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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2009.5.3 | by admin

立花隆氏 初回ガイダンス講演

4月8日、2009年度立花隆ゼミ活動初日。
「20分くらいでいいよ」と言いながらも、立花先生は一時間に渡ってマイクをとった。
50人の聴衆は、頷きながら、時に笑いながら、熱心に耳を傾けていた。
この日は東大の2009年度授業開始の日。
駒場とはどういう空間か、教養課程で何を身につけたらよいか、人生における大学時代とは。
学生の学ぶモチベーションに火をつけ、さらに余りある。
その講演の内容をここに記す。

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立花隆氏講演内容

1、立花ゼミのあゆみ

それではまず、そもそもこのゼミがどういうゼミであるかということを説明します。

このゼミはものすごい長い歴史を持っていまして、ここに書いてある通り、第一期、第二期、第三期とこういう風に分かれます。それで第一期では『二十 歳のころ』という本を学生と一緒に作る、そういう企画をしました。『二十歳のころ』はこれ以外に文庫本のバージョンが2冊くらいあるのですが、それら読ん だことのある人はどれくらいいますか?(学生、まばらに挙手)はい。第二期のゼミでは科学技術関連の話をやったのですが、このサイのページを知っている人 はどれくらいいます?あんまりいない?これはですね、2006年にNHKでやった『サイボーグ』というサイボーグを取り上げた割と大きな番組がありまし て、それを機に作ったページなのです。そのサイボーグの番組というのは実はいくつかの複合番組というか、要するにいくつかの番組が束になったような番組な んです。このサイボーグの番組を見たことがある人はどれくらいいます?そしてこのサイのページというのは、ほとんどあっという間に100万ヒットを記録す るという、学生が作ったインターネットのページではおそらく記録的なヒットをうちだした、そんなページなんです。内容としては科学技術のいろいろな側面を 中心にしてつくったページになっています。それで、第3期はこの見聞伝というページをつくっています。この青い丸が学生がそれぞれ作ったコンテンツになっ ています。

2、東大にガッカリ?

それで立花ゼミの1期から3期というのは、僕の東大における身分と関係あります。第1期の時には「先端研」と言いまして、先端科学技術研究センターという のがこの駒場キャンパスのすぐ隣の駒場第2キャンパスにありまして、そこの客員教授をしていまして、そういう身分でここ駒場の先生をやっていたんです。そ の時の駒場の先生は、こういうゼミの授業ではなくて、正規の授業をやっていましてその延長でゼミを開いていたんです。その時の「調べて、書く、発信する」 というテーマはどういうことかというと、これはその時にいろいろやったことを基にして書いた『東大生はバカになったか』という本なのですが(書画)、これ を読んだことがある人はどれくらいいますか?(挙手)はい。これは、自分で言うのもナンですが、非常に良い本です(笑)。特に是非とも駒場の一年生は読む べき本です。そもそも、東大だけではなく、大学というのはどういうところであって、教養課程というのはどういう過程であって、教養ってのはそもそもなんな んだ、ということと同時に、東大の歴史が書いてあります。ある程度の歴史です。もっと長い歴史は、僕は『天皇と東大』という本を書いていまして、これは東 大が生まれてから死ぬまで、まだ生きてるんですが(笑)、について書いています。実は東大は最初帝国大学だったのですが、帝国大学が生まれてから死ぬま で、つまり大日本帝国が生まれて死ぬまでの全部のことを大学を中心にして描いたのが『天皇と東大』という本でして、実はその部分の東大の歴史を知らない と、日本という国の成り立ちを知ったことにはならないのです。みんな自分が日本人でこの年齢まで日本人をやっているから日本という国を知っているつもりで しょうが、ほとんどの人が日本という国を十分に知っていないというのがすでにだんだんわかってきているでしょうし、これから勉強するにしたがってますます わかってきます。そして今の時代というのはさらによく言われることですが、100年に1度の大変化が世界中を襲っている時代ですね。もちろんその100年 に1度の大変化というものは日本にも押し寄せてきているわけでして、その変化に対応するような教育をこの大学がやっているかというと、やっていません。み んな、特に一年生はですね、日本で1番良い大学に入ったつもりでしょうけれども、ここはそんなに良い大学ではありません。物凄い欠陥があります。それは1 年生は間もなくだんだんわかってきます。そしてこれからの日々この大学にガッカリする部分と、やっぱり良かったという部分の両方があるでしょう。けれども 相当部分ガッカリします(笑)そのガッカリの半分は、この大学が与える教育の中身にあるのではなくて、日本の大学制度そのものにあるわけです。その大学制 度の中でも東大、特に教養にはまだマシな部分が相当あります。しかし欠陥もまた物凄く多くて、それは制度の部分に特にあります。みんな既にそこにハマり込 んでいますからそう簡単には抜けられないし、このままやっていくしかないわけです。それで間もなく、あと2年ぐらい経つと進振りがあって、本郷のどこかに 進学してという人生を辿る、そこに今いるわけですね。しかしそれが自分にとって良い人生の最初の一歩になるのかそうじゃないのか、そのあたりはですね、こ の駒場にいる間に相当部分決まります。やはり人間の一生の中において、大学の前期課程をどういう風に過ごすかというのが、その人の人生に決定的な影響を及 ぼすというのは、おそらくもっとずっと歳をとるとわかってきます。だから今物凄い大事なところにいるわけです。

3、本来の教養教育とは?

そこで、本来「教養教育」というのはどういうものか、つまり大学の前期教育でどういうものを身につけるべきものとしてこの「教養教育」が想定されるべきか ということをこの本の特に後半に示しています。そしてそれを読めば読むほど、この大学が現実に与える教育の内容と、このあるべき内容がいかにズレているか というのがわかってきます。それが先ほど言ったような、現代の教養として与えるべきこういったもの(図)、それから、これ(図)は教養教育の中で与えられ るべきコンテンツとしての中身がどういう組み立てになっていなければならないかということを延々書いてあるもので、その大枠がこの一つのチャートに表れて います。実は東大の教養教育はこの内容にかなり、かなり合っています。しかし、現在の日本の諸大学の教養教育がそういう水準に達しているかというと全然達 していない。つまり日本の教養教育というのはほとんど崩壊状態にあるのです。ここ駒場には相当ちゃんと残っています。しかし、それが制度的に学生にちゃん と教えられるような制度になっているかと言えばなっていない。日本の大学と、海外の一流と言われる大学の差は実はそこにあります。だから日本の大学を卒業 しても本当の意味での教養人になる人はほとんどいません。極めて一部はなりますし、皆さんにはなってほしいと思っているのですが。それは一つは制度が根本 的に違うんです。例えばハーバード大学というのはみんな東大のような大学と思うでしょ?全然違うんです。ハーバードが基本的にどういう大学かといえば、日 本で言う教養教育を与える「カレッジ」にあたります。ところが、日本では制度がズレているために学生のマインドがそうは上がっていません。ハーバード始 め、海外の大学というのは基本的に「教養人」を育てるための大学なのです。日本の大学はそういうものをほとんど目的にしていません。ほとんどが「職業人」 たらしめるための初歩教育みたいなものに特化していまして、しかも最近の大学はますますそういう方向にいっちゃって教養というものを欠けた与え方しかして いないんです。それで、ここ駒場の総合科目のシラバスをばーっと全部見ればわかるように、内容的には本に示したのと同じ内容がほとんど揃っています。しか し、君らに示されている履修の仕方はその要求がものすごく低いんです。低いが為に幅も狭いんです。幅も狭いし、いろんな意味で日本の、特に大学の前期課程 の教育の水準は国際水準に比較して物凄く低いものになっています。それは大学教育のコンテンツからなのですが、コンテンツとしての教育の中身の他に、どう いうことを身につけるべきかという実践的な能力として、具体的にこういうことが与えられるべきであるということがこの本には書いてあるわけです(図)。こ こに書いてあるように、実践的な知的能力、言語能力として「調べて書く能力」とか「人を説得する能力」とか「論争をして勝つ能力」とか、こういう能力が本 当は必要なわけです。さらに大きなカテゴリで実践的な情報能力として、情報収集や分析の能力が必要なわけです。こういったことをこの大学である程度はやっ ています。それを本格的にちゃんとやろう、つまり「調べて書く」ということにどの程度中身が必要かということを実践的にやったのがこの第一期のゼミでやっ た、二十歳のころを取材してゼミ生に書かせるという試みだったのです。その後も、学生自身が調べて書くその延長上で中身をかえてくということがずっとあっ て、それがこのゼミの一つの柱となっています。

4、このゼミで何をやるか

それでこの後、これがどうなっていくのかという話ですが、このゼミは今年で僕はもうやりません。これが最後のゼミになります。ひとつは、僕は今年で69に なるのですが、もういい加減こういったゼミのようなことをやる気はずっと前からなくなっていまして、「もう今年でやめるぞ」と何度も宣言しては、ズルズル と続いてきたということがありまして。なぜ続いてきたかというと、毎年物凄く熱心な学生がいまして、とにかくもう是非やりたいという学生が出てきてしまっ て、結果いろんなことをやってきたんです。それはおそらくこの東大のゼミの中では一番活動性が高いし、内容の水準も非常に高い。そういう活動をしてきたと いう自信があります。(中略)だから、ここの教育を受けているだけでは決して及ばないような「教育」を受けることができるということがあります。これまで の活動の相当部分というのは、どちらかというといろんな人の所に行って話を聞いてそれを書いてまとめる、そういうことが主たる活動の一つなんですが、それ は言ってみれば、いろんな有名な先生方のところへ行ってですね、「おしかけ受講」をするみたいな、そういう感じになるわけです。その交渉から始まって、実 際に場を設定して、話を聞いてというような、その過程で受ける内容というのは学生のやる気如何ですが、とにかく自分が知りたい、聞きたいことを自分から選 んでやるのです。この大学で授業を受けている限りは、皆さんが受けられるのはお仕着せの教育だけです。そうではなくて、自分からその場を設定して、聴きた いことを聞くという、そういう活動をするというのがこのゼミの中心なのです。その他それだけじゃなくて、つまり、誰か偉い先生の話を聞くというだけではな くて、自分たちそれぞれにテーマを持って、そのテーマに即していろんな人から話を聞くという以外に、いろいろ調べてそれをまとめるというそういうことを ずっと一貫してやってきたわけです。そういうことでわかりますように、このゼミは基本的に僕が何かを教えるという、そういう授業ではありません。つまり、 皆さんがやる気になってやるということそれ自体の中にこのゼミの教育の中身があるということです。だから実際毎年、全然違う興味・水準を持った学生がたく さん集まって来ていろんなことをガーガー話し合いながらやっていくうちに何かいろんなものが出来上がったり、はじめは大風呂敷広げてやって途中で話が潰れ たりとかそういう話が山のようにあります。成功した事例もたくさんありますが、その背後に失敗した話もたくさんあります。そういうことを実際に実現しよう というその一番最初はブレインストーミングで「こういうことをやってみたい」「こういうことをやったらどうか」というのを出し合うところから始まります。 その提案を黒板にばーっと書き出していろんな人のいろんな提案を見て「自分もそれをやりたい」というような人がより集まって、それをやるうちうに自然に人 のかたまりができて、みたいなところからスタートします。こういった活動を通じて先ほどの図のような能力が身に付いてきます。
この大学の前期の教育の中で、これに近いようなことをやっている授業もいくつかあります。それと共に先生が教壇の上からお仕着せ的にばーっといろんのこと を喋って黒板になんか書いてさっと引き揚げて行って学生は急いでノートをとるみたいなものもたくさんあります。それは、そのような知識の詰め込みが必要 な、そういう過程もあります。ですからこの大学でどういう授業をどう選択してこの教養課程にどの程度コミットするのかによって、皆さんがこの前期教育の中で身につける者と身につけない者には物凄い差が出てくるわけです。そういう差が後々その人の人生の選択の差になってくると思います。

僕はこの大学を二回半ぐらいやっていまして、教えるのももう二回半でありまして、教える側としても教わる側としても様々学生と接触してきたのですが、それ は世間の評判とは違って、大部分はただのマスです。マスというのは大衆という意味ですが。脳の左の方の能力が一般人より多少上であるから、試験をやると点 数が少し高いというだけの人間が相当いまして、標準的に言えば、左脳の能力から考えると一般水準より多少は勝るかもしれないけれども人間としては本当にた だのマスという感じの存在の学生が大部分です。このあといずれ新振りがやってきていろんな教官にまかれて卒業、就職してという風になり、一般社会では東大 に入ると社会のエリートになってというイメージを持たれているかもしれないけど、実は東大卒業生の大部分というのは大変凡庸な人間として一生を過ごしてい きます。しかしそれにもかかわらずこの東大の駒場というのはいろんな意味で大変面白いところでして、時代によってすごく変わりますが、僕がここの学生だっ た時代は1960年という今から考えると非常にとんでもない40年前の話にはなりますが、少なくともその時代からある時代まではですね、世の中の大きな変 化というのはまずここで起きたということがあるわけです。それくらい大きな影響力をこの学校そのもの、あるいはこの学校の特に駒場というキャンパスの風土 が持っていたわけです。それがあるところから物凄い急激に変わり始めます。どのあたりから変わったのかというと、ひとつは全共闘の時代、キャンパスの中に 暴力が吹き荒れて、それに伴って大学側が管理の体制をかなり強めて学生の自主的な活動の芽を摘み取っていくというそのあたりから大学というものは物凄く変 わっていくわけです。しかし、大学というのは基本的に憲法でも保障されていますようにこの社会の中で最も自由が保障されている場です。「学問の自由はこれ を保障する」という条項が憲法にあることをみんな知っているかわからないけれどもこれはぜひ覚えておくことなんです。あるいは日本の憲法に独特の条項と言 いますか、このような内容は世界の先進国すべての中ではある意味で一般的には認められていることなんですが、憲法にこれを明記してその具体的な中身を解釈 するとき、これは憲法の解釈の本を読めばすぐにわかりますが、それは大学における自由を保障するという意味合いが一番強いんです。それがどういう意味を持 つのかというと、日本の歴史において大学での学問の自由が消えたところから日本の戦争の時代が始まるわけです。では学問の自由とは一体何なのかという時 に、それがなんのことかパッと言える人はいますか?いないですね。それは「教える自由」と「学ぶ自由」、「研究する自由」の三つがあるのです。ところが現 在の大学の

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