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西南西をむいてゐる
2 月 1st, 2010 by 内藤 拓真

最低だ。
何が最低かって、気分が最低だ。
頭が痛い。
割れんばかりの痛さだ。
二日酔いより質が悪い、粘性の痛み。

昨晩、「リリィ・シュシュのすべて」という映画を観た。
これが失敗その1。
ハンディで撮った映像に酔ったのと、
内容が衝撃的だったこと。
なかなか眠れなかった。

朝目覚めると、少し回復していたので「アバター」を観に行った。
これが失敗その2。
時間に余裕を持って行くも、9階にシアターのあるOIOIは地上から既に行列。
チケット待ちの列に並んでいると、残り席数42の表示。
僕の前には優に100以上の人間が並んでいる。
終わったなー、と思っていたら係員の声。

「12:20からの遊戯王DXは完売いたしましたー!」

結構な人数、それも大人が列から残念そうに抜けて行った。
そうしてなんとか手にした席は中央だが前から2番目。
もちろん、3D上映のシアターだ。
嫌な予感がした。

昔、「バベル」という映画があった。
いや、大して過去の話じゃない。
観に行く数日前に「バベル」を観て具合が悪くなった観覧者が出たというニュースもあったが、
日米合作の話題作だったし、
バベルの塔の言語を分かつ話がモチーフというので、期待して観に行った。
案の定、具合が悪くなった。
ポケモンのポリゴンの回もこんなかんじだったんだろうか。
激しい映像酔いだった。

だから「アバター」はヤバそうな気がしていた。
ましてや3D。
3Dスコープを受け取って向かった席は、スクリーンの本当に目の前だった。

確かに、立体映像はすごい。
ディズニーの宇宙なんちゃらに乗ってる気分。
本当に落ちているようなめまいさえ感じた。
めまい。
密林でのナビィと人間が戦う戦闘シーンが主で、その迫力が売りのハズだが。

観ていられなかった。

途中から半分以上は薄目を開けて下の字幕だけを追っていた。
それでも気分は最悪。
また「ぬたり」とした痛みが頭を締め上げた。
隣人のキャラメルポップコーンの匂いも不快キワマリなかった。
うげ。

エンドロールを向かい、逃れるようにビルをでると、雨が降っていた。
確か、雪の予報だったっけ。
濡れながら自転車をこいで家に帰った。
寒さで多少リフレッシュできたろうか。
服を乾かして、こたつに潜ってタイピングしてる。

家の近くに「一風堂」が今日オープンした。
博多ラーメンの人気店だ。
生憎の天気だが結構並んでいる。
午前1時までの営業だから、バイト上がりで通う事になりそうだ。
とりあえずこの後シャワー浴びたらいくつもり。
オープン記念でなにか配ってるといいな。

そうだ、気がつけば2月じゃん。

おにはそと、ふくはうち

地元の節分が懐かしい。

アバターのあの青鬼のイメージを払拭しなければ。

おにはそと、ふくはうち

おにはそと、ふくはうち

ふくはうち

一年の刑に処す
12 月 31st, 2009 by 内藤 拓真

下半身に不快な寒気を覚えて目覚めた。
まばたきを数回してコンタクトのズレを修正する。
ヘッドフォンは、「ジャズ」という素人的な括りで認識される音を鳴らし続けていた。
タイトルなど、僕にとって無価値である。
それは他人にとってミスチルの曲が「ミスチルの曲」であるように、
またスピッツの曲は「スピッツの曲」であり、クラッシックは「クラッシック」であるようなものだ。
それは、ここ大月駅が「山梨の田舎の駅」であるようなものだ。
猿橋でも、勝沼ぶどう郷でも、まるで構わない。
いずれにせよ、東京はまだ遠いことに変わりはなく、問題はこの悪寒である。
ゆっくりと体を反らしながら口元の涎をてのひらで拭きとる。
首を回して、山手線とは比にならないレトロさを醸す車内を見渡す。
寒気の正体は、特急の通過待ち合わせのために扉が開きっぱなしになっていたこと、
そして吹きすさぶ風が細かい雪を斜めに降らせていたことだった。
寒いはずだ。
それは久しぶりに見た雪だった。
絶対に積もらないし、きっとすぐにやんでしまう。
子供だってこれくらいでははしゃがない。
でも言葉にすれば確かに「雪が降っている」のだ。
僕はポケットを探って携帯をとりだし、webに接続した。
そして一言だけ、「雪が降ってきた」というツイートを残した。
それは誰かのレスポンスを期待した一言だった。
僕が東京にいると思っている人は空を見上げるかもしれない。
予報を見ていた人は僕が長野あたりにいると思うかもしれない。
「どれくらい降ってるの?」「寒そうだね」云々。
けれどこのつぶやきも外の雪のようにタイムラインの中に埋もれていくに違いなかった。
ぼーっと携帯の画面を見ていたら液晶が省電力モードに入って暗転した。
眠そうな男をアップで映し出す。
顔をあげて外を見ると既に雪はやんでいた。
寒気だけが残った。

一度だけ電車を乗り換えてアパートへと向かう。
「中央線沿いの駅」を通過して行く間も、ヘッドフォンは似たような旋律を繰り返し続ける。
読んでいる小説が徐々に盛り上がりを見せる。
かわった性癖の描写に少し興奮する。
快速から特快に乗り換えるチャンスを自ら棒に振った。
一日中山手線に座りながら本一冊を読みきるのも乙かもしれない、なんて思った。
ただ、そんなことができる一日があるのだろうか。
機能性を重視して買ったフランスブランドの手帳にはびっちりと予定が書き込まれていく。
その会社名はラテン語で「主よ、どこへ」という意味らしい。
ペテロがキリストの幻影に向かって問いかけた言葉だという。
その問いが実際の場所を指すとしたら、僕がこの手帳に書き込んでいくことはすべてその答えである。
しかしその問いがもっと抽象的なもの、例えば2010年の自分の方向性を問うものであれば、僕はただ立ち尽くすのみである。
本郷キャンパスに行って、渋谷でバイトして、代々木の家に帰る。
そんな「ぐるぐる」は果たして何かに向かった螺旋階段なのだろうか、あるいは。
まっすぐにのびる中央線を電車が走って行く。
窓の外にドンキホーテやアルタが見えてくる。
もう新宿だ。

相変わらず枯れたような雰囲気の代々木駅に着いた。
僕は少し遅めの昼食をどうしようか考えている。
金欠なのも確かだが、今日は大みそかだ。
何か旨いものでも食べたいという気分になる。
そんなときはいつも「らすた」を目指す。
家系、卵麺のラーメン屋だ。
あのこってりが時々欲しくなる。
「金かけず旨いもの」と言ったら即座にラーメンというのが学生的発想。
ドコモタワーを背にして歩いて行くと「らすた」はある。
が、入口の引き戸に31日から3日まで休業の旨が掲げられていた。
結局適当にコンビニでおやつを買って食べた。
なんとなく先ほどから「大みそかだから」という気分に支配されていた。

大みそかだから少しうまいものを食おう。
大みそかだからお気に入りのコートを着て出かけよう。
大みそかだからエロサイトはみないでおこう。
大みそかだからyoutubeもみないでおこう。
大みそかだから風呂に二回入ろう。
大みそかだから特番をみよう。
大みそかだから髭を剃ろう。
大みそかだから香水をつけよう。
大みそかだからビールを飲もう。
大みそかだからブログを書こう。

けれどそんな気分はラーメン屋がしまっていた時点で萎んで消えてしまった。
僕にとって大みそかは「いつもと変わらない一日」にかわった。
現にこの後僕はバイトに行って、そこで朝6時まで働く。
その間にテレビでは歌を歌い、殴り合い、笑いまくるのである。
大みそかにかこつけて。
そして間の一瞬、「年越し」という瞬間が訪れて、カレンダーがめくられてなし崩し的に新年になる。
新年になればまたイベント尽くしだ。
やっぱりテレビでは歌を歌い、殴り合い、笑いまくる。
その裏で僕らは新年会を行い、忘年会から全く時間が過ぎていないのに同じ仲間と飲み明かすのである。
年末セールは初売りへと名前を変え、
売れ残りは福袋へと価値を高める。
たぶん僕もまた「新年だから云々」の気分に駆られて、少し奮発した買い物をするのだろう。

それでいいのだろうか。

そんなニヒルな問いかけはやめておこう。
どうせ僕のことだから、そうなった後の文章の展開は読める。
「よくない」なぜなら「捉え方次第だ」からだ。
で、ミスチルの歌詞でも持ってくる。
そんな出来レースを書くのもいいが、バイトの時間が迫って来てちょっとその時間がない。

誰かのおかげでいろんな周期が発見されて、その節目が今日ということになった。
結局、「なんであるか」よりも「なにをするか」だ。
カレンダーを呪っても仕方ない。
今日は31日で、大みそかで、明日から新しい一年が始まるらしい。
甘んじて受け入れる。
僕は渋谷でコーヒーを淹れながら、
「QUO VADIS(主よ、どこへ)」
に対する答えを考えることにする。
きっと、この一年の自分に対する壮大な後悔に苛まれる。
過去が重く重く、のしかかってくる。
一年の刑に処される。
「なにをしたか」「なにができたのか」「なにをしなかったのか」。
そんなことを考える間にきっと年が明け、街が騒ぎだす。
否応なしにやってくる2010年。
自分ののぼる階段がどこへ通じるのか、どこへ向かうのか。
エスカレーターではなく、意志を持ってステップを踏むような歩みにしたい。
それが一年の計をするということ。
そんな大みそかから元旦。

良いお年を、そしてあけましておめでとう。

091227 TokyoDome
12 月 29th, 2009 by 内藤 拓真

缶ジュース一本が120円です。
某99ショップで「麦とホップ」が117円です。
最近は迷いません。
躊躇なく金色のラベルを手にとります。

そんな年の瀬。

27日は、大江戸線に乗って春日の駅で降りました。
いつもなら人波とは逆へ向って猫ビルを目指すのでしょうが、
この日ばかりはビッグウェーブに乗ります。

WINSが目当てでしょうか?
「有馬良ければすべてよし」と中吊り広告が言っています。
いいえ、僕は競馬で勝ったことがない男です。
いつも6コースの単勝を友人に買ってもらうのですが、まったく来ません。
(ちなみに蒼井優がCMで言う「すえあし」って何?教えて、テヒ(馬)くん。蒼井優かわいいよ蒼井優)

後楽園遊園地でしょうか?
いいえ、僕は絶叫系が苦手で仕方がない男です。
ネズミーCのインディジョーンズという子供だましで涙目で隣の女の子苦笑い。
シリキウトゥンドゥなんて二度と会いたくないです。

僕が向かったのは東京ドーム。
ここに来たのは中2の冬以来のことです。
たしかあの時も年末だったなあ。

東京ドームのまわりは僕のようなやつでいっぱいです。
みんな待ち合わせでウロウロしてるの。
「15時、東京ドームね」というのは「15時、渋谷ね」に等しいアバウトさがあるね。
しかし、そこにきて携帯は非常に便利です。
「15時、渋谷ね」で会えてしまう。
携帯なかったら絶対無理ですよ。
「渋谷TSUTAYA」とかにしても、中か外かでズレたらオシマイだよ。
あと便利って言えば乗り換え検索ね。
昔は路線図と時刻表とにらめっこですよ。
今じゃ親指一本で料金安い順に表示するのもほんの数秒。
待ち合わせにしろ乗り換えにしろ、まあこれだけ楽にできるんなら人間「計画」ってものをしなくなるね。
僕は割と計画する方でした。
受験のころとか「今日は何時からなにやって」という時間割つくるの大好きだったもの。

しかしまあこれだけツールが揃ってきて、そこにかける時間とパワーが節約されたんだから、
人間もっと「やった内容で勝負しよう」ってことなのかもね。
浪人してたころ思ってたのはそんなことだった。
方法を考える時間が無駄、だから駿台のやり方にのっかっとけばいいって話。
それは前に書いたっけ。

でも今思ってるのはちょっと違ってて、
「もっとワクワクしよう」ってこと。
15時渋谷で携帯かけながらなんとなく会って、
なんとなくホットペッパーでこじゃれた店見つけて入って。
ってんじゃなくて、もちょっと綿密に計画(妄想)して、ワクワクしとくの。
楽しいじゃん、そういうの。
そういうこともできる男になりたいもんです。

しかしこの日はとりあえず「15時、東京ドーム」だったわけだ。
遊園地からは絶えずキャーキャー聞こえるし、
スポーツ新聞読んでWINS方面に行くオッサンも多い。
じゃなくって、僕は何しにここに来たかというと、
Mr.Childrenドームツアーの千秋楽を観にきたということなのです。

中学2年のときは予備校の冬期講習抜け出して来たっけか。
あの頃は東京の土地勘が全くなくて超びびってたなあ。
とか思いだすと、ああ自分も東京の人間になったのだな、と思う。
東京で暮らすというのは、
大体の路線図が頭に入ってるということであり、
また、大体の安い居酒屋が頭に入っているということである。
新宿駅で上の乗り換え表示をキョロキョロしなくなったら一人前でしょうか。

ともかく。
春のツアーはチケット全ハズシという憂き目にあっていたので、ここに来れてとても嬉しいです。
スタンディングは外したけれど、この際文句は言わない。

セットリストは確認しないで来ました。
24日のWOWWOW生中継があったから絶対youtubeにも出てくるだろうと思って、それも見ないように心がけて。
朝のニュースも然り、特にフジテレビはシャットダウン。
それが醍醐味というものでしょう。

グッズもひとそろい買います。
けど最近はTシャツに手が伸びない。
ひとつはデザインが気に入らないから、もうひとつは単純に「着れない」から。
春のツアーではパーカーをつくっていましたが、
キャンパスでそれを着てる人を見かけたときにちょっとひいてしまったということがあり、買っていません。
街でもよう着れまへん。
これがUKロックのバンドTとかなら話は違うでしょう。
KISSとかStonesとかなら全然恥ずかしくない。古着でも値が張るし。
そこきて「Mr.Children」です。
みんなしってる「ミスチル」です。
・・・着れない。

と、まあちっさい嫉妬話は置いといて本題です。
ツアータイトルには最新(昨冬発売)アルバムの「SUPER MARKET FANTASY」が掲げられてるので選曲もその筋かと思いきや!
・・・驚きの「ラヴ コネクション」(アルバム「Atomic Heart」94年)。
これ、あの「innocent world」のころの曲ですよ!
知らない人も多かったはず。
桜井さんが花道から「生えてきた」のも驚いたけど、この選曲は完全に外された。
で、おなじみ「DANCE DANCE DANCE」と来て「Worlds end」
正直、ここが個人的には一番泣けました。
PVが好きなのもあるし、なにより歌詞が良い。
特に

「僕らはきっと試されてる どれくらいの強さで
明日を信じていけるのかを… 多分 そうだよ」

ここは秀逸。受験の時本当に糧にしたフレーズだったよ。
桜井さん的にはメロディ最初が低くて歌いにくいかもしんないけど、ジーンときました。

で、「HANABI」が来て(これはCDの方が良かったかも。というかドームの音響があんまりよろしくありません。)
でまたもやまさかの「ロードムービー」。
でもこれはやらなかったのが不思議なくらい。
だって桜井さんが「一番好き」と言うくらいの曲だからです。
夜中に彼女乗っけてバイクに乗ってるシーンを素描に近い感じでシンプルに仕上げた曲なんだけど、
情景と感情に対する言葉の与え方が自然且つ素直で、
確かにオートバイが焦らず、けれど遅くもなく走って行くような印象が伝わってきます。

「街灯が2秒後の未来を照らし オートバイが走る
等間隔で置かれた 闇を越える快楽に
また少しスピードを上げて
もう1つ次の未来へ」

という終曲のクダリも素晴らしい。

で「風と星とメビウスの輪」が来て「ALIVE」。
この曲も驚きの一曲。全然やんないから。
家帰って楽譜見たらコード7つ、しかもシロートでも簡単におさえられるようなやつでできててびっくり。

で、ILOVEYOUツアーを彷彿とする「LOVEはじめました」から「MONSTER」の流れ。
で「ニシエヒガシエ」でアゲて「CANDY」。
「CANDY」いいよ、なんつったって「孤独が爆発する」という名フレーズ。

ここまでの印象はアルバム曲中から「いぶし銀」の一曲を持ってきた、という感じ。
シングルに比べると地味かもしれないけど、その分大衆向けじゃない「味」がでてる曲ばかり。

中盤は花道の前に出て「Simple」「Drawing」「彩り」。
特に「Drawing」は嬉しい。サビの歌詞がキレイすぎて何度となく嫉妬した。ノートとか、使ってみてぇ。

「どんな場面でも 僕の絵には必ず君が描かれていて
目を閉じたまま深呼吸してみれば分かる
君はいつも 僕のノートに」

そして花道をステージへと帰りながら(また照明がカッコいい)イントロ、そして新曲「fanfare」。
その後ろ姿、漫画みたいだ。
この曲、なんか歌詞が安っぽく感じてしまう。
「答えはいつも風の中」とか。
メロディは奇抜でいいのに。

ここから終盤へは怒涛のシングルキラーチューンズ。
「箒星」「名もなき詩」「エソラ」「終わりなき旅」

ラスト「終わりなき旅」は記憶が正しければ09apフェスと同じアレンジ。歌いきった感のあるラストスパートだった。

そしてアンコール。
数字をうまく使った映像から新曲「365日」へ。
言葉が優しいだけに音に対してもろいように感じた。
大事に歌っていたけれど、やはりCDで聴きたい一曲。
「and I love you」で「GIFT」大合唱で大団円。
そういや去年は紅白で聴いたっけ。
このアレンジは大好きでした。
ふう。おしまい。

全体的に、コンサートの印象がだいぶ変わって感じた。
ひとつには選曲があると思います。
ネットで「マニアック」との意見も多くみられました。
その辺はまったく気にならなかったし、むしろ再発見があっていいじゃない。
キラーチューンを並べて「お腹いっぱい」というよりも、「三角食べ」のようなバランスの良さを感じました。
もうひとつは、「鋭さ」から「やさしさ」に変わったかな、ということ。
これはミスチルに対して近年(病気前後から)言われ続けていることです。
協調が「年相応」「お父さん的」になってる。
とんがってない。と。
でも今回のライブを聴いて僕は「それもまたいいな」と思いました。
魂の叫びのような鋭さはないけれど、歌詞に込められた愛情の表現がかなり伝わってきました。
だから良い意味で「年相応」だと。
全体としてとっても「あったかい」コンサートだったと思います。

今年最後に充実した時間が過ごせて幸運でした。
最近だいぶ忙しくて疲れてたのでミスチル聴いて充電されました。
こういう普通なことを普通な感性で書くってのもたまにはいいかもです。
「日記」って感じで。

ああ、でもあと数日あるか。
年末年始はずっと働いています。
今年も明治神宮に行こうかしら。

良いお年を。
来年もいっそう野望を持ってがんばります。

代々木の月曜日
12 月 8th, 2009 by 内藤 拓真

塾帰りらしい制服姿の小学生たち、
スーツには不相応なスーパーの袋を抱えたOL、
ポケットゲームに興じる大学生。
吐き出されては飲み込まれてくる人の群れ。
ひとり大江戸線に揺られながら、東京で最も深い家路を滑って行く。
暗い地下を走る車両の窓に映った顔は、
ただぼーっと僕の目を見つめ返す。
そんな月曜日の帰り道。

流れるままに改札から押し出され、
息苦しい暖かさの地下道に歩みを進める。
遠い地上へと向かうエスカレーターの中腹でふと暖房が切れ、
12月の冷たい風がじんわりと迫る。
一瞬身を縮めるが、動く階段は容赦なく僕を風上へと運んで行く。

見上げれば新宿方面の空は相変わらず暗くて明るい。
ドコモタワー、代々木ゼミナール、東京都庁。
仰ぎ見ていたらサラリーマンと思わず肩が触れた。
慌てて振り返ると彼は既に数メートル遠くへを早足で歩いていた。
彼は点滅する青信号に滑り込み、駅の人ごみの中に消えていく。
僕はひとつ溜息をついて、アパートへと幾分早足で歩きだした。

久しぶりに自炊をしようと、途中スーパーに立ち寄った。
玉ねぎと豚肉で400円くらい。
貧相な買い物かごで主婦の列に並ぶ。
ヘッドフォンでレジの人の会計の声が聞きとれず、
仕方なく1000円札を渡して釣銭を受け取った。

半地下のスーパーから再び地上へ出る。
見上げた目の前の古いビルの中層で、ふと目がとまった。
人が動いている。
良く見れば同じような髪型のシルエットが窓際に並んで立っている。
窓にはバレエ教室の名前が粗末に書かれていた。

この街に引っ越してきたのはちょうど1年前のこと。
以来何度となくこの道を通ってきたはずだ。
けれどそのバレエ教室の存在を今日初めて知った。

なんでもない風景の中に見つけた何でもない風景だが、
なんだか少し嬉しくなって、
ヘッドフォンから流れるSalyuの歌声に、
プロモーションビデオのワンシーンを気取ってしまう。
他にもないかと建物の上の方ばかり見ていたら、
また人とぶつかった。

僕はモーニング娘の「I WISH」という曲が好きだ。
僕が小6まで恋い焦がれていた加護亜衣から、へたくそにこう歌い出す。

「ひとりぼっちで少し退屈な夜
私だけが寂しいの Ah Uh」


ほぼアカペラで、切ない。
だんだんと歌声、ビート、ブラスが重なっていく。
サビはユニゾンで、大団円。


「人生って素晴らしい ほら いつもと 
同じ道だって 何か見つけよう
Ah 素晴らしい Ah 誰かと
巡り合う道となれ」


グッと来る。
今聴いても胸のあたりがジンジンくる。

なんでこの曲が好きかって、
それは僕が信奉するMr.Childrenに通じる部分がこの歌詞の中にあるからだろう。

「いつもと同じ道だって何か見つけよう」

Mr.Childrenはこう歌う。


「雨に降られたら 乾いてた街が
にじんできれいな光を放つ
心さえ乾いてなければ
どんな景色も宝石に変わる」
(「エソラ」/アルバム「SUPER MARKET FANTASY」より)


さらにこれ。


「どんな不幸からも 喜びを拾い上げ
笑って暮らす才能を 誰もが持ってる」
(「CENTER OF UNIVERSE」/アルバム「Q」より)

「あぁ世界は薔薇色
総ては捉え方次第だ
ここはそう CENTER OF UNIVERSE」
(同上)


宇多田ヒカルではこの曲。


「青い空が見えぬなら青い傘広げて
いいじゃないか キャンバスは君のもの」
(「COLORS」より)


で、もう一回Mr.Children


「今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない いつも答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で 好きな背景を描きたして行く」
(「Any」より)


なんとなく、わかっただろう。
いや、わかりやすすぎだろう。

なんてことない風景に感動して、
加護ちゃんのへたくそなボーカルを思い出し、
ちょっとほくそ笑む。

僕はそんな感じで暮らしている。

美しい棘(とげ)がつくりものだとしても。
12 月 2nd, 2009 by 内藤 拓真

「美しい棘(とげ)」とは『フォト・リテラシー 報道写真と読む倫理』(今橋映子 08年 中公新書)から抜いた言葉である。

1年半前、入学ホヤホヤでまだやる気があった(もちろん今だって、ある)僕は「フォトジャーナリズムと戦争」をテーマに研究していたことがある。
その時の参考文献の一つに広河隆一氏の『戦争とフォト・ジャーナリズム』(04年 岩波)があった。
何?テーマと本のタイトルは語順を入れ替えただけだって?気にしない気にしない。

それはさておき、メーリスに『DAYS JAPAN』の文字、そして広河氏の名前を見たとき、少し懐かしい気持ちになった。
と、同時に、一年半前にモヤモヤしたまんま放っておいた疑問があったということも思い出した。

「美しい棘」とは一体どういうことだろうか。
この言葉は、写真が芸術と記録媒体の狭間のマージナルな存在であるということを表している。
「美しい」とは芸術としての写真の性格だ。
単なる記録媒体であれば、整った構図や陰影の妙など視覚的な美しさなど必要ない。
一方、「棘」の方は、記憶にとどめなければならない何らかの事実やメッセージを伝えるという記録媒体としての性格を指す。
戦争の悲劇や、貧困の実情、環境破壊の現状など、
個人の中で何かを変えるには至らないまでも、胸に刺さった「棘」としてちくりという痛みを感じさせ自分の中に違和感を残す。
この「美しい」と「棘」という性格は作用し合い、見るものの中に何かを残す。
そのことで写真は思考の「きっかけ」としての役割を果たす。

ここまでは良い。
モヤモヤはここから。

その「美しい棘」はつくりものではいけないのだろうか?
そもそもその棘が本物である必要はあるのだろうか?

3つ、そう考えてしまう理由がある。

まずひとつめ。加工技術の話。
猫も杓子もデジカメ状態で、映像にしろ音楽にしろ、デジタルデータになった瞬間にその質を損なわないままに加工が可能である。
超絶音痴なボーカルもコンピュータを介した補正によって歌姫としてCDデビューできてしまう。
写真に関しても、デジタルカメラの登場で画像がその質を損なわないままにデジタルデータとして処理でき、
トリミングから細かな明るさやコントラストの補正、さらにはカット&ペーストまでもがコンピュータ上ワンクリックで行えるようになった。
文句は当然あるだろう。「ウソだ」「合成だ」
でも大事なのは「美しい棘」であること。
では聞くが、今現在報道写真としてまかり通っているものは既に精巧なコンピュータグラフィックによる偽の写真なのかもしれないじゃないか。
そうじゃないと言えるのだろうか。

ふたつめ。
芸術写真はともかくとして、報道写真として雑誌や新聞に掲載される写真はもはやアイキャッチとしての性格の方が強いように思うこと。
例えば、政治関係の報道において新聞が使用する鳩山首相の写真が一昨日ものであろうと一ヶ月前の会見の写真であろうと相違はないと思う。
ひと月前の鳩山首相の写真に「昨日の会見の模様」というキャプションさえつけばそれで済んでしまうし、たいして問題もない。
戦争の報道写真もそうだ。
イラク戦争の写真と湾岸戦争の写真、誰にその区別がつくだろう。
泣き叫ぶ栄養失調の子供がエチオピアの子供かウガンダの子供かなんて、わかりっこない。
また文句はあるだろう。「騙したな」「こんなの真実じゃない」
けれど、目的から考えてほしい。
アイキャッチだ。そして「美しい棘」だ。
読んだ人が「げ!」「うーむ・・・」と思えば良い。

みっつめは、見る側の問題。
教育の現場で、本やテレビで、ネットで。
戦争写真に触れる機会は多くある。
正直、注意して見ていかないとデジャブのように感じることがあっておかしくない。
写真をちらと見た途端に、自分の頭の中で被写体が類型化され、
「これは空爆もの」「これは飢餓の子供もの」「これはチャイルドソルジャーもの」
というように整理されて認識されてしまう。
だったら二つ目と同じ。
もうこれ以上撮る必要はない。
飢餓状態の風景が欲しければストックから引っ張り出せばいい。
エチオピアでもウガンダでもかまわない。
「美しい棘」であればいい。

結局、写真は真実を写している必要がなくなってくる。
今日のシンポジウムでも確認していたが、フォトジャーナリストが目指すのは「争いなき世界」である。
そのために自分たちは第一線に赴き現状を伝える、と。
そうやって多くのフォトジャーナリストたちが危険を顧みず戦場を駆け回ってきた。
ロバート・キャパ、ユージン・スミス、ケビン・カーター。
名もなき写真家のものも含め、重いメッセージのこめられた戦争写真がたくさんある。
けれど「争いなき世界」のためには「美しい棘」が必要で、それはつくりものでもストックでもいいのだ。

いや、誤解しないでほしい。
僕はそれが正しいと考えてるわけじゃなくて、
考えてったらそうなっちゃって、でも「あれ、反論できない」と思ってしまってモヤモヤしてしまったのだ。
これはフォトジャーナリストのアイデンティティに関わる重要な問題だと思う。
現代において、大戦期のように操作する側に悪意があるということが無く、基本的事実を曲げることにならない「悪意無き操作」であればなされても別にいいのではないか。
見る側が信じていれば。

誰かに反論してほしい。

そんなことを思いながら、思い出しながらシンポジウムを聞いていた。

下に書いたのは昔したプレゼンとレポート。
「美しい棘」とか「選択の芸術」とかその辺のことがもっと詳しく書いてある。
画像参照した方が楽しいので、ググりながら読んでもらえたら嬉しい。


————————————————————-
(プレゼン原稿より)


【フォトジャーナリズムとは?】

まずはじめに、フォトジャーナリズムとは何なのかということですが、端的には写真報道、主として新聞や雑誌から写真集まで幅広い印刷媒体での報道に際して、報道内容を視覚的に伝えるために写真を用いる事をいいます。もちろんジャンルとして戦争報道に限定されるわけではなく、社会・自然環境・スポーツ・芸能と多岐にわたっていますが、今回のプレゼンでは戦争に焦点を絞って話を進めていきたい、というのはフォトジャーナリズムの発生と戦争というものが密接にかかわりあっているかなんです。

【フォトジャーナリズムの歴史】

写真という技術は実は紀元前から原理として使われていまいた。しかし、印刷物として紙に定着した写真というものがだされたのは1825年ということになります。このときの写真には露光、シャッターを開く時間ですが、それに8時間を要しているため一瞬を切り取る報道写真には程遠かったんです。実用写真としてはルイ・タゲールというフランス人の手によって1829年にそれでも露光時間数分から数十分のタゲレオタイプという写真技術が開発されました。最初は絵画などの複写技術として使用されていたみたいなんですが、徐々に改良も進み、技術がアメリカへと渡りまして、1861年、南北戦争において初の報道写真が撮影されます。これがフォトジャーナリズムの起源とされている。実を言うとですね、1851年のクリミア戦争ですでに写真機の使用例はあるのですが、いかんせん時間と、あと馬車二台分ぐらいの設備を要したもんで、事後の風景の撮影ぐらいしかできなかったらしいんです。いずれにせよ、戦争によってフォトジャーナリズムの歴史が開かれた、といえるわけです。

フォトジャーナリズムにおけるひとつのターニングポイントは1936年でした。この年、まず、アメリカにおいて、その後20世紀の写真ジャーナリズムを代表することになる雑誌「LIFE」が創刊されました。そして同じ年、ニューヨークで活躍していた報道写真家たちが「フォト・リーグ」というグループを結成しています。これもまた報道写真家たちが活躍するきっかけとなりました。ハードの面でも、イーストマン・コダック社が、35mmのカラー用カートリッジ付ロール・フィルム「コダクローム」を発売。さらに極めつけは、この年、写真の歴史だけでなくジャーナリズムの歴史、そして社会をも動かすことになる戦争報道写真の傑作「共和国軍兵士の死(崩れ落ちる兵士)」がロバート・キャパによって撮られたことです。この写真については跡で詳しく話しますが、世界中に衝撃を与えると同時に数多くの賞を獲得し、戦場カメラマンという新しい職業を生み出すことになったわけです。

戦時中は多くの写真が撮影されましたが、ナチスやソ連においてはプロパガンダとして用いられる場面も多かったようです。戦後、72年には「LIFE」が休刊になり、「報道写真の凋落・危機」が叫ばれます、まあこれについては後で触れましょう。

【戦争における報道写真の役割】

さて、ではその報道写真が広く戦争においてどんな役割を担うかですが、戦争においては往々にして、「加害者は被害者を隠す」ということがいわれます。世界世論が同情するのは、勝って喜ぶ兵士や政治家のの姿ではなく、傷を負った兵士であり、子供を亡くした母親の写真である、そう思うんです。90年代の湾岸戦争においては世界史上初めて「戦争の実況中継」がなされました。新型兵器が次々とピンポイント爆撃を繰り返す様子が繰り返し報道されあたかもゲームのような印象から「任天堂WAR」とまで言われました。しかし現地で起きていることは、ゲームなどとはいえない悲惨な状態にありました。湾岸戦争やイラク戦争では、情報を隠すのではなく、逆にテレビによって情報を「流す」という形でのコントロールが成されました。戦争の形態が変化し、通常兵器が大規模化したことから、被害者への接近が望まれなくなり、実際多くのメディアは兵器の優秀さの報道に狂奔し被害報道は煙に巻かれ、アメリカの戦争を支持する形となってしまいました。ジャーナリストの役割は、現状を伝えることにあると思いますが、その伝えるべき現状とは、生命や安全という言葉と対極にある、戦争や占領という被害の真実にあると僕は思います。

伝えること、その他にもうひとつ、フォトジャーナリストには事の起こりを未然に防ぐという大きな役割があります。02年にイスラエルのテレビが、兵士たちがハンマーで家の壁を壊して中に進入し、女子供しかいない家の内部を荒らしまわり、子供たちの目の前で家財に火をつけるという暴挙を伝えました。キャスターさえ絶句するほどでした。軍関係者はこれに驚愕し、ジャーナリストの排除を開始します、イタリア人のジャーナリストが戦車に撃たれて殺されさえしています。これを逆手に取り、住民たちはジャーナリストを歓迎し、自分たちでSPをつけるなど手厚く扱います。ジャーナリストのいる場所で非人道的行為は行われにくい、かつ、戦争の真実を伝えてもらうことで今後の虐殺を阻止したいからです。これはフォトジャーナリストが危険を犯してまで現地へ赴くという使命があることの理由にもなっています。

【一枚の写真の力】

こうして、フォトジャーナリストは危険を犯して前線で仕事を行うわけですが、彼らにいくら志があるにしても、やはり人間としての恐怖はあるわけです。たとえばロバートキャパが撮影した有名なノルマンディー上陸作戦の写真。彼は上陸第二陣に同行し、まだ弾丸の飛び交う中でこの写真を撮影しました。写真のブレは撮影者の死への恐怖、震えとしてしっかり写真に現れています。この写真はいわくつきで、キャパはこのときフィルム4本分の撮影を行っているのですが、ロンドンの現像技師が興奮しすぎて9枚しかまともに写真にならなかった、そのうちの一枚なんです。

そこまでして撮ったその一枚、実際にパッと例えば「第二次大戦!」っていわれたときに思い浮かぶのって、高校の教科書に出てるようなメジャーな写真だと思うんです、その意味で一枚の写真が戦争そのものを示す記号、シンボルになることって多分にありますよね。これから記号化した有名な数枚について考えていきます。


「崩れ落ちる兵士」 ロバートキャパ (1936年)

この写真、高校世界史の資料集とかで一度は見たことあるはずです。まあスペイン内戦を伝えた一枚です。この写真実は「やらせ」じゃないかとして物議をかもしているんです。実はこれペア写真なんです。もう一枚はこれ。明らかに違う人っぽいし、銃の握り方も違う。最近公開されたキャパのフィルム群の中にこのフィルムは見当たらないらしいし、キャパ自身、やらせ写真は何度も撮っているらしい。しかしですね、この写真が第二次大戦前夜の当時に与えた影響は計り知れませんし、その後の戦争報道のさきがけとなったとという意味で評価できます。

「硫黄島」 ジョーローゼンソール (1945年)

やらせ写真としてはもう一枚、これは最近の映画で一躍有名になりました。周知の通りこの写真も真っ赤なやらせですね。硫黄島の占領は45年5月25日でしたが、その日はカメラマンが不在で、且つ、星条旗ももっと貧相だったため翌日に撮りなおしたんです。よく見れば不自然なポーズですし。しかしこういう写真こそやらせだからといって片付けてはいけないんです。丘の上の残骸などの細部を見れば硫黄島における戦闘の激しさを垣間見ることができます。

「ベトナムでの処刑」

この写真こそアメリカの世論を揺さぶった一枚だと思います。決定的瞬間をとらえた一枚です。しかし、この写真よくできすぎです、実際にこの暴挙は多数のジャーナリストを集めた前で行われ、この瞬間には多数のフラッシュがたかれ、フィルムは回り続けていたのです。この後右の男性が倒れて血が出るという映像さえあるくらいです。まさにショーとしての意味合いを持った処刑であったのです。さっき報道陣がいれば暴挙はおきないっていう話をしましたが、これは逆のケースで、処刑者が報道陣への半ばサービスとして行ったと推測でき、報道陣がいなかったらこの路上の虐殺は起きなかったのです。

「ナパーム弾の少女」 ニックウト (1972年)

この一枚もいわばショーでした。ナパーム弾は改良が進み、爆発時に帯び散った黄燐が水をかけても燃え続けるという代物でした。このときナパーム弾爆撃が始まる直前に、記者団が近くの村に案内され、米兵が「ここにいれば面白いものが撮れる」と言った、そうしてナパーム弾が村に投下され、ジャーナリストはいっせいにシャッターを切ったのです。この写真はピュリッツアー賞も受賞し、ベトナム戦争の反戦運動に大きな役割を果たしましたが、これがいかなる状況で撮影されたかには多くの疑問があります。

「黒い海鵜」

さっきも述べたとおり、湾岸戦争では史上初めて戦争の実況中継が行われました。これは人々の間におおきな錯覚を生み、実況中継イコール真実という勘違いが横行しました。この海鵜は重油によって真っ黒になっており、その環境汚染が戦争の、フセイン大統領の責任であると、そう印象付けたのです。しかし、実際には38基もの油井を攻撃して炎上させ破壊したのは米軍の爆撃でした。ここで写真による世論のすり替えが起きたことは否めません。このほかに炎上する油井をバックに歩くラクダの列という写真も有名なのですが、そもそもそんなところをラクダが歩くはずもなく欧米メディアのオファーによって届けられたやらせのラクダだった、という事実もあります。

「少女とハゲワシ」 ケビンカーター

この写真もまた大きな論争を呼んだ写真です。これはスーダンで撮影されたのですが、撮影者のカーターは「人命を優先すべきだった」、「カメラマンとしては満点だが、人間としては0点だ」などの激しい非難を受けまして、失恋や借金も重なり、自殺を遂げます。写真を見るとわかりますが、望遠で撮影されており、ワシと少女の間にはかなり距離があります、また、カーター自身もこの撮影の後に、ワシを追い払ったし、撮影時には少女の母親も近くにいた、と証言しています。

こういった写真に対しては「フォトジャーナリストの使命」を掲げ犠牲を肯定する意見が多数あります。しかし僕はそうでないと思う。フォトジャーナリストの使命とは命に優先する職業的特権なのか、単なる個人の野心や名誉心ではないのか、そういう疑問をこの写真は提示していると思うのです。だから「この少女の犠牲のおかげで後の無数の人の命が救われた」とかいう議論には疑問を感じざるを得ないわけです。フォトジャーナリストは運命として「永遠の傍観者の宿命を背負っており、彼らが最もよい仕事をするときほど、あたかもすべての悲劇の現場で沈黙を守るように、その場の善も悪にも手を染めようとしないことだ」と共同通信のある記者は語っており、この言葉が端的にこの問題を表しています。

イスラエルの核開発

モルデハイ・バヌヌというユダヤ人の男性はイスラエルの原発で働いていました。彼はIAEAの査察を前に封鎖された原発の地下を不審に思い、非番の日に侵入してイスラエルが核開発を行っている証拠写真を手に入れたのです。彼はその足でイスラエルを出てオーストラリア・イギリスへ渡り「サンデータイムズ紙」にこの写真を見せ、検討する間パリに身を隠します、バヌヌはそこでであった女性とローマへ行きそこで消息を絶ちました。その後、「サンデータイムズ紙」はバヌヌの持込を本物と認め、発表します。彼は殺されたといううわさが流れました。しかしある情報を得たジャーナリストがある日裁判所から出てくる護送車を撮影。中にいた人物はそのとき車の窓に手を押し付けます。それがこの写真。「私はモルデハイ・バヌヌ、ローマで誘拐された。」と書かれています。彼はイスラエル当局に誘拐されていたのです。18年後に彼は刑を終え出所しました。彼の行為は権力大きな一撃を与えました。写真は世界を動かす、そう感じさせるエピソードです。

【これから】

最後にこれからのフォトジャーナリズムを考えます。最初にも言いました通り、戦後、フォトジャーナリズムの凋落が叫ばれて久しいわけです。その原因としては、まず、映像メディアとしてのテレビの席巻です。音声付の動画の登場は臨場感など魅力の面で写真に勝るといわれており、通信技術の発達した現代において生中継は即時性においても写真をしのぐものが認められます。また、報道写真がスクープの追及に固執しすぎたという傾向も否めません。特に、キャパの「崩れ落ちる兵士」以降にその傾向が強まり、第二のキャパを目指すべく写真家たちは決定的瞬間を切り取ることに奔走します。そこのみへの固執は盲目を生み、報道写真が伝えるべき真の戦争被害が無視されがちです。さらには、そうした報道写真に対して、読者があまりに刺激の高い、特に戦争写真には死体や鮮血がつき物ですし、そうした強い刺激に対して疲れ、嫌気がさしてしまった、また、あまりに多くの写真があふれる中で刺激にも慣れてしまった、閾値が上がったというのか、いずれにせよ見る側の心情に変化が生じたことも大きな原因です。

時代は大量生産大量消費、それにあわせたメディアの変化も顕著です。情報はあまっていて、とにかく「垂れ流す文化」になってきています。とりあえずテレビは映像と音声を送り続け、ネット上ではyoutubeで見たいものを見放題なわけです。そうすると、戦争報道がテレビでなされても、爆音にも慣れ、見向きもしなくなる。音声付の動画そのものの性質も基本的には「垂れ流し」という表現に行き着くと思うんです。しかしむしろ、垂れ流されている膨大な世界を一瞬に形として固定化するという記憶装置の性質を持った写真にこそ果たせる仕事があります。一瞬を捉えるという表現は確かに陳腐ではありますがやはり的を射た表現なのでしょう。

また大量消費の中で人間どんどん即物的になってきて、目の前に出されたものに対して、批判精神も含めて想像力を広げていけなくなってると思うんです。テレビ番組の多くは思考停止のためにあるわけで、次から次へ、ご丁寧にテロップまでつけてくれているから私たちは何も考えません。写真は止まっている世界ですから余計に何も考えず、右から左へと受け流してしまう、結果、感動もできなければ、写真の真偽やその裏側まで考えられなくなっているのです。確かに写真は静止画です。しかしそこにこそ醍醐味があると思うのです。

これは僕がキャパの作品の中で一番好きな写真です。タイトルは「シャルトル・フランス」、解説すると、真ん中の男女が夫婦で、丸刈りにされて赤ん坊を抱える女性はフランス人、その隣がドイツ兵男性でして、まだ大戦中です。これだけ言えば状況は飲めると思うんですが・・・。これほど想像力をかきたてる写真ってないと思うんです。もうストーリーが広がって小説のひとつも書けそうでしょ?まだまだフォトジャーナリズムは健在だと思うし、平和ぼけの日本社会に生きる私たちと、非日常的な戦争という事態を結びつけるのは、この想像力であると思います。


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(レポートより)


上のプレゼンでは「戦争とフォトジャーナリズム」と題して数枚の有名な写真を紹介しながら、これからのフォトジャーナリズムについて考察した。しかし、写真は「一瞬の事実を切り取る」と述べる一方で、著名な写真家の代表作品が「やらせ」や「トリミング」によるという事実にも触れざるをえなかった。そして、フォトジャーナリズムが厭戦の世論形成につながるのだという当初の私の期待は大きく裏切られ、逆にそうした加工写真が戦争遂行を容認・支持する土壌の醸成に深く寄与していたという目を背けたくなるような事実に直面もした。フォトグラフに対して私が抱いていたイメージはたちどころに突き崩され、「真を写す」はずの写真は本当に真実を写すのか、という疑問が私の頭中を支配した。そして、真を写さないのならば写真とは一体何なのか、さらには、写真は何かを変える力を持たないのか、その存在意義はどこにあるのか、という問題を抱いた。これらの大きな疑念は写真に対する諦念の色さえもちらつかせる。

私は昨夏、西日本を一人で旅行した。その中で各地の近代・現代美術館を巡り写真展を観覧した。中でも京都近代美術館におけるユージン=スミスの写真展では、被写体が大きな力で私の想像力に訴えかけ、一枚一枚が私の中に確かな存在感をもって印象を残した。

また同じころ北京五輪の報道写真が連日新聞に掲載されて日本選手の健闘を伝えたが、その報道写真を目にするにつけ一々唸らされた。水泳の北島選手が世界記録で優勝し水面を叩いてガッツポーズをする写真などはその最たるもので、水滴の一つ一つまで静止して鮮明に映し出している。写真技術の向上とその臨場感の現出に感心せざるを得ない。
以上のように、個人的嗜好もあり写真の可能性を信じたい私は、上に挙げたような疑問を検証し直し、改めて「フォトグラフの存在意義・存在可能性」を考察したい。


【写真は真実を写すか】

【「選択」の芸術たるフォトグラフ】
最初に、写真は「一瞬の現実を切り取る」ものかどうか検証する。まず、よく言われる「写真は選択の芸術である」というフレーズから、一枚の写真に対して写真家がどのように「選択(つまり加工)」を施しているか考えたい。
一枚の写真が作品として世に送り出される過程を、「撮る」「現像する」「発表する」の3段階に分けて、写真家による「選択」が如何に行われていくのかを検証してみたい。

【撮る】

まず、カメラを用いて現実を切り取るという作業における「真実への介入」について考える。

上のプレゼンでも示した通り、有名な写真には「やらせ」の疑惑がつき物である。『崩れ落ちる兵士』(ロバート=キャパ 1936年)は、ネガが行方不明なことや連作二枚目の存在などから「やらせ」が指摘されている。また、『硫黄島』(ジョー=ローゼンソール 1945年)についても、硫黄島の陥落の瞬間に写真家が居合わせなかったこと、旗も立派なものに取り替えたことなどから、確証をもって「やらせ」と言われている。

そもそもあるイベントの決定的瞬間をカメラでとらえるという営みは異常なまでの運の強さを要する。まずその現場に自分が居合わせる確率の低さ、そしてその出来事に対してカメラを構えファインダー越しに逃げ去る一瞬をつかまえられる確率の低さ。その万に一つもないような偶然を写真家は常に渇望しているものであり、そのためなら身の危険も厭わない。かのロバート=キャパはその最たる例であり、『ノルマンディー上陸、オマハビーチ』(ロバート=キャパ1944年)は、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦における上陸まさにその瞬間を撮影したものである。弾丸の飛び交う中撮影されたこの写真にはキャパの死への恐怖・震えがブレとなって現れている。己の危険を顧みない行為である。

「決定的瞬間」は辛抱・忍耐・運・勇気の果てにある。それらを経ずに自分でその瞬間をつくりだそうという行為が「やらせ」である。動画メディアの発達した現代だからこそ一昨年10月のビルマ暴動における永井さん殺害の瞬間のような映像も捉えられる。しかし写真家とてビデオカメラを回し続けるがごとくにカメラを構えていられるはずもなく、「決定的瞬間」を捉えようと思ったら運が9割を占めるであろう。だから「やらせ」なのだ。プレイボーイ08年6月号における『世界を変えた50枚の写真』として挙げられた中で瞬間をとらえた種類の写真群では「やらせ」の嫌疑がかかっているか既に「やらせ」であることが知られている写真の方が多いくらいである。つまり、あってはならないはずの「虚偽の被写体の選択」が往々にして罷り通っているのである。

【現像する】

撮影した写真を現像するという行程において写真家はトリミングを行う。画面の一部だけを切って重要部分を強調するように加工するのだ。例えば、フランスの写真家アンリ=カルティエ=ブレッソンの代表作に『サン・ラザール駅裏』(ブレッソン 1932年)がある。水溜りを飛び越えようとする男性が飛び越えきれずに水たまりに突っ込む、その足が水面につくかつかないかの一瞬を捉えた一枚であり、決定的瞬間を捉えたとして評価は高い。ブレッソンはノートリミングによる構図の優位性を言っているのだが、この写真に限ってどういうわけかトリミングが施してあると言うのだ。画像はないのだが、実はこの写真は鉄柵の隙間から撮影されており、切り取られた写真の左側には鉄柵の黒く太い影が一筋走っていた。ブッレッソンは柵の部分をトリミングして除去しこの写真を生み出したのである。

だからといって「写真が真実を写さない」などという結論は導き出せるはずもなく、私もそんなことが言いたいわけではない。むしろ、写真作品を鑑賞する際、「この写真家は、よくこんな一瞬の出来事をこんなにも完璧な構図でカメラにおさめることができたものだ」と一目で感服しきってしまうというのは短絡であり、現像の際にトリミングという名の下で何らかの構図選択や加工が行われている可能性を一考してほしいのだ。

万物がデジタル化されていく現代、その弊害にひとつに「データ加工の容易化」があると思う。映像にしろ音楽にしろ、デジタルデータになった瞬間にその質を損なわないままに加工が可能である。超絶音痴なボーカルもコンピュータを介しての補正によって歌姫としてCDデビューできてしまう。写真に関しても、デジタルカメラの登場で画像がその質を損なわないままにデジタルデータとして処理でき、トリミングから細かな明るさやコントラストの補正、さらにはカット&ペーストまでもがコンピュータ上ワンクリックで行えるようになった。それはイコール撮影された被写体の持つ魅力が画面上に最大限引き出せるということなのかもしれない。しかし、構図や陰影を変えただけで被写体の印象はガラリと変わってしまうし、カット&ペーストならなおさらである。

この写真は今年7月に行われたイランのミサイル発射実験の様子を撮影したものだが、イラン革命隊の発表した左の写真ではミサイルが4発であるのに対しAP通信の発表した右の写真では一発少ない3発が写っている。米情報機関はこれをデジタル合成による偽装とみているという。この合成にどういったメリットがあったのかは不明だが、ミサイルの本数の詐称は私に、一発の正体不明の銃声から始まった盧溝橋事件のような事態への発展を想起させた。

何も告げられずに写真が提示されれば看過してしまいそうな偽装がトリミング技術の裏に潜んでいる、そのことを考慮しつつ、現像の作業において「虚偽の見せ方の選択」が行われてもいることを理解しておきたい。

【発表する】

撮影し現像された写真を世に送り出す方法は多様にある。展覧会を開く、写真集を出す、雑誌・新聞などに掲載する、WEB上に公開するなどがそれである。

一枚の写真を発表する際につけられるのは、タイトル・撮影者名・撮影地・撮影年など、そして「キャプション」である。キャプションとは、主に図版や写真について説明のために付け加えられた文字情報のことである。どんなキャプションをつけるかによって写真の印象は180度変わってくるだろう。

写真が真実を写していたとしても、キャプションにより真実が捻じ曲げられて伝えられてしまう。

例えば、『黒い海鵜』(スティーブ・マッカリー 1991年)はどうだろう。湾岸戦争中に撮影されたこの海鵜は重油によって真っ黒になっており、その環境汚染が戦争の、フセイン大統領の責任であると印象付けた。もちろんそれを意図したキャプションがつけられたことだろう。しかし、実際には38基もの油井を攻撃して炎上させ破壊したのは米軍の爆撃だったはずである。写真は重油によって汚された海鵜を通じて戦争による環境汚染という真実を伝えている。しかしそこに「フセインが招いたイラク戦争は深刻な環境汚染を引き起こしている」というキャプションがつくか「米軍爆撃機は38機もの油井を爆撃・炎上させた」というキャプションがつくかで鑑賞者の抱く印象は大きく変更される。

このように、写真による世論のすり替えは往々にしてキャプションのなす業なのである。

第二次大戦にむかって高揚していく日本の空気を創出するのに、報道写真によるプロパガンダは大きな役割を果たしたといえる。ナチスドイツにしても然りである。かの「撃ちして止まむ」のコピーを冠した写真は陸軍省の意図通りに国民の戦意高揚に格好の写真として様々な媒体に恣意的に使用された。もちろんこの写真も「やらせ」写真であり、さらに「撃ちして止まむ」という勇猛果敢なコピーを付与することで被写体の持つ勢いを何倍にも加速させて見せている。

キャプションのつけ方、写真の利用の仕方によって、鑑賞者の心情にバイアスをかけ、純粋な被写体を見せる側の意図通りに解釈されるように誘導する。「選択」によって真実は曇りガラスの向こうに追いやられてしまうのである。

【フォトグラフへの幻滅】

以上見てきたように、写真は撮る、現像する、発表するという3段階において見せる側による「選択」が介入し、写真家の目の前で起こった真実を、誇張したり、捻じ曲げたり、印象を変えたりした形で鑑賞者に伝える。普段何も考えていない人は写真に対して「一瞬の真実を切り取る」という幻想を信じて止まない。というか疑う目どころか写真を眺める目すら持たず、何も意図せずサラリと看過している。実際私もそうであったし、写真に対するリテラシーなど考えたこともなかった。

「選択」の事実を知ることで著名な写真家の有名な写真に対する幻滅が沸き起こる。写真への見方が変わり、リテラシーを持つどころか疑念を持って見ざるをえない。この写真はやらせなのではないか、合成かもしれない、トリミングはどうか、キャプションによってバイアスをかけているのではないか。目の前の写真の存在が揺らぎ、空虚な作り物にも思えてくる。とすると、写真はなぜ存在しているのか、写真とは一体何なのか、考えさせられる。

【フォトグラフとは一体何なのか】

私は最初に「写真とは選択の芸術である」と引用した。しかし、写真が芸術かどうかという問題は写真成立当初から議論されてきた。芸術を通じて芸術家は己の信念や思想、感覚や感情を伝える。写真は単なる記録媒体であり、そういった写真家側の意図は反映され得ないという批判があった。だが、被写体との距離の選択や撮影のタイミングなどには写真家の意図が大きく現れる。

例えば、広隆寺弥勒菩薩は土門拳を始め多くの写真家が被写体として選択してきた。それらの写真のタイトルがどれも広隆寺弥勒菩薩だとして、写っているものもそれに違いはないのだが、どの写真からも違う印象を受けるということは、やはりやはりそこにはカメラを構える写真家の意思が介入していると言えるだろう。つまり、写真家の選択した画角や距離、明るさが、己の伝えたいとして写真を芸術たらしめていると言えるのだ。

今述べた意見は、写真が芸術だという見方によったものだった。むろん、写真が絵画などと並ぶ芸術であることは認める。しかし、写真が記録伝達手段としての芸術以上の性質をもつこともまた事実だ。弥勒菩薩の写真も土門拳の写真集に収まっているか、日本史の資料集に収まっているかでその果たす性質は異なるだろう。

もちろん最初から述べてきた通り、真実を写すというのは妄信に過ぎないのだが写真はある程度の中立性や検証可能性を持ち合わせていると言える。フィクションともノンフィクションとも言い切れない微妙な立場にあるのだ。写真が報道か芸術かという議論はよく耳にするが、むしろどちらでもありどちらでもないというマージナルで不安定な存在が写真だと思う。やはりそれは、写真が真実を写すか、という問題と同じである。

逆に、そもそも写真が厳密に真実を写している必要などあるのだろうか。芸術写真はともかくとして、報道写真として雑誌や新聞に掲載される写真はもはやアイキャッチとしての性格の方が強いように思う。

例えば、政治関係の報道において新聞が使用する写真が一昨日の首相の姿であろうと一ヶ月前の会見の写真であろうと相違はないと思う。一月前の鳩山首相の写真に「昨日の会見の模様」というキャプションさえつけばそれで済んでしまう。

さらに言えば、戦争の報道写真などもそうだ。この写真はイラク戦争の爆撃の模様だが、湾岸戦争の爆撃の様子として報道されてしまえば私たちには疑うすべはないしあまり影響も無い。たとえそれが合成写真であっても精巧なコンピュータグラフィックによるものだとしても、爆撃が起きたという記事のアイキャッチとしてはその写真の真偽など無関係である。他にも、泣き叫ぶ栄養失調の子供がエチオピアの子供かウガンダの子供かなど判断の仕様はない。水泳の北島選手が泳いでいる写真が決勝のものでも準決勝のものでも一般大衆にとってあまり違いは無い。現代において、大戦期のように操作する側に悪意があるということが無く、基本的事実を曲げることにならない「悪意無き操作」であればなされても別にいいのではないか。極論ではあるが、もしかしたら私たちが日常目にする写真は既に精巧なコンピュータグラフィックによる偽の写真なのかもしれない。ともすれば、真実の写真などいらないのではないか。考えてみたが、この考えに反論していくのは難しく、まだ結論には至らない

【フォトグラフは世界を救えるか】

ここまで考えてきたように、写真が真実を写すという言説は疑わしいもので、真実を写す必要すらない恐れさえある。こんな危うい存在の写真は社会に働きかけ、世界とは言わないまでも、何かを変える力を持っているのだろうか。大きく言えば、写真は世界を救えるのだろうか。

大量生産大量消費の現代にあって、情報も氾濫している。与えられたものが全てなのではなく、膨大なデータベースの中から自分の趣味に合ったものを選んでいく時代なのである。具体的に言えば、テレビからの垂れ流しを受動的に眺めるのではなく、YouTubeなどのインターネット上の動画配信サービスを利用して、他人がアップロードしたCMカット済みの映像を選んで見ていくということだ。こういった中にあって、各個人の写真に対する感じ方はどのようになっているのだろう。私の印象は、一枚の写真によって何かを深く考えさせられるようなことはあまりなくなっているのではないかというものである。その原因には、日々滝に打たれるように莫大な情報と接するあまり、「慣れ」から感受性が摩滅していることが挙げられる。気概のあるカメラマンが多く戦地へ乗り込み、紛争の模様を伝える。当然ショッキングな写真が多いのだが、それさえも、またこの手の写真か、と感じてわかってはいつつも受け流してしまう。それはつまり、写真をちらと見た途端に、自分の頭の中で被写体が類型化され、これは空爆もの、これは飢餓の子供もの、これは環境破壊ものというように整理されて認識されてしまうということだと思う。写真にどれだけ訴えかける力があろうと、鑑賞者の方にそれを感じ取るだけの力がないのなら、結局写真は何かを変えられないということになってしまう。写真は世界を救えない。 

だとしたら写真の存在意義はどこにあるのか。私はここで今橋映子女史の表現を借りて「美しい棘」としての価値を取り上げたい。

「美しい棘」とは一体どういうことだろうか。この言葉は先に私が述べた通り、写真が芸術と記録媒体の狭間のマージナルな存在であるということを端的に表している。「美しい」とは芸術としての写真の性格を指す。単なる記録媒体であれば、整った構図や陰影の妙など視覚的な美しさなど必要ない。一方、「棘」とは何を指すかというと、記憶にとどめなければならない何らかの事実やメッセージを伝えるという記録媒体としての性格を指す。戦争の悲劇や、貧困の実情、環境破壊の状況など、個人の中で何かを変えるには至らないまでも、胸に刺さった「棘」としてちくりという痛みを感じさせ自分の中に違和感を残す。この「美しい」と「棘」という性格は作用し合い、見るものの中に何かを残す。そのことで写真は思考の契機としての役割を果たす。見ることで感じ、感じることで考え始める。だから一枚の写真に私たちの何かを変える劇的な変化を望むのは間違いであり、小さくとも「美しい棘」が胸中に残って私たちを内側から刺激し何かを考え始める契機となる、そんな小さな役割が写真の存在意義であると私は思う。

自分へのご褒美(笑)
11 月 28th, 2009 by 内藤 拓真

スイーーツじゃねぇえか!byやまもと

ま、しかし駒場祭期間中は飯とそこにしか金を使わなかった気がするから。

ってわけで、

自分で撮るのが難しかった。

自分で撮るのが難しかった。


いや、さんざん迷ったんだよ。

デザインを重視したくて、
最初はWeSCってブランドのAlp hornってのにしようと思ってた。
これはDJとかが使ってるやつで、
もとはと言えばファッション誌のスナップに見つけた時から目を付けてた。
耳に当てる部分が四角で、イメージはぶっといカチューシャ。
そのテクノな感じに魅かれていた。
でも全然手に入んなくて。

値段との交渉もあって、次に見つけたのはSONYのMDR-XB700。
タイヤを両耳に付けたみたいな重厚さが特徴で、
でもそんな低音重視の曲なんか聞かんしなー、と思ってやめる。

他にもNIXONとかWeSCの別のとか見たり、
渋谷のハンズ前のレコードショップにも行ってみたりした。


・・・ピンと来ない。


自分の持ち物にはある程度の運命を感じていたい。んだけどな。

で結局、BOSEなんだよなー。
iPodにBOSEってまんますぎて何も言えねー。

でもでもでも。

今家で開封して使ってみた。
正直、これは自転車に乗りながらとかムリゲー。
この密閉感はトラックにも気づかないレベル。

音はいいよね。
非常に一音一音シャープで、特にピアノとボーカルがきれいだ。


・・・もともとの録音が良くないことに定評があるミスチル厨の私にとっては無用の長物、とか言わないでほしい。

あ、いろいろ調べたけれど、最安値はドンキの15700円です。参考まで。


ノビントス
11 月 27th, 2009 by 内藤 拓真

バイト先でコーヒーの木をもらった。

つくりもののような強さがある。

つくりもののような強さがある。


日本ではコーヒーは育たないと習ったが、どうなのだろう。
葉はまるで造花のように厚くテカテカとしている。
写真よりも実物はもっと深い緑。

育て方とかは自分で調べろということらしい。
室内では霧吹きで湿気を与えて育てるとか。
幸い僕の部屋は常に暖かいので、好都合。
かわいい鉢でも買ってこようか。

とにかく観察日記をつけることになったので。

こいつに花が咲き、コーヒーチェリーが実り、
あ、でもどうやって焙煎すればいいんだ?
飲めないじゃん。

・・・。

行きあたりだばったりでやってまいりましょう。

09/11/27

また描き足してく。
11 月 26th, 2009 by 内藤 拓真

駒場祭が終わった。
僕にとってかなり思い入れのあるイベントだったので、
今、授業の合間の十数分、情報教育棟でさっさとその総括をするようなことはしたくない。

僕は今、この「二十歳の君へ」というイベントがどうやって始まったのか、
そのドキュメントまがいを書き始めている。
もちろん、それは前期のゼミで撮りためたビデオや録音、
栄田さんが撮ってくれた写真の数々、
いろんなものを掘り返して来て書いている。 

それは決して「総括」ではない。
この「二十歳の君へ」企画はこれからも進んでいき、一冊の本を世に送り出す。
祭が終わったのにこんなにワクワクするのは、
つまりまだ祭が終わっていないということなのかもしれない。
僕はその「記録」として、
いつかこの「二十歳の君へ」が僕の「あの頃」になった時、
ちゃんと思い出せるように、
書いている。

最後の最後まで、自分の立場に責任を持ってやり遂げたい。

みんなおつかれさま。
これからもよろしく。

内藤拓真

せんでーん!(mixiノリ)
11 月 20th, 2009 by 内藤 拓真

宣伝じゃー!
駒場祭いよいよ明日!21日、22日、23日とやります!
13号館でプリクラ機とともにお待ちしております!
写真更新していきますから、みてね!

http://kenbunden.net/20/

イベントはいろいろあるんだ!ふくざつ!

ゆうどう!

1、学園祭なんて楽しくてナンボ!ナンパ上等!な人

⇒13号館ロビーへ急げ
プリクラ機で遊ぼう!
東大オリジナルフレームある!
ユータスくんと撮れる!
ほぼ全日ないとうがいる!笑
ナンパした子と、サークルの仲間と、男だらけで、何でもあり!!
さあいらっしゃい!

2、いやいや、そこは真剣な講演会とかもないとさ、ってひと

⇒22日15時半、1313教室へ急げ!
立花隆講演会「二十歳の君へ」やっちゃうよ!
言ってもそこまでかっちりしたものじゃない。
ぶらりと入って楽しみつつ、メリハリつけてやります。
ないとうの一人芝居があるとかないとか・・・。
二十歳前後、高校生・大学生対象ですよ!
テレビメディアの取材もきてしまった!

3、学園祭なにそれおいしいの?家にこもってやんよ!って人

⇒論外(笑
ま、でも雰囲気だけでも見てほしい!
こちらへGO!
随時更新中!
http://kenbunden.net/20/kabe/
外へ出ろ!

4、20歳前後です、駒場祭行きます、の人

⇒13号館ステージ側壁へGO!
ないとうが街頭突撃インタビューしてるかも!
ずばり「二十歳のうちにやっておきたいこと、おきたかったこと」!
と題しまして、皆さんに一筆いただき、スナップを撮ってHPで大量公開していきます!
http://kenbunden.net/20/kabe/
のちのち出版するかも・・・。

5、出版って今言った?って人

⇒そうです、言いました、書きました!
全国の200人の元・二十歳から集めた「二十歳の君への宿題」、
僕ら20歳前後の立花ゼミ生のエッセイ、
立花隆の金言集、
と、充実したコンテンツでお送りする全84ページフルカラーの冊子を販売!
あの立花が一読して唸った。

「君たちは素晴らしいものをつくった」

この冊子は内容をボリュームアップして出版するつもり。
正直、つくった側のないとうも一読して泣いた!
来年、再来年を目安に絶対世に送り出してやる!
その先行販売だよー!
もちろん、4で協力してくれた人は載るかもね!さあね!
これは2日目から売りますよー@13号館付近



ってなわけで、相当盛り上がっています!
こんな大きなイベントプロデュースは久しぶり(中学以来?)で、緊張していますが、
今はワクワクの方が大きい!

プリクラから講演会まで、
すべてを同じテーブルにのっけるというスタイルでやってきた立花ゼミ。

ないとうが夢中になってつくったものを、見に来てください!ね!

あんたたち駒場祭だよ!40秒で支度しな!

うるさくてごめん、おしまい!

マイ バック グラウンド ミュージック
11 月 10th, 2009 by 内藤 拓真

僕があなたと出会ったのは、そう、02年の年明けのころ。
いいえ、本当はもっと昔から僕はあなたのことを知っていたのかもしれない。
意図しないどこかで、私はあなたの声に、姿に触れていたのかもしれない。
けれども僕が「あなたがあなたである」という、明確な形で知ったのは、
中学2年へと足を踏み出そうという、その冬のことだった。

出会いの形は、それはひどいものだった。
あなたは僕の目の前にうんざりするほど何度も姿を見せた。
今からすれば邪魔なくらいに長い黒髪、革の手袋に襟の長いコート。
そして、信じられないけどあなたが来るときはいつも雪が降っていたっけ。
とにかく あなたは飽きるほどに僕の視界に現れた。
しかもこともあろうに、うんざりするほど何度も「愛の言葉」を囁いて見せた。
その時の僕は、彼女なんて当然いるはずのない、ぶかぶかの学ランを着た普通の田舎坊主で、
恋愛について悩んで一日中ぼんやり過ごすことも、
自販機で缶コーヒーを二つ買う、なんてシチュエーションも全然なかった。
けれどあなたは、自分が生きるのに君が好きということ以上の理由はない、と、
そう何度も囁くのだった。
幼かった僕は、正直うざったいとしか思わなかった。
ドラマの合間のCMのように、「またか」というのが本心だった。
今じゃあ考えられないけどね。

それから少し時間があいて、夏のこと。
初夏の真っ白な日差しがよく入るシンプルな部屋で、
あなたは清潔な白のブラウスの前をはだけ、
なにか内省するような表情で、一人掛けのソファに深く腰かけていた。
少し切った髪は、光を受けてブラウンに光っていた。
そのころの僕は、誰もが病める中学2年。
少し他人よりも優等生だったから、悦入っていろんな人の想いや価値観を巻き添えにしていた。
今でも思い出しては叫びたくなる思春期の自分。
けれど、そんな僕にあなたは語りかけた。
間違いではない、答えはひとつではない、と。
自画像の背景を何度も描き直しては汚していくのが人生だ、と。
運命的な言葉だった。
これ以降、あなたという人は僕の人生にとって欠かせない存在となっていく。

しかし、その直後、あなたは突然の病に伏してしまう。
僕だけでなく、みんなが嘆いた。
そして恐れた。
あなたの言葉を失ってしまうことを。あなたが僕らの過去になってしまうことを。
みんなが快復を待ち望んだ。

あなたの病気は名前の迫力の割には軽いものだったらしく、意外にも早くその姿を再び目にすることになる。
同じ年の12月。
偶然にもあなたの声が僕の耳に触れた。
姿こそ見せないものの、再びあなたの言葉が僕の心を奪っていった。
僕にとっての憧れが、ヒーローが帰って来た。
あなたは力強く言った。
愛する人達がいるから命を投げ出せない自分を臆病である、と。
繰り返されていく毎日が愛しい、と。
ただひとり君に手を差し伸べるヒーローでありたい、と。
病から立ち直ったあなたは再び僕たちにその手を差し伸べて来たのだった。

それから約1年後、次に見たあなたは泥まみれだった。
シャウトするように語るあなたの顔はとても苦しそうで、
その言葉は世の中を切り裂くような鋭さと、それでいて愛に満ちていた。
それは人間は認め合えないといういらだちと、
けれど本当は人間は認めあえるという希望の言葉だった。
信じてるもの、暮らしていたい場所、愛している人。
ひとつにならなくていい、認め合えばいい。
そんな悲痛な訴えに僕は圧倒された。

同じ年のクリスマス、あなたとても重たいプレゼントを背負ってやってきた。
中学3年の僕にとって、それは抱えることのできないとてつもなく大きな問題であり、
でも同時に、僕たちひとりひとりがこれからの人生をかけて背負って歩かなければならない、
そんなテーマをあなたは投げかけていった。
世界にある悲しみや怒りを許せるのか、
でも何をすべきなのか、
泣きながら祈る他にないのか。
かろうじてできることと言えば、相変わらず人を愛することぐらいだ。
聖夜に響いたその言葉は、
まるで雪のように美しく、そして鋭く、多くのしあわせの上に降り注ぎ、
けれどその純白の下にずっしりとした重さを携えて僕らの心に降り積もった。

04年、僕は高校生になった。
あなたと出会ってから2年が経って、
僕の中にはあなたとのたくさんの思い出が蓄えられた。
それは日常というルーティーンの中にあるのだけれど、
そのひとつひとつが至福の1日として確かにメモリされている。
あなたの微笑みも、叫びも、言葉も、
その幸福という名のアルバムをめくればいつだって思い出せる。

そしてこれ以降今に至るまで、やはりあなたはいつも僕と共にいた。
今後もそれは変わらない。
きっとあなたはいつまでも言葉を放ち続けるだろう。
僕は僕で、これまで何度も塗り重ねてきた汚れた自画像に、
また何度も何度も違う背景を描き足していくのだろう。
その時もきっと、あなたの言葉はBGMのように鳴り響いている。
ずっと。

(「Mr.Childrenに恋をして。」終)



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