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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2010.3.25 | by admin

6.取材◆太田克史さん(編集者)

太田克史さん×立花ゼミ文学企画

2009.12.10

@講談社BOX編集部

参加ゼミ生:岡田空馬、廣瀬暁春、廣安ゆきみ

『ファウスト』編集長として有名な太田克史さんに取材をさせていただいた。
いわゆる「ノベルス」・「ライトノベル」を世に送り出し、ヒットさせ続けている編集者太田さん。質問するのは不しつけだが、やっぱり気になる、「世の中に本が増えすぎているのではないか」という疑問に、余すところなく答えていただきました。

【目次】
1.「流れ」を作れる編集者
2.作家を鳴らすのが編集者
3.ラノベのアプローチを使った文学作品
4.教科書には、載るよね
5.編集者は、強いんです。

 

(1)「流れ」を作れる編集者
廣瀬
:早速ですが、出版点数が膨大になってきていることについてどう感じていますか?
太田さん(以下、敬称略)
:日本の出版界には「取次」という制度、会社があって、そこが問屋&商社的な役割を果たしていて、お金的の流れ的にはそこが出版業界の心臓なんですよ。そして、これはぜひ廣瀬さんにも勉強してほしいんだけど、「委託制度」の性質上、出版社はとにかく本を出しさえすれば、時期をおいて、取次からある程度のお金が入ってくるわけです。で、そうやってお金が入ってくれば、また本が出せる。その中の何冊かに一冊が当たればまた次の本が出せる……、っていう感じの自転車操業が出版点数の増大を招いているという指摘が世間にはあって、それは僕もおおむね正しいんじゃないかと思っています、個人的には。これが、まず一点。出版社の経営上の問題からくる原因ですね。
で、ある時期までは読者のみなさんもそういった出版社の自転車操業に喜んでついてきてくれていたわけなんだけど、最近はそうでもなくなってきている。以前はサイクリングみたいに楽しい自転車操業だったんだけど(だって、たくさんの本がこの世に生まれてくるのは基本的には楽しいことじゃない?)、今はただただ苦しいばかりの自転車操業になってきているというきらいがあるんだと思いますよ。何しろ、この十数年で日本の出版物の刊行点数はおよそ倍になっているそうですからね。読者もさすがについていけなくなってきているんじゃあないかな。
そして、もう一点の原因は、本作りの環境の進化によって、本を作るための実作業がすごく楽になってきたことが挙げられると思う。『ファウスト』を作るにあたって僕も積極的に取り入れてきたわけだけど、DTP(※1)みたいな新しい技術が浸透してきて、「本を作る」ってことは以前はハードルがめちゃめちゃ高かったのに、今は必ずしもそうではなくなってきている。(これも本来は別に悪いことではないよね?)
昔だと、例えば活版時代の出版界では、植字工さんがいて、棚にばーっと並んだ活字を一個一個拾って版を作っていたわけですよ。岩波書店さんが版元で、精興舎さんという印刷会社の活字で本を出すというのが学術系では最高の名誉とされていたりした時代ね。それが写植時代になって、今はDTP時代になった。印刷までの全行程は、もうぜんぶパソコン上でできちゃうんだ。

(※1)Desktop Publishingの略。書籍、新聞などの編集に際して、そのレイアウトをパソコンで行い、データだけを印刷所にもちこんで印刷すること。たとえばフォントを細かく指定したりだとか、編集者や作家が自分の思うとおりのデザインの本を作ることができる。

廣瀬
:確かに、執筆もワープロで楽になったし、本を出すことのハードルはすごく下がったと思います。やはりハードルが下がったことによって高品質ではない本も増えましたか。
太田
:二極化したね。楽になって手を抜いた本と、楽になったぶん、手をかけた本と。いい編集者だと思われるためのスキルも変わったしね。僕が書籍の編集部に入った十何年か前までは「誤植が少ない本を作れる」っていうのが、いい編集者とされる価値基準のかなり上位の位置にあったんですよ。でも今は、きちんとした校閲ときちんとした仕事をしさえすれば、編集者の誰もが同じようにかなりミスのない本を作れるようになったと思う。
廣瀬
:では、今はどういうことがいい編集者の基準になっているのですか?
太田
:それは、人それぞれじゃない? 僕の場合は、「流れ」を作れる人がいい編集者だなぁ、と思っているけどね。例えば、かつてミステリ界には「新本格ミステリ・ムーブメント」っていう「流れ」があったんですよ、80年代の後半からね。その「流れ」を起こしたとされている編集者の宇山日出臣さんのように、「流れ」を作れる編集者がいい編集者だなと僕は感じています。けど、それは優れた編集者だからできるというものではないかもしれないし……。うーん、難しいね。複数の作家が実際に同じ方向を向いているか、あるいは、同じ方向を向いているかのように思わせないといけないわけだし、時代の要請も必要だろうからね。
廣瀬
:その、流れを作っていくというのは、太田さんで言えば、『ファウスト』創刊ですか?
太田
:そうかもしれないけど、それは他の人が決めることだからね。起こそうと思って起こせるものでもないだろうし。
廣瀬
:ちなみに、太田さんの場合は起こそうと思ったのですか?
太田
:うん、起こそうというか、起きるべきだと思ったよ。あの頃の僕は活動家だったからね(笑)。それに何より、読者が「流れ」を待っていた。そして、僕にはそれが分かっていた。『ファウスト』の成立のきっかけについては既にいろんなところで話しているけど、講談社がそろそろ創業100周年になるからということで、それを記念した「新雑誌企画賞」というコンテストを社内で開いたんです。そのコンテストで僕の『ファウスト』の企画が最優秀賞をいただいたので、僕が講談社の役員会と交渉して、どんなに一冊目の数字的な結果が悪くても、二冊目だけは必ず出させてもらう約束をして『ファウスト』を始めたの。その二冊でたまった原稿に、書き下ろしてもらった原稿を加えれば一冊の本として世に出せて、トータルで黒字に持ち込んで三冊目を出させてもらうこともできるだろう……という大人の計算もあったりしてね。そうそう、その二冊包括契約の締結は京極夏彦さんにも褒められた。京極さんには僕、今までの全生涯で二回くらいしか褒められたことがないんだけど、そのうちの一回はそれだった!(笑)
廣瀬
:なるほど! 『ファウスト』はなぜ、この方向性なのかも教えていただけますか?
太田
:『ファウスト』の企画書で僕が書いた方針は三つあって、一つは「イラストーリー」。ライトノベルの文法で作られた文学・文芸を振興させようっていうこと。
それから、「一人編集」。さっき話したような時代の移り変わりもあって、雑誌の編集は、もうかなりの部分が一人でできる時代になっていた。それに、一人でやれば、人件費がかからないしね(笑)。そうだ、『ファウスト』成立の前段としては笙野頼子さんと大塚英志さんの論争が『群像』であったことを忘れちゃいけない。「不良債権としての『文学』」という大塚さんの文章、ウェブでググったらきっと出てきます(※2)。非常に面白いので読んでみるといいですよ。
僕はその大塚さんの文章に現実の側から反論するために、黒字の文芸雑誌を誰かが、というか僕が作らなきゃだめなんだ、と決意したわけ。文学も経済的に自立できるんだ、ってことを証明しなければならないんだと。で、そういう器を作るにはどうしたらいいんだろうって僕が考えた答えが、「一人編集」だった。コスト削減と、できるだけクイックな編集者的意志決定をするためにね。
で、その一人で編集をやるための、三つ目の柱が「本物のDTP」。ちょうど2001年あたりからDTPの世界では技術面での大きなブレイクスルーがあったんだけど、まだまだ出版社が積極的に使っていこうっていう感じにはなっていなかったんだよね。でもその頃、僕が担当させていただいていた京極夏彦さんがそういった最新のDTP技術の導入に対してすごく熱心だったから、僕は凸版印刷の紺野慎一さんの助けを借りて必死でDTPを勉強して、その勉強を通じて、「このDTP技術を使ったら単なるコストダウンだけじゃなくって、小説の一編一編でフォントを自由に変えたりもできるし、今よりももっと面白い、スリリングな文芸誌が作れるんじゃないだろうか?」と感じて、『ファウスト』の企画書を書いたんだ。

(※2)ぐぐってみました。http://www.bungaku.net/furima/fremafryou.htm
    是非通読してみてください。

(2)作家を鳴らすのが編集者
廣瀬
:例えば『ファウスト』で太田さんが世に送り出していく作家さんの作品について、「ここはゆずれない」「こういうのを送り出したい」というのはありますか?
太田
:端的に言うと自分にとって面白いもの。自分を叩きのめしてくれるような作品を書いてくれるとうれしいよね。
廣瀬
:ではその「ゆずれないもの」と売り上げが対立してしまうとき、折り合いはどうつけていますか?
太田
:作家さんは、いいものを書くことに専念してくれればいいと思う。小説は面白いから売れるわけじゃないしね。言ってしまえば、モテる人間はモテるからこそモテるように、売れる小説は売れるからこそ売れるんです(笑)。だから売れる売れないということについては、作家さんには責任はないですよ。そういう意味では、折り合いなんてない。もちろん僕の側から狙って「売れるもの」を書いてもらおうって場合もゼロではないけど、作家さんにはとにかく面白いものを書いてもらうのが基本です。そして、一冊の本が黒字になるところまで何とかして持っていくのが編集者と版元の仕事だと思います。
岡田
:太田さんがいいと思ったらなんとしても売る、というスタンス?
太田
:作家には面白いものを書いてもらう、編集者は売る、それは等価交換でしょう。
例えば、作家は音楽の再生装置で言うとCDプレイヤーみたいなもので、本当のところはヘッドホンぐらいしか動かす力はないわけ。電子媒体ならいざしらず、紙を媒体にするならばどんな大作家だって、一人で本を作って行商を始めてみたところできっとたいして売れやしない。出版社を通すから、10万部、100万部と大きくなっていくわけじゃないですか。だから、アンプとかスピーカーの役割は、編集者とか、出版社とか、取次とか、印刷会社とか、書店員さんたちが果たしているんだよね。ただ、そういったアンプやスピーカーが良い鳴りをするためには、Cプレイヤーが発進する最初の信号がすごくいい「1」じゃなきゃだめなんですよ。そして、その、「0」から「1」を作るってことは、この世で作家さんにしかできないすばらしいことで、本当にすごいことなんだ。で、その「1」を「10000」だとか、「100000」、「1000000」にしていくのが僕たちの仕事です。作家さんにはその「1」が、届くべき読者にしっかり届く「1」になるための完璧な「1」を作ってもらう。責任はきっちり分かれていると思うよ。
廣瀬
:責任をきっちりと分ける、ですか。
太田
:ただね、やっぱり作家も編集者も人間だから、上手くいったのはぜんぶ自分のおかげだと思っちゃうこともある。作家さんが、売れているのは自分の作品が面白いおかげだと思っちゃったりとか、編集者が、自分では一行も書いていないくせに文学賞を取った気になっちゃったりとかね。得てしてそんな感じで、お互いに滑稽な勘違いが始まっちゃう。そういうのは、美しくない。
僕が『ファウスト』で一人編集をやったのは、ひとつには『ファウスト』が売れなかったときに責任を取ろうと思ったからなのね。舞城王太郎さん、佐藤友哉さん、西尾維新さんに被害を及ぼさないようにしたかった。編集長の太田克史がだめだったから『ファウスト』が売れなかった、ってするためには、僕が自分の名前を出して前に出ていくしかなかったんです。だから目立とうというのではなかったね。ファウストがだめだったときに、まず自分に矢が飛んでくるようにしないと、みんなを冒険に引っ張りだせないじゃない? 旗を振っている人間から真っ先に死んでいかないと、フェアじゃない。
廣瀬
:かっこいいですね。
廣安
:太田さんが作家に求める面白い本というのは、一読して面白ければいいのか、何回も繰り返し読んでもらいたいのか、どういうものですか?
太田
:うーん、これはかつて松田優作の言っていたことのちょっとしたパクリなんだけど、いい本は、やっぱり書店で他の本から5センチ浮き上がって見えるんだ。だから僕が本を作るときには、5センチだけ、書店という日常から浮いた本を作ろうとして頑張っている。まあ、僕の場合は、5センチじゃなくって、得てして5メートル浮いちゃうんだけどさ!(笑)5センチだとかっこいいんだけど、5メートルだとだめだよね~。「手、届かないよ!」っていう。
廣安
:舞城王太郎とか西尾維新が好きだけど、「一読してさよなら~でいい」というゼミ生がいるんですけれど、そういう読者はどう思いますか?
太田
:全然いいんじゃない? 太田的に読者にこう読んでほしいっていうのはあるけれど、押し付けるものじゃないしね。そりゃ100回読んでくれる人がいたらうれしいけど、1回しか読まない人も、その人がたまたまそういう読み方なんだっていうだけでしょ。買われていった以上、もう著者や編集者の手を離れて読者のものになったんだから、そこで僕らがどうこう言いたくはないじゃない? もちろん、もっと気合い入れて、魂込めて読めよ、とちらっと思わなくはないけど、それを押しつけはしない。ラーメン屋のオヤジが「胡椒入れんなよ!」って客に注文するのは少し変でしょ? もちろんそういう心はあるよ、胡椒入れるにしても少し食べてみてからにしてほしいとか。けど、それは言わないお約束。
廣安
:普遍的な、残る作品を世に出したいというのはありますか?今は旬だけど、そのうち旬が過ぎて、消えていってしまうのは寂しくないのかな、と思うのですが。
太田
:残り方にも色々あるけどね。例えば、二葉亭四迷は言文一致運動の旗手だったからこそ残っている割合が多いよね。あの太宰治にも時事的な面で残っている割合は歴然としてありますよ。「太宰治の『人間失格』には第二次世界大戦後の喪失感があって……」みたいな読み方ね。だからたとえば奈須きのこさんの『空の境界』が仮に30年後、40年後、読まれているとしたら「21世紀初頭、日本のアニメ・ゲーム・マンガ文化が隆盛を極めていた時代の代表的な小説で…」って感じになる、かもしれないね。
しかしね、時代を越えて残るのはいつだって旬なものですよ。普遍的だから残るんじゃない。逆説的だけど。残って、結果として普遍的になっていくのであって、ね。だからただ僕は「こういうのが残っていったら面白いな」って思って、日々仕事をして過ごしているだけですよ。まぁどうせ100年後なんて誰も生きていないんだし、想像は自由でしょう。胸を張ってやっていくしかない。

(3)ラノベのアプローチを使った文学作品
廣瀬
:作家が増えて、一冊あたり、一人あたりの存在感が薄くなってきていると思うんです。そんな状況の中で太田さんの担当する作家さんは悩まれたりはしませんか?
太田
:うん、薄くなってきているね。当然、作家さんも悩んでいると思いますよ。けど、それはある程度は仕方ないよ。インターネットの出現によって誰でもクリエイターになれる時代になっちゃったからね。参入障壁が異常に低くなったから、当然のように価値が下がっちゃうっていうことなんですよ。今はまだ、紙になるっていうことである程度の権威はあるけれどね。
で、同時に、インターネットの出現によって、僕たち編集者も「クリエイター叙任権」を失った。今は僕らが認めなくても誰でもクリエイターになれちゃう。編集者にとって、「クリエイター叙任権」を失うというのは大きな権益、権力のロストだったんですよ。けど、逆にそのインターネットの出現によって、僕たちは以前よりずっとスムーズに世界中の才能を扱えるようになったじゃないですか。西尾さんの『化物語』のイラストは台湾人のVOFANさんというイラストレーターに描いてもらっているんだけど、昔なら海を飛び越えたそんな仕事、そうそうできないもん。電子メールもないし、色校正ひとつ送るのだって何日もかかるわけだから、本なんかまともに作れない。一つの変化には必ずプラスとマイナスがあるよね。だから、日々刻々と変化する状況に対して作家も編集者も真剣に悩んで、それぞれがそれぞれの未来へ向けて手を打っていかないといけないんじゃないかな。
廣安
:もう私は書けません、という人はいないんですか?
太田
:うーん、いるんじゃないかな~。そういう場合は、編集者としても読者としても僕は本当につらいよね。そうだ、佐藤友哉さんにもそういう時期があったんだ! 彼の『クリスマス・テロル』っていう作品なんだけど、事前情報なしで読んでみてよ。そうすれば当時の僕の気持ちがわかるから。はい、この話はおしまい。
廣瀬
:はい。では、「ライトノベル」と「純文学」の対立について、太田さんはどう思っていますか?
太田
:対立するようなものでもないような気がするね。僕はライトノベルって、アニメ・ゲーム・マンガの文脈で本を売る「売り方」、つまりパッケージだと思っているから、イラストが表紙を飾っていたら太宰治でもライトノベルだと思うよ。だから、アニメ・ゲーム・マンガに由来するイラストがあったほうが売れる、読者の想像力をより楽しませることができると判断して市場に出された小説は、僕にとってはすべてがライトノベル。
岡田
:じゃあ、ライトノベルでも、純文学の装幀にしたら純文学ですか?
太田
:純文学になれると思いますよ。「純文学」だって、ひとつの売り方、パッケージでしょう。市場原理主義的に、シンプルに突き詰めて考えるならね。これは僕が『ファウスト』創刊の2003年当時からずっと思っていることなんだけど、一冊の本の中に絵画的な想像力を全く登場させない、活字だけの平面芸術がこれだけ一般的な存在になったのってせいぜいここ一世紀くらいの歴史にしかすぎないんだよね。異常な時代だったって後から言われるかもしれないんだよ?
話を戻すと、「純文学」と「ライトノベル」、それはどっちが上とか下とかという話ではなくて、単なる文学に対するスタンスの違いなわけじゃん。音楽の世界で、ジャズが高級でロックが低級とか、あるいはその逆があるというわけではないじゃない? ただ良い音楽と、だめな音楽があるように、ただ良い小説と、だめな小説があるだけ。けど、今という時代はどちらかというと、純文学的な想像力ではなくて、ライトノベル的な想像力が世の中に必要とされているな、という思いが僕にはあったんだよね。それで、最高のイラストを小説の世界に取り入れて、作家さんと一緒になって真剣に文学をやろうと思った。まあ、だからこそ僕は純文学の世界からもライトノベルの世界からも石もて追われる編集者になってしまうわけなんですが。だけど、それはむしろ誇りだよね。講談社BOXだって、ライトノベルの代表的な体裁である文庫で出せば、もっと売れたかもしれない。けど、そういうのはやらない。あるいはハードカバーにして、純文学の代表的な体裁で出せば、もっと偉そうにできたのかもしれない、けど、それはしない。
廣瀬
:これは、ライトノベルの売り方だけど、内容は文学ですか。
太田
:ライトノベルのアプローチを使った、これは歴然たる文学活動です、っていうことですよ。
廣安
:文字だけだからできることもあると思いますが、それはしないのですか?
太田
:文字だけだからこそ小説ができることがあるように、イラストという表現を取り入れるからこそできることに小説が挑戦してみてもいいじゃないですか。そんなに偏狭なものではないですよ、文学というものは。そんなこと言ったら、ダンテの『神曲』だって聖書だって中世のものにはイラストがたっぷりあるよ?
廣瀬
:ライトノベルは、とにかくどんどん出てどんどん消費され、ブックオフに流れていくではないですか。太田さんの目指しているところはそうではないんですか?
太田
:ないないない。ライトノベルは経済的にも自立しているしそれはそれでいいんだけど、やっぱりぼくは講談社の文芸図書第三出版部の血脈を引いている編集者で、歴然とした文芸編集者なわけじゃない。だから、ライトノベルの世界にはちょっと寂しいなと思うところはもちろんあるんだよ。それなりの敬意はあるけど、手放しで礼賛はできない。僕があの世界を寂しいなと思うところは、まず、ライトノベルの世界では作家の名前が歴史に蓄積しないというところ。だからいつまで経っても批評が育たないんですよ。どんなに売れていても、ただ作品のタイトルが商業的な記録として残るだけでね。例えば、ライトノベルの世界ではある人気作品のタイトル名が言えたとしても、「それは誰が書いてるの?」って聞かれたときに、たいていの人はスパッと作家の名前は答えられないじゃない?
けど、そういう売り方をするほうが、売れるわけ。ただ、それじゃあ切ないじゃん。傑作を書く人がいて、その人が次に書く人に影響を与えて、またその人が次の人に……っていう美しいバトンリレーが文学の世界にはあるべきなんですよ。けど、ライトノベルの世界には、少なくとも目に見える形ではそれがないわけ。見せないほうが売れるんだから仕方ないんだけど。
だけど、それは悲しいことじゃない
? 例えば僕が好きなミステリーの世界にはちゃんとそういったバトンリレーの系譜があるんですよ。江戸川乱歩がいて、高木彬光がいて、横溝正史がいて、みたいな。ちょっと異端で孤高な作家として夢野久作がいて、その流れが竹本健治にきて、打って変わってメインストリームには島田荘司、綾辻行人、京極夏彦がいて。だから西尾維新を読んだら、この人が尊敬している綾辻行人を読んでみようとか、同時代・同世代作家の佐藤友哉を読んでみようとか、そういうのが、文学の面白さなわけじゃん。そういった流れについての批評的視点もちゃんとあるべきだし。しかし、ライトノベルの世界にはそういう歴史の蓄積がほとんどない。良くも悪くも“たった今”売れている作品がすべてなわけ。ただ、キャラだけがあってね。まああの世界はそこがすごいといえばすごいんだけど、僕はそれとは違う売り方をしていますよ。作家さんの名前をすごく大事にしている気持ちはいつもある。
岡田
:ぼくらは完全に『ファウスト』の体裁に騙されていたので、意外でした。
太田
:え、なんで? 僕はそもそもそういった文学的な系譜を感じるのが一読者として好きだから、そこはすごく大事にしていますよ。大事にしているから、作家の名前も残っていってほしいと思うしね。

(4)教科書には、載るよね
廣瀬
:そうですね。例えば、佐藤友哉や西尾維新さんが、何十年後かにも読み続けられているような作家になると思いますか?
太田
:なってくれたらいいなと思いますよ。そして、なってくれるんじゃないかと思いますよ、奈須きのこさんや竜騎士07さんも。そうそう、いつか彼らと一緒に教科書に載るのが僕の最近の目標だからね(笑)。
廣瀬
:国語の教科書にですか?
太田
:国語じゃないね。歴史の教科書だね。普通の高校生の教科書に載りたいね。
岡田
:日本史とかですか?
太田
:そうそうそうそう。学術書の中での文学史とか出版文化史には今のままでも僕の名前はそれなりに残るだろうけど、今からもっとがんばって、普通の高校生の教科書に載りたいね。僕は奈須さんや竜騎士さんは歴史の舞台に残る可能性がものすごくあると思う。そうなると、僕の名前もたぶん残っちゃう。早稲田とかの入試問題のちまーい引っかけ問題で、「次の作家と関係のある人物を選べ」的な選択肢でさ。受験生が「知らねーな、この太田克史とかって、かつふみ? かつし?」みたいな感じで(笑)。
まあ、そんな感じでは残る気はするし、残ってみたい。だってさあ、山川の教科書に名前が残ったりしたら愉快じゃん。それに、今は荒唐無稽に感じるかもしれないけど、可能性としてはゼロじゃないと思うよ。だって、50年後とか100年後の日本の姿を考えたら僕はこの辺りの作家さんしか残らないと思うもん。
例えばね、こういうふうに書かれるんじゃないか、っていう気が僕はするわけ。「21世紀前後の日本はマンガ・アニメ・ゲームというサブカルチャーが隆盛を極め、それらの文化は世界へも積極的に輸出され、文学活動にも大きな影響を与えました。当時の作家として、奈須きのこ、竜騎士07らが活躍し~」みたいな。で、その欄外に「当時のライトノベル的文学活動を牽引した文芸雑誌に『ファウスト』があり、その編集者は太田克史~」みたいなさ。山川の用語集では星が「2」くらいの感じで(笑)。そんなイメージだよね、今はとりあえず。
だって、浮世絵とかはそういう感じで歴史に残ってるわけじゃん。馬琴と北斎のコラボレーションが歴史に残っているように、例えば竹さんと西尾さんのコラボレーションや、武内崇さんと奈須きのこさんのコラボレーションが歴史に残ったり……、っていう可能性は十分以上にありますよ。今だってすでに武内さんの絵には世界中に理解者がいるんだし、いずれ竹さんもそうなっていくかもしれないし、何より僕がそうする(笑)。で、そうなったら、歴史に残さざるを得ないじゃん。
才能がある人を集めてくるのが編集者なんだから、今の日本の世の中で、これだけの数、世界レベルの絵を描く人がいるのに、それが文芸と全くリンクしていませんでしたっていう歴史しか残せなかったらさ、恥ずかしいじゃん、僕ら編集者が。世界的にすごいものが当時日本にあったのに、当時の編集者は何もやってませんでしたっていう歴史になっちゃうぞ、このままだと! って僕は思ったわけ。だからこそ、金子一馬さんや西村キヌさんと一緒に仕事しようとも思ったんだよね。
僕、金子さんの一級のイラストはボスに負けてないと思うし、西村キヌさんが参加したゲーム『ストリートファイター』は全世界で数千万本も売れたんだよ。そういうのって、いずれは必ず歴史に名前が残るからね。だからそういうサブカルチャーと、文学活動とが濃密な接点を持ったってところに、見る目がある後世の研究者が「こんなことやった奴はいったい誰なんだ!?」っていつか気がつくわけですよ。そうなったときに、僕の名前が急速にクローズ・アップされてくるわけ。ハハハ、面白そうでしょ?(笑)
廣瀬
:面白いですね! 50年後くらいにですか?
太田
:うん、そうねえ。50年後くらいに再発見されると思う。されたら面白いと思う。ハハハ。
廣安
:じゃあその50年後に西尾維新さんが、例えば今私たちが太宰を読んで面白いと感じるように、面白く読まれますか?
太田
:そればかりは、分からないね。なったらいいと思うけどね。ただ、『南総里見八犬伝』ってオリジナルは読んだことないけど、筋は知っていて面白いよね、みたいな感じで翻案のものが残っていたりする可能性もゼロじゃないよね。
廣瀬
:正月にドラマ化されたり、ですか。
太田
:そうそう、リメイクされたりして残る可能性もゼロじゃない。アニメだと『ガンダム』なんかはすでにそうなっているじゃないですか。これ以上言っちゃうと予言者の領域になっちゃうけど、歴史的にはそういう可能性は十分にあると思うよ。
浮世絵だって、そもそもは日本画をヨーロッパに輸出するときに、その日本画がガタガタ動かないように一緒に箱に詰めていた新聞紙みたいなもんだったのに、それを見たオランダ人が素晴らしさを発見して評価したから今に残ってるんですよ。だから、僕の言っていることも、今は与太話に聞こえるかもしれないけど、十分に実現がありえるかもしれないよ?
アニメ・ゲーム・マンガと接近した文学的アプローチっていうのは、今、僕らしか真剣にやっていないから、その点だけでも歴史的には残る価値があるんです。そして、そこに注目する歴史家が出てきたら、僕たちの仕事は確実に発見される。そういう歴史家はもしかすると出てこないかもしれないけど、僕は出てくると踏んでいる。なぜかっていうと、50年後、100年後の日本はぶっちゃけて言うと、たぶん相当に貧しくなっている気がするの。だからそうなってしまった日本では過去の輝かしい日本の栄光を探るムーブメントっていうのが確実に起こるわけ。そうしたら、今現在のアニメ・ゲーム・マンガの隆盛っていう現象はさ、すごい輝かしい時代に見えるわけじゃん。僕の仕事の射程は、遙か未来の未来まで遠いんですよ(笑)。

(5)編集者は、強いんです。
廣瀬
:出版点数が多くなっているのって、経済的な要因や技術的な要因も大きいと思っていたんですけれど、それと同時に、文学界が迷走状態に入っているというのもあると思うんですよ。
太田
:迷走しているよね。迷走状態に入っているのは事実だろうけど、それが出版点数の増加に繋がっているかどうかはあんまりイコールにならないと思う。
廣瀬
:太田さんは『ファウスト』で迷走状態から脱して時代を切り開こうとしているわけですか?
太田
:そう、「ぼくのかんがえたぶんがくのせかい」じゃないけど(笑)、『ファウスト』に載っているような作品がもっとガンガン賞を取ってさ、そうすれば文学の興行的な経営はもうちょっとはうまくいくのになぁとは思う。ここから先は剣呑なのであんまり言えないけどさ。
けどね、舞城さんや佐藤さんがある程度賞を取るようになったしね、状況もずいぶん変わってきたと思いますよ。新聞でも西尾維新さんのインタビューが組まれたりとかさ。書評欄にも講談社ノベルスの本が出るようになったり。で、その、世の中が大きく変わる方向に歯車を回す側に僕もいたんだっていうのは編集者として大いに誇れると思う。10年前は書店に行ったらマンガやアニメのイラストが表紙の本なんて全然並んでいなかったのに、今は玉石混淆だけどかなりの数が並ぶようになったしね。
でも、僕は僕が信じている作家さんと、読者と一緒に生き残るために、無我夢中で必死に戦っていただけ。必死にやっていたら、何かを掴んじゃったわけさ。今から振り返るとかっこ良く聞こえるけど。
廣瀬
:今の文学界には必死さが必要ですか?
太田
:僕は、文学者は野生動物みたいな生き方がいいと思うよ。飛べなくなったら死ぬ、牙が折れたら餓えて死ぬ、みたいなね。
僕、作家さんはうらやましいですよ。作家をやって食べているご飯って、きっと超おいしいしね。僕も一回、佐藤さん、西尾さん、舞城さん、表紙のイラストレーターさんとして笹井一個さんを集めて文学フリマで同人誌を作って頒布したことがあってさ、僕もみんなと同じ分量の原稿を書いて。で、帰りに講談社前のロイヤルホストで売り上げを山分けしたの、外国マフィアみたいな感じで(笑)。そうしたら、そこにクシャクシャに丸まった千円札があったんだ。同人誌を買いに来て、行列していた読者の手のひらの中で、「本物の佐藤友哉に会える!」っていう緊張の汗で、丸まっちゃってるわけよ千円札が。いいよね、そういうのって。そんなお金を使ってそのとき食べたご飯は本当においしかったもんね。僕、「作家は毎日こんなうまい飯を食ってるのか!」って思った。他の職業では、良くも悪くも、そういう飯の食い方はできない。
余計な一言だけど、今の若い人たちで、嫌な本の読み方をしてるなと思うのは、作家や作品を「切る」ために読んでる人がいるでしょ。この作家を「もう追いかけない」と判断するためだけに新作を読んでるみたいな人。あれは気持ち悪いね。あと、僕がまったく分からないのは、よくみんなが「あのマンガがつまらなかった」とか「この小説がつまらなかった」って口々に言うじゃん。それが僕にはまったく分からない。だって僕、編集者の仕事をしてなかったら、つまらないマンガとか小説を一生読まないで過ごす自信があるもん。
廣安
:読む前に嗅ぎ分けるっていうことですか?
太田
:当たり前じゃん。言ってみれば本って、魂の食い物なわけじゃん。その魂の食い物を、これは食べられる、これは食べられないっていう見分けが自分でつかないなんて生き物としてナンセンスだよ。そんな奴はもうこれ以上食べなくていいから、精神的には死にながら生きていけ、と言いたい。だって、今、かつてないくらいたくさんの選択肢の中から作品を選べるんだよ? なんでそこでハズレを選ぶの! って。自分なりの、自分だけのアンテナさえあったらこんなにいい時代はないでしょ。情報もたくさんあるんだし。それに、本なんて値段はたいてい同じなんだからね。村上春樹の小説だから5万円てことはないんだし。だったら自分の判断、直感で面白いものを選ぼうよって思うよ。
廣安
:これは日本語じゃないでしょ、みたいな小説も出ていいのですか?
太田
:それでも、それがいいっていう人もいるんですよ。それに、歴史がそれを望んでいる場合だって大いにある。例えば二葉亭四迷が出てきたときだって「こんなの日本語じゃねえ」って言った人はたくさんいたし、『源氏物語』もさ、当時は「女子供が仮名みたいな嘘っぱちの文字でものを書いた気になりやがって。ものを書くなら漢字だろ。常(識的に)考(えて)!」って当時の大半の男は思っていたわけ。そんなふうに当時の知識人階級はそんな「低級」なものが後世に残るとは夢にも思っていなかったけど、事実、『浮雲』も『源氏物語』も残っているんだから。
廣安
:確かに。太田さんがやっていることの意味は、読者にちゃんと伝わっていますか?
太田
:どうだろうね。いや、でも、それは声高に言うことじゃない気もするしね。
ただ、そうね、儲かることを儲けるためだけにやろうと覚悟を決めたら、僕はもっとうまいと思いますよ。天才だとも思う(笑)。しかし僕は一貫して「0」から「1」を作る人が好きなわけ。尊敬しているわけ。そういう意味で言うと、例えばあらゆるメディアミックスはどこまでいっても蛇足だと思う。じゃあ、しょせん蛇足なんだから、せめて誠実に、最高の蛇足を作ろうよ! とはいつも思っているけれど。
そうそう、その文脈で言うと、日本の編集者って最強なんですよ。桜庭和志っていうプロレスラー知ってる? 「プロレスってシナリオあるんでしょ。本気じゃないんでしょ」ってプロレスが格闘技ファンから後ろ指を指されていた時代に、彼は総合格闘技の舞台に出て、連戦連勝するわけ。そこでの彼の発言が「プロレスラーは強いんです」っていう一言。
日本の編集者も強いんですよ。最強なんです、「0」から「1」を作る人を応援するプロデューサーとして。マンガはご存じの通り、世界で隆盛を極めているし、アニメは『エヴァンゲリオン』の大月俊倫さんやポケモンの久保雅一さん、ジブリの鈴木敏夫さんは全員もとは編集者ですよ。テレビだって、今再放送してるテレビ史上ナンバーワン視聴率ドラマの『HERO』の企画協力は誰がやったのって言ったら、『金田一少年の事件簿』『MMR』の編集者、樹林伸ですよ。日本の紙の編集者はすごいんです。一度やってみたら、本当に楽しいと思いますよ。

記事:廣瀬暁春(、廣安ゆきみ)/写真:廣安ゆきみ

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