留年するまで

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今年の一月、僕は教養学部に「進学内定辞退届」を提出した。

 

印鑑も身分証明書も必要ない。こんな紙切れ一枚を出すだけで、ことは簡単に運んだ。内定していた学科の人達にも、教授にも、まだ何も告げてはいなかった。

どうしようもない後ろめたさに苛まれる。けれど同時に、ずっと背負ってきた肩の荷を下ろしたような、空ろな開放感を感じていたのも確かだった。

あまりにもあっけなく、僕の自主留年は決定した。

 

僕は、理科一類で入学したが、最初は理系には進まなかった。

2年夏の進学振分けでは、文系学科である教養学部超域文化学科の文化人類学分科に提出して内定し、後期教養の専門科目を受けるようになった。

だが、2年の冬学期に僕はその内定を辞退した。2年夏学期に戻り、進振りをもう一度やり直したのだ。そして理学部の地球惑星物理学科に進学内定して、数学や物理の専門科目を受ける現在に至っている。

 

理系から文転、それから理学部への進学。

なかなか珍しい選択だと思う。というか普通に考えたらあり得ない。

「どんなことを考えて辞退したの?」と色々な人に聞かれるたびに、僕は答えに困った。色々悩みすぎて、簡単に語れるような話ではないのだ。

 

内定辞退届には、辞退の理由として次のようなことを書いた。

「私が内定を辞退する理由は、自身の専門として文化人類学に代えて一時は断念していた自然科学を再び学び直すことを決意したためです。私は入学当初から環境問題をはじめとした国際問題に関心があり、文化人類学を内定先として選んだのは、問題の正しい理解と解決のために当事者の視点の重要性を感じたからです。しかし、実際に国際協力の現場に触れる機会を得て、実践的な専門技能を持つことの必要性を実感し、理科一類で入学したことを考えると、今後は理学部または農学部に進み、基礎から自然科学を学んだ上で、その知識を生かして問題に取り組むという姿勢が自分には最も相応しいと考えるに至りました。以上の理由により辞退いたします。」

こうした理由は、半分くらいは本当だ。

でも、書ききれなかった部分も、ある。

 

僕が自主留年した理由、

それは、科学というもの、学問というものに対する、非常に個人的な感情に基づく躊躇だったのだ。

 

僕が教養学部で過ごした決して短くはない時間、色々と考えて、悩んできたことについて、少しずつ語っていきたい。

それが、進振りという東大独自の制度にこれから向き合おうとする人達にとって、反面教師という意味であっても、参考の一つになればと思う。

新宿を走る

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昨日のゼミで、「ホームレスの現場を訪ねにいこう」という話が出てきた。

でも、僕はあまりそういうところに積極的に行きたいとは思わない。そういうことを、正直に話した。

 

水を差すようなことを言ってしまったかもしれない。達観したような偉そうな態度だったかもしれない。

でも、正直な気持ちだった。

僕はもう、たくさん見てきたのだ。

9時にゼミが終わって、まっすぐ帰って、自転車で部屋に戻ったのが9時20分。 すぐに荷物を置いて、着替えて、部屋を出て、アパートの前の駐車場で軽く体操を始める。

住宅街の向こうに見えるツインタワーを目指して、走り出す。

東京都庁の真下、新宿中央公園までの往復6kmが、いつものランニングコースだ。

冬学期に入って新しい企画がいくつも立ち上がり、昨日も意欲的な議論が繰り広げられた。 そこには共通したある意識があるような気がする。

異質な他者へのダイレクトな接近。

障害者施設に行こう、貧困の現場に行こう、東大生とは違った生き方を垣間みてみよう。とりあえず自分の今いる大学という場所から飛び出して、全然違う世界の中で価値観を覆されるような体験をしたい、そういう傾向が、冬学期に入っていっそう強くなってきたような気がする。

それはとても大事なことだし、頭で考えてばかりと思われがちな東大生たちがそのような志向をもっているということに頼もしさも感じる。

それでいい。最初の一歩はそうやって踏み出していけばいい。 でも、第一歩を踏み出して、その次は?

見学、体験、その先には、やはりもっと違うものがなければならないはずだ。

交番の角を曲がって、坂を上ると、都庁ビルをはじめとする摩天楼が急に目の前にそびえ立ってくる。

日本の繁栄の象徴のような新宿の高層ビル街。地上数十メートルのどこかのオフィスでは今も誰かが日本経済を動かしているのだろう。先月まではオリンピック招致の一環として綺麗な五色にライトアップされることもあった。

それを毎日見上げながら、公園で暮らしている人達がいる。

何百人もいる。

僕は裏門から公園に入って、地面に並べられた段ボールやビニールシートの脇を走り抜ける。

去年の冬学期に、別のゼミで、貧困問題について取材することがあった。

貧困に対する現状について色々と調べてまとめたり、議論したりした。「もやい」に取材に行って、相談に訪れていた人達とお茶を飲んだりもした。 炊き出しボランティアにも行って、何百食もの配膳をして、彼らの家を一軒一軒回ったりする活動に参加したこともある。

確かに、行ってみてはじめてわかることがあった。手触りや、匂いや、雰囲気や、人々の表情は、現場でしかわからない。 大学の中では絶対に知ることのできないことを知った、有意義な体験だったと思う。

自分たちに何ができるのか、もっともっと、考えていきたいと思います。

そういって、まとめのプレゼンを終えたのだった。

僕はいまでも何も分からない。

解決とは何だろうか?

僕らにできることは何だろうか?

確かなのは、自分の呼吸と、鼓動の音だけ。

 

走っていると、色々な悩みも、問いかけも、すべて輪郭を失って蒸発していく。

何が正しいのか、何をすべきなのか、究極的には僕らにはなにもわからないのかもしれない。 でも、いま自分は確かにここに生きていて、走っている。 それだけは、揺るぎない身体感覚として信じられる。

僕がランニングを続けているのは、そのほんの一瞬のためだ。

アパートの前の駐車場まで戻ってきて、地面に寝転んで、少しの間、何も考えないで空だけを見つめながら、だんだんと落ち着く鼓動にただ身を任せていた。

住宅街の空はぼんやりとしていて、流れ星は見えなかった。

 

僕は大きく息をついて、ゼミのことなど考えながら、ゆっくりと部屋に戻った。

嬉しいことも、悲しいことも

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何かみんな自分の持ち物について書くのが好きなようなので、僕も試しにとりとめもなく書いてみる。

これが僕の携帯電話だ。

PA011069 のコピー

 

大学に入って買ってから2年半、ほとんど毎日肌身離さず持ち歩いていた。

何十回、何百回となく地面に落とされ、バックパックの中で長時間揺さぶられ、時には雨に打たれたり、洗濯機の荒波にもまれたり、そんな波瀾万丈をくぐり抜けているうちに、こんなになってしまった。

表面だけじゃない。裏面のカメラのプラスチックフレームは取れてどこかへ行ってしまったし、電池もそろそろ寿命が近いようでezwebなんかをするとすぐに切れてしまう。

こんな満身創痍の携帯だけど買い替えたいとは思わない。電池交換をお願いしたauの店員にはそれとなく機種変更をすすめられたが、これだけボロボロになるとかえって愛着がわいてしまう。 何しろここまで外見が変わり果ててしまえば、他人のと見間違えようもない。買ったばかりの最新式の綺麗な携帯なら落として届けられたときに自分のであることを確かめるのに苦労するかもしれないが、僕のは一発で分かる。表面の塗装が剥がれてまだら模様になってる牛みたいなやつが僕のです。

 

牛といえば思い出したのが前期にみんなで見た”Our Daily Bread”のワンシーン。搾乳のために集められた牛たちがベルトコンベアーに乗せられて、周期的に動く機械で牛乳を文字通り搾取されている光景は印象的だった。

あの映画の気持ち悪いところは何かって、命のやり取りそのものではなくて、その行為が完全に機械化されてそこには生物の個の概念が入り込む余地がないというところではないかと思う。あの牛たちがそれぞれどこでどの親から生まれ、どのような性格の個体なのか、あの場所で働く人達はそういうことに対しては一片の関心も持っていないのかもしれない、そう考えると、何故だかその牛たちの一頭一頭のそれぞれ異なった体のまだら模様の白と黒がやたら印象に残ったのだった。

それは多分「個の剥奪」ということに対して自分たちは本能的に嫌悪感を感じるということなのではないか、と分かったような言葉を使って分析してみるけど、とりあえずここでは深入りすることはやめて、携帯の話に戻ろう。

 

生命をモノとして扱うことについて述べたが、反対に、単なるモノに過ぎないものに固有の意味付けを与えることでそこに生命のような尊さを見出すということもあり得るのかもしれない。

携帯電話というのは考えてみればすごいものだ。今までしてきた数えきれないメールや電話のそのすべてをこの小さな機会は一つ残らず媒介していたのである。買って最初の動作確認のための親へのメールも、山のようなクラスやサークルのメーリスも、人生を大きく変えるような思いがけない出来事を告げたいくつかのあの電話も、すべて受け取ってきた。嬉しいことも、悲しいことも、およそコミュニケーションを介するものなら、みな知っている携帯。まるでおじいさんの時計ではないか。 今までの自分の人生の決して短くはない数年間を全て知っているこの携帯は、もはや店頭に並んでいる真新しい携帯と取り替えの効くものではないのだ。

あの曲は平井堅によって立派にJ-POPの仲間入りを果たしたが、他に具体的なモノへの愛着を歌った歌が最近ではあまり聞かれないのは何故だろう。

そういえば英一のテキストにHonda Wakaという歌が取り上げられていた。 もはやうろ覚えなのだが、確かこんな内容だったと思う。

ある南の島に住むある民族は伝統的な舟を使って生活していた。彼らは長年使い親しんでいた舟への愛着の歌を作ってはよく歌っていた。近代になりその島にも文明が入ってきて、人々は舟のかわりに日本車に乗るようになった。けれども彼らはそのホンダ車に対しても使ってきた日々の思いを込めて相変わらず歌を作るのだった。

僕はこの話が好きだった。「機械文明が人の心を荒廃させる」みたいな短絡的な誤解に対してひとつの反例を投げかけているように思えた。

要するに人にとってモノを大切に思うということは、別にそれが手作りの伝統工芸であっても、量産された機械であっても、何ら変わりないはずだ、ということ。

 

とにかく僕は今の携帯をボロボロになって完全に壊れるまで試しに使い続けようと思う。 仕様が古すぎて使えなくなるのとどちらが先だろうか…?

日食

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今日の昼頃のコミプラの中庭の光景はちょっと面白かった。 見事に欠けた太陽が雲に遮られて控えめな光を放っていた。曇っているのが幸いしてか、眩しすぎることもなく肉眼で見つめられるちょうどいい明るさだった。 中庭はたくさんの学生で埋め尽くされていた。皆それぞれ、空を指差しては、声を上げたり携帯のカメラで撮ったり、思い思いに非日常な空を堪能していた。 駒場で院生をしている先輩もふらりと現れた。コミプラの事務員のバイトを抜けてきたという。 よく見ると、集まってきているのは学生だけでもない。 青いエプロンをした書籍部や購買部のおばちゃんたちも連れ立って出てきては空を見上げている。 どこから来たのか、制服姿の女子高生や、工事現場みたいな格好したおじさんまでいる。 色んな格好した色んな人が、同じポーズをして、同じものを見上げて、同じ非日常の空間を共有している数分間。 しばらくするとまた日常へ帰ってゆく。学生達は食堂や教室へ。生協の職員達はレジへ。先輩はふらふらとバイトの持ち場へ。 そんな「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を連想させるような光景が駒場の日常で起こるということが何だか面白かった。 屋久島や悪石島では天気がよくなかったようだが、硫黄島では綺麗な皆既日食が見えたそうだ。 書籍部にプロジェクターが用意されていてライブ中継を行っていた。こちらにも大勢の人が群がっていて、なんだか小さな祭りみたいで面白かった。 島に行って皆既日食を見るというのもさぞかしすごい体験だろうとうらやましく思うが、こうやって日常の中に突然現れた非日常を大勢で楽しむという庶民的な楽しみ方も悪くない。 こういうときやはり映像による中継というものの威力を実感する。世界中のいろんな場所でいろんな人が、同じ時間に同じ興奮を共有しているということは考えてみたらすごいことだ。 来年のワールドカップもキャンパス内のどこかで大画面で中継してくれないかな。とか、庶民な僕は思うわけでした。

ガイア仮説と僕(1)

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何で僕はガイア仮説なんて言い出しているのか、という話をしなけりゃいけないですね。 本当に個人的な話です。 長くなると思いますが。少しずつ、語っていこうと思います。 第一弾。ガイア仮説と僕の出会いについて。 +++++++++++ 初めて出会ったのは、高校3年の冬、受験生のときだった。 あの時期、図書室は僕のものだった。 高校3年生になると、1月からは授業がなくなって、自宅学習期間になる。皆は、補習に来たり、冬期講習に通ったり、家に閉じこもって勉強したりして、受験の最後の追い込みをそれぞれの形で過ごしていた。 学校の隣の寮に住んでいた僕は、毎日、朝から晩まで学校の図書館にこもって勉強することにしていた。 集中して何かをしたいとき、人は妙に場所や道具にこだわってしまうものだ。部屋ではとても集中できそうになかった。部屋の色んなものとか、寮の友達とかからもあえて距離を置いて、勉強以外の要素が何もない場所に行きたかった。 そのころはもう、勉強そのものに対してのめりこんでいる感覚があった。目標点を取るための方法論を構築し、実践して、少しずつ修正を繰り返して理想に近づけていく。それが全てだった。 手応えはあった。模試や過去問の点数から、このままのペースで行けば受かるという確信があった。 約一ヶ月後の東大二次まで、既に勉強のスケジュールは時間刻みでほぼ決まっていた。 生活と勉強と、たまの休憩以外は、何もしない。何も要らない。 揺るぎない予定調和のレールに自らを乗せて、誤差をできるだけ少なくして、飛び出す時へと加速してゆく。   平日の午前中は、3年生以外は普通に授業中だし、他の受験生が来ることももほとんどなかったので、たいてい図書室で勉強しているのは僕一人しかいなかった。 でも、正確に言えば一人ではなかった。仕切りで隔てられた司書室にはいつでも、司書の先生がいた。なにやら仕事をしたり、本を読んだりしていた。   図書室の司書の先生というのは、独特の不思議な雰囲気を持っている。 どことなく浮世離れしているような、それでいて深い包容力があるような。あらゆる分野の本を読んできているからか、この世の全てを知っているかのように博学であるのに、誰とも対等に穏やかに接することができる。司書室を訪ね相談しにくる生徒は、決して多くなかったけど、絶えることはなかった。   一人で勉強している合間に、その司書の先生に、ちょっと休憩でもしませんか、と司書室に呼んでもらうことがたまにあった。 お茶をいただきながら、とりとめのない会話をする。旅行の話、最近読んだ本の話、高校生活の話。 あるとき、大学に行ったら何をしたいですか、と聞かれた。 僕は、考え中です、と答えるしかなかった。 高校までは部活が全てだった。受験勉強は手段に過ぎなかった。学問というのが何なのか、まださっぱり分からなくて、大学に行ったら自分何するんだろう、と漠然と思って、図書室にある理学や工学の本を片っ端から勉強の合間に眺めることくらいしかしていなかった。 そんなことを言うと、先生は一冊の本を貸してくれた。 「この本は、あなたのことを待っていたのかもしれません」 それが、ジェームズ・ラブロックの「ガイア-地球は生きている」だった。     翌日から僕は風邪を引いて寝込んだ。ぼんやりした頭で、寝床の中で一気に読んだ。 なんだかすごく東洋的だな、というのが最初の印象だった。 ガイア理論では、地球が色んな要素が相互に連携するシステムであると考えている。そういう考え方は、それまでの分析主義、還元主義に偏った科学から一歩踏み出した革新的なものだ、ということが書いてあった。 けれど、僕にとっては、そんなの当たり前だろ、何をいまさらと思った。 僕がまだ科学というものを教えられていない、何の蓄積も持っていない状態で読んだからなのかもしれない。地球科学についての本を読むのも初めてだった。 でも、先入観を何も持たずに受け止めたとき、ガイアという概念は、何の抵抗もなく、僕の感覚の中にすっと入っていった。 地球上の生命は相互に連携している。 生存のために環境に適応し、物質の代謝によってその環境を変えていく力を持っている。 そうやって環境を改変する作用は、全地球的な規模で考えたとき、地球全体の環境を生命圏が維持できるような方向に進むようになっており、全体として負のフィードバックにより地球の環境を調節し保持する役割を生命が担っているらしい。 それは生物の体が周りの気温などに応じて体温や発刊量を調節したり、風邪を引けば体温を上げて雑菌を滅ぼそうとする生理的な作用によく似ている。 つまり、地球は一つの生命体のような振る舞いをしているといえるのではないか。 その概念が科学的に正しいかどうかには論争があるらしい。「地球は生きている」、なんて感覚的な物言いを科学者がしてしまっていいのかどうか、についても。 どちらが正しいかなんて、そんなことは前提となる知識が足りなすぎる僕には分からない。何しろ地学を履修してすらいないのだ。 でも、そうした説があるということ、その事実は僕を大きく揺さぶった。自分の中に根本的に育まれている、日本人的な、東洋的な感覚になにか訴えかけるところがあるように思えた。 科学書を読んで、こんな風に感じたのは、初めてのことだった。 それまで自分は、どちらかというとリニアモーターカーとかスペースシャトルだとかに惹かれていて、そういうのが「科学」のイメージだと思っていた。 こんなロマンチックなことを科学は言うことができるのか!という鮮烈な驚き。 それが、高校3年生に初めてガイアを読んだときの印象であった。 (続く)

取材の難しさ

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一昨日の取材の録音の文字起こしをしている。 文字起こしは、やってみるととても楽しい。 (録音された自分の声を聞くのは拷問に近いが。) 今改めて、2時間近いそのインタビューを聞いてみて、話の一つ一つが深みを持っていて、すごく面白い。 こんなことを話す人がいるということを、ぜひとも伝えたい。 でも、何だか物足りなさが残る。 何か大事なことを、僕はずっと、取材の間中、忘れていたのではないだろうか…? 今振り返ってみてそう思うのだ。   それは多分、ひとことで言えば、こういうことだ。 僕らはあの取材を通して、与えてもらうだけで、与えるものがなかったのではないか? 質問をして、答えてもらう。 そういう、一方向のコミュニケーションしかできなかったのだ。   龍村監督はとても気さくな人で、話し好きな人だった。 何より、人との出会うということ、人に影響を与え、与えられて、その相互の関係の中で生きているということをすごく大事にしている人だった。 だから、僕らの突然の取材のお願いを喜んで受けてくれた。取材場所である新宿御苑にも、ご自身ひとりで来てくださった。こちらから用意した質問をするまでもなく、たくさんのことを話してくださった。 それに対して、僕はどれだけ本気で向き合えていただろうか。 取材ということにこだわりすぎて、僕はまるで自分の言葉でしゃべっていなかった。ただ、頷いたり、相づちを打ったりしながら、先生の話にじっと耳を傾けているばかりだった。まるでお行儀の良い生徒のように。   龍村監督は、全く他人に対して壁を作らない人だった。完全に、龍村仁というひとりの人として、自分の思いや考えを語ってくださっていた。 なのに僕のほうは、ただの一人の取材者であることに徹しようとしていた。名前も人格も、自分がほかならぬ僕であるということも押し殺して、ただ投げかけられた言葉を吸収して、記録するという役割をやりとげることばかり考えていた。 それって、相手にとっては、もしかしたらすごく物足りなく思ったのではないだろうか…? 龍村監督は、インタビューの中で、映画についてのご自身の考えを話して下さった。 「観客がクリエイターになるかどうか。」 映画というのは、作り手のほうに伝えたいことがあって、受け手に対してそれを伝える、という単純な構造ではないというのだ。 観客ひとりひとりで感じ方は違う。見る状況によっても違う。作り手と受け手との共同作業によって初めてクリエーションが行われるというのだろう。 非常に深みのあることばで、こんな解釈でいいのかわからないが、とにかくそんなふうな信条をもっている人なのだ。そしてきっとそれは普段のコミュニケーションにおいても心がけていることだったろう。あのときの取材という場においても、もちろん。 そういうコミュニケーションの双方向性ということを考えると、今回の取材は、ほんとにあれでよかったんだろうか…、という、なんだかそういうすごくもやもやした感じが残ったのだ。   とはいえ、過ぎたことをいつまでも言っていても仕方ない。 取材して得たものを、きちんとした形にまとめることこそが、取材を受けて下さったことに応えるために、僕らがこれから本気でやるべきことなのだ。   僕が今回感じたことは、もしかしたらあらゆる取材というものに本質的に付きまとう問題なのかもしれない。 僕は問題提起をしてみたい。 取材として相手に向き合うときに、「僕が僕であるということ」は、できる限り押し殺すべきなのだろうか。 それとも積極的に押し出していくべきなのだろうか。 二者択一ではないとは思うけれど。

第一歩

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何度も宛先と本文を確認して、深呼吸を繰り返して、気合を入れて、 えいっ、と送信ボタンを押した。 たった一通のメールを送るのにこんなにドキドキするのは、どれくらいぶりだろう…?   逃げるように駒場図書館をあとにする。 何か後ろめたいような、それでいてワクワクしてるような、妙な高揚感。 まるで、あの時みたいに。   今日、龍村仁事務所に一通目の取材依頼メールを送った。 当たり前だけど、まだ一歩目を踏み出しただけだ。返事が来るかどうかも分からない。本当に大事なのはこれからだ。 でも、ようやくスタートは切れたかな、という気がする。 自分達の内輪だけで進めていた企てを、外にさらけ出した。 もう引き返せない。言い訳もできない。 どれだけ本気で向き合えるか、それを伝えられるかが、試されている。 どんどん行こう。

祭の裏側で

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五月祭でクラスやサークルの仲間と模擬店を出して楽しんだ人も多いだろう。 利益や味や効率がどうとか、余計なことを考えるのは祭りにはそぐわない。気の合う仲間と一緒に、夢中になって看板を作ったり、一日中焼きそばを焼いたり、呼び込みをしたりというのもまた大学生の思い出としては悪くないだろう。   ただ忘れないでほしい。 模擬店を出す楽しみのひとつは、「ものを生産して、売って、消費する」ということを擬似的に体験できるところだと思う。 でも、その先にある「廃棄」というプロセスを体験することは、大半の人は、ない。 模擬店で出たごみは集積場に持っていって、あとは誰かがやってくれることになっている。自分達が考えるのは分別をちゃんとして集積場にいる人に渡すところまで。その先は考えなくていい。 だけど、「その先」を引き受けている人が、確かにいる。   五月祭委員会の中に、「エコプロジェクト」という、祭りで出るごみ対策を一手に引き受ける組織が存在するのを知っている人は、どれだけいるだろうか。 学園祭の裏側で、大量に集められたごみを分別し、集積し、翌朝にやってくる収集車に積み込むという作業をひたすら行う人たちである。 学園祭の環境負荷の低減には、できる限りの努力がされている。 たとえば容器にしても、再生原料で作ってあり、古紙と同じようにリサイクルできるようなものを選び、模擬店で使うものはそれで統一されるようになっている。 来場者の捨てるごみは十何種類にも細かく分別される。種類別に並んだごみ箱の後ろには分別を指導するための人員も用意されている。 そうして徹底的に分別されたごみは翌日の早朝に収集車によって運ばれ、可能な限りリサイクルされて、資源に生まれ変わる。 そうしたひとつひとつの作業に、関わっている人がいる。 僕も一年生の頃からずっと関わってきた。分別の項目分けや、人員の配置や、広報のしかたを考えたりしてきた。 でも、本音を言うと、「リサイクルという素晴らしい取り組みを学園祭という身近な場でもっと進めていくべく、これからも頑張って活動して行きたい」とか、 そんな綺麗なことはいえない。   正直言って、本質的な問題はもっと別のところにあると思っている。 一度だけ使われただけで不要とされて捨てられていく容器包装たち。それらは半永久的に土に帰ることはない。もとの姿には戻らず、かといって再び使われることもなく、埋められていく。 数時間前まで食品として売られていたものが、まだ十分に食べられる状態のまま、生ごみとして大量に廃棄されてゆく。 僕らはそれらを分けて、運んで、積み上げることを繰り返す。 いくらリサイクルされるとしても、「捨てる」という行為をしていることに変わりはない。 「ものを捨てる」という行為に本質的につきまとうやるせなさ、空しさ。 一瞬前まで自分にとって必要なものだったものが、単なる処理されるべき物体になるという、その空しさ。 リサイクルがいくら進歩して、効率化したとしても、それは免罪符となってはくれない。   誰も、現場でごみを処理する仕事に積極的に就きたいなんて思わないだろう。特に東大生なんかは。リサイクルの枠組みを議論する人にはなるかもしれないが、決してごみ収集作業員なんかにはならないだろう。 でも、朝早くから東大生の情熱と享楽の残滓のようなごみの山を処理しに来るのは、そうした作業員の人たちなのだ。   現場にいると、ざらついた現実感と理不尽さに繰り返し襲われる。 現実の圧倒的な重さの前では、理屈で導かれた信念や目標なんて呑み込まれてしまうような気さえする。 それでも僕は現場に居続ける。 でなければ資源とかリサイクルとかを語る資格がないと思うから。   大学に入ってから2年間、環境問題を扱うサークルに入って色んな活動をしてきた。 色んなものを見てきた。色んなことを学んできた。 でも結局一番大事なのは、現場で実際にものと向き合うことだという結論に達した。 農業のバイトに行けば、中国からの研修生が笑顔で農薬を撒いていた。 途上国に行けば、少数民族の子供達が学校に行かず自分のような観光客相手に物売りをして生計を立てていた。 現実を見てしまうのは、多くの場合は空しく、無力感にさいなまれる。 仲間内でして居た机上の議論と目の前の現実を変えることとの間に、恐ろしい隔たりがあるということを思い知らされる。 でも現場を見ることなく机上だけで導き出された論理は、問題を解決するどころか問題の所在を見失って状況を悪化させる危なさを持っている。 「緑の革命」の失敗なんかはその最たる例だ。   きっと僕はこれからも学園祭のたびに集積場で働き続けるだろう。 答えが出なくても、答えの出ない現実の中で自分らが生きているということに向き合うために。

ミーティング風景

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コミプラ3階にて。 この前の金曜日の午前中に、「ガイア仮説」班の第二回ミーティングを行った。 参加者は自分含めて5人。朝早くから来てくれているのには素直にありがたい限りである。(一人画面越しに空間を越えて参加なさっているが。) 最初にテーマを立ち上げたときは、誰がついてきてくれるのだろうか…と不安だったが、来てくれた人はそれぞれ深い関心を持っていて、僕の知らないようなこともたくさん知っている熱い人達だった。 話はとりとめもなくどんどん進む。 ミーティングを仕切るのはとても難しい。 僕はこの場では発案者であると同時に進行者であることを自覚しなければならない。 言いたいアイデアや意見は山のようにあるのだが、自分の思いを語るだけではいけない。進行者として、話の流れを読んで、どのように話を導いてゆくかを考えなければならない。それぞれがなにを思って、どんな考えをもってここに来ているのか、それを引き出せるような問いかけの仕方も大切だ。 司会をしていて一番途方にくれるのが、参加者の誰も積極的に語れるものを持っていないとき。 「このことについて僕はこう思うんですが、どうでしょうか?」 そんな言葉を投げかけても、誰からも返ってこないのだとしたら、そのミーティングは失敗だ。 しかし、このゼミの人たちはさすがにすごい。幸いにして、皆がそれぞれ次から次へといろんなことを思いついて、発言してくれる。自分の考えと同じことを言われるときよりも、自分が思いつかなかったような話がどんどん出てくるほうが、進行をしていて嬉しい。 テーマが色々なことと関連しているだけに、話題は幅広い。ミーティングで湧き出してくる、漠然としたアイデアの塊はまだまとまりがなく、形になっていない。 このもやもやしたものにどうやって骨組みを与えて、何がしかの形をとって他人に伝えられるだけのものにしようか、これから考えていこうと思う。 それはまるで原始の莫大な塵の塊が重力によって互いにひきつけあい太陽系が出来上がってゆく、その過程を探求するのに似てなくもない。 きっと簡単な作業ではないけれど、間違いなく、やりがいはある。