難しいよね。研究者になろうとしている人で、ある程度それぞれの分野で研究のイメージが確立していて、かつ自分のやりたいことがはっきりしていれば、その道をやってくれればいい。
ある程度方向が決まった人にとっての問題は何だろうね……昔に比べて難しいのは、どの分野でも、文系理系を問わず、ディシプリンの寿命が短くなっている気がする点。
例えば文化人類学の古典みたいなことをやっていた時期は、何を議論するかの枠組みがすごいはっきりしていたんですね。人類学の初期はいろんな伝統社会の親族、血縁関係とかそういうのを比べたりして、一般的なことが言えないか、といったテーマでやっていました。でも、今はそういう議論はほとんどやってないです。元々その学問が持っていたルーツというか、最初に目指していたところからかなり離れたところに今来ていて、それぞれの分野の個性もあいまいになっている。面白いといえば面白いが、自分の基盤を作るという意味でいうとすごく難しい、困難な状況に来たなと僕は感じるんですね。 結局、インターネット的知識というのはピンポイントで何かを調べるのにはいいけど、歴史的由来とか全体像がなかなか分からない。どんな分野でもいいから、一つについては最初の問題設定から現在までの系譜関係を頭に入れておくことが重要かな、とは思いますね。特に人文社会系では。理系だと系譜の部分が教科書に圧縮されていて、そこから出発するのが普通ですが、人文社会系は圧縮度が弱い。系譜を理解しておかないと情報の大波に流されてしまう。でも、私がいたラボでも遺伝子関係の実験装置がキット化して、初歩的な実験だったら簡単にできてしまうという現状に対して、中堅の研究者が危惧の念を抱いていましたね。本当の基礎ができないと。その意味では、理系でもそうした歴史的経緯は知っておいて損はないかもしれません。そこにアイディアが詰まっている。
―芯を持つことが大切、ということでしょうか。場合によっては大学院に行く時とか、途中で変えてもいいわけで、二つくらいの領域についてある程度のノウハウがあるというのは悪くないと思います。ただ、一つのことを10年間はやってみて、それである程度分かったら、次はこっちへ行くかと考えるのが現実的じゃないかな。むしろ、教養学部後期課程みたいに3,4年の段階になってもあれもこれもやらせると、僕自身が認知科学をやり直したみたいに、将来やり直さないといけない。つまり、広くやったらその後は10年引き締めるという感じでバランスを取るということです。プロの研究者になった場合は、進路を変更するとその間は何も出せないから、研究生活としてはリスクもあるよね。さらに成果の段階の時に頑張らないと、学んだだけで終わっちゃう。
でもこればかりはなかなか正解があるとは言えないんじゃないかな。結局のところは、自分が10年でも20年でもやって満足ができるテーマが見つかれば、それを追求する方法は、一点集中でも、広域探索でもいいという感じがします。そういうテーマを見つけられること自体が幸運だと思います。
(終)2009年8月10日 東京大学 駒場キャンパス14号館にて
聞き手: 西田祐木 窪田史朗
編集: 西田祐木 栄田康孝 朝倉彰洋 福岡成雄