留年するまで
今年の一月、僕は教養学部に「進学内定辞退届」を提出した。

印鑑も身分証明書も必要ない。こんな紙切れ一枚を出すだけで、ことは簡単に運んだ。内定していた学科の人達にも、教授にも、まだ何も告げてはいなかった。
どうしようもない後ろめたさに苛まれる。けれど同時に、ずっと背負ってきた肩の荷を下ろしたような、空ろな開放感を感じていたのも確かだった。
あまりにもあっけなく、僕の自主留年は決定した。
僕は、理科一類で入学したが、最初は理系には進まなかった。
2年夏の進学振分けでは、文系学科である教養学部超域文化学科の文化人類学分科に提出して内定し、後期教養の専門科目を受けるようになった。
だが、2年の冬学期に僕はその内定を辞退した。2年夏学期に戻り、進振りをもう一度やり直したのだ。そして理学部の地球惑星物理学科に進学内定して、数学や物理の専門科目を受ける現在に至っている。
理系から文転、それから理学部への進学。
なかなか珍しい選択だと思う。というか普通に考えたらあり得ない。
「どんなことを考えて辞退したの?」と色々な人に聞かれるたびに、僕は答えに困った。色々悩みすぎて、簡単に語れるような話ではないのだ。
内定辞退届には、辞退の理由として次のようなことを書いた。
「私が内定を辞退する理由は、自身の専門として文化人類学に代えて一時は断念していた自然科学を再び学び直すことを決意したためです。私は入学当初から環境問題をはじめとした国際問題に関心があり、文化人類学を内定先として選んだのは、問題の正しい理解と解決のために当事者の視点の重要性を感じたからです。しかし、実際に国際協力の現場に触れる機会を得て、実践的な専門技能を持つことの必要性を実感し、理科一類で入学したことを考えると、今後は理学部または農学部に進み、基礎から自然科学を学んだ上で、その知識を生かして問題に取り組むという姿勢が自分には最も相応しいと考えるに至りました。以上の理由により辞退いたします。」
こうした理由は、半分くらいは本当だ。
でも、書ききれなかった部分も、ある。
僕が自主留年した理由、
それは、科学というもの、学問というものに対する、非常に個人的な感情に基づく躊躇だったのだ。
僕が教養学部で過ごした決して短くはない時間、色々と考えて、悩んできたことについて、少しずつ語っていきたい。
それが、進振りという東大独自の制度にこれから向き合おうとする人達にとって、反面教師という意味であっても、参考の一つになればと思う。

この前の金曜日の午前中に、「ガイア仮説」班の第二回ミーティングを行った。
参加者は自分含めて5人。朝早くから来てくれているのには素直にありがたい限りである。(一人画面越しに空間を越えて参加なさっているが。)
最初にテーマを立ち上げたときは、誰がついてきてくれるのだろうか…と不安だったが、来てくれた人はそれぞれ深い関心を持っていて、僕の知らないようなこともたくさん知っている熱い人達だった。
話はとりとめもなくどんどん進む。
ミーティングを仕切るのはとても難しい。
僕はこの場では発案者であると同時に進行者であることを自覚しなければならない。
言いたいアイデアや意見は山のようにあるのだが、自分の思いを語るだけではいけない。進行者として、話の流れを読んで、どのように話を導いてゆくかを考えなければならない。それぞれがなにを思って、どんな考えをもってここに来ているのか、それを引き出せるような問いかけの仕方も大切だ。
司会をしていて一番途方にくれるのが、参加者の誰も積極的に語れるものを持っていないとき。
「このことについて僕はこう思うんですが、どうでしょうか?」
そんな言葉を投げかけても、誰からも返ってこないのだとしたら、そのミーティングは失敗だ。
しかし、このゼミの人たちはさすがにすごい。幸いにして、皆がそれぞれ次から次へといろんなことを思いついて、発言してくれる。自分の考えと同じことを言われるときよりも、自分が思いつかなかったような話がどんどん出てくるほうが、進行をしていて嬉しい。
テーマが色々なことと関連しているだけに、話題は幅広い。ミーティングで湧き出してくる、漠然としたアイデアの塊はまだまとまりがなく、形になっていない。
このもやもやしたものにどうやって骨組みを与えて、何がしかの形をとって他人に伝えられるだけのものにしようか、これから考えていこうと思う。
それはまるで原始の莫大な塵の塊が重力によって互いにひきつけあい太陽系が出来上がってゆく、その過程を探求するのに似てなくもない。
きっと簡単な作業ではないけれど、間違いなく、やりがいはある。