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	<title>KENBUNDEN  -東京大学 立花隆ゼミ-　見たい、聞きたい、伝えたい。東大生の好奇心！ &#187; 第7回NINSシンポジウム</title>
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		<title>パネルディスカッション: 人間にとって科学とは？</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 16:16:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山本 遼</dc:creator>
				<category><![CDATA[第7回NINSシンポジウム]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/29/%e3%83%91%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3-%e4%ba%ba%e9%96%93%e3%81%ab%e3%81%a8%e3%81%a3%e3%81%a6%e7%a7%91%e5%ad%a6%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image017.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="パネリストの方々" title="" /></a>プログラムの最後に行われたパネルディスカッションの模様をお届けします。
シンポジウムのテーマである「科学者」のあり方の他にも、小林誠先生のノーベル賞受賞、科学教育の現状など、興味深い意見がたくさん飛び出しました。

●登壇者（敬称略）: 小林誠、中村桂子、田村和子、天外伺朗、立花隆]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="bookreader">
<h2>パネルディスカッション（全文）</h2>
<img src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image017.jpg" alt="パネリストの方々" />
<h3>立花</h3>
<p>たくさんの演者の方々の、圧倒的に情報量が多い話を伺いまして、それぞれに、科学的発見をどう考えるかという話があって、その上で、今日の、あえてご紹介するまでも無く、プログラムに詳しいしご紹介はあります。</p>
<p>ここでは簡単に、小林先生はもう紹介するまでも無いノーベル賞受賞者というだけで</p>
<p>田村さんは共同通信で、ずっと科学関係の論説なんか、科学部長をおやめになった、科学ジャーナリスト、なんでも知っている人です。</p>
<p>中村先生は、かねてから、日本女性の科学者といえば常にこの人という感じでご登場されているから、みなさんよくご存知だと思います。</p>
<p>天外（てんげ）さんという形になっているのは、実はここに書いてあるように、本名は土井さんといって、ソニーの元常務でして、ここんは簡単にAIBOの開発者となっていますが、ほかにもソニーでやったいろんなこと、とくにコンピュータサイエンス研究所から、AIBOのあとにやった、非常に有名なソニーのロボットとか、あるいはソニーのワークステーション、そういうものを一貫して開発しいらっしゃった方です。</p>
<p>天外さんという名前、自分で希望してこの名前にしたんですが、知っている方はご存知のように、土井さんが天外さんの名前で書くものは結構怪しいものが多いんですよ。</p>
<p>それで、こういう希望を聞かれたんで、発言は怪しい部分もあるんですかと聞いたら、決してそういうことでは無いということです（笑）</p>
<p>紹介はその程度にとどめまして、まずは今日のいろんな演者の方々の話を受けまして、どういうふうに、それを聞いて、自分なりの科学的発見とは何かという点についてどう考えておられるのかを小林先生の方から一人ずつ語っていただければと。</p>
<h3>小林</h3>
<p>小林です。直接発見とはではないんですけど、このシンポジウムの副題を、「泥沼から見晴台へ」というのを見まして、これは素粒子物理の60年代から70年代にかけてのことにぴったりの表現だなあと思いましたので、ちょっとそのニュアンスをお話したいと思います。</p>
<p>個人の、というより分野全体で、もう少し長い感じですけども、70年代の初めにいわゆるゲージ理論というのが、素粒子の力の理論の枠組みができあがって、そのおかげで一気に素粒子の記述が可能になった。それがいわゆる標準模型といわれているものですけれども、その前の状態というのは、そういういろんな枠組み無しでやっていた時代で、かなり怪しげな議論もまかり通っていた。ただ、そういう中で飛躍に向けての蓄積というのも着々と進んでおり、南部先生の自発的対称性の理論というのはまさにその60年代に行われた議論の一番鍵になる業績だったと思います。</p>
<p>逆に私の方は、70年代に新しいやり方が出たというところで、それも使って懸案を議論してみたら、比較的簡単な答えが出てきたということであります。まさにそういう飛躍のときというのはあるわけですけども、それいたるまでの準備の過程というのとセットでモノを見ないといけないな、と思いました。</p>
<h3>立花</h3>
<p>ちょっと小林先生ひとつ質問していいですか。</p>
<p>例の有名な小林益川理論の出発点といいますか、あそこで、すでにいろいろ出ている話の中で、益川さんがお風呂に入って、お風呂から出るときに六元模型がぱっとひらめいたみたいな話がありまして、そのあと、実はアノ時代に、お二人が京都にいらしたときに、やはり京都大学でいっしょにいらしたというか、もうひとり、高エネ研で、具体的に言うと吉岡さんが、あのときちょうどお二人と一緒に、一緒の場面をよくごらんになっていて、「アノ二人はアノころ、我々がまた新しいものを作ったっていう感じで、ものすごい高揚感に包まれていた」みたいなそういう感じの話をこのあいだ聞いたんですが、あの６元模型を見つけたときには、これだ！といういかにもそういう感じがあったんですか？つまりそれは先ほどの話で言うと、核融合研の伊藤先生が、ビール屋でこれだ！と二人でして地面に（方程式）書いて、お互いになるほど、それ、という感じのものです。</p>
<h3>小林</h3>
<p>多少期待を裏切るかもしれません。私自身にとっては、アノ仕事で一番、興奮ということはないですけど、ある種のわかったという感じを思ったのは、むしろもっと前の段階。要するに、ゲージ理論の発展を眺めていくに、どうもこの理論ではCPの破れが入りそうに無いな、という風に感じて、ここはちゃんと調べなくてはいけないなと思った瞬間が、一番いまからいうとホットな瞬間だったかなと。その後は、６元クォーク模型自じしんはいろいろな可能性のひとつですし、その時点ではそれ以上の明確なものがあったわけではないので、それ自身に対してそれほど確信があったというわけではないです。</p>
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image019.jpg" alt="小林誠氏と立花隆・プログラムコーディネーター'" /></p>
<h3>立花</h3>
<p>もうひとつだけいいですか。</p>
<p>その流れで、つまりよく小林益川理論の成り立ちの過程で、益川さんがいろんなアイデアを出しては小林先生がそれはこれがだめこれはだめと、次々に益川さんが新しいアイデアを繰り出すと、小林さんが切り捨てていったという話が、先ほどの伊藤先生の話の中で、奥さんは直感ひらめき型で、次から次へアイデアを出すんだけど、旦那さんに出すと、旦那さんが小林先生的な非常にロジカルな方で、それは可能性がないこれは｢可能性がないとつぶすという、わりと二人の人間が組むとうまく行くということがあるのかな、と思ったんですが、そのようなことはあるのでしょうか。</p>
<h3>小林</h3>
<p>そうですね、もちろん議論の段階ですからどちらかが何かアイデアを出して、もう一方が反論して…というパターンはあるんですけど、その役割がいつも一方的だとは思わないです（笑）</p>
<h3>立花</h3>
<p>ありがとうございます</p>
<p>それじゃあ中村さんお願いします。</p>
<h3>中村</h3>
<p>今日聞かせていただいた感想をまず申し上げます。</p>
<p>この年になりますと仕事のお話を聞くのはたいていいろんな申請を聞いたり、プロジェクトの評価をしたり、そんなところでお話を聞くことが多いですから、今日は本当に、あんなに楽しそうに話す、そういう場所では、そういう話し方では、話を聞けないんですよ。やっぱり、こういう花しかし、そういうはなし方ができる場所が無ければいけないなとつくづく思いました。なぜかというと、お金と役に立つ、が話に必ずくっついている。必要ではないとは言いませんけど、この生き生きした科学の状況をもっともっと大事にしないといけないと感じました。</p>
<!--2-->
<p>それから、二番目には、みなさん伺っていて、ほんとに好きとか、つらいことはいっぱいあるわけだけど、好きだったりたのしかったりそういうことがベースにあるわけですね。</p>
<p>私は、科学っていうものはそういうもので、そういうものとして社会に認めていただく。役に立つ、役に立つというのは何かわかりませんが、そうじゃなくこういうことがあることが大事なんだよという風に学問を学問として社会に認めていただくということがとても大事だなあと思いました。</p>
<p>三番目に自然を見る。立花さんが最初におっしゃいました。マザーネイチャーからの贈り物だということが分かっていて、予測不能のことが出てくることが面白いんだと。それはそうなんですが。ただし、お話を伺っているとあきらかに、予測不能のことを出すためには絶対に積み重ねが必要だと。</p>
<p>それと、考えることが必要。それにはお一人お一人の積み重ねももちろんあるけれど、さっきの加藤さん、一番若い加藤さんが高橋先生を活用なさった。活用なさったというと変になっちゃうんですけど、私ああいうタイプの積み重ねは素晴らしいって思うんですよ。そういう形での積み重ね。それから何人かの方がおっしゃった、発見するためには自分が切り口をもってなくちゃいけない。自分のことをもし話すとするならば、私、生命誌っていう形でいろんなことを考えていて、今日はその話は時間がありませんから致しませんけれども、私自身も自分の仕事がほんとに納得してできるためには切り口をもってないとできないっていうように思います。</p>
<p>で、それが今では新しい技術の、工藤さんおっしゃったし、加藤さんもそうですし、技術っていうのは明らかに切り口ですね。ただし、ひとつは考えること、コンセプト。それが切り口で。今日はそういう、なんていうかな、科学のもってる本質みたいなものを様々な分野で聞かせていただけて。</p>
<p>すごく今日は日本のなかではすごい贅沢な時間だったような気がします。</p>
<h3>立花</h3>
<p>そうですか。じゃあ、田村さん。</p>
<h3>田村</h3>
<p>私はたぶん、唯一の理系ではない、文系の人間だと思うんですけど。</p>
<h3>立花</h3>
<p>僕も文系です。</p>
<h3>田村</h3>
<p>ああそうですか。立花さん、はやくからすごく科学のこと書いておいでになるから。私も文系でいながら科学部というところに籍を置いておりまして、科学者の科学の成果を市民に分かりやすく伝えるということを頭において仕事をずっと、1960年代から30年くらいしたんですけど、今日のような、なんて言いますか、科学者の人間的な横顔が非常に生き生きと語られたような記事を一回も書くことができなかったな、と非常に今日はしょぼんとしました。それくらい今日のお話は非常に面白かったと思います。</p>
<p>私はかねてから、今の社会でこどもたちのところを歩きますと、何になるかというのを聴くと思いますが、こどもたちは昔は、私たちの子どもの頃は、「末は博士か大臣か」というような比喩が良く使われましたけど、今のこどもたちに話を聞くとたいてい、歌手か、プロ野球の選手か、格闘家とかですね、そういう答えが返ってきます。なぜかっていうと、そういう成功のモデルっていうのが世の中充ち溢れています。で、その陰にあって、今日のような、ものすごく、もう、自分がこの道だっていう好きなことに賭けて、研究生活をし、もちろんすごく大変なこともありながら、最後に嬉しい瞬間を迎えたそんな喜びというものを、子どもたちや一般市民たちはこれまでなかなか聞く機会がありませんでした。</p>
<p>やっぱり、それは私も中村さんがおっしゃったように、科学研究の成果を記事に書こうと思うと、これは何の役に立つのかっていうことがまず、何と言いますか、会社の上の方の人からかえってきます。日本では、何の役に立つかっていうことが非常に重視されて、それが、できれば産業とかお金に結びつくことばかり重視して何十年も走ってきた結果、いまみたいな世の中にどうもなってしまったのではないかと思うので、科学の応援団として私はずっと、本当の科学の発見を、具体的な賞が出るより前に市民の人に伝えるということを心がけてきましたけれども、それほどあまり上手にできなかったんですが。</p>
<p>今日のお話を聞いていますと、どなたのお話も共通して、やはり私の頭に一番残ったのは、この素晴らしい先端の研究者の方のうしろには、先人の苦労の歴史がずっとあって、それがここにきて花開いたと。そういう風なことを非常に感じさせました。</p>
<p>私が若いころ、記者のころは本当に、野辺山の45mの望遠鏡をつくるのに先生方がものすごく苦労されて学術会議で申請したり、国会に出したりして、苦労されてやっとできたというこということを知っていましたし。</p>
<p>あの頃、まだDNAの切れ端を取り出して読むことがすごく大変だった。それからくらべると今は、大きな最先端の機械が、計測器や観測機がすごくあって、あっという間にものすごい量の情報が生まれてきてしまいます。それは科学的な最先端の発見に寄与していますけれども、でも、最初からそれに走ってしまったら、この研究者の努力の末の面白さっていうものは伝わらないので。若い世代の人たちは、本当に手作りの科学の面白さを知らないまま、巨大な計測器に頼るようになっていかないかなという危惧も感じて、これからどのようにそういうものを伝えていけばいいのかなというのが私が一番感じたところです。</p>
<p>科学的発見っていうのはやっぱり、歴史の上に立って努力した人のもとに、天から贈り物としてくるのかな…という感じが私にはしました。</p>
<h3>立花</h3>
<p>どうもありがとうございました。それじゃあ、天外さん。</p>
<h3>天外</h3>
<p>ええ、名前を使い分けておりまして。天外伺朗で出るときは少しあやしい話が必ず入るということになっています（会場笑）。</p>
<p>私は今日の講演者たちとは違って、先ほど紹介がありましたようにコンパクトディスクとかね、○○とか、技術開発の世界に携わっております。</p>
<p>で、立花さんの冒頭のお話ですと、発明は努力だと、サイエンスとはちょっと違うんだといったニュアンスのお話がありましたけれども、でもね、単純な積み上げでできる発明と、ものすごい飛躍が必要な発明というのがあるわけです。その飛躍をするときに何が必要なのか。僕は今までの経験上、「燃える集団」という言葉を作ったんです。みんな夢中になって取り組んでいるような姿を思い浮かべるかもしれませんが、そんな生易しい話ではないんです。チームがみんな夢中になってやっていると、ある日突然スイッチが変わることがあるんです。そうすると、普通のエンジニアが「スーパーエンジニア」に変身してしまうんですね。アイデアが湯水のように湧いてくる。すごい大変な問題がたくさん起きても、その困難に対してぶつかって、突破していっちゃう。困難を困難と思わないようなチームになってしまう。そういう状況を、「燃える集団」と名づけてるんです。</p>
<!-- 3 -->
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image021.jpg" alt="（左から）天外伺朗氏、田村和子氏" /></p>
<p>でも、ここまではいいんですが、ここから少し怪しくなるんです（笑）</p>
<p>それだけではなくて、そういう状態に入ったときに、どう考えても、運が良くないといけない。今日の講演の中で、加藤先生が神社でおみくじを引いて大吉が出たという話をされましたが、最先端のサイエンティストでもおみくじを引くんですよ（笑）　やっぱり、素晴らしい発見には必ず運が必要です。この「燃える集団」に入ると、明らかに運が良くなる。例えば、どうしても必要な人に最高のタイミングで会えるとか、どうしても必要な部品が突然発売されるとか、そういうことが次々に起きるんです。不思議です。さらには、僕らは当然「判断ミス」をするわけですが、そのミスが逆に「うまくいく」要因になったりします。</p>
<p>そんなチームを「燃える集団」と名前をつけて本に書いて、これが「怪しい」とか「オカルト」とか「トンデモ本」なんて言われてますけど、でもこれは経験上必ずそういうことが起こっています。逆に、そういう状態にならないと、なかなか飛躍が起きないんです。ごく最近、それをある程度読み解くことができました。チクセント・ミハイという心理学者がフロー理論というのを1960年代から研究してまして、その中で、無我夢中で何かに取り組んだ状態を「フロー」というんです。「流れ」という意味です。「フロー」の状態とはどういう状態であるか、どうしたらそういう状態に入れるか。それを彼は心理学として学問的にちゃんと研究しています。それを使うと、今の「燃える集団」が説明できるんです。チクセント・ミハイに会ったときに、僕が「風呂に入ると運が良くなるでしょう？」と尋ねると、彼は頷いてくれませんでした。やはり学者ですからね。でも僕は経験上、風呂に入ると運が良くなると思っています。</p>
<p>それで、このフローの状態は、研究者は必ず経験していると思います。研究者自身はフローという言葉を知らなくても、まともな研究者だったらフローの状態で研究しています。そしていい成果が上がっているわけです。フローということがしっかりわかってくると、それをある程度定式化することができます。皆さんも、今日の講演を聞いて、「どうしたら私たちも独創的な仕事ができるだろうか」「どうしたら飛躍ができるだろうか」「どうしたら運が良くなるだろうか」と思われるでしょう。これははっきり言って、できます。ここから先がちょっと怪しいんですけども、フローというのはどういう状態かというと、講演の中でも脳の話が出ていましたが、爬虫類時代までに発展した「古い脳」がものすごく活性化した状態がフローの状態だと思うんです。これは、学問的ではないですよ。直感的に言っているだけです。もちろん、新皮質も活性化しないといけないんだけど、古い脳も同時に活性化した状態。そういう状態にもっていくトレーニングというのはできます。逆に言うと、今の学校教育というのは、新皮質ばっかり鍛えていて、古い脳の活性化というのを教えていませんから、みんな独創性がなくなっていく。そういう印象を受けています。</p>
<h3>立花</h3>
<p>どうもありがとうございます。</p>
<p>さて、この先は司会者を気にせずに自由に語り合ってください。今日登壇なさった先生方も議論に参加されてもいいし、あるいは、先生方に「あそこを聞きたかった」的な質問をしていただいてもいいです。</p>
<p>その前に、先ほど講演なさった工藤先生にお尋ねしたいんですが、元々の工藤先生の演題は違ったんですよね。それで、他の人が「こういう演題はどうだ」とヒントを与えてくれたから変えた、ということを講演の中でおっしゃいました。それで、元々の演題は「秀才のあいだに入った鈍才の苦しみ」的な、ちょっと変なものでしたよね。あの話自体が、かなり面白い話ですので、せっかくですから、その立ち消えになった部分を少し話していただけませんか？</p>
<h3>工藤</h3>
<p>こういうことになるとは思いませんで・・・。もともとは「脳科学に迷い込んだ鈍才の苦しみ」というタイトルでした。実は私は、大学院も出ていませんし、留学もしていません。生命系に移ったときに、最も学歴の少ない男というのが私の売りだったんですね（笑）　このあいだ下村先生がノーベル賞をとられたときに、長崎大学薬学部卒の人間でもノーベル賞をとれるんだ、とおっしゃっていました。</p>
<p>それを聞いて私はとてもうれしかったです。要するに、どこを出たか、ではないんです。今何ができるか、です。今の日本は、学歴とか、どの先生の下で学んだかとかが、妙に重要視される。これは悪いことではないです。もちろんいい先生につくべきだと思います。でも、必ずしも誰もがいい先生にめぐり合えるとは限らない。でも、「悪い先生についたら終わり」かというと、そうではない。要するに、最後は自分の努力である、と私は言いたかったのです。何でも、本当にやりたくて、一生懸命やったら、何か出てくる。そうなると、本当に楽しいと思うんですよね。やっている最中が。最後はどれくらい覇気を込めてやるかによって決まるんだと思います。それを思わなかったら、新しいことは何もできないと思います。</p>
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image022.jpg" alt="工藤佳久先生" /></p>
<h3>立花</h3>
<p>ありがとうございます。</p>
<p>それと、もう一つ加藤先生にお伺いします。先ほど、研究の中で高橋先生という先生をうまく「利用」したといった話をなさいましたが（笑）、どう利用なさったのかをお尋ねしたい。加藤先生が書かれたものを読むと、高橋先生が果たしてくれた役割というのはかなり大きかったようですが、もう少しそこをお尋ねしたいと思います。</p>
<h3>加藤</h3>
<p>限られた時間で申し上げるのは難しいのですが、高橋先生は御茶ノ水女子大（当時：東京女子師範学校）を出られて、名古屋大学工学部で日本で始めて女性で博士号をとられました。その後、いろいろなところを転々とされているんですが、55歳のときに名古屋でアーモンドの酵素を発見されたんです。別の目的で、あるタンパク質の配列を決めようとしていた過程で使っていた、アーモンドの中の不純物から糖鎖をうまく引き離す酵素を発見された。本来は、別の目的で研究されていたんですが、その時点から、その酵素自体の研究を始められたんです。そかも、その酵素がいかに珍しい特性を持っているかということを実証するために、糖鎖をひとつひとつ、いろんな資料から探していったら、それを実証する過程で「点」が一つずつ増えていく。それがいつの間にか数百の「点」になり、今まさにグライコミックス（糖鎖解析）という領域のひとつの走りになっているんです。高橋先生が点を一つ一つうつ時に、これはどうしても最初は別の方法で決めなければなりませんから、NMRなどを使って支援されていた先生がいて、そこを私が一部お手伝いしていたんです。その関係で、逆に今度は私たちが複雑な糖タンパクの構造を調べることを決めたときに、その糖鎖の配列をまず決める必要があります。</p>
<!-- 4 -->
<p>それにはそれまでに積み上げられてきた3Dのマップがなくては立ち行かないということです。</p>
<p>元々、別の形でのコラボレーションを長年積み上げていたのですけれども、私の名古屋市立大学への着任を機に発展したと言うことです。そこには色々な偶然ですね。ご自宅も近かったし、研究分野の性質も非常にマッチしていました。</p>
<p>そして当時ミツカンの研究所長でいらしたんですけれど、それを直ちに辞めて、最初は｢大学院を受けなおして院生として入りたい｣と仰った。｢それは先生あんまりだ｣ということで、最初は研究員、そして客員教授、今は名誉教授という形で、先生のお仕事自体も、構造生物学と直接結びつかない所でも、独自の発展をされている。</p>
<p>私の研究室でも今その分野を展開している学生もいますし、現在の構造生物学が、これまで手の届かなかった分野に挑戦するのに大きな救いを差し伸べてくださっている。私は必ずしも｢活用している｣とは思ってないんですけども(会場笑)。お互い非常に良い出会いだったと考えていますけれども。</p>
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image023.jpg" alt="加藤晃一先生" /></p>
<h3>立花</h3>
<p>そうですか(笑)。田村さんのお話の中で、今日本の社会で科学の話題になると、｢それが何の役に立つんだ｣という話がすぐに出る、という話がありましたけれども、そこで小林さんにお伺いしたんですが、</p>
<p>私は高エネルギー研の、というか素粒子系の研究者のかたがたを結構沢山取材しているもので知っているのですが、戸塚さんにしても、｢ニュートリノの研究なんて何の役に立つんですか｣と聞くと、あの人は堂々と｢それは100年経っても何の役にも立ちません｣と言いましたよね。(会場笑)</p>
<p>けれどニュートリノはともかく、ミューオンなんかは火山の溶岩が見えて火山の診断に使えるんだと、それ自体は面白いですけれども、相変わらず、一般社会の役に立つ立たないで言えば殆ど役に立たない訳です。小林先生も、自分が何かの役に立とうと思って研究したことなんて一回もないでしょ？(会場笑)</p>
<h3>小林</h3>
<p>はい。(会場笑)どうしてもこういう話題になってしまうんですけれども(苦笑)。｢役に立つか立たないか｣と言われれば、少なくとも、予見できる範囲では役に立たない。</p>
<p>もちろん量子力学にしろなんにしろ、100年経って、今は十分役に立っていると思いますけれども、進歩のスピードが速い訳ですから、いつどうゆうことになるかは予見できないと。これはまぁ言い訳でして、こういった基礎的な概念とか自然の成り立ちについての知識とか、一つずつの結果が直接ということではないにしても、そういうものが集積してできる｢世界観｣と言いますか、</p>
<p>｢物質感｣といいますか、それ自身が基本的に人の考え方に影響を与えると言う働きはある。いつもこういう辛い答弁をしています。(会場笑)</p>
<h3>立花</h3>
<p>僕はそれは全然辛いことはないと思う。僕は素粒子系の人は堂々と一貫して開き直ってるべきだと思うんですね。(会場笑)僕は小林さんの価値は何よりも、そういう自分の好きなことだけやってて、ちゃんとノーベル賞を獲って、日本の社会に刺激を与えたこと自体、だと思うんですね。</p>
<p>その後、滅茶苦茶いろんな所に呼ばれて、いろんな意見を求められて、何かもっともらしいことを言わなくちゃいけなくて、それが小林さんを傍で見ているとすごく辛そうなんですが(会場笑)。そういうところに呼ばれて、小林さん、決して迎合しないですよね。いかにももっともらしい事は言わない。壇上で子供たちと話したり、高校生と話したり、テレビで若者と話をしたりして、色々普通の人だったら迎合しそうな所で、</p>
<p>全然迎合しないで堂々とやっている所がエライと思っているんですが、どうですか？(会場笑)</p>
<p>ああいうところで、日本の若い人に接して、逆に｢これでいいのか｣と思うことはありませんか？</p>
<h3>小林</h3>
<p>えーっとですねぇ、直接それには答えられないんですけれども、ちょっと教育の問題になりますけれども、やはり中学とか高校とか、実は大学も含めてだと思うんですけれども、そこで&#8221;科学&#8221;という意味で教えられる内容が、ちゃんと時代の進歩を追いかけていないのではないかなというイメージなんです。</p>
<p>そういう中で教育を受けていて、そのツケが、実際には大学の高学年や大学院に回って来ているのではないかと。要するに新しいことは大学院まで行かないと学べない。実際大学院の人は知識をかけるだけ(？)で、研究者としての本当の能力を身につける機会を奪われている、そういう感じを少し持っておりまして、その意味で多少将来に問題があるかなとは思っています。</p>
<p>ですからやはり、新しい知識が付け加わったことによって、本来それぞれの学問の中のもっと体系的な進歩があるはずですから、それを踏まえた教育の内容とか、そういうことを見直していく必要があるのかなと思います。</p>
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image018.jpg" alt="小林誠氏" /></p>
<h3>立花</h3>
<p>今の科学の進歩に、教育がついて来ていないと言う所はすごくあって、量子力学だろうと相対論だろうとゲージ理論だろうと、そのエッセンスの核の部分は、分かりやすく伝えようと思えば伝えられる内容なんですよね。</p>
<p>そういう形で伝えないから、本当の科学の先端が分からなくなってると思うんですよね。僕は先ほど出した戸塚先生の科学入門を読んで初めてちゃんと分かったんですが、焚き火でも何でも、そのスケールでE=mc<sup>2</sup>がちゃんと起きているんだと。</p>
<p>全てのエネルギーで、全ての段階で、こういった過程はちゃんと起きていて、それをちゃんと計算するとこうなる、という具合に示されると、｢なるほどそういうことか｣とちゃんと分かりますよね。(このページ[http://kenbunden.net/totsuka/02/07.html]の内容か)</p>
<p>あれを見て初めて、｢E=mc<sup>2</sup>が関係あるのは原爆なんかだけ｣といったイメージがありますけれども、実は全然そうじゃないことが分かりますよね。</p>
<p>そういう伝え方が多分必要で、ゲージ理論だって、言葉を伝え方を工夫すれば伝わるはずです。</p>
<p>長島先生の教科書(？)には｢量子論、相対論、ゲージ理論は現代の科学の最先端の一番の基礎法則だから知っておくべきだ｣みたいなことが書いてありますね。ですから、小林さんそういうところを是非伝えてください。</p>
<p>中村さんどうぞ。</p>
<h3>中村</h3>
<p>お話を聞いていて最近読んだ森鴎外の本を思い出したのですが、森鴎外がドイツに留学して医学の研究中に、どうも研究しているんだけれども本気になれない、みたいなことを書いていまして。</p>
<p>それが何かと言うと、生きている感覚がない。医学をやっているのにと書いてるんですね。そこで言葉を出しているのですが、ドイツ語ですからForsch(一応調べてみたが自信なし)、英語だとinquiryということですよね。inquiryが本当は必要なのに、日本語にはそれに相当する単語がないと言う訳です。｢研究｣と訳してしまうんですが、｢研究｣と訳すと抜けちゃうものがあると。</p>
<p>一つは、立花さんが仰った日常性です。もう一つは、森鴎外は｢哲学｣と呼んでいますけれども、私は小林先生の仰った、｢世界観｣だと思うんですね。</p>
<p>皆さん、科学は役に立つと言うときにお金で役に立つことだけ仰るけれど、私は本当は科学の一番大事なのは、その時代の｢世界観｣を作ることだと思うんです。</p>
<p>日本の中で科学研究というと、その日常性と、世界観作り、鴎外は哲学と書いていますけれども、自然を見ると言うこと、それが抜けちゃっていると。｢本来inquiryの中にはそれが入っているのだ｣と書いてあって、｢あ、コレだ｣と思ったんですね。</p>
<p>じゃあinquiryを同日本語に訳せばいいのかと言うのは私も分からないですし、やはり研究と訳してしまいますけれども、今の焚き火の話、つまりアインシュタインは難しくて日常ではないんだと思ってしまうこと、それから相対性理論は科学であると同時にある種の世界観であると言う広がりを持たなければならないと。</p>
<p>私、森鴎外、以外に良いこと言ってるなと思いました。明治時代の人って割合言葉に敏感ですよね。例えばブラックホールの話が出てきましたけれども、これは自然観や世界観ががらっと変わる時代だ、ということじゃないかなと思うんですね。</p>
<p>今日のお話とても面白かったけれども、私たちも、折角こんな面白いお仕事をなさっているとしたら、それをもっとそういう所まで広げていけるといいなぁ、と思いました。</p>
<!-- 5 -->
<h3>田村</h3>
<p>私もそう思います。そのことについて特に、今の子供たちが育つ環境があまりにも自然から切り離され、人工的なものに囲まれて幼少時代を過ごすことが、逆に２１世紀の子供は不幸なんじゃないか、という気が致します。</p>
<p>それは、早いときから学校教育の中で文系だ理系だという形にわかれてしまい、本当に自然の中で人間が育っていくための周りを見渡すための細かい観察や努力というものが、便利さに置き換わってなくなってしまっているものだから、昆虫は買ってきて飼うのだし。実は最近天文年だというので、私の孫に簡単な望遠鏡をプレゼントしたんですけれども、その子供が言うには「おばあちゃん家からは望遠鏡じゃ空は見えないよ」と。確かにマンションの３階に住んでおりまして実際に行ってみると三角形に区切られた空しか見えないわけです。</p>
<p>もちろんそれはどこかへ行ってみればいいわけですけれども、そういう意味でもう少し大きな所から考えると今の世の中は結構危ないところに来ているんじゃないか、つまり科学者の今日のようなお話が本当に活き活きと新しいものに取り組むという前向きな姿勢を持った科学研究者がたくさん日本にいらっしゃるという嬉しいことを見せていただいたのですけれども、それに続いて小林先生なんかを憧れてあとの世代からどんどん輩出するのだろうかということが大変気になってしまいます。</p>
<p>でももう一つは、今随分努力がすすんできましたけれども、こういった先ほどから話されているような科学の新しい面白い凄い話をなかなか一般の人たちのところまで届ける努力がまだまだ必要かなと思います。</p>
<h3>天外</h3>
<p>ちょっと話は戻りますけれども、「活き活きと」新しいものに取り組むという今の田村さんの言葉の凄く大切な面をもうちょっと強調したいのですが、先ほどから役に立つか役に立たないかという話をしているのですけれども、僕なんか企業に４２年勤めていますんで、企業の研究開発は当然何らかの金儲けにつながるようなものをやんなきゃいけないということで、それがサイエンスと違うところだと、皆さん多分お考えだと思うんですね。</p>
<p>ところが、実際にどうかというと、そうでもないんですよ。というのは、「これを開発してお金儲けに繋げよう」なんていうことはだいたいろくでもないんですよ。はっきり言って次元が低くて大して儲からないの。</p>
<p>SONYでも創業期から新しいことをものすごくたくさんやってきていますけれども、あれはほとんど「役に立てよう」というよりはむしろ「これは面白い」というエンジニアの喜びというか心の震えとか、そういうものをものにしていったものが実際には会社でお金を稼いできているんですよね。</p>
<p>ですからそういう意味でサイエンスも技術も本当はそんなに変わらないのかもしれない。というのは、予定調和の中で、こうやってこうやってこうやるとこうなりますよ、と。１＋１は２になりますよ、という範囲内で考えているものというのは技術の世界ではあまり独創的ではないんですよ。</p>
<p>そうじゃなくてもっと人間が、さっき深いものをと言いましたが、深いところからワーッとこう湧き上がって来て、これをやったら面白いぞというふうな動機でやったものが現実には本当はお金儲けに繋がっているんですよ。ということをちょっと一言付け加えたいと思います。</p>
<h3>立花</h3>
<p>ほとんどがサイエンス系の方の中で、田村さんと僕が文科系ということで今のことに一言付け加えると、文化系の人間も自分が良いと思って深くのめり込んだ仕事ではないと全くいい仕事にはなりませんよ。ねえ田村さん、そうですよね。</p>
<p>というわけで、僕は勝手なことをやってきた人間なのですが、今日の話を私が振り返ってみて、今の核融合研の伊藤先生のお話の、例の地面に方程式を書いてという、その話が凄く印象的であのくだりは別の形で読んでいたのですが、今日ああいうふうにして示してくれるとあそこで何が突然見えてきたのかというのが、それが縦のグラフで見ていたものを横のグラフで見た瞬間に何か違う構造が見えてきた、みたいなね。あそこがものすごく印象的で、そのような大きな次元の転換、見方を大きく変えると次元の違うものが見えてくるみたいな。そのようなことが、僕は実は小林・益川理論でもあると思いまして。</p>
<p>今回は小林・益川で受賞という形になりましたが、物理の世界ではあの行列はKM行列の前にCKM行列といってカビボというイタリアの人の名前がかならずはいっていたんですね。少し前は下馬評でカビボがはいって３人でノーベル賞という話があって、結局カビボが落っこちたからイタリア人はものすごい怒り狂っているのですが。しかし実際ずっと辿ってみるとカビボは落ちて当然という感じを僕は受けましてですね、それはなぜかというと</p>
<!-- 6 -->
<p>要するに、あの２行２列の模型だとどうしてもCPの破れがでてこない。そのCPの破れをを入れるためにはどうしても３行３列の構造にしないといけないんだという。それは小林さんの理論のアレ(本のことか？)ではわかるのですが、そこのところでもっと難解なのは、ちょうどノーベル賞をとる少し前に出た本で、トフーフト（編集注　ゲラルド＝トフーフト・・・1999年に電弱相互作用の量子構造の解明によりノーベル物理学賞を受賞）と一緒にノーベル賞をとった先生（編集注　ハーバート＝クレーマーと思われる）と二人で書いた本がありますよね。あの本の中で割と詳しくカビボと小林・益川の違いの解説が出ているんですね。</p>
<p>その本の中に「小林・益川の言っていることはこういうことだ」という形で図解がでてきて、それは本の表面から３次元に時空が突きだしているという構造のことを言っているのであり、カビボはその平面のことしか言っていないという。まさにその三次元のところの部分で、しかもそこに複素数が入ってくることによって、いわゆる普通の人が考える普通の次元ではない次元がそこに導入されることで実はCPの破れが出て来る。そこが非常に独創的であるのに、小林・益川の受賞後もその研究の解説にほとんど出ていないんですね。それは解説しようとするとものすごく難しいのだけれども、僕はあの図解を見たときに「なるほど」と思いまして。そういうことなんですね、あれは。</p>
<h3>小林</h3>
<p>…はい。複素数が出てきたりですね、なかなか説明は難しいので誰か巧い説明を…。</p>
<h3>立花</h3>
<p>でも、あの図解を見ると独創的であることがよくわかりますよね。</p>
<h3>小林</h3>
<p>いや、まあわかっていることを寄せ集めただけなのですが。少し違うことかもしれないですが、クォーク模型なのですけれども、当時クォーク自身が珍奇なものであるということで信じる人と信じない人がいた。ですから一方からはそういうクォークに、先ほど言いましたようなゲージ理論や場の理論を真面目に適用しようという考えを持つ人が少なかった。</p>
<p>また一方では、名古屋大学の坂田研究室で複合模型ということを考えており、ある意味クォークを支持する立場だったので、私自身はそういうものが背景にあると思っていたのですが、実は名古屋大学の先輩達から言われたことはですね、クォークに場の理論の繰り込む可能性のようなことを適用するなら、むしろ名古屋の考え方に反している、ということを言われまして。</p>
<p>私はどちらからも離れたところにいたというのが幸いでした。</p>
<h3>立花</h3>
<p>もう一つそのことに関連して。これは戸塚さんがいろいろお書きになっていることで、お話しになっていることでもあるのですが、今の標準理論というのは実験で決めなければいけないパラメータが十何個含まれている。そのそも実験で決めなければならないパラメータがそんなにある理論が最終的な標準理論であるはずがない、と。ですから、それとは違う「標準理論の向こう側」というのが必ずあるはずだという、そういうところで彼の本はニュートリノや質量問題の方へいくわけですが。</p>
<p>いずれにせよ、この間も日比谷公会堂で少し話しましたが（編集注　２月２１日に行われたノーベル賞受賞記念講演会）、今の標準理論といわれているものは、とりあえず向こう側があるに違いないということはわかっていてその端っこが今見えだしている。その端っこの向こう側に何があるのかを今やろうとしているひとつがスイスでやっている巨大なＬＨＣの実験であり（編集注　世界最大の粒子加速器「大型ハドロン衝突型加速器」）、今度日本で行われるＪ−ＰＡＲＣ（編集注　大強度陽子加速器施設）の実験であると思うのです。</p>
<p>そのＪ−ＰＡＲＣの実験が予算の規模で言えば一千億円ですよね、ちょっと想像がつかないようなものすごい金をかけた巨大実験を日本はこれから始めようとしているのですが、高エネルギー加速器研究機構の人たちが心配しているのが、これだけ金を使うとますます「その実験はいったい何の役に立つんだ」ということを言われるから、何とか「こういう実験をやる理由があるんだ」ということをもう少し社会に説明しないといけない、といことをすごく気にしてらっしゃいますけれども、そのあたり小林さんいかがでしょう。</p>
<h3>小林</h3>
<p>まず、弁明じゃないですけれども、Ｊ−ＰＡＲＣの実験は巨額かもしれないですが、非常にたくさんの目的をもっている装置であります。特に中性子とかイオンとかを扱ったものはいわゆる物質科学に対して広い応用範囲があり、利用するのを民間の企業まで含めれば非常に幅広いものとなる、それが非常に大きな部分ですが。そういう高エネルギーの実験をするには、マルチパーパスの装置であるということはまず言っておきたい。</p>
<p>あとはやはり、ニュートリノという物質、小柴先生の研究されて実績のある物質ですが、標準模型の先にあるのはいったい何なのかということに関しても非常に重要な位置づけがあると思います。</p>
<h3>立花</h3>
<p>小林さんの弁明では少し足りない気がするので少し僕から申し置いておけば、今日本はニュートリノの研究では世界を圧倒しているという感じになっていますよね。だからあれの後追い実験みたいなものをアメリカでもヨーロッパで構想しているけれども全然レベルが違いますよね。進み方から言って本当に日本が圧勝で。もともと戸塚さんはこの系統の研究で二人も三人もノーベル賞が出るよとおっしゃっていたのですが、確実に出ると言えるくらい日本が世界を圧倒しているという事実があり、それを技術的に支える、先ほども話が出たのですが、やはり科学の進歩というのは技術と密接に結びついていて、技術的なものがサイエンスのブレイクスルーを起こして、さらに技術の最先端は別の科学に繋がっていくような。科学と技術は切っても切り離せないような関係にある。</p>
<p>そういう中で、中性子などの確かに実用的な研究はものすごいあるのですが、やはり実用とは全く関係のない、小林さんがやっていらしたような基礎的な研究が主目的であって、それに少ないとは言っても百億単位のお金が使われているわけですが、それが日本の、日本という国家が地球社会に対して持っているプレゼンス、それはある意味で知的なプレゼンスでありそういう研究活動を通じて世界中の人が今きてますよね。ちょっとでも参加したいがために世界中から学者が来て滞在し研究に参加しているわけですよね。</p>
<p>それだけの吸引力があるのは日本ではサイエンスの世界だけです。政治も全然それだけのプレゼンスはない、そちらほうは世界に馬鹿にされるだけで、圧倒的なプレゼンスを持って世界に堂々たる威厳を示しているのはやはりサイエンスの世界なんですね。その観点から、日本はきちんと金を投じてそういう活動を継続するという方向にいって欲しいと思うのですが。</p>
<h3>小林</h3>
<p>大変力強いサポートを頂いてありがとうございます。</p>
<h3>立花</h3>
<p>もうちょうど良いくらいの時間ですね。それではあと一回り、一言ずつ頂いて締めとしたいと思います。</p>
<!-- 7 -->
<h3>天外</h3>
<p>会場の皆さんの中で、サイエンスに携わっておられる方はどのくらいいらっしゃいますか？</p>
<p>（来場者、挙手）</p>
<p>ありがとうございました。</p>
<p>では、技術に携わっておられる方は？</p>
<p>（来場者、挙手）</p>
<p>あ、こっちの方が多いんですね。</p>
<p>では、全く技術も科学も無関係という方はどれくらいでしょうか？</p>
<p>（来場者、挙手）</p>
<p>はい、ありがとうございます。</p>
<p>まず、「無関係」な方も、サイエンスに興味を持っていただきたいと思います…まあ、興味があるからこそ今ここでお聴きいただいているとは思うんですけれどね。</p>
<p>で、やはり我々の生活や、「世界観」という言葉がさっき出てきましたけれども、サイエンスが切り開いた世界観の中で我々は生きているわけだし、本当はその中で政治も行われているはずなのに、それがちょっとお粗末になったりしているという話が立花さんからありました。</p>
<p>…ですから、あらゆる人が世界観としてサイエンスに裏付けられたものを持ってほしいな、というメッセージで私は終わりにしたいと思います。</p>
<h3>田村</h3>
<p>私が自然科学研究機構の委員として、場違いな気持ちでいながら応援団を務めておりますが、やはり一番言いたいことは、日本の高等教育と科学研究にもっとお金を国が出すべきだと思います。</p>
<p>この何年か前から、まるで要らない幽霊法人と同じかのように、法人（国立大学法人）になった大学は毎年1%ずつ国からのお金が減っていきます。このままで行けば100年経ったらゼロになりますね（注：正しくは、国立大学法人への運営費交付金は「効率化係数」（1%）を乗じた金額が毎年削減される。単純減算と違い、ゼロにはならない。）そうしたら学問はなくなってしまいます。</p>
<p>それと同じように、これだけの先端を行く基礎科学研究に対する投資についても、常に「何が役に立つんだ」という話があって、非常に諸外国に比べてもちっとも多くありません。</p>
<p>ですから、“科学をする人”だけではなくて、いまたくさん手を挙げていただいた“科学をしていない”、つまり科学研究者でない方々も、その投資について賛成・支援をしてくだされば、国民の意向として強いものが示せると思うので、ぜひよろしくお願いします。</p>
<p>科学研究を押し進めるには高等教育によって人材を豊かにしなければいけないと思うんです。ただ大学院生の数が多いだけでは何にもなりません。</p>
<p>本当に、自然科学だけではなくて人文科学にしても、社会科学にしても、きっちり教育・研究をするまじめな若い研究者がどんどん育ってこなければ、この国の将来は非常に怪しいものがあると思うんです。例えば、博士号を取ってもいい就職口がない、というような状況では本当に困ると思うので、もう少し国全体でそういうところへの関心と投資を増やしていただきたいといつも私は思っております。</p>
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image020.jpg" alt="（左から）田村氏、中村氏、小林氏" /></p>
<h3>中村</h3>
<p>私は、本当の“いい科学”をする上で、ちょっと今は「忙しすぎる・急がせすぎる」という社会であるように思います。伊藤先生が「長い思索と一瞬の理解」とおっしゃっていたんですけれども、これはとてもいい言葉で、皆は一瞬の理解の方ばかり求めるんですが、その陰にある長い思索って本当に大事で、それを許す社会であってほしいなと思います。</p>
<h3>小林</h3>
<p>もう僕は十分でしょう（笑）。</p>
<p>ぜひ科学にご支援をよろしくお願いします。</p>
<h3>立花</h3>
<p>（スクリーンに映った伊藤早苗先生のインタビュー記事を指して）</p>
<p>この右上の小さいガラスケースみたいなものに入っているのはですね、ものすごくちびた鉛筆なんです。</p>
<p>伊藤（早苗）先生…彼女はご自分で理論を考えるときに、鉛筆で書かないとダメなんだそうですね。万年筆やボールペンじゃなくて常に鉛筆だから、どうしてもちびた鉛筆が溜まって、時折引き出してはそういう計算を繰り返して何万時間とやってきた、ということなんですが、さきほどの「長い思索」、そしてそれだけではなくて、長い手作業のような努力も一瞬のひらめきの前にずっと積み重ねとしてあるということが重要なのだろうと思います。</p>
<p>…それでは今日はこれで終わりにしたいと思います。</p>
<p><img class="page" src="http://kenbunden.net/kbd_wp/wp-content/uploads/2009/03/image016.jpg" alt="風景" /></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<hr />
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<h2>自然科学研究機構理事・勝木元也先生の挨拶</h2>
<p>…もはや付け加えるようなことは何もございませんが、講演者の皆様、パネリストの方々、企画を担当していただきました立花先生（・立花ゼミの方々）、関係者の方々に本当にお礼を申し上げます。</p>
<p>今日は「科学的発見とは何か」ということで、人としての科学者にスポットを当てたシンポジウムでございました。パネルディスカッションの中に出てきましたが…自然科学研究機構は大学の機関なんですね。つまり大学の自由があるところなんです。目的指向がどうのこうのという議論はありますけれども、「全てに自由がある」ということが、素晴らしい科学の発見の底にあるものだと私たちは思っております。</p>
<p>その「自由」は、短期間に評価をするのではなくて長い目で見る、ということです。それから、ちょっと妙なことまで含めて徹底的にやる、少し変だな、と思うようなことにも目を瞑って徹底的にやっていく…おみくじを引くこともその一部でしょうし、全員のお話を聴いているとよくわかることですけれども、非常に皆さんユーモアを解し、ゆとりが感じられます。</p>
<p>それは自分たちの研究の中から生まれてくるユーモアであって、会場が何度もどよめき、笑いが出ましたが、そこに「科学をする人」の本質がよく現れていたというふうに思っております。</p>
<p>私たちは、今日発表してくださった方々以外にも、発見をなさった方々をたくさん抱えている研究機構ではございますけれども、その方々は、大学を法人化する前、誠に自由な時間を大学が持っていた時代に育った方々でございます。</p>
<p>ところが、5年前に大学が法人化されまして、「中期目標」「中期計画」といったもので縛られて、その自由度がなくなってきつつあります。そのことが心配だというのが、パネルディスカッションでの先生方のお話ではなかったかと思います。</p>
<p>科学では、やはり「科学をする人がいる」ということが一番必要かつ大事でございますが、その人たちが前任者に対する憧れや尊敬や高い精神性などというものを自由に満喫するところからしか、本当の科学は生まれない…今日のシンポジウムを聴いていて、そんなふうに私は感じました。</p>
<p>そのようなことでございますので、会場にいらっしゃる皆さんも、この知的なエンターテインメントをぜひ今後も楽しんでいただいて、科学の発展にぜひご協力願いたいと思います。</p>
<p>今日は大変ありがとうございました。</p>
</div>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>加藤晃一先生: 巨大分子の挙動を解明する</title>
		<link>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/kato/</link>
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		<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 14:54:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山本 遼</dc:creator>
				<category><![CDATA[事前取材レポート]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/kato/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/kato.png" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="" /></a>分子科学研究所の加藤晃一先生は、今回のシンポジウム最後の講演者です。
薬理作用をもつ巨大分子研究の推進力となったのは、途方もなく地道な努力、そして偶然の巡り合わせでした。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img style="float: right;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/kato.png" alt="" />

<p>加藤晃一（かとう・こういち）先生は、「糖タンパク質」について研究していらっしゃいます。学部時代は薬学部に所属。主に細胞を舞台として起こる薬理作用の勉強では、教科書を読んでも物質名と作用が列挙されるだけで、実質的には覚えるしかないような風潮があったそうです。タンパク質の一次元的な並び方は分かっていても、実際の現象との関連づけは全く不明だったのです。</p>

<p>生命現象に欠かせないタンパク質は何万個から何十万個もアミノ酸が鎖のように結合したものですが、その鎖の一部分同士が引き合ったり反発したりすることで、その鎖に特有の立体構造をかたちづくっています。</p>

<p>実際の生命体内では、たんぱく質はセルロースやデンプンの構成単位である糖とも結合しており、この糖鎖（糖でできた鎖）がこれまでDNAのコードやその情報をもとに合成されるたんぱく質だけでは分からなかった様々な現象への理解が進むと考えられています（※たんぱく質に限らず、生体内の脂質も糖鎖と結合を作っています）。</p>

<p>HやC、Nなどの原子核の振動と磁気の振動が共鳴する現象を応用したNMR（核磁気共鳴）を使います。分子の中の位置関係によって、同じ種類の原子でも振動の仕方に違いが現れるのですが、このことを逆に利用して、観測された振動のデータ（いくつものピークが連なったグラフが得られます）の違いから各々の原子が分子内のどこにあるのかを突き止めることができます。ここで重要なのは、原理的に1つのピークが1つの原子の振動に対応していることです。</p>

 

<img style="float: left;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/nmr.png" alt="" />

<p>非常に大きなタンパク質を測定するとなると、ごく近くにある原子同士が互いに影響し合ってグラフのピークが重なってしまい、はっきりと一つひとつの原子を区別することが難しいのですが、位置を区別したい原子をそれぞれ同位体（アイソトープ）に置き換えつつ測定するという大変に地道な作業を続けることで、その困難も解決することができました。</p>

<p>加藤先生は細胞に結合する抗体（免疫グロブリン、略号Ig）に付いている糖鎖の立体構造を“切断”していき、その都度上記のような測定作業を綿密に行うことで、抗体と細胞表面にあるレセプター（受容体）の位置関係を解明することに成功しました。この経験をもとに、さらに大掛かりな分子の研究にも着手しています。</p>

<p>「題材そのもの以上に研究を進めていくプロセスが楽しい」とのこと。そしてここまで研究を進めることができたのは、「いい環境に恵まれたから」。所属する研究室で指導してくださった教授などをはじめ、途中で多くの人の力添えを得てこそ今日の成果があるのだそうです。全てを独力で成し遂げられるわけではなく、人と人との多様な繋がりがプロジェクトの進展に大きく関わってきます。それは、途中で扱うテーマが変わっても同じことなのでしょう。</p>

<p>取材後、加藤先生が研究に使用している巨大なNMRの装置を見学させてくださいました。</p>]]></content:encoded>
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		<series:name><![CDATA[第7回NINSシンポジウム事前取材]]></series:name>
	</item>
		<item>
		<title>工藤佳久先生: 「可視化」をめぐる半生</title>
		<link>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/kudo/</link>
		<comments>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/kudo/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 14:45:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>朝倉 彰洋</dc:creator>
				<category><![CDATA[事前取材レポート]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/kudo/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/kudo01.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="" /></a>5番目の講演者、工藤佳久先生のプレビューで最もショッキングだった業績を一言で表現するならば、「イメージング」つまりは可視化の技術でした。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img style="float: right;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/kudo01.jpg" alt="" />

<p>工藤佳久（くどう・よしひさ）先生のプレビューで最もショッキングだった業績を一言で表現するならば、「イメージング」つまりは可視化の技術でした。</p>

<p>これがどれだけすごいのかを分かっていただくために、この技術がなかったころの話からはじめましょう。たとえば、神経の活動を調べたいとします。神経の活動はカルシウムやカリウム、ナトリウムといったイオンが移動することだとかなり前からわかっています。そのため、神経細胞の外側と内側に電極を用意して、刺激を与えたときにどれだけの電流が流れるのかを調べることで、神経細胞の活動を調べることができます。ただ、こうして調べた結果は、細胞の内側の世界と外側の世界がどう違うのかを言っているだけであって、実際に細胞のどの部分でどれだけの反応が起きているのかを知ることはできません。</p>

<p>一方で、可視化の技術を使えば、細胞のどの部分がどれだけ活動しているのかを知ることができます。どこにどれだけのイオンがあるのか分かるためです。さて、このイメージングを数十分の一秒という短い時間で連続的に行い、それをつなげてみるとどうなるでしょう。パラパラ漫画の高速版、アニメーションになりますね。このようにして、刺激に反応している部分、興奮している部位がどのように移ろっていくかまでも「見える」ことでわかってくるのです。実際に工藤先生が研究された順番ではこちらが先になりますが、神経同士がつながったネットワークの中をどのように興奮が伝わっていくのかということも、同じメソッドによってわかります。</p>

<p>可視化の手法で得られた画像なりアニメーション（ビデオ映像）なりを見て、わたしたち単純にすごい！と感じます。しかし、この手法はより優れた点があるのです。</p>

<p>まず、この手法では電極を細胞に突き刺さずに済みます。細胞にとっては電極を突き刺されるだけでも刺激になってしまいますが、工藤先生の手法では顕微鏡から撮影するだけです。もちろん細胞は痛みません（強すぎる光を当てると痛みますが）。こうして、より客観的現象を観察できるようになります。</p>

<p>次に、一回の実験で多くの対象を観察できることがあげられます。先生の手法では、観察される光の強弱とイオンの量が比例するようになっています。実験をビデオテープに録画しておいて、このビデオを再生しながら光の強弱を観測していけば、同時に観測できる点の数は観測装置の限界から少なくても、ビデオの再生は何度も繰り返せるのですべての点を観測できます。それも、各点にどれだけのイオンがいるのかもしっかりわかります。どれだけの規模を対象にしたのかは、実験において重要な情報です。実験自体が繰り返せなければ、観測を繰り返せるようにすればいい。まさに発想の転換が道を開いたといえるでしょう。</p>

<p>今日では観測機器やコンピュータの性能向上により、このようなメソッドが使いやすくなったそうです。</p>

<p>この先進的な手法によって、かつては無視されていたグリア細胞が、ニューロン神経ネットワークで大きな役割を果たしていることがわかりました。神経の機能を理解するのに非常に重要な発見でした。</p>

<p>これよりも前に工藤先生は記憶のメカニズムに関する神経の働きについて調べ、、論文をNatureに投稿されたそうです。しかし、投稿された先生の論文は、「信頼できない」と、論文の信頼性を担保しているレフェリー（査読者）に落とされてしまいます。この論文は結局ほかの学術誌に掲載されたそうです。頭の中が旧態依然としたレフェリーによって画期的な発見が切り捨てられてしまった、そう見えるかもしれません。ですが、工藤先生はより厳密な判断をするように促されてかえってよかったかもしれないとおっしゃっていました。</p>

<p>また、可視化の技術それ事態の危うさについても教えていただきました。上で書いたように、私たちは「まぁすごい」と画像を絶対視してしまうかもしれません。画像にある赤や黄色の色づけは、実際のどんな数字と対応しているのかを忘れさせるかもしれません。ほんのわずかの差しかないようなデータも、色付けをすることで、あたかも大きな変化が起こっている反応のように見せることができます。</p>

<p>生命科学は確かにHOTな分野ではありますが、それゆえに捏造や欺瞞がはびこり、「本当のところはどうなのか」を問い続ける科学者までもが泥をかぶらないように願っています。</p>

<p>プレビューのあとで東京薬科大学の研究室を見せていただきました。観測機器が高度に、精密になるにつれて、設備を整えるにもかなりのお金が必要になっているようです。</p>]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<series:name><![CDATA[第7回NINSシンポジウム事前取材]]></series:name>
	</item>
		<item>
		<title>山森哲雄先生: 飽くなき探求、そして大きな決断</title>
		<link>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/yamamori/</link>
		<comments>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/yamamori/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 14:40:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>朝倉 彰洋</dc:creator>
				<category><![CDATA[事前取材レポート]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kenbunden.net/kbd_wp/?p=152</guid>
		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/yamamori/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/yamamori1.png" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="" /></a>4番目の講演は、山森哲雄先生です。
「大腸菌の熱ショック現象」から「霊長類の脳」…研究対象を転換した動機とは？]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img style="float: left;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/yamamori1.png" alt="" />

<p>山森哲雄（やまもり・てつお）先生は大学院生時代に熱ショックたんぱく質が大腸菌に存在することを実証するという輝かしい功績を挙げられています。周辺の温度に対応するために、細菌から人間まで、生物は温度に応じた特定のたんぱく質を産生します。この特定のたんぱく質が熱ショックたんぱく質と呼ばれています。しかし、化学反応は温度が高いほど速く進むので、温度が変わったからといって特定のたんぱく質だけの産生量が増えるとは考えられないとされていました。山森先生は大腸菌の産生するたんぱく質の量をできるだけ個別に調べることで、特定のたんぱく質の産生量だけが本当に増加していることを確かめました。1970年代後半のことです。その後熱ショックたんぱく質の研究は進み、現在では生体の中で非常に重要な役割を果たしていることがわかっています。</p>

<p>しかし、ここで山森先生は研究分野を転換します。自分がやらなくても、熱ショックたんぱく質の研究は、他の人の手でなされていくだろう。他の誰もやらないような、自分しかできない研究がしたい。そう考えた山森先生はアメリカへ留学し、「ドクターコースをやりなおすようなもの」というような研究生活を送ることになります。</p>

<p>それから泥沼の20年が始まります。山森先生は脳というあまりに巨大な謎に立ち向かいました。私たちが何気なく使う「前頭野」などの言葉でさえも、「そうなっている」ことはわかっていても、「どうしてそうなるのか」は当時まだわかっていませんでした。しかし、山森先生は2001年に視覚野という部位で特定の遺伝子が刺激に応じて特別にはたらいていることを発見しました。</p>

<p>実は、哺乳類が持っている脳に関連した遺伝子の数は、2万から3万塩基と、ヒトでもラットでも大して変わりません。そのため、特定の遺伝子が発現するか否かが、ヒトに代表される霊長類の高度な脳を実現していると考えられます。これを実証したのが山森先生の研究なのです。もちろんアメリカなどの研究者も同様の研究を行っていましたが、ラットを用いた研究でした。一方、山森先生は霊長類たるサルで研究することで、この研究成果をあげられました。ラットもヒトも同じ哺乳類ではありますが、その両者のあいだにある差異がクリティカルなことがあるということです。</p>

<img style="margin: 0 100px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/yamamori2.png" alt="" />

<p>いま、山森先生はどの遺伝子がどこでいつ発現するのかを調べています。このような研究は一定期間で「成果がこれだけでる」とは言えないそうです。現在、サイエンスの中心はアメリカだと言われていますが、アメリカの研究者は「こうこうするとこれこれの時間でどれだけの成果がでる」と言って予算を獲得しています。それも実用上の、経済的に意味のある成果が求められます。このような環境では、まだなにもわかっていない分野で、どのような発見があるのか予期できない研究は、できなくなってきています。この点では、基礎研究にとって、日本の方が研究環境がいいのかもしれません。</p>]]></content:encoded>
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		<series:name><![CDATA[第7回NINSシンポジウム事前取材]]></series:name>
	</item>
		<item>
		<title>伊藤公孝先生: 核融合理論から拡がる世界観</title>
		<link>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/it/</link>
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		<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 14:27:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山本 遼</dc:creator>
				<category><![CDATA[事前取材レポート]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/28/it/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/ito01.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="" /></a>講演の3番手は、核融合科学研究所の伊藤公孝先生。ご夫婦で研究なさっており、核融合で突然起こる「L-H遷移」の理論的説明に成功した方です。
しかし、「境界」の存在は、私たちの世界認識を支える重要な柱でもあるのです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[ 

<img style="float: right;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/ito01.jpg" alt="" />
<p>
伊藤公孝（いとう・きみたか）先生は、核融合科学の理論で画期的な発見をなさっています。
</p><p>

核融合科学は、将来の地球のエネルギー源として期待されている「核融合」を研究する学問です。核融合とは、太陽などの恒星で日々生じている、ふたつの原子核が一緒になり新たな元素が生まれる反応です。太陽のような質量が大きい天体では、その重力によって原子が高密度に濃縮され、原子核同士が引き合わされることで、核融合反応が生じます。その際に生じる莫大なエネルギーによって、太陽は数十億年にわたって輝いてきました。しかし、地球は質量が小さいため、自然に核融合が生じるような環境ではありません。地球上で核融合を起こしてエネルギーを生じさせるためには、原子同士が接近して融合するような状態を人工的に作らなくてはなりません。現在のところ、人工的な核融合反応から得られるエネルギーは、核融合反応を起こすために必要なエネルギーよりも小さいため、発電所としてはまだ実用段階に至っていません。しかし、研究は世界中で進められており、将来高い効率が得られるようになれば、人類の画期的なエネルギー源になります。
</p><p>
3月2日、岐阜県にある「核融合科学研究所」に、伊藤先生を訪ねました。
</p><p>
1982年、核融合の手法の一つである「トカマク型」と呼ばれる装置で、実験中に「Hモード」と呼ばれる現象が発見されます。「トカマク型」は、人工的に発生させた高温のプラズマを磁場によって容器に閉じ込め、核融合が生じる状態を保つ装置です。「Hモード」は、ある条件においてトカマク型における核融合の効率が飛躍的に上昇する現象であり、偶然発見されたため、当時は理論的な解明が追いついていませんでした。伊藤先生は、ドイツで研究中にこの「Hモード」を説明する画期的な理論を発表しました。この理論によってトカマク型の核融合装置の研究は大きく飛躍し、現在はトカマク型による「核融合発電」に手が届きつつあります。
</p><p>
 

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日本は、核融合研究において世界トップクラスの技術力を誇っており、JAEAの「JT-60」や、核融合科学研究所の「LHD」など、国内にも大型の核融合研究施設が建設されています。また、日本も開発に参加している「ITER」プログラムでは、世界初の「核融合発電」の実証を目標に掲げています。核融合は、核分裂による原子力発電とは異なり、高レベル放射性廃棄物が生じず、また、その性質上、炉が暴走するといったこともありません。実用化すれば「夢のエネルギー源」となることはほぼ確実で、地球上のエネルギー問題を一挙に解決してしまう可能性を秘めています。また、核融合の研究は他の学問分野への応用性が高いことも多く、核融合科学での前進は、科学全体の進歩にも貢献します。「考えることが仕事なんです」と語る伊藤先生。先生の講演は理論物理における「画期的発見」を追体験できる貴重な場となることでしょう。
</p>]]></content:encoded>
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		<series:name><![CDATA[第7回NINSシンポジウム事前取材]]></series:name>
	</item>
		<item>
		<title>中井直正先生: 銀河中心の巨大ブラックホール観測</title>
		<link>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/24/nakai/</link>
		<comments>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/24/nakai/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Mar 2009 16:00:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>窪田 史朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[事前取材レポート]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/24/nakai/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/nakai01.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="" /></a>2番目に講演なさった中井直正先生は、電波天文学の専門家。銀河中心部の超巨大ブラックホールの観測・研究で有名な方です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img style="float:right;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/nakai01.jpg" alt="" /> 中井直正（なかい・なおまさ）教授は、電波天文学の専門家で、特に銀河中心部の超巨大ブラックホールの観測が有名です。</p>  <p>先生が観測に使ったのは、水MASERです。 LASERと同種のもので、違いは周波数がマイクロ波の領域であることだけです。 人間が普通に生活している環境では、人為的に特殊な条件をそろえない限り、レーザーやメーザーの発振は起こりません。 しかし、宇宙は広い。 特に宇宙空間に広がるガスが希薄であることが大きな要因になるようですが、 宇宙には天然のメーザー発振源が数多く存在するのです。 1970年代末から80年代に掛けて、欧米の電波望遠鏡によって、5つの銀河で非常に特徴的なメーザー源が観測されました。 1.銀河の中心部から 2.太陽の全放射エネルギーの数百倍に達するエネルギーのメーザーを放射している というもので、天の川銀河が放射している水メーザーと比較すると、 その数百万倍に達すると言う、極めて強力なものでした。 後にアメリカのグループが、そのうちの一つM106のメーザーの強度が時間変動しているという論文を発表します。 中井先生もその結果の追試をしてみようということで、野辺山天文台にある、 45mの電波望遠鏡でその銀河を観測しました。 その当時、野辺山天文台の45m鏡には、当時の世界標準の数倍にあたる、8台の分光計が備えられていました。 そこで、中井先生は折角あるものは活用しようと、 ターゲットであった周波数帯のかなり外側の部分まで観測範囲を広げて分光を行いました。 すると、全く予期していなかったことに、電波源が秒速1000km/s程度という超高速で運動しているらしいことが分かりました。 この水メーザーは、低温の水分子から放出されるものであるため、この結果は不可解でした。</p>  <p>秒速1000km/sとはどんな速度でしょうか。他のものと比較してみると、 光速の0.3%、太陽系の銀河に対する公転速度の5倍、地球の公転速度の34倍、音速の3000倍、と言った所です。  この超高速のメーザー源が一体何なのかを調べるため、先生はVLBI (Very Long Baseline Interferometry:超長基線電波干渉計)を用いた観測を行いました。 先生が利用したのは、北米大陸に設置された10台の電波望遠鏡を組み合わせたVLBAと呼ばれる電波望遠鏡群でした。 この望遠鏡群は、東西8000km、南北4000kmという広大な領域に点在しています。</p>  <p>VLBIは、既知の2観測点間の距離と、同じ信号が2観測点に到達する場合の時間差から、 極めて高い精度で目標の角度を割り出すことが出来ます。 基線が長くなればなるほど、同じ信号が到達する時間差は大きく、つまり検出しやすくなります。 その結果、基線が長くなると、極めて高い精度で信号の来た方向が決定できるのです。 地球規模の超長基線を用いた場合、1000分の1秒(=3600万分の1度)という、超高精度が達成可能です。 これは、光での観測の100倍程度の精度です。  結果、電波源のサイズが対象銀河全体に対して10万分の1以下と極めて小さいこと、 その領域の中心にある何かに対して軌道運動を行っていること、を明らかにしました。 中心天体は、これらの結果から銀河の100万分の1以下、1光年を切る領域に、 太陽の3900万倍にも達する巨大な質量が局在したものだと推定されました。</p>  <p>そしてこのような巨大な質量を持ちうるものには恒星の大集団やガス、そしてブラックホールなどがあります。 しかし、ガスは拡散してしまいますし、もし恒星の集団だとしたら、互いにぶつかって壊れてしまうので、 その寿命はせいぜい1千万年程度だと計算されています。 この時間は、数十億年から100億年と言う、銀河のタイムスケールと比較すると、ほとんど一瞬であり、 その瞬間に人類が丁度良く観測できるということはめったにないでしょう。 そういった意味で、この巨大質量の正体がブラックホールである蓋然性が極めて高いと判断されます。</p>  <p>この発見を支えたのは、光では&#8221;見えない&#8221;ものが見える電波の特質と、 VLBIという、超高精度を達成する手法を組み合わせる方法でした。  さて、その強力なVLBIですが、欠点もあります。 基線の長さを伸ばせば伸ばすほど、空間分解能は高くなるのですが、 それにつれて観測する天体が強い電波を出していないと観測できなくなるのです。 さらに基線を延ばすため、軌道上に電波観測を行う衛星を配置するSpace-VLBIでは、 地球の直径を越えるような超長基線を得られ、それによってさらに一桁上の精度(1万分の1秒の桁)が達成されています。 その代わりに銀河の中でも極めて明るい部類に属するものや、クェーサの様な強力な電波源以外観測できなくなってしまいます。  その欠点を補うには、数多くの電波望遠鏡を組織的に運用して、VLBIを行うことです。 先生がブラックホール観測に利用したVLBAも、こういった発想のものです。</p> <p>しかし、もっと組織的に構成した電波望遠鏡群を建設しようと言う計画があります。 それが、ALMA(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array)計画です。 この計画は、チリのアンデス山脈中にあるアタカマ砂漠の18kmの領域に、 12mと7mのアンテナを、あわせて80台建設しようと言う、野心的なものです。 アメリカ国立電波天文台、ヨーロッパ南天天文台、そして日本の国立天文台の共同計画の形を取っています。  先生はこのALMA計画にも深く関わっていらっしゃいます。 この計画の起源は、森本雅樹氏の、野辺山に大規模な電波干渉計を作ろうと言う計画に遡ります。 この計画は、10mのミリ波望遠鏡を5台用いる形で現実化しますが、当初の計画は、同じ型の望遠鏡を30台組み合わせたものでした。 これではお金がかかりすぎるため、望遠鏡を置く場所は30箇所用意し、その間にレールを敷いて、 望遠鏡の方を時々に合わせて移動させることで、5台のアンテナでも、 もっと多数のアンテナがあるかの様に使えるシステムを作りました。 とは言っても、移動させている間は観測できませんし、移動させる前と後では当然&#8221;同時に&#8221;観測するわけではありませんから、 出来ることならもっと多数のアンテナが使いたい。そこで、30の土台全てに望遠鏡を据え付けようという計画が動きます。 この計画を推進していたのは海部宣夫氏だったのですが、海部氏はすばる望遠鏡の建設のため、野辺山天文台を去りました。 後に残された野辺山の研究者たちが計画を引き継ぐことになったのですが、その中の一人が先生でした。  さてここまで大型電波干渉計を日本に建設しようと言う計画だった訳ですが、 中井先生はこの後海外へ建設しようと言う提案を行います。この提案自体は、大きな反対もありませんでした。 そこで、先生たちは世界各地の候補地をまず文献調査、次に実地�
�査しました。実地調査に行ったのは、 ハワイや中国北部やチベット、そしてチリのアタカマ砂漠などでした。  電波にしろ光にしろ、望遠鏡の観測に適した土地とは、</p>
<ol>
	<li>晴れの日が多い</li>
	<li>湿度が低い</li>
	<li>大気が薄い(海抜が高い)</li>
	<li>周囲に人家など、光や電波を出すものがない</li>
</ol>
<p>と言った条件を満たす場所です。さらに、電波干渉計を建設する場合は、建てる望遠鏡が1台や2台ではありませんから、 それを建設するのに十分な広さも必要です。贅沢を言えば、広くて平らな土地が欲しい。 こういった観点から見て、チリのアタカマ砂漠は最高でした。</p>
<ol>
	<li>高い晴天率(年間の70%以上晴れ)</li>
	<li>砂漠地帯の少ない降水量(年間降水量100mm以下)</li>
	<li>標高5000m近い高地であり、気圧は地上の半分程度(ハワイは4200m程度)</li>
	<li>砂漠地帯の上、周囲は山</li>
	<li>さらに高地にありながら、幅長さ共に数十kmに及ぶ広大で平坦な土地</li>
</ol>
<p>また、チベットや中国内陸部と違い、大きな港から距離が近いこと、 さらにチリからボリビアに抜ける道路の傍であることなど、機器の輸送や建設の面でも魅力があります。  こうして中井先生は電波干渉計はチリに建設すべきだと言う確信を持ったのですが、 国立天文台内部には、ハワイに建設しようと言うグループもいました。 ハワイには既にすばるの建設が行われていましたし、生活水準も高い、電力なども潤沢だ、と言った理由からでした。  <img style="float:left;margin: 10px" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/nakai02.jpg" alt="" /> 先生は大金を投じるのだから最高の成果を出さねばならないと、チリに計画を持っていくべく奮闘します。 苦労と紆余曲折を経て(この部分は当日の講演にご期待ください)、アメリカがアタカマ砂漠への電波干渉計建設を決めた辺りから、 日本でも｢やはりアタカマに作るべきだ｣という意見が大勢になります。 そして国立天文台のLMSA、アメリカのMMA、ヨーロッパのLSAという、アタカマ砂漠に大型の電波干渉計を作る、 各独立した3つの計画が立ち上がりました。その後折角なら一緒に作ったほうがいいものが作れると、 この3つの計画は集約され、現在のALMA計画が誕生しました。  先生のおっしゃった、アタカマ砂漠が地球上で観測に最も適した場所であることを指しての、 ｢正しいことは正しいのだ｣という言葉が印象的です。  実はアタカマ砂漠を越える、大気中に水分が少ない場所が存在します。 それは、南極大陸中央部です。南極では空気中の水分は瞬く間に凍りついてしまうため、 大気中に漂わず、雪として地面に降り積もっていきます。結果、湿度は年間を通して極めて低く保たれます。 先生は現在極地研究所と共同で、標高4000m近いドームふじ観測施設に、10m級の大型電波望遠鏡を設置する計画を推進しています。</p>]]></content:encoded>
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		<series:name><![CDATA[第7回NINSシンポジウム事前取材]]></series:name>
	</item>
		<item>
		<title>大隅良典先生: 生命体のリサイクル機能を究める</title>
		<link>http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/23/osumi/</link>
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		<pubDate>Mon, 23 Mar 2009 14:57:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山本 遼</dc:creator>
				<category><![CDATA[事前取材レポート]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://kenbunden.net/wpmu/blog/2009/03/23/osumi/"><img align="left" hspace="5" width="150" src="http://kenbunden.net/nins07/img/pics/osumi.png" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="" /></a>第7回NINSシンポジウムの最初の講演者は、大隅良典先生。細胞単位で起こるオートファジー（自食作用）という現象を研究なさっています。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img src='http://kenbunden.net/nins07/img/pics/osumi.png' style='float:right;margin: 10px' />
<p>大隅良典（おおすみ・よしのり）先生は細胞内で起こる「オートファジー」と呼ばれる現象を研究する第一人者です。</p>

<p>DNAの遺伝暗号（4種類の塩基からなる1次元の配列）はmRNAに転写され、その情報を用いてオルガネラの一つであるライボソームribosome（「リボソーム」ともいうが、こちらの方がより英語に近い）でタンパク質が合成されます。こうした「構成」的プロセスに対し、いわばその逆の「分解」にあたるプロセスがオートファジーautophagyです。</p>

<p>この仕組みを発見するきっかけとなったのは、酵母菌への栄養供給を止めた際に液胞の周りに突如として細胞質の一部分を包み込むように膜が生じ液胞に入る、という現象でした。液胞の消化機能を人工的にストップさせると、この膜構造が液胞の中にどんどん蓄積されていく様子がはっきりと観察できたのです。後に、この膜はミトコンドリアなど周りの小器官を消化するため、小器官を呑み込んで液胞まで運ぶ役割を果たしていることがわかりました。</p>

<p>外部から栄養が得られなくなった時も細胞は機能停止するわけではありません。常時「構成」と「分解」のサイクルが回っていて、外部との物質のやり取りがなされなくなっても、自らの内側にある各器官を「リサイクル」して生産活動を持続させようとする見えない仕組みが備わっているためです。また、この機能自体が働かなくなると、細胞は本当の「死」を迎えることになります。</p>

<p>オートファジーが、細胞に侵入してきたバクテリアを殺すなど、単なる細胞の持続的活動にとどまらない役割をも果たしていることも明らかになっています。また、ある種の疾病はオートファジー機能が不全であるために生じると考えられており、医学・薬学的応用への展望が開けたこともあってか、今や多くの研究者がテーマに選ぶようになりました。</p>

<img src='http://kenbunden.net/nins07/img/pics/osumi2.png' style='float:left;margin: 10px' />
<p>しかし、いわゆる「基礎科学」・流行に乗らない科学的研究を重視なさる大隅先生は、始めはなかなか認知されなかったオートファジー研究が現在ある種の「流行り」の時期を迎えていることについて、あまり楽観的ではありません。</p>

<p>研究のそもそもの動機は純粋な科学的興味や感動にあるわけで、「役に立つ」かどうかとは別問題…研究のトピックも、「成果」「進歩」の程度も、後になってみなければ評価できない、と先生は言います。近年、世界規模で研究職における極端な成果主義的性格が強まり、研究者が資金確保に躍起となっている事態は大学生である私たちの耳にもよく入ってくる話ですが、大隅先生はこのような「近視眼的な」実用性ばかりを追い求める風潮があることに強い危機感をお持ちでした。また、それに加え、研究者の人間的コミュニケーションが希薄になり、研究の進展に悪影響を及ぼしているという点も指摘しています。加藤先生もおっしゃっていた、研究の「全て一人で成し遂げるものではない」といった性質をよくご存じだからこそ感ぜられることなのでしょう。</p>]]></content:encoded>
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		<series:name><![CDATA[第7回NINSシンポジウム事前取材]]></series:name>
	</item>
	</channel>
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