中で本書の主張する六つの分類の視点を持つことは、影響力の武器に対する武器になるに違いない。